ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

親の背中

2016-06-30 11:15:03 | 日記
長男パインは、いまだに親である私たちとたくさん会話をする。

「いまだに」と書いたのは、男の子は中高生くらいからだんだんと親と話をしなくなると思っていたから、いつかパインにもそういう時期が来るのだと思っていた。

実際に私の弟も中学生になったころ頃から急に無口になり、それから家族とは会話らしい会話がなくなったことを覚えている。
(さすがに50歳を越えた今は話すようになったが・・・)

気が付けばパインも24歳になり、そして今も変わらずに家族と普通の会話をたくさんする。

男の子が親と話さなくなるというのは、一概には言えないということがやっとわかった。

ところで、いまだによく喋るパインだったが、話す相手が最近かわってきた。

母親である私から父親である夫に変わったのだ。

これまでは下の二人の子と同じで、パインも私と話す時間の方が圧倒的に長かった。

日中、仕事でいない夫よりも家に居る私と話すのが多いのは当然なのだが、それがここ1・2年で変化が現れた。
パインから電話が来て、わたしと近況などについて簡単な話をすると、すぐに「お父さん、いる?」と言って夫に電話を替わるように促してくるようになったのだ。

就職を考えるようになって、社会に出て仕事をしている夫に話を聞きたいというのが、私から夫に変わった理由だった。

ついに母親と話す時期が終了したのか、さびしい~~!・・・というのはほとんど無くて、これはこれで嬉しいことだなぁと思う。

夫とパインは社会に出てからの事、仕事の事などを話しているそうだ。

たまにパインが帰省すると、夫はパインと二人でカフェや銭湯に行く。

そして、そこでもたくさん話をするのだとか。

良い話ばかりではなく、お金を稼ぐことがどれほど大変なことなのかという話もしているらしい。

ある時、夫が何気なく言った。
「俺もあと何年かすれば会社を定年だが、それまでパインに恥ずかしくない背中を見せてやらないといけないなぁ」

数年前、身体を壊すほど仕事が大変で「辞めたい、辞めたい」と言って元気が無かった夫だったが、今はそれも乗り越え(夫いわく、大変さは今も同じだそうだが)、ここ1・2年は何か吹っ切れたように仕事に打ち込んでいる夫を見ると、パインの存在も大きいのかもしれないと思ったりしている。

親の背中って、子どもはよく見ているものですね。

父親だけではなくて、もちろん母の背中も・・・




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ひとりごと

2016-06-28 16:24:17 | 日記
先週は家の塗装をやってもらうのに塗装業者さんが来ていた。

外壁と屋根の塗装なのだが、塗装は天候に左右されるので、雨が降っている日は作業ができない。

あいにく二日間は雨で作業ができなかったが、約5日間の予定通り、昨日ぶじに終わった。

「作業の予定が5日間で天候によっては長引きます」と聞いた時には「長いな~」と思ったが、終わってみるとあっという間だったという気がしている。

ところで、作業の途中で庭に蛇くんが現れるハプニングがあった。(先日、アジサイに隠れた蛇だと思われる)

蛇と鉢合わせをした塗装屋のお兄さんが、驚いて思わず手に持っていたスプレーを蛇に向かって噴射したところ、蛇くんは隣の家に向かって逃げて行ってしまったそうだ。

それにしても、あの蛇くん、山に帰らずにまだ庭にいたとは・・・

やれやれ、とりあえずうちの庭からいなくなったのかもしれないが、いつまた現れるかわからないので、どうしても庭へ行かなければならない時は地面をよ~く確認しながら歩いていこうと思う。

どうしても庭へ行かなければいけない時・・・そう、どうしても行かなければいけないことがあるのよね。

そろそろ庭に植えたラディシュが密集してきたので、すこし間引いてやらなければいけない。
それからジャガイモの芽も間引かないといけないし。

蛇がいなくなったと聞いたので、久しぶりに庭に出た。

急いで間引きを済ませ、ついでにバラの成長具合も確認してきたのだが、今年は雨が多くて寒いせいか、例年よりもバラの開花が遅いような気がする。

農作物への影響が出始めているとニュースでも言っていたし、たまには暑い日がほしいと思っていたら、今日はやっと25℃と暑くなった。
窓を開けていても、うっすらと汗をかく暑さ。

