ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

落ち葉の掃除

2021-09-30 11:00:40 | 日記

家の外に出た途端、香ばしくて甘い香りが漂ってくる。

これは落ち葉の匂い。

落ち葉の香りなんて気にしていなかったせいか、昔はわからなかったが今はすぐにわかる。

きっと落ち葉を気にしているせいだ。

我が家は森林に囲まれているため、この時期は毎日、玄関前に落ち葉の小さな山ができる。

義母がいた頃は、日に何度も掃除をしてくれたので、いつも知らぬ間に葉っぱ一枚落ちていない程きれいになっていたが、今は私が掃除をしなければいけない。

しかし朝やっても夕方にはまた落ち葉だらけで、とても義母のようにきれいにはできない。

そのうち風で飛んでいくだろうと半ば諦めて、よほど山が気にならない限りそのままにしておくことにした。

ところが、これが正解でしばらく放っておくと、落ち葉は風に飛ばされてきれいさっぱり無くなっている。

その落ち葉はどこへ行ってしまったのだろうと思ったら、お向かいの家の前の道路に山を作っていた。

お向かいさんは、落ち葉の掃除はまったくしない。

まったくしないにも関わらず、その落ち葉の山は春には跡形も無くなっている。

多分あちこちに飛ばされて、森林に戻ったり家々の庭に落ち着いたりして、最終的には土地の肥料になっているのだろう。

私も掃除した落ち葉は、森林へ戻すか自宅の庭に穴を掘って埋めているが、秋に埋めた落ち葉は春になるとすっかり土に戻っていて、とても良い肥料になっている。

そうだ。もう落ち葉の掃除はしなくてもいいのだ。これでいいのだー!

とかなんとか、バカボンのパパのように叫んでみても、やっぱり家の前に溜まる落ち葉が気になってしまう。やっぱり基本的に好きなのだと思う、掃除が、、、

そんなわけで義母のようにはできないが、二日に一度くらいは玄関前の落ち葉の掃除をしている。

甘くて香ばしい落ち葉の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら掃除をしていると、お腹が空いてくる。

食欲の秋だなぁ。。。

若い頃から胃腸が弱くて少食だったが、なぜか還暦を迎えたら食欲が増すようになった。

ホントに何を食べても美味しい。

手前味噌だが、この前作ったおからの煮物が美味しかったこと。天ぷら屋さんでもらってきた天かすを入れて、コクが出たのが良かった。

60を過ぎたら無理なダイエットはしない方がいいと小耳に挟んだことをいいことに、今は体重を気にせず美味しく食べている。

毎日10分間のストレッチと、週に二、三回の有酸素運動、同じく週に二、三回の散歩で、少食だった頃より筋肉がついてお腹の肉が取れた。

これもコロナで自宅で過ごす時間が多くなり、自分の健康や身体により気をつけるようになったおかげかもしれない。

落ち葉掃除の話から健康の話になってしまったが、(私の場合)気分がすぐれない時は掃除をすると気分が上がる、、、ということで落ち葉掃除の話を締めくくりたいと思う。

 

 


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赤ちゃんが見えている世界

2021-09-24 14:46:02 | 日記

長男が赤ちゃんだった頃、たしか月齢が4ヶ月くらいの時だったが、ベビーベッドに寝かせていたら、突然手足をばたつかせてキャッキャッと笑い始めた事があった。

何を見て笑っているのだろうと、長男の視線の先を見たのだけど何も変わったことはなく、こちらを向かせようと名前を呼びながら長男の目の前に顔を出してみたり手を振ってみたりした。

ところがいつもならこちらを見るのに、その時はまるでダメで、見えない何かに夢中になって笑っていた。

長男の視線は私を通り越して天井の一点をじっと見つめたまま、まるで誰かにあやされているかのように実に楽しそうに笑っていたのが不思議だった。

この時は、私の亡くなった母が初孫に会いに来てくれたのかもしれないと勝手に解釈したのだけど、後で調べてみると、このように誰もいない方を見て笑うことは、赤ちゃんにはよくあることだそうだ。

生後3〜4ヵ月くらいまでの赤ちゃんは、大人には見えていない細かな変化が見えるらしい。

 生後3か月から4か月の乳児にだけ見えるが、5か月以降になると見えなくなる特別な世界があることが中央大と日本女子大、東京大の共同研究でわかった。世界で初めての発見だという。

