ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

イライラの種

2017-02-28 11:50:46 | 日記
昨日は午後から外出の予定が2つあって、そろそろ行く準備をしようと思った矢先に電話がかかってきた。

父がお世話になっている介護施設の看護師さんからだった。

「お父さんの足が紫色に変色して少し痛むようなんです。施設の医師に診て頂いたら、すぐに大きな病院へ行くようにとのことです。先生は一刻も早く行ってとおっしゃっているので、これからすぐにお父さんを病院へ連れていてください」とのことだった。

父の介護施設は我が家から車で急いで40分あまり、今は道が凍っているので1時間ほどかかる。

本当は妹の方が近いのだが、今日はすでに妹は出かけているはずだった。

一時間後でもよいかと聞くと「いいです」とのことだったので、車を運転して父の元へ急いだ。

施設に着くと父はいつものように車いすに乗っていたが、特に普段と変わらない様子にホッと、胸をなでおろした。

ところが、父の左足は伸ばしたままの状態で看護師さんの言う通り紫色になっていた。

施設の医師からの紹介状をもらって、介護タクシーで大きな総合病院へ行くことになったのだが、このまま父が入院するということはじゅうぶん予想できるため、入院に必要な物を持って行った方がいいのではないかと考え、父の部屋から大きな荷物を持って父の所へ行った。

すると若い看護師さんが「もしも入院になったとしても、こちらに薬を取りに来てもらわないといけないので、その時に荷物を持って行けばいいんじゃないですか」と言われたので、せっかくまとめた荷物をまた父の部屋へ戻しに行った。
そして、急いで父の所へ戻ると今度は別の看護師さんが「今日はきっと入院になると思うのでお薬を用意しました。荷物も持った方がいいです」と言う。

「ありゃりゃ、今、置いてきたばかりなのに」と思ったら、先ほどの若い看護師さんが「すみません」と謝ってくれるので、「いいんですよ」と笑顔で再び父の荷物を取りに行った。

そんなことをしている間に時間は過ぎ、待たせていた介護タクシーが次の予約があるからといなくなってしまったと連絡が入った。(5~6分程度の遅れだったのだが・・・)

それを聞いて「え~っ!どうして!?どうして待っててくれないの!」と叫んだのは、家に電話をくれた看護師さん。
私は「次のタクシーを呼べばいい」とのんきに構えていたのだが、その看護師さんはやけに怒っていて、しかも焦っていた。

これは見た目以上に父の容体がよくないのかもしれないという不安を覚えた。

それから思った以上に早く来た別の介護タクシーに乗って、父と一緒に病院へ向かった。

その病院は昨年に父が大腸がんの時にお世話になった病院なのだが、今度は足の変色ということで循環器に診てもらうことになった。

診察後すぐにレントゲンほかいろいろな検査を受けてということで、かなり時間をかけて診て頂いた結果、今日は入院と言われた。

そして、このあと医師からの説明があるので、診察室前で待っているように言われた。

ところが診察室前で待っていても一向に呼ばれない。というか、診療時間外になったせいか、患者さんどころか、診察室の中に人がいるような気配もない。

し~んと人けのない廊下でしばらく待っていると、父が検査を終えて車いすに乗ってやってきたのだが、車いすを押してくれていた看護師さんから「病室へ行きます。医師の説明は病室になります」と言うので「そうか変わったのね」と思って、父と看護師さんの三人で病室へ行った。

病室に入ると、家族は別室で待つように指示があり、父の着替えをしてくれているようだったが、これがまた時間がかかった。

そろそろ夕方になり、出かけている長女とお姑さんが帰ってくる時間だった。
暖房を消してきたので家の中は寒いかもしれない。

「はやくしてくれないかなぁ」とちょっとイライラしてきた頃、看護師さんが何かが入った袋を持ってやってきた。
なんと着替えの最中に尿で衣服を汚してしまったそうで家に持ち帰ってくださいとのことだった。

「やれやれ仕方がない。それより早くしてほしい」父の衣類の入った袋を手にぶら下げて待っていた。

そして・・・ついに!やっと呼ばれた。
が、今度は医師がなかなかこない。

まだかなぁ、まだかなぁと待っていたが、一向に来る気配がないためシビレを切らしてナースステーションに聞きに行くと、しばらくまた待たされたあと(よく待たせる病院・・・)なんと「今日はこれで終わりです」と言われた。

「え~っ!どうして?せめてどんな感じなのかくらい説明ってないの!?」
最初に介護タクシーのことで怒った看護師さん同様に、私のイライラはややピークに近かづいていた。 