やっぱり夏は暑くなくっちゃ~
なーんて、これ以上の暑さが続いたら、きっと早く涼しくならないかなぁと思うだろう。
我ながら勝手なものだと思う。

早く暑くならないかなぁ、早く涼しくならないかなぁなどなど、考えてみれば私はよく「早く○○しないかなぁ」と思っている。
つまり早くこの状況が変わってほしいと私は思っているのでしょうね。

そんなことを考えているからなのか、はたまた年を取ったせいなのか、時間が過ぎ去ることの早いことと言ったらない。

時間が過ぎるのが早いとは、ここずっと思っていたことだが、ますます早くなったような感じがする。

一日があっという間に過ぎて行き、気がつけば、もうすぐ今年の後半が始まる。

「ここは暑く過ぎる!暑くて動けないよー」
そう言って、関東の大学に行って初めての夏を迎えた次女のピーチから電話が来ていたのが、昨年のことだった。

あれからもう一年が経ち、ピーチは昨年の様に「暑い、暑い、暑くて死にそう」などと言わなくなった。

今年は暑くないのかと思ってピーチに確認してみたら「暑いよ」とあっさりとした返事が返って来た。

一年暮らして、暑さに慣れたのだなと思う。

なんだかんだ言いながらも、みんな少しずつ変化してきている。

そういえば、「早く大きくならないかなぁ」と我が子たちが乳児だった頃、抱っこしている両手が子供の重さでだるくなってくると、いつもそう思っていた。

過ぎてしまえば、なんともったいないことをしていたのかと思う。もっともっと育児を楽しめばよかった。

あっという間に子どもたちは大きくなり、今や「抱っこさせて~」なんて言ったら、「気持ち悪い」ときっぱりと拒否されてしまうだろう。

こんな風に時の流れは止めることも、ましてや後戻りすることもできず、うかうかしていたら、あっという間に寿命が来てしまう。

まだ来ていない未来のことを考える(妄想する)のはもうやめよう。

今だけ、この瞬間だけに集中して暮らそう・・・なんて、なかなか難しいことですが、時々来ても居ない未来のことを妄想している自分に気が付いたら、意識をいまに戻す努力をしようと思っている今日この頃です。

今日はなんだかまとまりのない文章になってしまいました。(いつもか・・・)






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怖いもの見たさ

2016-06-22 14:24:32 | 日記
今朝、部屋の掃除をしようと窓を開けた。

ふと窓から地面に視線をやると、見慣れないものが落ちていた。

ん?何か長い紐のようなものが、うねうねと動きながら移動している?

「ギョエ~~~ッ!へびだぁーー!キャアァァァーーー!!!」

心の中ではこんな感じで叫んでいたのだが、実際にはあまりの恐怖に声も出せず、ただジーッとウネウネの蛇を凝視したまま固まっていた。

あまりにも大きな恐怖を感じた時というのは、そこから目をそらすことができなくなるものですね。

細身だが1メートル50センチはあろうかと思われる長さ。

ただただジ~っと見つめる私をよそに、蛇はそのままウネウネと庭のアジサイの木の根元へ入って行った。

私は何が苦手かと言われたら、蛇ほど苦手なものはない。

ペットショップにいた綺麗な白蛇でさえ、見た途端、全身に鳥肌が立ったことがある。

それにしても「うちに来ちゃったか・・・」と思わずため息が出てしまった。

昨日のことだった。

夕方、作業所から帰ってきた長女チェリーが部屋に入るなり「蛇がいた。歩道にいるから、間違って踏みそうになって驚いちゃった!」と興奮したように言った。

「えーっ蛇?どこ?どこにいたの?」と聞くと、我が家から三軒ほど先の家の前に居たのだそうだ。

三軒先かぁ、大丈夫かな。。。

頭の中で三軒先の家と我が家の距離を思い浮かべながら、できれば蛇ちゃんにはこちらへ来てほしくないという自分勝手な願いをしつつ、また一方ではなんとか車道には行きませんようにとも願っていた。

蛇がいた歩道の横には時々バスも走る車道があり、そこは交通量はけっして多くはないが車が頻繁に行きかっている。

チェリーが歩道にいた蛇を踏みそうになったくらいだから、車道にいたらぜったい車に轢かれちゃうよなぁと思った。

そんな心配もあって、夜、帰宅した夫に真っ先に蛇がいなかったかと聞いたのだが、「蛇なんかいなかったよ」と夫は話し、夕食後にウオーキングをするのに外へ出た時もやっぱり蛇はいなかった。

「山へ帰ったのかも~♪」と前向きに考えていたのだが、なんと、うちの庭にいたとは・・・ショック

でもまあ、車道に出て車に轢かれるよりもいいか。

今日は掃除が終わったら庭仕事をしようと思っていたのだが、それは当然中止にした。
庭で出会ってしまったら、私は卒倒する。

というわけで、今日は家の中から蛇が入って行ったアジサイを観察している(怖いもの見たさ?)