米科学誌「カレント・バイオロジー」(電子版)の2015年12月3日号に発表された。

大人は物を見る角度や照明が多少変わっても、細かな変化を無視する能力が備わっているが、生後3〜4ヶ月くらいまでの赤ちゃんは、見えるものすべてを認識するため、大人が脳内で捨て去っているような微妙な部屋の変化、例えば部屋の明るさとか影とかに反応して笑ったとも考えられるそうだ。

ただ下の二人の子はそういう事が無かったので、すべての赤ちゃんがそうするというわけではないと思うが、、、

もう29年も前のことで記憶も薄れていたが、先日の長男の結婚式でまた思い出すことになった。

それは長男の結婚式で、最後に長男が挨拶をした時のことだった。

突然、私の左隣に誰かが立った。

「誰か」というと人物を想像するが、人の形ではなくて光のかたまりという感じで、私たち家族と一緒に新郎新婦を見ているように思えた。

すると、しばらく一緒に長男の挨拶を聴いていたその光から、長男夫婦を祝福するかのような温かい想いが伝わってきた。

その想いを感じ取った時に、それが29年前に長男を見に来てくれたものと同じだと理解した。

なぜそうだと思ったのかと言われても自分では分からない。

ただ当時、それが亡き母だと思ったのは、私の思い違いだったという事もわかった。

ぜんぜん別の人、私も長男も知らない人。これまでずっと長男を見てくれていたのだろうか。

そしてもしかしたら誰もが生まれてくる時に、ガイドさんのような役割の人が付いてくるのだろうか?

赤ちゃんだった頃には見えていたのに、大きくなるにつれて見えなくなっていったのだろうか。

う~ん、よくわからない(汗)

ただ赤ちゃんが誰もいない方を向いて笑うのは、見えない誰かにあやされているとは限らず、先にも書いたが、大人には見えていない明かりや影などに反応している場合もあるということなので、若いお母さんは決して怖がらなくても大丈夫だと思う。

結婚式場の窓から見えた風景。

森の中にあるとても素敵な場所だった。

 


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手紙

2021-09-21 22:06:40 | 日記

長男の結婚式でのこと。

式のフィナーレで、お嫁さんが自身の両親と兄弟に宛てた手紙を朗読した。

涙で詰まりながら読む手紙は、家族への感謝に溢れていて、聴いていたお嫁さんのご家族はもちろんのこと、私と夫も涙涙だった。

花嫁が嫁ぐ前に両親へ感謝の言葉を贈る場面は、何度見ても、たとえテレビで見知らぬ人のを見ても、もらい泣きをしてしまう。

ああ私もやればよかった、、、と、こういう事をせずにあっさり終わった遠い昔の自分の結婚式を少し後悔する。

それはさておき、お嫁さんはご家族に宛てた手紙を書いたが、うちの息子からの手紙は当然のように無いだろうと思っていた。

昔、学生時代に結婚式場でアルバイトをした事があるが、お嫁さんからご両親へ感謝の言葉を贈ることはあっても、お婿さんから両親へというのは見たことがない。

だからまったく期待はしていなかったのだけど、式が終わった直後になんと息子が手紙をくれた。

さすがに朗読はしてくれなかったが、後で夫と二人で息子からもらった手紙を読んだ。

そこには、息子からの感謝の言葉が書かれていた。

夫には子どもの頃にたくさん遊んでもらったことに対して、私には料理を作ってもらったことに対しての感謝の言葉が並んでいた。

その中で「クリスマスに作ってもらったパイシチュー、美味しかったです」と書かれた文を読んで「えっ、それかい?」とツッコミを入れたくなった。

パイシチューは決して私の得意料理というわけではなく、作り方も至って簡単で、普通に作ったシチューに冷凍のパイ生地をかぶせてオーブンで焼いただけのものだが、「クリスマスっぽくなるかな〜」と思って何回か作ったことがあった。

というくらい私自身は思い入れの無い料理なのだが、息子がそんなに美味しいと思っていたとは、この手紙で初めて知った。

また落ちまくった大学受験で心配をかけたことを詫びているのはいいとしても、「合格発表でやっと番号を見つけた時のお母さんの雄叫びは、今でも忘れられません」というのはやめてほしかった。