けっきょく後日、医師の説明を聞きに病院へ来てくださいとのことだった。

さんざん待たされて、わかった情報としては「父が入院した」ということだけ。

とりあえず妹にその旨電話で伝え、父の施設に電話をしようと思っていたら、私同様にしびれを切らして待っていたらしい介護タクシーで怒っていた看護師さんから電話が来た。

看護師さん「どうなりましたか?」

ワタシ「入院になりました」

看護師さん「ほかには?どのような状況ですか?」

ワタシ「わからないです。わかっているのは入院したというだけです」

看護師さん「はぁ?とにかく入院になった時点で、すぐに知らせてほしかったんですよね。こちらも用意ってものがありますから」

なんかすごく怒っていた。

そんなに待っていたのかと一応すみませんと謝ったが、電話を切ってから「はぁ?って、なんであんなこと言われないといけないのだ」と私も怒りが湧き上がってきて、イライラはマックス状態になった。

その後も施設の職員さんとのやりとりで、ここには書けないが私のイライラがマックス二乗くらいまで跳ね上がり、帰りの車を運転しながらもずっと気分が悪かった。

家に帰り、急いで家事をして、やっと辿り着いた癒しの空間「お風呂」で温まりながら、「今日はずいぶんイライラした日だったなぁ」と思い返していた。

振り返ると、そもそもイライラの種はずっと前から決まっていた予定をキャンセルしなければいけなくなったことが、実は小さな小さなイライラの原因だったのだと思う。

その後の父の荷物のやりとりでイライラの種は小さな芽を出し、病院で長く待たされているうちにイライラの芽は育ち、父の衣服が尿で汚れてしまったことや医師の説明がまったく無かったことやで、ますます大きく成長していった。

そして最後に施設の看護師さんや職員さんとの会話でイライラの種に大きな花を咲かせてしまった。

お湯に浸かりながら、そんなことを考えていたら、イライラの花は徐々に萎れていった。

また明日もがんばろうと思えた。

で、今日はもうすっかりイライラの種は消え、これから子どもたちの所へ仕事に行ってきます。
(イライラした状態で子どもたちに接することはできないですからね・・・)

あとはまた父の復活を願うのみ。








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変わりたい・・・

2017-02-24 18:32:50 | 日記
最近、お姑さんとの関係がとても良い方向に変わってきたように感じる。

一緒に暮らし始めて11年、今まで表立って喧嘩したこともなく、傍から見ればとても良い関係に思われていると思う。

しかしそれまで全く違った環境で、それぞれに違った価値観を持って一家の主婦をやってきた女同士が、突然同じ屋根の下に暮らすということは、そう簡単なことではなかった。

お嫁さんとお姑さんの役割分担がうまくいって、お互いに補い合って生活できていたとしたら良い関係が築けるのかもしれないが、我が家の場合は義父母が高齢になってからの同居だったせいか、役割分担というよりも義父母のお世話をするということが双方の暗黙の了解になっていて、嫁である私自身「ちゃんとお世話しなければ」という気負いが大きかった。
また親戚たちからも「二人をよろしくお願いしますね」なんてことを会うたびに言われるものだから、余計にプレッシャーと気負いが大きくなった。

義父母と暮らし始めた頃は、なんとか義父母と仲良くやっていきたいという気持ちとお世話をしなければという気持ちが強く、特に義母に対してはストレス解消になればと思って買い物や外食に連れ出していた。

ところが、いつしか義母と二人で出歩くことに苦痛を感じるようになってしまった。

それは義母の話しを聞いていることが、だんだんつらくなってきたことが大きい。

義母の話はいつも決まって昔の苦労話なのだが、違った話ならまだ聞いていられるものの、毎回ハンコで押したように同じ話を繰り返す。
最初の何年間は「そうですか。それは大変でしたね。一生懸命やってきたんですね」と相槌を打っていたが、いつしかそれができなくなった。

話を聞いてあげると義母が喜んでくれることは分かっていたが、同じ話を聞くことが苦痛で一緒に出かけることもしなくなり、家の中でも義母の話が始まると用事があるようなふりをして、その場から離れることが多くなった。

それからだろうか。

表面上はうまくいっているように見えていても、(たぶんお互いに)微妙な感情のズレを感じるようになっていったのは・・・

義母のちょっとしたことが気になるようになって、義母の顔を見るとできるだけ早くその場を離れることを考えていた。
いつもいつも義母と顔を合わせると、決まって同じような嫌な気持ちになり、同じような行動をとる私になっていた。

そして、そんな私の態度が義母の心をかたくなにして、最終的に前回ブログでも書いたが薬が無いのが私のせいだと義母に思わせたのかもしれない。

そんなことやら、あんなことやらで、もうこのようなことを繰り返すことはやめたいという気持ちがどんどん強くなっていった。

ただし別居ということではない。

夫に相談すれば、義母を施設に預けると言うことは分かっていたが、私自身それでいいのか?と自問自答した結果、答えはいつも「ノー」だった。
今の段階で義母に施設に入ってもらったら、きっと私は後悔するだろうと思った。