離れた場所から写真を撮ったので、この中に果たして蛇ちゃんが居るのかどうかわからないのだが、そばに近づいて確認する気にはなれない。

しばらく庭に行けないな。。。

早く山へ帰ってくれますよ~に。

(あとで調べてみたら、たぶんジムグリという種類の蛇だということが分かりました)









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父の歌

2016-06-21 15:17:11 | 介護
先日、妹と娘を連れて、高齢者住宅に住む父に会いに行った。

行った時はちょうどカテーテルで導尿をする時間だったようで、父はベッドの中で横たわっていた。

導尿が済んだところで、皆で父のベッドの横に座り、父の顔を見ながら話しかけた。

父は眠っておらず目はしっかりと開けているのだが、声を出すことはほとんど無くなってしまった。

ただこちらが話すことは分かっているようで、軽くうなずいて答える。

と言っても、あれっ?と首をかしげることにもうなずくので、とりあえず全ての質問にうなずいているのかもしれない。

レビー小体型認知症が進んでいるためか、手に震えが見られ、顔も無表情になってきたのが気になった。

そんな中で、珍しくもとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた時があった。

私が父の姉である伯母のこと、そして夫の母であるお姑さんの話をした時だっただろうか。

伯母とお姑さんは共に89歳で父よりも3つ年上なのだが、身体は元気なのでいつも動き回っている。
(だから周囲はいつも目が離せないということもあるのだが・・・)

「伯母さんもお姑さんもとっても元気だよ。お父さんの方がまだ若いんだから頑張らなきゃね」
そう言ったら、それまで表情の無かった父が目を細めて顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。

そして笑顔のまま、父はしばらく私の顔を見つめていた。

と、その瞬間、急に父は目を大きく見開き、まるで驚いたような表情になったかと思ったら、今度は自分で起き上がろうとするように身体を動かし始めた。

その間も大きく見開いた目はじっと私を見つめたまま。
動かない身体を一生懸命うごかして私の方へ向かって来ようとする。

「お父さん、どうしたの?苦しいの?」

あまりにも突然の父の様子に、そばにいた妹も驚いて父に声をかけた。

父はすこし我に返って、初めて首を横に振った。

よかった。心臓が苦しくなったのではなかったようだ。

それからもしばらく私の方を不思議そうに見つめる父の様子に、もしかしてまた幻視でも見えたのだろうかと思った。

レビー小体型認知症は、そこに無いものが見える幻視が症状のひとつだと言われる。

高齢者住宅に入ったばかりの頃、今から3年くらい前には父にも幻視が現れ「部屋の中に二人組の男が入ってくる」とよく言っていた。

その後は投薬のおかげで幻視はまったく見えなくなっていたのだが・・・いったい父は何を見ていたのだろう?

もしかしたら、私を亡くなった母だと思ったかな??

私は母によく似ていると言われていた。

母が亡くなった時、父は56歳。
単身赴任が多かったので、「お母さんと一緒に暮らした時間は本当に短かった」と、葬儀の時、父はそう言って泣いた。

母が亡くなってからも、父は仕事に日々忙しくしていたが、暇な時に短歌と俳句を作っていた。

「妻の里 心ひかれて 車旅 主(ぬし)無き家に 一人たたずむ」
(父は、車で6時間もかかる母の実家へひとりで行ったのだろう。母の実家は、当時誰も住んでいない空き家になっていた)