二浪目突入かとあきらめた時の合格だったので、嬉しさのあまり叫んだような気はするが、雄叫びとは、、、

お嫁さんの手紙とは違って、涙より笑いが出る息子からの手紙だったが嬉しかった。

そしてやっぱり息子へは感謝しかない。

なかなか授からずやっと産まれてきてくれた時の喜び、そして楽しかったことの方が多かった育てる経験をさせてもらえたことは、私と夫の人生にかけがえのない幸せを与えてくれた。

今度は、息子が新しい家庭を築いていく番。幸あれと願う。

 


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小樽

2021-09-16 20:58:07 | 旅行

天気が良かったので小樽へ行ってきた。

小樽はコロナの影響をかなり受けている町。

コロナ以前は、海外を始めとして大勢の観光客が訪れていたが、今は通りを歩く人の数は少なく閉まっている店も多かった。

これまで海外からの観光客が多い小樽の中心部を歩くことはあまりなかったが、今回は久しぶりに歩いてみて、賑わいのあった頃とのあまりの落差に飲食店やお土産さん、観光業の方々が気の毒になった。

ところで小樽が観光の町として有名になったのは、昭和61年に小樽運河が整備されてからだそうだ。

たしかにそれまでの小樽運河は、どんよりと濁った水が溜まっていて、お世辞にも美しいとは言えない場所だった。

昭和50年代後半はまだ観光客も少なく、現在のようにたくさんの店が並んでいるような町ではなかったが、お寿司や海産物の美味しい店、それからレトロな喫茶店などがあって、友人同士でたまに遊びに行くのが楽しみな町だった。

でも小樽が観光都市となって海外から観光客がたくさん来るようになると、自然と足がむかなくなり、小樽は車で通り過ぎるだけになった。

小樽に海外から観光客がたくさん来てくれるのは、道民としては嬉しいことだが、昔のように気軽に遊びに行こうと思えなくなったのも事実で、経済的に見れば良いことなのだろうけど、個人的には落ち着かない場所になったという感じだった。

でも小樽は好きな町なので、今のこの閑散とした状態が良いとは決して思わないが、これをきっかけに何度でも来たいと思うような落ち着いた観光都市に進化して行くといいなぁと思う。

さて、小樽の中心部を抜けて祝津にも行った。

祝津といえば小樽水族館やニシン御殿だが、私にとって祝津といえば小学校の遠足を思い出す。

今から50年近く前、小学校の遠足で行ったのが祝津だった。

もしかしたら小樽水族館の見学が目的の遠足だったのかもしれないが、それは全く記憶になく、今でも記憶に鮮明に残っているのは、みんなでズボンを捲り上げて海へ入ったことで、これが本当に楽しかった。

海に入って何をしたのかというと、浅瀬に打ち上げられた昆布を拾った。

拾った昆布は、そのままお土産として家へ持ち帰ったのだったが、昆布出汁にして母が味噌汁を作ってくれたのが嬉しかった記憶がある。

みんなでシートを広げてお弁当を食べた場所は、今は大きな石が積み上げられ、そのまま海へ入っていくことができなくなっている。

すぐ横では、海岸に塀らしきものを作る工事がされていた。

時間の流れが、景色をゆっくりと変えていく。

50年前と変わらないのは、今も浅瀬に打ち上げられる昆布だった。

それを見て、拾いたいという気持ちが沸いてきたが、もう海に入っていく元気がない私も50年でずいぶん変わったと思う。

祝津パノラマ展望台から見た風景。丘の右手にある住宅がニシン御殿。手前の海に沿った建物が小樽水族館。50年後は、どんな風に変わっているのだろう、、、

 

 


