ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ジャージにハマる

2013-10-30 17:26:59 | 日記
仕事で出かけたときの事。

利用者さん(お客様)の部屋は高層住宅の4階にあり、私はいつもエレベーターを利用する。

いつものようにエレベーターに乗ったところ、こちらに向かって走ってくる女性の姿が見えた。

「あぁ、このエレベーターに乗りたいのね」

そう思い、女性が来るのを「開」のボタンを押して待っていた。

案の定、走ってきたその女性は、礼を言いながら同じエレベーターに乗り込んできた。

「何階ですか?」と聞くと「6階です」とおっしゃったので、6階のボタンを押してあげて、そのまま前を向いて立っていると、私の斜め後ろに立っていた女性が「あっ」と小さく声を上げられた。

そして、「もしや・・・」とつぶやいた。

エレベーターには私とその女性の二人だけしか乗っていないので、それは明らかに私に向かって話している!?

女性の方を振り返ると見知らぬ人だった。

女性は、ややためらいがちに「もしかして日曜日に●●ホームセンターにいらっしゃいませんでした?」と聞いてきた。

私はびっくり!

頭の中で、日曜日の記憶を必死にたぐり寄せていた。

一体、いつの日曜日なんだ?

●●ホームセンターは、ほとんど毎週と言ってもいいくらい日曜日に買い物に行く。

そして、ホームセンターと名のつく店は近隣に数店あるのだけど、私は●●ホームセンターへ行く確立が一番高い。

なぜなら隣に建っている食品スーパーにも行くことが多いから・・・

「えっと・・・確か居たと思いますっ」と答えると、「やっぱり!そうだと思いました」と、その女性はにこにこ嬉しそうにそう言いながら「私もいたんですが、お見かけしました」と続けた。

「そうなんですか~」と言って話の続きを待ったが、その方はそれだけを言いたかったらしい。

私が4階で降りるまでの短い時間で、それ以外の会話はほとんどできなかったが、彼女は多分同業者(ヘルパー)で、たまにこの高層住宅で私と会っていたらしかった。

いつも見かける私を●●ホームセンターで見かけ、今回またエレベーターの中で会ったので、思わず声をかけてくれたのだった。

私の方はと言えば、彼女の顔はまったく覚えていなかったが、そういえば何度か同じエレベーターに乗ったことがあるかもと言うくらいのかすかな記憶がよみがえってきた。

普段、私があまり周囲の人を見ていないからなのかもしれないが、その方はよく覚えているものだと感心してしまった。

4階に着き扉が開くと、お互いに「それではまた」とにこにこ手を振って別れたのだったが、なんとも奇妙な縁ができた。

でも、こうして声をかけてくれたことが、なんだか嬉しい気もした。

これが見知らぬ男性だったら、こういう気持ちにはならなかっただろう。

バッグを握り締め、疑いのマナコを向けていたかもしれない。(まぁ、そんな事態は起こらないでしょうが・・・)