「在りし日の 楽しき姿 夢うつつ」

「妻去りて 嘆きの日々で 春を待つ」

「妻の愛 おそき想いと 今に知る」

「ふたり旅 楽しき想い 今は夢」

「ひとり旅 知らぬ夫婦(めおと)が 羨まし」

父は母の死後、何年もの間、母への想いを綴った歌を多く書いている。

あらためて父の作った歌を読み返しながら、家族に対しても、周囲の人たちに対しても、後悔しないように接していこうと思う。

私たちはいつか必ず死ぬのだから。







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おまつり

2016-06-16 16:45:40 | 日記
今日は北海道神宮例祭の最終日。

街の中心部では神輿と山車が華やかに練り歩く。

見に行きたかったが、今日はそういうわけもいかず、あとでテレビニュースで見ようと思う。

ところで、私たち市民にとっては「北海道神宮例祭」というより「札幌まつり」と言った方がしっくりとなじむのではないかと思う。

100年以上前から続く例祭だが、子どもの頃はクリスマスと並ぶくらい楽しみな行事だった。

あの頃は札幌まつりになると、家々の屋根の軒先に紙で作ったピンクの花飾りがつけられ、町中が華やかな雰囲気に包まれていた。

そして今は違うが、札幌まつりの日の小学校は半日で終わった。

私たちは急いで学校から帰ってくると着物を着せてもらい、この日だけ特別に母の赤い口紅を塗ってもらい、これまた特別に少しのお小遣いをもらった。

そして、そのお小遣いを握りしめ、同じく着物で着飾った近所の子どもたちと一緒に行くのは、近所の駄菓子屋とラーメン屋さんだった。

駄菓子屋さんはさっぽろ祭りの時だけは店の外まで商品を並べ、お祭りムードを出していた。
店の前は子どもたちで大賑わいだった記憶がある。

またラーメン屋さんでは、店主のおじいさんの演奏する尺八の音色つきでかき氷を食べた。

お祭りのウキウキした雰囲気の中で聴く渋い尺八の曲も、陽気なラテン音楽に聴こえたものだった。

あの当時は、かき氷を食べてもいいほどさっぽろ祭りの頃から暑くなっていったと思うが、今は同じ時期でも暖房を入れるくらい寒い日が多いのはなぜだろう。かき氷などこの寒さでは食べる気がしない。

そんなわけで、今から50年近く前は町中が、そして大人も子供も楽しみにしていたさっぽろ祭りだったが、今は町が大きくなり過ぎて、お祭りの雰囲気がほとんど無いに等しくなってしまった。

「札幌は大なる田舎なり」と書いた石川啄木も今の札幌を見たら、きっと驚くだろう。

北海道神宮例祭には行けなかったが、今日はどうしても氏神さまへ参拝がしたくなり、午前中に行って来た。

美しく掃き清められた参道を通り、神前で手を合わせ感謝を捧げたら、今にも降り出しそうな曇り空も周囲の木々を大きく揺らす強い風も、まったく気にならないほど胸の中が嬉しさでいっぱいになった。



久しぶりのP太郎。P太郎も笑顔です。






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好きなことを見つけたら

2016-06-13 16:10:51 | 日記
休日に農産物直売所へ行って来た。

例年、土日ともなると野菜を買い求める人で賑わう直売所だが、この日も多くの人で賑わっていたものの、まだ地物野菜が出回るには少し早かったせいか、あまり野菜の種類が無かったのが残念だった。

今回は、野菜よりも花や野菜の苗がたくさん売られていた。

苗にも心惹かれたのだが、すでに我が家の畑は野菜の種まきが終わっているので苗は買わなかった。

でもせっかく来たので何か面白いものはないかと見て歩いていたら、スーパーなどではあまり見ることのできない野菜を見つけた。

青シソよりもふたまわりほど大きな葉っぱがビニール袋に入れられている。

なにかと思って手に取ってみると「えごまの葉」と書かれていた。

「えごま」と言えば「えごま油」

えごま油はオメガ3脂肪酸のひとつであるα-リノレン酸が豊富に含まれており、亜麻仁オイルとともに健康志向の油として人気が高い。

という私も最近えごま油がマイブームになっている。

味は亜麻仁オイルよりもクセが無いように思う。

ヨーグルトなどにかけても油っぽさを感じないので、デザートから惣菜まで思いついたときにかけて食べている。

「もしかして、えごまの葉とは、えごま油の元の姿だろうか」

そう思いながら、手に取ったえごまの葉をまじまじと見ていたら、お店の人が食べ方を教えてくれた。

焼肉をくるんで食べたり、調味料に漬けておいてごはんに乗せて食べると美味しいそうだ。

えごまの葉も栄養価が高いそうで、美味しそうなので買ってきた。

えごまの葉が15枚ほどで100円。

安いと思うが、とりあえず初めて食べる食材なので一袋だけを買った。

さて家に帰ってから、早速えごまの葉をタレに漬けてみた。



お店の人に教えてもらったタレの作り方は、めんつゆに漬けるだけとの事だったが、もう少し複雑な味の方がよいかもと思い、ニンニクや生姜、ネギ、ごま油などを入れた醤油ダレを作った。