じゃあ、どうすればよいのか。
そうだ、自分が義母に対して嫌になる感情や行動を変えればいいのだと思った。

とは言え、言葉で言うほど自分の考えや行動を変えるのは簡単ではない。

無理に義母の話を笑顔で辛抱強く聞こうとすれば、その反動がくることは確実だし、ましてできなかった時に「あ~ダメなわたし・・・」と落ち込むことはしたくない。

だから、自分の今までのお姑さんに対する嫌なパターンを変えたいのだということを強く自覚だけしていた。
自分の気持ちを押さえ込んでまで、無理なことをする必要はないのだとも思っていた。

こんなことを考えながら義母と接するうちに、少しずつ変化が現れた。

今までとは違ったパターンで義母と関われるようになってきたのだ。

日常のほんの些細なことであっても、面白かったり嬉しかったことを義母に教えてあげる。

すると、義母も一緒に喜んでくれる・・・

もちろん同じ話は今でもするが、以前よりずっと私の苦痛は少なく「大変でしたね」と相槌を打つ自分がいて驚いてしまう。
そして義母の態度にも変化が現れた。とても優しくなった。

これは私自身のことなので他の人には当てはまらないかもしれないが、共通することは自分は変わりたいと強く自覚して待つことだと思う。
すぐに変化は現れないかもしれないが、忍耐強く持つことで、いつかきっと意識の変化が訪れるのではないかと思った。

神が人間を含むすべてのものの創造主だとしたら、神の一部である人間が自分の感じ方や考え方を変えたいと思った時に、新たなそれらを創り出せないはずはない。

自分の意識は自分で変えることができる。そして人生は変えることができると思う。







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スイマーズハイ

2017-02-22 16:11:11 | 日記

そういえば、もうしばらく泳ぎに行っていない・・・急にそう思い出したのは、クロールでゆっくりと長距離を泳ぐときの気持ち良さを思い出したからかもしれない。

水泳は8年間やっていたが、これが面白くてたまらず、最初の何年かは毎日のようにプールに行っていた。

そのおかげでまったく泳げなかった金づちの私が、クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎと一応4泳法はすべて泳げるようになった。

当時は水泳の教室に入っていたのだが、教室が終わってからもひとりで泳ぐことが多かった。

そして、これで最後という時に泳ぐのがクロールで、ゆっくりとした泳ぎで流すことをしていた。

ところが、これが時に非常に心地の良い感覚になることがあって、突然、呼吸も身体もラクになり、まるで自分が水と一体化したような気分になり、それからは疲れ知らずで何百メートルでも何千メートルでも泳ぎ続けられるようになった。

こうなると、最初は「いま何百メートル」と頭の中で数えているのだが徐々にそんなことはどうでもよくなり、ただただ恍惚とした気持ちで泳ぎ続けていた。

今思うと、あれはランナーズハイならぬスイマーズハイのようなものだったのかもしれない。

いつまでも泳ぎ続けられるのだが、急に我に返り「もうどれくらい泳いでいるだろう、そろそろ止めないとまずい」と思ってやめていた。

あのような体験はもうずいぶんしていない。(というかプールに行っていない・・・)

ずっと前に五十肩をやった時に平泳ぎで治したことがあったので、今回も泳ぎ行くのはどうだろうかと思った。
今回は前の時と痛み方が違うから、背泳ぎがいいんじゃないかな~と思って、昨日リハビリに行った時に理学療法士さんに聞いてみた。

すると療法士さんが「背泳ぎ?それはまだ無理だと思います。痛みがある時は無理にスポーツをしない方がいいです」とおっしゃって、家でできるストレッチをひとつ教えてくれた。

まず椅子に腰かけ、痛い方の手で座っている椅子の座面(腕を自然に下した時にぶつかる座面)を持ち、それを持ち上げるように力をいれて痛みのない方に身体を傾けるそうだ。

私の場合は肩が癒着しているので、このような運動が良いそうだ。

水泳はまだ無理だということで残念だが治るまでやめておこう。

それにしてもスイマーズハイはもうないかもしれないと思う。

こんなに長く泳いでいないと、スイマーズハイになる前に25メートル泳いだだけで息が上がるような気がする。

泳ぎに行けないとなると、不思議なものでますます泳ぎたくなる。

でも、今はじっとこらえて椅子の座面を持ち上げながら早く治したいと思います。










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北海道現象

2017-02-20 13:50:37 | 日記
春の気配が感じられるようになってきたとは言え、外は氷点下でまだまだ寒さが厳しい。

そこで最近のマイブーム?は、身体の芯から温まることのできるお風呂へ行くことで、週に1~2度だが銭湯へ行っている。

これまで色々な銭湯へ通ううちに、自分のお気に入りの銭湯というのが決まってきて、今はだいたい二つの銭湯に絞られている。

そして、その日の気分と時間的余裕などを考えて二つを使い分けている。

そのひとつは昔ながらの銭湯で、大きなお風呂がひとつだけだった昔と違って、今はお客さんのニーズに合わせて健康に良いお風呂と銘打っていくつもの種類の湯船がある。

湯船の壁に貼られている効能書きを読みながら「ほぉ~このお湯は関節の痛みに効くのか・・・五十肩にいいかも」などと思って肩をお湯に沈める。

しかも入浴料は安くて410円。ただしシャンプー、石鹸類は自前での持ち込みになっている。

施設は古いが何よりも清潔感があるのがいい。

もうひとつは、銭湯と言うよりも健康ランドと言った方がいいのだけれど、お風呂の数は言うまでもなく豊富なのだが、他にも食事ができる店があり、ゆっくりと休憩できる場所があり、また整体やエステやネイルなども別料金だがすることができて、まさに一日中でも遊べるレジャー施設なお風呂。