さて、こんな出来事があって、ふと思うことがあった。

それは、夫に言われた一言だった。

「えーっ、その格好で来たの?着替えて来なかった?それは女としてどうかと思うよ」

実は今年になってジョギングを始めてからというもの、ジャージにすっかりハマってしまった。

あの履き心地のよさといったらない!もうぴったりジーンズやスラックスなんて着る気がしないくらい。

ウエストのゴムは苦しくなくフィットするし、なんといっても伸縮する生地のジャージは動きやすいこと、この上ない。

今まではジョギングのたびに着替えていたのだが、掃除をするのにもジャージの方が動きやすいので、ついついジャージでいる時間が延びていた。

そしてある日、夫と買い物に行った際、着替えるのを忘れてジャージ姿のまま来てしまい、先に書いたように夫に指摘された。

これが若い人ならジャージやスェットで外出してもOKなのだろうが、自分の歳を考えると、やはりいつもジャージってのはマズイかもしれない。

・・というわけで、その女性が私を見かけたという日曜日、はたして私はジャージ姿だったのか否か、とても気になっている。








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親切

2013-10-28 17:10:25 | 日記
最近発売されて、とても読みたかった本があったので購入するためにある書店へ行った。

私が欲しかった本は売り場に2冊あったが、ゆっくり他の本を見て歩いている間に売れてしまったら困るので、まずはすぐに1冊を購入した。

欲しかった本を手に入れたので、あとはゆっくり他の本を見て歩こうと書店の中をぶらぶら歩いていたら、持っていたカバンが書棚に積まれていた本にうっかり触れてしまった。

そして、その途端、積んであった本は派手な音をたてて床に落ちてしまった。

本が棚に完全に乗り切らず通路にはみ出していた為、持っていたカバンが当たった時に崩れて落ちてしまったようだった。

とはいえ、これは私のミス。

大慌てで落とした本を拾い集めた。

幸い書棚が低い位置だったこともあって、本に傷はついていないようだった。

本を落とした時の大きな音に、周囲のお客さんたちが一斉にこちらを見たのが分かったが、私が本を崩してしまっただけだと分かると、ほとんどの人は何事もなかったように、また普通の状態に戻っていった。

私はひとりで、本に傷が無いか確認しながら1冊ずつ棚に並べていた。

すると、視界の中にこちらへ向かって駆け寄ってくる人影が見えた。

てっきり書店の店員さんかと思ったが違った。

それは40代くらいの女性のお客さんだった。

その女性は駆け寄ってくると、一緒に本を片付け始めてくれた。

「こんな風に積んであるのがよくないですよね」と、私をなぐさめようとしてくれたのか、そう言いながら、落ちた本を片付けてくれた。

そして、彼女はすべて片付け終わるとにっこり微笑んで行ってしまった。

私はその女性に、ただひたすら「ありがとうございます」としか言えなかったが、心の中もやっぱり「ありがとうございます」で一杯だった。

この数分の出来事は、私をとても幸せな気持ちでいっぱいにしてくれた。

私のうっかりした失敗で、本当ならちょっと暗い気持ちになったかもしれないのに、その女性のおかげですっかり幸せな気持ちになることができた。

他人の心遣いや親切って、本当に嬉しいものだなぁ。

私も困っている人がいたら、駆け寄って行って助けてあげようと思う。

さて、今夜はこの幸せな気持ちのまま、読みたかった本を読むことにしましょう。










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胃カメラ

2013-10-25 12:23:50 | 健康
胃カメラの検査を受けてきた。

特に胃に不調があるというわけではなかったが、胃がん家系でもあり、年齢的にも注意したほうがいい年代に入っているので、胃カメラ検査は毎年受けようと思っている。

それにしても今回わざわざお金を払って胃カメラに行かなくても、来月人間ドックがあり、そこで希望すれば福利厚生の中で無料で胃カメラの検査をやってもらえることになっていた。

しかし料金を支払ってでも、別の病院で胃カメラ検査をしてもらうのにはワケがある。

それは、通常の胃カメラ検査があまりにも辛すぎるから。

胃カメラは苦手な人が多いと思うが、実は私もその一人で、あれは何度やっても慣れるものではない。

毎回、涙と鼻水とよだれで顔中ぐしょぐしょになりながら耐えてきた。

あんまり苦しいから、昨年は鼻からのカメラに挑戦してみたのだが、私はまれにいるという鼻腔が狭いタイプだったらしく、鼻からの胃カメラはできないとのことだった。

そんなわけで、今回、人間ドッグとは別に、全身麻酔による胃カメラ検査をしてくれる病院へ行った。

全身麻酔の胃カメラは今回で2回目だが、これが本当に楽で寝ている間に検査が終ってしまう。

もちろん、なんの苦痛も無い。

検査後、麻酔が覚めるまで30分ほど休まなければいけないが、あの苦痛を思えばなんのことはない。

結果は、やや赤い部分が見受けられたが(胃炎跡?)異常はなかった。

ただ、検査前の問診表に2週間くらい前に軽度の胃痛があったと書いたため、念のために腫瘍マーカーで他の臓器も調べてみてもいいかもしれないとのことだった。

もちろん、それもお願いして血液を調べてもらった。

そして、血液検査の結果も異常なしということで安心したのだが、唯一コレステロール値が高かった。

標準値の上の数値をやや超えるくらいの数値だったが、それについて医師は「最近、コレステロール値の揺り戻しが来ているんです。それほど下げなくてもいいんじゃないかと。だから、この数値でいいです」と言われた。