これは漬けて半日のもの。

食べられるようになるまで、あと二日くらい漬けておいた方が良いのだとか。

どんな味なのか楽しみですわ・・・

こんな風に食べたことのないものを調理(とは言えないくらい簡単ですが)したり、ましてそれが健康にも良い食材と言われると、私はワクワクが止まらなくなる。

食と健康・・・つくづく自分はこういう事が好きなのだな~と思う。

そうそう、果物ジュースか野菜ジュースを毎朝コップ1杯飲むことも最近のマイブームかもしれない。

自分で毎朝ジュースを作るのは大変なので買ってきたものだが、砂糖の入っていないものにしている。

それでも果糖もあるので、飲むのはあくまでも1杯だけにする。

マイブームになったきっかけは、果物ジュースか野菜ジュースを週に3回飲む人と週に1回も飲まない人でアルツハイマーの発症リスクを調べた研究結果を読んだことだった。

対象になったのが、1836人の日系米国人。

それによると、果物ジュースか野菜ジュースを週に3回以上飲む人の方が、週1回未満の人よりアルツハイマー病になるリスクが、なんと76%も低下したそうだ。

また、週に1~2回飲む人とまったく飲まない人を比較すると、飲む人のリスクの方が16%低くなったそうだ。

週に1~2回でもリスクが下がるとは・・・これは飲むしかないと単純な私は思ったのであります。

しかも実験に参加したのは日系人なので、確実に日本人にも効果があるのではないかと言うことだ。

それにしても「これがいいと思うと、いつもわき目もふらずに、すごいスピードでまっすぐ行くよね。まるで子供が好きなおもちゃを見つけて猛ダッシュで走っていく様だ」と夫にはいつも笑われる。

自分でもまったくその通りだと思う。

しかし・・・

自分がいいと思ったことはなんでもやってみようと前向きに取り組むことは、脳の活性化には欠かせないことで、しかもすぐに取り組めるのは脳が若い証拠なのだとか。

これが私にも当てはまるのなら嬉しいが、なかなか人の名前が出てこなくなった今日この頃・・・

好きなことやワクワクすることを見つけたらいつでも走って行けるように、できるだけ元気でいたいと思う。






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似ている!?

2016-06-08 15:59:47 | 日記
今日は家の修理をお願いするために、リフォーム会社の営業の方が来る予定になっていた。

営業の方は女性なのだが、いつも電話での会話だったので、実際にお会いするのは今日が初めて。

約束の時間ぴったりに玄関チャイムが鳴りドアを開けると、そこに立っていらっしゃったのは、なんとテレビで何度も観たことのあるお顔の女性だった!

驚いた。

それは、まさしく人気歌手や子役タレントの物まねをしている女の芸人さん・・・ではなくて、その芸人さんそっくりの方だった。

とにかく似ている!!にこにこ笑っているそのお顔は、テレビで見るお顔と同じだ~!!

驚いて一瞬、言葉が出てこなかったが、平常心を取り戻して本題の家の話をした。

話している間もその方と目を合わせるたびに「似てる、似てる」と思い、思わず「○○さんっていう芸人さんに似ているって言われませんか?」と言いたくなったが、初対面の方にそのようなことを言うのはあまりにも失礼なので、聞きたくて仕方がない欲求を辛うじて思いとどめた。

ちなみに私はその女芸人さんは可愛いと思っているし、その女性もとっても可愛らしい方だった。

それにしても世の中には自分と似ている人が3人いるとかいないとかと言われるが、こんなにも似ている人ってやっぱりいるのだなぁと、その営業の女性を見て思っていた。

そういえば私も過去に有名人に似ていると言われたことがある。

20代の頃、知り合いの女性に「ジョン・ローンに似ているね」と言われた。

ジョン・ローンさんは85年にヒットした映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」に出ていた俳優さんで、女優さんではなく男性の俳優さんだ。