こちらの入浴料は前述の銭湯の二倍以上するが、すべて付いているので手ぶらで行くことができる。

また食事も良心的な価格のわりに美味しくて、食事をしてお風呂に入ってと、私はいつも長居をしてしまう。

そのようなわけで、私のお気に入りのお風呂は、どちらもお客さんが多く入っており休日などは広い駐車場が満車なんてこともある。

お客さんが少なくて潰れていく健康ランドがある中、こんなに人が入っているということは両方とも多くの人に良いと感じさせるものがあるのだろう。
そういう私も回数券を買って常連になってしまったのだが・・・

ところで「北海道現象」という言葉がある。

経済状況があまりよろしくない北海道という土地で、地元のいち企業に過ぎなかった道内企業の中から、なぜかいくつもの企業が全国進出を果たし、今や日本のトップクラスになった企業が数多く存在するということ。

家具業界、ホームセンター業界、そしてお菓子業界などの企業に見られるが、地元ではなじみ深い社名のお店を東京などで目にすると、北海道という以外は関係者でも何でもないのだけれどなんだかとても嬉しくなる。

あぁ頑張っているんだな~と思う。

ある企業の社長さんがこのことについて、このようにおっしゃっていた。

「広大な土地に少ない人口の北海道で、どうしたら物が売れるのか、どうしたらお客さんが来てくれるのか、考え抜いてきた結果がこのような結果に繋がったのではないか」

たしかに今はどこも人口の減少に歯止めがかからない。

市内中心部には人がたくさんいるが、郊外に出ると閑散としている。

しかし、そのような状況にも関わらず、いつも混みあっている銭湯だということは、やはりそれだけの魅力があるということなのだろう。
(ちなみに二つ目の健康ランドは全国進出をしていると、首都圏に住んでいる友人が教えてくれた)

な~んてことを、のんびり湯船に漬かりながら考えてきた。





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神様はどこにいる?

2017-02-15 17:07:00 | 日記
ずっと前に、とある宗教的な団体に少しの間だけ入っていたことがあるのだが、その時に会員同士でよく話し合うということがあった。

そんな会員同士の話し合いをしていた時に、ベテランの会員さんが言った言葉が妙に心に引っかったことがある。

「私はいつも神を求めているの。この前もどうしていいのか分からなくなって神に救いを求めたの。
神様はどこにいる?そうだ!天にいるんだ!そう思って、天に向かって一生懸命に祈ったの」

そう言って、その方は上を向いて手を合わせる仕草をした。

その時はただ話を聞いていたのだが、家へ帰ってもその方の言った言葉がずっと心に引っかかったままだった。

何が引っかかったのか・・・

今は、はっきりとどこが引っかかるのか分かるのだが、その時はよく分からなかった。

でも、よく考えると「神様は天にいる」といった言葉がずっと引っかかっていた。

ほかにも多々腑に落ちないことがあって、その団体をやめたのだが、その後はどこへも行くことなく家に居ながらにインターネットを通して色々と勉強をさせて頂いたり、自分自身でも経験をするうちに、やはり神は天にいる遠い存在ではなく、いつも自分と一緒に胸の中心におられるのだという方が腑に落ちた。

自分の心が喜んでいる時、ウキウキしている時、そんな時に私は神を近くに感じる。

神というのがあまりにも宗教的に聞こえるならば、大いなる存在と言ってもいい。

どちらの呼び方にしろ、いつも神(もしくは大いなる存在)と共にいることや本当は自分が神の一部であったということは、私にとって絶対の安心感と幸福感を与えてくれる。
そして、これは何も私だけの特別なことではなくて、神様を胸に宿しているということはすべての人たちに当てはまる。

しかし、日夜いろいろな事が起きる日常生活を送っていると、常にウキウキ嬉しい気持ちばかりというわけにはいかない。

ともすれば自分のエゴが大きくなったり、不幸なことを見たり経験したりして、神と共にいることも忘れてしまいそうになる。

また、もう今は私はあまりそうは思わなくなったが、昔は自分に欠けているものに焦点を合わせてクヨクヨと悩んでしまうことがあった。

自分に欠けているものに焦点を合わせたり、自分自身を不幸だと思ったりしている間は、どんなに一生懸命に神様を求めても見つけられるはずはない。

なぜならば神とは絶対の安心感と幸福感なのだと思うから・・・

そんな時、また自分を神の存在に気づかせてくれるのが感謝することだった。

最初は心からそう思えなくても、毎日じゃなくてもいいから、よかったことを探して感謝をするということをしていくと、だんだん「そうか、私はこんなに幸せなことに囲まれていたのか」と思えるような時がくる。
そうすると、だんだん自分が元気になってくるのがわかる。