ジョギングなど運動もしているし、食生活もそれほど高カロリーのものを食べているわけではないので、コレステロールを下げろと言われても、一体どうすればいいのと思っていたが、医師のこの言葉にホッとした。

帰り際、看護師さんが封筒に入った検査結果を手渡してくれながら「いい成績でよかったですね」と言ってくれたのは、妙に照れくさくもあり嬉しくもあった。

来月は人間ドックがある。

今回の血液検査で、婦人科系の腫瘍マーカーもやってもらったので、もう人間ドックには行かなくてもいいんじゃないかと思ったが、残っているほかの部分の検査をしてもらいに面倒だが行って来よう。

こうしてメンテナンスをしながら、この身体をもうしばらく大切に使わせて頂きたいと思う。










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いつまでも元気に

2013-10-21 15:31:19 | 介護
先日、朝の天気予報で「今日は暖かくなりそう」と聞いたので、高齢者住宅にいる父を連れて出かけようと思った。

最近、父ばかりを連れて歩いているようで、同居の義母に申し訳ない気持ちがするが、義母は休日に、一緒に買い物に行ったり、美味しいおそばを食べに行ったりしているので勘弁して頂こうと思う。

義母も軽度の認知症なのだが、深刻なのは実父のほうで、急に進んできたように感じるし、足も86歳の義母より83歳の父の方がずっと弱ってきた。

つい最近まで、父の方が元気で若々しかったのに、あっという間に逆転してしまうとは、日ごろの生活習慣というのは本当に大切なものだと思う。

義母は昔ほど色々な料理は作れなくなったが、それでも毎日、自分でご飯を炊き、おかずを作る。

義母はもともと料理好きで、歳をとっても億劫がらずに料理をしている。

それから、もうひとつ義母が好きなことはお裁縫で、昔は着物なども縫ったそうだが、今は小さな袋を何枚も作っている。

そして、出来上がった袋は家族や親戚に配っている。

私も、一生かかっても絶対に使いきれないだろうと思うくらいの数の袋を作ってもらった。

(その数は、今後も増えるだろう・・・)

でも、義母にとって、これはボケないためのリハビリなので、何枚でもありがたく頂いておく。

それにくらべて、父には趣味がない。

70歳半ばまで働いていたせいか、仕事が趣味の人だった。

しかし、仕事を辞めたら、あっという間に弱ってきてしまった。

今は、料理や裁縫はもちろんしないし、することといえばテレビを見て寝ることくらい。

歩かないし考えないから、足も頭も弱ってくるのは当たり前かもしれない。

というわけで、父に刺激を与え、足を鍛えるべく、なるべく連れ出そうと思っている。

そこで、今回行ったところは北海道神宮。

原生林の残る円山公園の隣にあって、広い境内もたくさんの木々に囲まれた神宮は本当に気持ちがいい。

父に「神宮へ行こう」というと、「なぜ神宮へ?」と怪訝な顔をされてしまったが、父にとって神社とは、年に一度新年に行くくらいの場所なので、何も無い普通の日に神社へ行くことは不思議に感じたのかもしれない。