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旭岳

2021-09-13 10:34:03 | 旅行

濃厚接触者の濃厚接触者ということで出勤停止の夫だったが、濃厚接触者の方が検査の結果陰性であることが判り、夫は出勤できる事になった。

もしも陽性だった場合、夫は濃厚接触者になり、今度は家族が濃厚接触者の濃厚接触者になる。なんかややこしいが、とりあえず一安心だった。

ところで夫が濃厚接触者(の濃厚接触者)になる前だが、大雪山の旭岳へ行ってきた。

行ったのは先々週で、旭岳は一部に紅葉が見られるくらいだったが、それから一週間も経たず紅葉が進み、今がちょうど紅葉の見ごろだとか。

大雪山の雄大な景色は美しく、帰ってきたばかりなのに今度は紅葉を見にまた旭岳に行きたいと思っている。

旭岳温泉からロープウェイに乗って、標高1600mの旭岳五合目まで行くと、散策路が整備されており、約一時間程かけて散策することができる。

この日の平地の気温は23°で半袖の薄着だったが、五合目の気温は10°と聞いて持っていたありったけの洋服を重ね着して登った。

山の気温が低いことを想定して、もっと厚手の上着を持ってくればよかったと反省、、、でも歩いているうちに身体が汗ばむくらいに温まってきた。

噴火した場所にできた池や高山植物の風景が本当に美しかった。

カムイミンタラ、神々の遊ぶ庭と言われる理由がわかる。

そして、美しい自然の景色を楽しんだあとに訪れたのは美瑛町と富良野。

美瑛町もまた美しい景色が見られることで有名で、なだらかな丘に作られた畑がまるで絵のように美しい。

こちらは、富良野の富田ファームの花畑。人の手で作られた景色もまた美しかった。

こうして美しい風景の中にいると、気になっていたことも心配していたことも全部忘れる。

まるで天国のようだな〜と思った。

ところで帰宅後、いつもの道を車で通ったら道路沿いにたくさんの花が植えられていた。

この景色は何度も見ていた筈なのに、この日は何故か見える景色が違った。

花壇に植えられた花も家並みも、目の前に続く道も、すべてがいつもよりずっと美しく見えた。

そして、こんな近くに天国があったんだとあらためて気づかされた。

最近、色々なことが心配でちょっと地獄寄りの心だったから余計に美しく見えたのかもしれない。

そして、地獄寄りだった心を清浄にしてくれたのが、大雪山だったと思う。

というわけで、旅行が自由にできるようになったら、ぜひ大雪山へ行って見てください。おすすめです。

 

 


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つぶやき

2021-09-09 22:36:33 | 日記

妹から近況報告のラインが来た。

妹とも、もう半年くらい会っていない。

近況報告を読む限り元気そうで安心したが、妹の旦那さんが2回目の注射の後、40°の熱が出たとのことで、頭に氷のうを乗せて赤い顔をして横たわる義弟の写真が送られて来た。

幸い熱は下がって元気になったようだが、もうすぐ2回目を打つという妹は少し怖がっていた。

そういえば妹とはワクチンの話をした事がない。

そうか、妹たちは打ったのかと思った。

すると妹から「ワクチン打ち終わったら、遊びに来て」と言われ、以前ラインをした同級生達との会話と同じように返事に困ってしまった。

しばらく考えて、まだ打つつもりがない事を伝えた。

すると妹から返事が来た。

「子ども達が職域接種で早々に打ったから、私たちも打つことにしたの。でもまだ未知のものだから、何か問題があったら怖いよね」

妹はそう思っていても打つ決心をしたんだと、少し驚きだった。

私は何かあったらと打たないが、妹は何かあるかもと思いながら、何も無いだろうという方を信じた。

当たり前だが、姉妹であっても考え方は違う。

将来、妹が信じた通り何も問題はなかったということになるのかもしれない。またそうであってほしいと切に願っている。

ただ妹の家には行けそうにないなあと思う。

今まではワクチンを打とうが打つまいが、また普通に妹の家へ遊びに行けると思っていたが、そうはならないのかもしれない。

また、これからはワクチンを打っていないと旅行やコンサートなどにも行きづらくなる世の中が来るのかもしれない。(そうならないことを願うばかりだが)

周りがどんどんワクチン接種者になっていき、ワクチンを打っていない者が少数派になってきた感が、最近とてもする。

実際、札幌市の65歳以上の2回接種者が8割を超えたとか。これで全市民の4割を超えたことになるそうだ。もしかしたら他県は、もっと多いのかもしれないが、、、

ところで遂に夫の近くでも陽性者が出てしまった。

その方と一緒にいた人が濃厚接触者ということで出勤停止になったのだが、夫は濃厚接触者の近くの席に一時間ばかり座っていたという理由で、濃厚接触者の濃厚接触者?という事になって、数日間の出勤停止になった。