ついにはあんなに悩んでいた自分に欠けているもののことなど気にならなくなった。

神様を求めて、神様に救いを求めることさえ、本当は要らないことかもしれない。

だっていつも神は自分と一緒にいるのだから。

そして神の存在とは「幸せを感じる」ことなのだから・・・と私は思うのです。










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大難が小難に

2017-02-15 14:47:23 | 日記
先日は久しぶりに大きな「胸騒ぎ」を感じることが続くということがあった。

胸騒ぎが起きるのは決まって朝で、それも長女チェリーが作業所へ行く時間になると胸騒ぎが始まった。

そして、現実で見ている風景ではないものを無意識に見ていた。

それは作業所近くにある交差点の風景だった。

この交差点は交通量のある大きな道路と細道が交差する道路で、チェリーは毎日この交差点の横断歩道を渡るのだが、交通量が多いので「車に気をつけて渡ってね」とは普段から声をかけていた。

しかし先日は特にこの場所が気になり、そしてその日の朝はいつも以上に胸騒ぎが大きくて、家を出ようとするチェリーに何度も「気をつけてね」を繰り返し言っていた。

その日の夕方、いつも通りに帰宅したチェリーが帰ってくるなり興奮して話し始めた。

「交差点を青信号で渡っていたら、曲がってきた車にぶつかった。その時に当たった腕がまだ痛い」

その言葉を聞いて私はかなりびっくりした。

「腕は大丈夫なの?ぶつかった車の人は降りてきた?」

するとチェリーは「腕はすこし痛い。車の人はそのまま行ってしまった。私は帰りのバスが来ていたから急いでバスに乗ってきちゃった」と答えた。

とりあえず腕がしびれるとは言うものの、ほかに怪我はないようでほっとした。

チェリーによく話を聞くと、右折してきた車はチェリーに気づいて急ブレーキをかけたようだが冬道だったために滑って止まり切れず、そのまま交差点に進入してきてドアミラーが横断歩道を歩いていたチェリーの腕に当たったようだった。

それにしても当たった所がドアミラーだったというのが幸いだった。
腕にぶつかった瞬間、ミラーが倒れたので衝撃をまともに受けずに済んだようだ。

とは言え、あと1~2秒早く歩いていたら、まともに車の前面にぶつかっていたわけで、本当に大変な事になっていたかもしれないと思うとぞっとする。

作業所に報告の電話をすると、「それはすぐに警察に連絡してください」と言われたので夫に相談してから警察へ電話をして、結局事故として処理することになった。

それからの警察の動きは見事だった。

警察への連絡後、あっという間に交差点付近に設置されていた防犯カメラの映像を解析し、事故当日の様子が明らかになった。

(色々なことを言われているが、まだまだ日本の警察はすごいものです)

防犯カメラの画像には、チェリーにぶつかった車はそのまま行ってしまったのではなく、すこし進んでから駐車できる場所に止まり、ドライバーが車から降りてきてチェリーを探す様子が映っていたのだそうだ。

結局、チェリーはすぐにバスに乗ってしまったため見つけることができなかったというのが真相だった。

その話を聞いて、この件はもうこれでいいと思った。

腕は痛みもなく大丈夫だったので、わざわざぶつかった車のドライバーさんを探す必要は無くなった。

それにしても「不幸中の幸い」「大難が小難で済んだ」とはまさしくこのようなことを言うのだろう。

私も毎日運転をする者として、車の運転に気をつけ過ぎることはないのだとあらためて心に刻んだ。

そして、普段とは違った胸騒ぎの感覚というのはやはり大切にすべきものだと思った。

最後にご先祖様に心から感謝です。






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外にごみ・・・のつづき

2017-02-13 16:14:28 | 介護
お姑さんが生ごみを窓の外に置くという前回に書いた記事の続き。

あの日、デイサービスから帰ってきたお姑さんに話をした。

日中に鳥が食べるか見ていたけれど食べに来なかったこと、お隣さんの敷地にまで置くのはやめた方がいいということ。

そして、お姑さんが最も恐れている?自分の息子に見つかったら、たぶん烈火のごとく怒るだろうということを話した。
これはまったく予想がつくことなのだが、夫は自分の母親にはとても厳しい。

普段は義母の身体を気遣ったり世話を焼いたりと優しいのだが、「やってはいけない」と何度も注意したことを義母がやってしまったりしたら、それはもう大そう怒る。

そして、息子に叱られた義母は言い訳をいろいろと考えて言い返すのだが、これが火に油を注ぐことになる。
言い訳をすればするほど、ますます夫の怒りは大きくなり叱る声も大きくなっていくのだ。