しかし、北海道神宮へ着くと気持ちの良い空気と空間に、父はすぐに笑顔になって、さらに参拝後の父はとても元気になっていた。

妹も誘って3人に行ったのだが、参拝の後は神宮近くの豆腐料理のお店で食事をした。



このセットに小さなグラス1杯の豆乳と、食後のコーヒーがついて1100円。

上品な薄味でおいしかったです。

しかし、食がすっかり細くなった父には、この量は多すぎたみたい。

そこで、まだ40代と若い妹に、父の分も食べるように勧めたら「太るから嫌だ」と言われた。

せっかくのお料理を残すのはお店の人に悪いしなぁ。。。

すると、妹に「お姉ちゃんは、もっと太ったほうがいい」とそそのかされて、「では・・・」と、私が父の分もしっかり頂いてきました。

さて、ゆっくり円山の森を散歩して、今晩は実家へ泊まると言う父を家へ連れて帰ったのだが、その後が大変だったと妹から連絡が来た。

神宮へ参拝に行ったからかどうか分からないが、翌日はすっかりテンションがあがり、やる気モードにスイッチの入った父は、庭木の冬囲いをやり、かなり疲れているはすなのに、一人で歩いて買い物に行ったという。

ところが、疲れていて足がもつれたのか、途中で転び顔を強打して、顔中血だらけで帰ってきたというのだ。

すぐに病院へ行ったところ、幸い骨に異常はなく、傷の手当だけで済んだそうで安心した。

気持ちは元気になっても、足はすぐには元気にならないってことを、父は自覚していなかったようだ。

これから雪が降ってくると、なかなか外へ連れ出せなくなる。

これ以上、弱らないようにさせないとなぁ・・・と考えている。










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まずは実行

2013-10-17 15:05:46 | 日記
最近、弟とよくメールのやり取りをしている。

思えば二歳違いの弟とは、幼い頃はいつも一緒に遊んでいたが、お互いに中学生くらいになると、あまり会話をしなくなっていた。

仲が悪いというのではなかったが、男である弟とは共通の話題が少なかったのかもしれない。

そして弟と会話がなくなった分、6歳離れた妹とは会話が増えていったように思う。

姉弟であってもそれぞれに別の人生を歩み、その人生も折り返し地点を過ぎた今、メールであっても、また弟とこうして会話ができるようになったのは嬉しいことだと思う。

メールの話題は、大体父の事なのだけど、そこにもうひとつ「先祖供養」のことが加わった。

前回、弟が帰ってきた時、実家で起きた家鳴りの話から始まって、少しだけ先祖供養の話をした。

その時、弟の口から子供の頃から大人になるまで、奇異な体験を何度もしたことを聞いた。

そういう体験をした弟だからこそ、先祖供養のことにも興味を持ったのだと思う。

私の方からは、その時以来、一切それについては触れなかったのだけど、弟から来たメールには、私への質問を含め、先祖供養についてのことが長々と書かれていた。

そして、メールの最後は「今まで自分にはそのような知識が不足していた。しっかりした根拠の元に、先祖が安らげる環境を作ってあげる時期にきたのかもしれない・・・云々」と結ばれていた。

弟がやっとそういう風に思えるようになってくれたのが、すごく嬉しかった。

しかし・・・

弟のメールを読んでいると、どうも形式ばかりにとらわれているような気がした。

現在のお墓のこと、神棚の事、また、それらの置き場所の事、本家か分家か、祖父が北海道に渡ってくる前、元々は関東の人なのだが、そこのお墓の事など。

そして、それらをきちんとした上でお坊さんを呼んで祭事をしてもらう等、どうだろうか?と言うものだった。

これを読んで、弟が一生懸命考えていることはよく分かったのだが、先祖霊が安らげる為に、まずすべきことが欠けていると思った。

先祖霊が安らげるようにしてあげること・・・もちろんお墓をきちんと整えるってことも大事だろう。

しかし、子孫からの供養が一番大事だってことが、先祖が安らかになってほしいとの想いで、毎日お線香を手向けて手を合わせることが一番先祖に届くのだということが分かっていない。

「あれこれ考えずやってみなさい。やったら分かる」と言いたいところを抑えつつ、「今居る場所でも供養はできる。その他のことは、それから考えても遅くないよ」とメールを打った。