今は体温計で熱を測りながら一人で部屋に閉じこもっているが、とりあえずは元気で何の不調もない。

こうやって一人でも陽性者が出ると、仕事に支障が出るほど周囲にいた人間も休まなければいけないとは、そこまでしなければいけないのかと思うが、今はそんな事はとても言えない雰囲気がある。

なんだかね、、、仕方がないのかもしれないけど、色々と息苦しさを感じる。

 


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姑という立場

2021-09-05 22:39:56 | 日記

新居に引っ越しをした長男夫婦の家へ初めて行ってきた。

お嫁さんが気をつかうと可哀想なので、食事時間は外し、みんなで食べるお菓子を買って「用意してくれるのは、お茶だけでいいから」と、何度も言っておいた。

実際、彼女はウチへ来ると、とても気を使っていると思う。

きっと帰ったらへとへとになっているんじゃないかと思う。

そんなお嫁さんの気持ちはよくわかる。

私もそうだった。

年に何度かの帰省の後は疲れ果てていたし、たまに義父母が泊まりがけで遊びに来る時など、食事は何を作ろうとか考えて、もう来る前から疲れていた。

今思えば、無意識ではあっても自分をよく見せたいから、実力以上の事をしようとして無理をしていた。

しかし義父母との同居を経て色々なことを経験した今なら、無理はせずにあの頃よりもっとうまくできたかもしれないと思う。

ただ、あれはあれで自分にとって必要だった、、、とまでは言い切れなくても、決してマイナスの経験ではなかったと思っている。

内面の葛藤やら怒りやら悲しみやら、ネガティブな感情を抱いたあの頃の自分を、今は温かい目で見てあげられる自分がいる。

また義父母は義父母で、私に気を使っていたんだということも、今同じ姑という立場になってわかるようになった。

悩んだり怒ったりしている時は、自分のことしか考えていないもので、自分が被害者だと思っていることが多いが、相手の立場になってみると、また別の視点が見えてくる。

私の場合は嫁から姑に立場が変わったことで、見える景色が変わった。

今はお嫁さんに出来るだけ気を遣わせずにいたいと思っているが、これも、もしかしたらお嫁さんに良く思われたいということかもしれない。

とはいえ、一番の願いは、長男夫婦がいつまでも仲睦まじく、そして幸せになってほしいと言うことだけ。

つかず離れず、無理をせず、見守って行けたらと思う。

 


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息子の結婚式

2021-09-02 16:56:33 | 日記

9月になった。今月は長男の結婚式がある。

結婚式と言っても、すでに入籍して一年あまりがたっているので今更という気もしなくはないのだが、コロナの様子を見たいという二人の意向で昨年は結婚式をせず今年の9月になった。

結婚式のことはすべて二人に任せているのだが、感染がおさまらないため出席者は両家の家族だけにして、親戚も友人も招待しないそうだ。

こんな時なので仕方がないし、その方が良いと向こうのご両親もうちの方も大賛成だった。

ところで昨年から結婚式に向けて二人だけで準備をしてきたようだ。

先日は息子が来て、式で作ったビデオを流したいからと自分の幼い頃の写真のネガを持っていった。

息子が子供の頃は、まだデジタルではなくネガフィルムのカメラだったが、初めての子だったので、夫は同じような写真ばかり山のように撮った。

そしてネガフィルムの数もかなりの量になった。

それらのおおよそは渡したのだけど、後から生まれた頃のネガが無かったと息子から連絡がきて焦った。

汗だくで家中を探しまわり、なんとか見つけて渡すことができた。

「しかし、これって親戚や友人たちにお見せするのではなく、両家の親と兄弟しか見ないものだよね。家族だけならわざわざビデオを作ることもなく、アルバムを回して見るというのでいいんじゃない?」

そう言ったら「家族みんなの思い出に残るような結婚式にしたいから」と息子に言われて、わざわざ大変なことをせず簡単に済ませてしまおうと思ったことが恥ずかしくなった。

二人でビデオを作り、一人ひとりへの招待状も手作りして、さらに式の中でサプライズも考えているとかで、出席者が家族だけでも一切手抜き無しで結婚式の準備をしている二人には感心する。

今は海外に行けないので新婚旅行は無しで、両家だけ総勢9名の小さな結婚式だが、こういう時に行った結婚式はきっと忘れられないものになると思う。

今から結婚式がすごく楽しみ。

幼い頃からの息子の成長を思い出して泣いてしまうかな?とか思っている。

 


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