かわいそうに夫に怒られた義母は、小さな体をますます小さくして「はい、もうやりません」と謝るのがこれまでの常になっている。

だからこれを見たら夫は絶対に怒るに違いなかった。
今までも何度となく注意してきたことだったから・・・

私の話を聞いてくれたお姑さんはすぐに分かってくれて「片付けに行く」と言ってくれたので、二人で一緒に片付けることにした。

片付け終わるとお姑さんは「このことは息子には内緒にしておいて。言わないでね」と何度も言うので、元々夫には話す気はなかったが「わかりました。内緒にしておきますからね」と言って、めでたく終了・・・となるはずだった。

ところが翌日、お姑さんの部屋から夫の叱る声が聞こえてきた。

「今度は何を怒っているのだろう?」
そう思って、憮然とした顔で戻ってきた夫に「どうしたの?」と聞くと、「窓の外にたくさん生ごみが散らばっている」と言った。

慌てて窓の外を見ると、なんと昨日きれいに片付けた場所に再び生ごみが散乱しているではないの!!

昨日と違ったのは、昨日はプラスチックトレーに載せられていた生ごみが今度は見事に散乱していたことだった。

なぜ?なぜ?私の頭の中も混乱していた。

昨日は「もうやらないから息子には内緒にして」と言っていたはずなのに、なぜこうなるのだろう?

夫が義母に問い詰めると「鳥にやりたいから」と言ったそうだ。
(鳥は食べていなかったよと教えた時、お姑さんは「そうかい」と言ってわかってくれたように思ったのだが)

「片付けてくる」そう言いながら、夫は外へ出て行った。

本当に昨日のことはきれいさっぱり忘れてしまったのだろうか?もしそうなら、これはまずい・・・

一応、義母には夫には内緒にすると言ったが、こうなっては話しておいた方がよいだろうと思い、前日のことを夫に話した。

「きっと忘れてしまうんだろうな」と夫が言った。

夫がかなり叱ったことで(本当は叱らない方がいいのだが・・・)お姑さんの脳には外に生ごみを散乱させてはいけないということがしっかりと定着したようだった。

とは言え、しばらくするとまた同じことを繰り返すのだろうが。

先月のお姑さんの風邪以来、認知症がまた進んだような気がしている。

だんだん物忘れが激しくなる義母。

昔の自分が一番輝いていた頃の思い出はいつまでも忘れないが、今起こったことはすぐに忘れてしまう。
特に義母は昔の思い出の中に生きていることが多くなった。

仕方がないことだが、ちょっと悲しい気持ちになってしまった。













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怒っているのはだれだ

2017-02-10 15:59:04 | 介護
春の陽気を感じられるようになってきたせいか、特に理由はないのだけれど気持ちがとてもウキウキとした嬉しさを感じることが多い。

例えば五十肩のリハビリは治療の度に激痛があるのだが、痛みに耐えながら「こうやってだんだん治っていくんだなぁ」と思うと、病院へ行くことも苦ではなく嬉しい気持ちになるし、激痛に耐えながら「病院の帰りになにか美味しいものを買って帰ろう」などと考えているとますます嬉しくなる。

また先日カットしてもらった髪型は今までの髪型とすこし変えてもらったのだが、これが自分ではなかなか気に入った髪型になっていて、鏡をみる度に一人嬉しさにほくそ笑んでいる。

ほかにも買い物に行ったら、欲しかったものが6割引きになっていて迷わず買ったとか、料理が美味しくできたとか、そんな物質的嬉しさもあれば、朝早くに窓の外をふさふさのしっぽを揺らしながら歩くキタキツネを見たことや、入れ代わり立ち代わり餌を食べにやってくる可愛らしい野鳥の姿を見たこと、昇ってくる朝陽がとてもきれいだったことなども嬉しい。

多分、以前も私は同じように嬉しがっていたのだと思うが、今すこし違うのは嬉しさがずっと続いていることかもしれない。

だからいつも機嫌よく過ごすことができて、とても平和な気持ちでいられる。

こんな気持ちがずっと続けばよいのだけど・・・と思っていたら、なんと今朝はそんな嬉しい気分がプツンと途切れてしまって、代わりに久々に怒りの感情が湧き上がってしまった。

それはお姑さんが生ごみを隣家の敷地にまで捨てていたのを発見したことだった。
正確に言えば、お姑さんはわざとそれを置いたのだった。

発見したのは、お姑さんはデイサービスへ出かけた後で、お姑さんの部屋の窓のすぐ下にプラスチックトレーに載せた野菜くずやミカンの皮が置いてあった。

中にはミカンの房を吸ったあとのゴミもたくさんあって、これはどうみても生ごみにしか見えなかった。
しかも一部は隣家の庭にまで置いてある。

これを見た瞬間、私の中に「またこんなことをして」という怒りの感情が湧き上がって来た。
と言うのは、置いた場所は今回とは違ったが、お姑さんは前にも何度か同じようなことをしていた。