さて、なんと返事が来るのだろうか。

弟は仕事が忙しく週末しか私的なメールは書かない為、返事はまだ・・・

実家の先祖達が、一斉に期待を込めた目で、この成り行きを見つめているような気がしてならない。











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いくらの醤油漬け

2013-10-15 22:36:38 | グルメ
「いくらのしょうゆ漬けを作るのに、そちらへ帰っていました。短い滞在だったので連絡しませんでした」」とメールをくれたのは、子供の友達のお母さん(ママ友というのでしょうか)だった。

文字だけのメールからでも、彼女の関西弁の話し方が思い出された。

次女のピーチが3歳の頃、やはり同じ年齢の女の子のお母さんだった彼女とは、近所の公園で子供同士を遊ばせるうちに親しくなった。

旦那さんの転勤で北海道に来たばかりという彼女は、好奇心旺盛で、パワフルで、そばに居ると元気が出てくるような女性だが、ある日「いくらのしょうゆ漬けって作れる?」と聞かれたことがあった。

「作れるよ」と答えると、即座に「教えて」と言われた。

秋になるこの時期、スーパーには生のいくらがたくさん並ぶ。

それを買ってきてしょうゆ漬けを作るのは、毎年のことで、子供達もいくら丼を楽しみにしてくれる。

いくらのしょうゆ漬けをたっぷりのせた「いくら丼」は、外で食べると多分とても高い。

でも家庭で作れば、外で食べるよりずっと安く、しかも美味しく食べられる。

教えてと言われて、彼女の家に行って一緒にいくらのしょうゆ漬けを作ったが、それから以来、彼女は毎年、自分でいくらのしょうゆ漬けを作っていたようだった。

そして、また転勤になり何年か前に関西に戻った彼女だったが、まさかいくらのしょうゆ漬けを作る為に来ていたとはびっくり。

彼女は長く某航空会社に勤めていたそうで、国内の移動はちょっと近所へ出かけるくらいの簡単な感覚なのかもしれない。

彼女からのメールを読んで、そういえばもういくらの季節だったことを思い出した。

スーパーの魚コーナーには、たくさん生のいくらが並んでいた。

そこで、さっそく私も買ってきて、いくらのしょうゆ漬けを作ることにした。



これは筋子状態だった卵をばらばらにほぐして、いくらにしたもの。

40度ほどのお湯につけて、両方の手のひらで優しくこすり合わせると、塊りの筋子がぱらぱらにほぐれる。

これを醤油と日本酒に漬けて半日ほど置いたら食べられるようになる。

それにしても、わざわざいくらのしょうゆ漬けを作るために帰ってくるとは、超お高いいくらの醤油漬けになるだろうな~と思いつつ、行動力抜群の彼女らしい・・・と可笑しく思いながら、いくらの醤油漬けを作っていた。









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読書

2013-10-11 12:10:09 | 日記
私は、いわゆる活字中毒というやつで、常に読んでいる本がないとだめな性質。

大体いつも2~3冊の本を並行して読んでいる。

これは思うに小学校1年生の時に病気になり、長く入院生活をしていた頃の影響だと思う。

具合の悪いときは、本を読む元気などなかったが、すこし元気になってくると入院生活は本当に退屈だった。

小児病棟は、遊び相手になる同じ年頃の子供がたくさん居たが、全員なんらかの病気で入院している為、動けるようになっても廊下を走り回ったりしようものなら、飛んできた看護婦さんにとても怒られた。

だから、大人しくしていられることと言ったら、本を読んでいることくらいだった。

でも、それがよかったのかもしれない。

それ以来、本を読む楽しさに目覚め、いつも傍らに本がある生活をしている。

子供の頃から、ずっと本を読む生活をしていると、大体数ページ読んだだけで、(自分が)面白いか面白くないかが分かる。

面白くない時は時間の無駄なので、すぐに読むのを止めるのだが、一部興味のあることが書いてある本は一応最後まで読んでみる。

しかし、読む時間はあっという間で、300ページくらいの本だと20分くらいで読み終えてしまう。

読む本は図書館へ行って借りてくることが多いのだが、どうしても手元に置いて何度も読みかえしたい本は買うことにしている。

だから、図書館で借りて一度読んだ本でも、よかったものは改めて買うというのも珍しくない。

そんな本漬けの生活の中で、昨夜は本を読んでいる最中に、かつて感じたことのない、ある感覚を覚えた。

例えるなら、とても清らかな水が自分の胸の中に流れ込んでくるような、そんな感覚だった。

この本は「柔訳 老子の言葉」(谷川太一氏著)と言う。

買ったのはかなり前になるのだが、これがなかなか読み終えることができないでいる。

なぜこんなに読み進まないのかと考えてみたら、同じページを何度も何度も繰り返し読んでいるからだと分かった。

多分、同じ箇所を読んでいても、そのときの自分の心境で、まるで初めて読むような感覚になるから、そこが前に読んだとは思えず、同じところを繰り返し読んでしまうのだと思う。

これは、老子の難解な言葉を、著者が非常にわかりやすく解説してくれている本になっている。

そして、それが現代に生きる私達にも十分参考になることが書かれていて、迷ったとき、心が曇りそうになったときに読むと、何かヒントをもらえると思う。

実はここ数日いそがしくて、心がやや疲れ気味だった。

そんなこともあって、昨夜は、なんとなく寝付かれず、ふと「柔訳 老子の言葉」を開いてみた。

(また同じ箇所から読み始めていたのだが・・・)

読んでしばらくすると、先に書いたような感覚、清らかな水が胸の中に流れ込んできたような感覚にとらわれた。

しかし、それはとても心地よい感覚だった。

まるで澄み切った水で、心の曇りを洗い流してくれるような、そんな感じがした。

そのあとは、安らかな気持ちですぐに眠ることができたのだが、なんとも味わったことの無いような不思議な感覚だった。

こういう本との出逢いがあるから、やっぱり読書はやめられないと思う。










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お弁当作り

2013-10-09 13:50:08 | グルメ
久しぶりのお弁当写真投稿。



鶏肉を前夜にテンメンジャンなどの調味料に漬けておき、朝オーブンで焼いたもの、ごぼうやレンコン、人参を入れたキンピラ、かにかまぼこときゅうりのサラダ。

前日の夕方から「さて、明日のお弁当は何にしようか」と考える。

下ごしらえを少しでもしておくと、翌朝が楽なので、前日の夕方までにお弁当の中身を決めておきたい。

夫と長女チェリーは、万が一お弁当を持たせなくても、職場の食堂で食べることができるからいいのだが、問題は次女ピーチ。

学校の売店は、あっという間に売り切れるらしく、売店に近い教室じゃないと買えないそうだ。(ちなみにピーチの教室は、売店から最も遠い場所にあった)

まさに伸び盛りで、いつもお腹がすいた~と言ってるピーチなので、お昼ご飯を抜くなんて考えられないこと。

そんなわけで、私は毎日「お弁当を作らねば・・・」という使命感を通り越して、強迫観念にとりつかれたように、夕方になると「明日のお弁当は何にしよう」と、レシピノートをぱらぱらめくっている。

いつものようにレシピを書いたノートを読んでいると、長女チェリーが寄ってきて、「今度、自分でお弁当作っていい?」と聞いてきた。

そんなことをチェリーが言うなんてなかったことなので感激だった。

「いいよ、いいよ。作っていいよ~。チェリーが時々作ってくれたら大助かり!」と言った。

しかし、毎朝なかなか起きられないチェリーが、はたしてお弁当作りのために、早起きできるのだろうか?