「何度、言ったらわかるのだろう」
「誰が片付けると思っているの?」
「隣の家の人が気づいたらどう思われるだろう」

以上がこの時の私の心の・・・いや頭の中のつぶやきです。

以前はこのまま怒りの状態がしばらく続いたのだが、今は自分が怒っているという感情を第三者的な目で見てみることにした。

怒っている時に第三者の目になるということは難しいようだが、「怒っているのはだれだ?」と何度も何度も自分に問いかけると、だんだん落ち着いて考えられるようになった。

何度言っても分かってくれない義母に対する怒り。
隣家にまでゴミを蒔くとは何事だ!という怒り。
これを片付けなければいけないのは誰だ?私じゃないの!という怒り。

落ち着いて考えると、隣家にまで迷惑をかけるようなことに対しては厳しく注意しなければいけないが、他のことはどうってことのない問題だった。

何度言っても分かってくれないのは認知症と言う病気の為だし、片付けることだってそれほど大変なことではない。

お姑さんがゴミを置くのはなぜだろうか?ということに思いをはせてみれば、それは野鳥に食べてもらいたいからだろうと思う。

それらを野鳥が食べるか食べないかは分からないが(今までの経験では食べなかったが)、お姑さんの部屋の窓の外と隣家の庭の境には大きな木があって、そこにいつもたくさんの鳥がとまるのだ。

そして、お姑さんはいつもその鳥たちを見るのを楽しみにしている。

もちろん庭に置いてある野鳥のエサ台も部屋から見ることができるのだが、お姑さんは大きな木にとまっている鳥たちに自分で餌をあげたかったのだろう。

その証拠に隣家の敷地にゴミをばら撒いているようで、実はゴミは鳥たちがいつも止まっている木の下あたりに捨てられていた。

そうだったのかと思ったら、す~っと怒りの感情が消えて行き、代わりに「おばあちゃん、かわいい~」という自分でも意外な気持ちが湧いてきたことが可笑しかった。








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また五十肩

2017-02-06 14:44:10 | 健康
今日は朝から右肩のリハビリを受けるために整形外科へ行ってきた。

昨年から右肩に痛みがあったのだが、以前も左肩がそうだったように「五十肩」だろうと思っていた。

前回の左肩が痛んだ時は病院へ行き、炎症を抑える注射を打ってもらって終了だった。

あとは家庭でできる運動を教えてもらい、そのうちに自然に治ってしまった。

今度もまた同じだろうと思って病院へは行っていなかったのだが、どうも痛み方が前と違う。

前は寝ていて肩の痛みに目が覚めることはなかったのだが、今回は日中は無理な姿勢をしなければあまり痛みが無いのとは逆に、横になって眠ると痛いこと、痛いこと・・・

しばらくは眠ることができないほど激しい痛みが襲ってきて、肩を抑えて耐えるしかないという状況になってしまった。

「どうも前回とは違う」と、先週やっと整形外科に行ったのだが、診断は「立派な五十肩です」ということだった。

五十肩にも立派があるのかないのか分からないが、とにかく痛みが出てからすぐに病院へ行かなかったことが災いして、年季の入った立派な五十肩になってしまったということらしい。

前回は左肩、そして今回は右肩と、私より二歳年上の夫は腰痛はなっても五十肩にはなったことがないというのに、なぜ私ばかり五十肩になるのだろうか?

そこで医師に聞いてみた。「原因は何なのでしょうか?」と。

すると若い男性医師が、おしゃれでそうしているのか靴下の履いていない寒そうな裸足をおもむろに組み替えると、「言ってもいいですか?それはですね・・・加齢です!年だということです!」ときっぱり言い放った。

医師の後ろに立っていた私と同年齢と思われるナースが、それを聞いた途端、露骨に嫌~な顔をした。

この若い男性医師はたくさんいらっしゃる医師の中でも患者さんにはあまり人気の無い先生だそうで、おしゃれでイケメンなのにどうしてなのだろうかと思っていたら、どうやら本当のことをあまりにもつっけんどんに、はっきりと言う方だからなのかもしれない。

ちなみに五十肩は男性より女性になりやすいそうだが・・・とは言え、年なら仕方がない。
原因は分かったから、あとは早く治してほしいということだけだった。

「これだけ立派な五十肩ですからリハビリが必要ですね。来週からリハビリに来てください」と言われ、前回と同じく肩に炎症を抑える注射をした。

そして今日からついにリハビリ。

リハビリ室は大きな病院の為か広々としていて理学療法士さんも多く、リハビリを受けている患者さんもまた多く、混みあっていた。

しばらく待ったあと、やっと私の番になった。

ベッドに横になり理学療法士さんが私の手を上げたり下げたりして診て下さった結果、右肩が前に出たまま固まっていて、寝ると肩の下に隙間ができるため痛むということがわかった。