「作るのはいいけど、朝起きられる?早く起きないと作れないよ」と言うと、「大丈夫。冷凍食品を詰めるから、そんなに早く起きなくてもいいんだ」とチェりー。

そうかぁ。

冷凍食品だけなら、レンジでチンして詰めるだけだから早いよね。

なんだか妙に感心して納得した。

でも、お米の水加減は、もう一度練習しないとね。

前に私が遅くなりそうなとき、電話でチェリーにご飯を炊いてくれるように頼んだことがあったのだが、水が多すぎておかゆとご飯の中間のようになってしまったことがあった。

それまで、何度かご飯の炊き方を教えていたので大丈夫だと思ったが失敗だった。

やはり覚えるまで失敗しても、根気よく続けるしかない。

それでも自ら「お弁当を作りたい」と言ってくれたことは、とてもうれしい事だった。

今年の春に高等養護学校を卒業して、就職を目指して作業所に通っているチェリーだが、色々な面で成長してきたと感じることが多くなってきた。

例えば「分からないことがあったら聞く」なんてことは、健常者なら当たり前にすることだが、チェリーの場合、それが非常に高いハードルだった。

聞きたくても声をかけられない、もじもじしながら、結局わからないままにしてしまうということが、今まで数多くあった。

それが一応社会人となった現在は作業所から帰宅してからも、心配なことは自分で再び作業所に質問の電話をするようになった。

就職はまだまだ無理かもしれないが、そんな成長ぶりを感じることができるのは嬉しい。

これからは、お弁当を自分で作ることができるように、また食事作りを手伝ってもらおうと思う。

それにしても長女チェリーにばかり目が行って、次女ピーチには何も教えていなかったことに気づいた。

ピーチに「お米研いで」と頼んだら、「えっ、どうやるの?できない」と言われて焦った!

あぁ、ピーチにも教えないといけなかったなぁ。

食事作りは、人間が生きていく為の基本だから。







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ごほうび

2013-10-07 17:11:54 | 介護
気がつけば、もう10月。

朝夕は、暖房をつけたいと思うこともあるくらい寒くなってきた。

毎日、家族の食事を作り、家事をして・・・と、ほとんど決まりきった日常生活を送る中(これは、本当に感謝すべき幸せなことですが)、時々、心から嬉しいな~と感じることがある。

それは、まるで思わぬごほうびをもらったような気持ちにしてくれる。

昨日は、高齢者住宅に入っている父を連れて市内のとある大きな公園に行ってきた。

暖かな日差しが気持ちのいい午後、ゆっくりと歩く父に合わせて、私もゆっくりと公園内を歩いてきた。

公園の中は、コスモスやダリアなどの花々が咲き、たくさんの人が犬を散歩させたり、寝転がってくつろいだりしていた。

久しぶりに父と過ごす時間は、いつもよりずっとゆっくりと流れているように感じた。

犬好きの父は、散歩している犬を見つけると、手を振りながら「こーい。こーい」と近寄っていく。

一緒に歩く私は、飼い主さんに「触ってもよいでしょうか?」と聞いて、「父が犬好きなもので・・・」と言いながら、犬を触らせてもらう。

父は目を細めて犬を撫ぜていた。

「あれっ、父のこの姿は・・・まさにわたしだわ」と思った。

私もジョギング中に犬の散歩に出会うと、よく飼い主さんにお願いして触らせてもらう。

あ~これは父からの遺伝だったのか。笑いがこみ上げてきた。

昼食に公園内の食堂に入って、父は幌加内そばを、私はカレーライスを食べた。

「幌加内(ほろかない)は、そばが有名なところなんだ。前は幌加内まで車を運転して、よくそばを食べに行ったんだよなぁ」と懐かしそうに父が教えてくれた。

食後、自動販売機で父がアイスクリームを買ってくれたので、並んで一緒にアイスクリームを食べた。

アイスを食べながら父が「今日はありがとう」と言ってくれた。

父の言葉、そして笑顔は、父からの贈り物、ごほうびのような気がした。

公園へ行った昨日のことは、これから先も父が居なくなったあとも、きっとずっと忘れないだろうなぁ。








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