そして、右肩が固まった原因は長く病院へ行かずに放っておいたことで、一部癒着を起こしているのでそれを剝がさなければならないとのことだった。

「ちょっと痛いですよ」と言いながら腕を抱えて押されるのだがこれが痛いのなんのって、もう涙がじわ~っと出るほど痛かった。

教訓「肩に痛みがあったら迷わず病院へ行くべし」

あ~あ、こんなことなら早く病院へ行くのだった・・・

あと数回リハビリを受ける予定だが、今日のリハビリで少し痛みがやわらいだのが嬉しい。

病院の帰り道、ここ数日の暖かさのためかアスファルトの路面が出ていたのが春らしくなったようで嬉しかった。

嬉しくなったついでに髪が切りたくなったので、途中で美容院へも行ってきた。

周囲を見ればまだまだ雪だらけだが、春が近づいているというだけで気持ちがウキウキしてくるのが不思議だ。

明日からは雪がまた降るのかもしれない。でも確実に春は来ている。










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象の背中

2017-02-01 14:56:45 | 日記
妹が自分の娘と二人でバリ島へ行ってきた。

妹の娘は今春、大学を卒業し就職で道外へ行くことが決まっているのだが、学生時代の最後に母娘二人旅をすることにしたそうだ。

さて、バリ島から帰ってきた妹からさっそく旅の話を聞いた。

・・・とその前に「YOUは何しにバリ島へ?」と妹に聞いてみたところ、もともと妹はインドネシアという国へ行ってみたかったのだそうだ。

「ほら、昔よくうちにインドネシアの留学生が遊びに来ていたでしょう」と妹に言われて思い出した。

もう30年近く前だが、母が北大に通うインドネシア人の留学生たちをよく家に招いて食事を食べさせていた。
その頃は(今も?)インドネシアから日本へ留学するのは、よほど頭が良いか、お金持ちじゃなければできなかったそうだ。

うちへ来ていた学生さんたちも国費で来ている人もいれば、家が裕福で私費で来ている人もいたのだが、どちらにしろ日々の暮らしを日本でしていくには厳しい生活だったようで、そのこともあって母は時々家に招いていたのだろうと思う。

その頃、インドネシアの学生さんからインドネシアについての話をいろいろと聞き、妹はいつかインドネシアに行ってみたいと思うようになったそうだ。

とは言え、学生さんたちの故郷はバリ島ではなかったはずだが、インドネシアへ観光として行くにはやはりバリ島ということになったらしい。

「泊まったホテルは外国人向けのリゾートホテルで何もかもが豪華で快適だったのだけど、やっぱり地元の人たちの暮らしが見たくて、娘と二人でホテルの外へ出かけたのよ。
そうしたら、道を少し歩いただけであっという間に人が寄ってくるの。怖かったわ」と妹が言った。

妹によると、一目で観光客だとわかる妹たちに「タクシー乗らないか?案内する」と言って、断っても断っても次々と客引きが近寄ってきたそうだ。

「みんななんとかして稼ぎたいという必死さがあって怖かった」そうだ。

女二人だけで歩くのは危険だと分かり、そのあとはホテルの中で過ごし、バリ島最後に妹がやってみたかったという「象に乗る体験」ツアーを申し込んだそうだ。

ところで「YOUはなぜ象の背中に?」と聞きたかったけれど、それは聞かなかった。
ただ象の背中に乗ってみたいということだけのようだったから。

小ぶりの象さんを連れてきたのは妹の娘とほとんど年が変わらない若い青年だったそうだ。

象の背中から見える景色に二人で感激していると、若い象使いさんが言ったそうだ。

「あなた達にこの景色が新鮮に見えることがうらやましいよ。僕は毎日仕事で見ている景色だからね、感動なんてないよ。ところで君は学生かい?」

妹の娘が「そうだ」と答えると、「そうか、君はラッキーだね。こうして外国を見ることができるなんて。
僕の給料では一生かかってもこの国を出ることはできないよ。死ぬまでここで象使いをして暮らすのさ」

象使いさんのその言葉を聞いて、妹も娘も急にしんみりとなったそうだ。

外の世界を見ることなく一生ここで象使いをして暮らすという若い青年の前で、妹はそのあとの言葉が出なかったそうだが、「象に乗せてくれている象使いさんの為にも、せめていま象に乗っている時間を思い切り楽しもうと思った」と妹が言った。

海外旅行に行けることが幸せなのかと言われれば、決してそんなことはないと思うが、外国を見たいという想いがある若い人にとっては、色々な国に行ったことがある妹の娘はとてもラッキーに見えるのだろう。

幸せは自分の心が決めるものだから、どんな環境でも自分が幸せだと思えたら幸せなのでしょうが、会ったこともないけど若い象使いさんが幸せでありますように・・・と願う。

私はオカメインコのP太郎を見ている時間がしあわせ。


「P太郎さん、ヘアスタイル乱れてますよ」



P太郎の背中。乗ってみたい・・・無理ね。










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