知り合いは当時ジョン・ローンのファンだったそうで、うっとりした目つきで「似ているね」と言われた時にはかなりひいた覚えがある。

(と言っても知り合いは同性愛者ではなく、その後は普通に男性と結婚した)

ジョン・ローンに似ていると言われた私は、嬉しいどころかショックの方が大きかった。

当時は髪を長くしてスカートばかりを履いて、自分では女らしい恰好をしていると思い込んでいたのに、こともあろうに男に似ていると言われるなんて・・・しばらくはショックだった。

ところが、何年かたって再び「有名人に似ている」と、別の人(義弟ですが)から言われることがあった。

今度はジョン・ローンではなく、なんとラモス瑠偉。

「ちょっと~やめてくれる?どこが似てるってーの!」

その時はショックよりも怒りの方が大きく「ったく、どこが似てるんだよっ」と思ったが、結局、私の顔は「バタ臭い顔」だと言うことかもしれない。

それにしても似ていると言われるのは男性ばかり。

相手は好意をもって言っているのかもしれないが、言われた方は深く傷ついているかもしれないので、やっぱり迂闊に「芸人さんに似ていますね」と言わなくてよかったと思っている。








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無駄なことはひとつもなかった

2016-06-06 14:36:13 | 日記
やっと長男パインの就活が終わった。

パインの第一志望だった道内の企業から内定を頂いた。

「これから一緒にがんばりましょう」との電話をもらったと嬉しそうにパインが教えてくれた。

思えばいくつかの偶然が重なって、この企業からの内定をもらえた。

パインは一年浪人しているのだが、もしも現役で大学に入っていたら、この企業から内定はもらっていなかったのではないかと思う。

詳しいことはここでは書けないのだが、企業側の事情が昨年までと変わったことが幸いした。

またもう一つ、浪人したことによって、パインの内面が良い方向へ変わった。
それは私だけでなく夫も同じように感じていたようだ。

高校までのパインは、あまり勉強しているようには見えず・・・いや、当時の本人は「勉強していた」と言うかもしれないが、傍らで見ている限りでは、なにか鬼気迫るものとか一生懸命さとか、そのようなものは微塵も感じさせず、いつものんびり、のほほ~んとしていた。

実際に成績もあまりパッとせず、当時は我が息子ながら、パインはドラえもんに出てくる「のびたくん」に似ているな~と思っていたものだった。

それが浪人決定になり、一年間の浪人生活は本当によくやっていると感心するほどで、まさにパインからは鬼気迫るものを感じたのだが、結局、浪人しても希望する大学には入ることができなかった。

しかし、結果的には今の大学に入ったことが正解だった。

「無駄なことは何一つない」とは、私自身50数年生きてきてわかったことだが、パインを見てきて、やはり無駄なことは何もなかったと思う。

希望していた大学すべてに落ちた現役生の頃、一年くらい浪人してもいいかという気持ちが親にも子にもあったので、ショックではあったが、まだ来年に希望を繋いでいた。

ところが、もう後がないと思っていた二年目、またもや次々と落ちる結果を見て、さすがにいつものん気なパインも私も落ち込んだ。

「これでだめなら、もうどこでもいいから二次募集している私立へ行く」と言うほど追い詰められていたパインが、なんとか今の大学に入ることができたのだが、入れた学科は第一志望ではなくて、第二志望の学科だった。(点数が足りなかったので)

しかしパイン曰く、最終的には第二志望で入った学科に行って良かったと思える結果になったそうだ。

思っていたのとは違って勉強に面白さを感じ、勉強を続けていくうちに、将来、自分がどのような仕事をしていきたいのかが明確になったそうだ。

結果、パインが勉強してきたことに関係する会社に決まることができた。

そして今回、内定を頂いたことでパイン本人が一番喜んでいるのはもちろんだが、夫もパインと同じくらいに喜んでいる。

最終面接の結果がなかなか来ない間、夫はあれこれと考えながら気を揉んでいた。

夫も長く企業で学生の採用にかかわっていて、これまで多くの学生を面接してきたのだが、自分の子だと他人からは一体どのように見えるのか、まったくわからないと言う。

「(パインが)悪いやつではないというのは分かると思うのだが、(頭が)キレるという感じはしない。
しかし、キレるやつばかりだと社内がギスギスするから、一人くらいこんなのも採っておくか・・・と俺なら思うところだが、ほかの面接官はどうだろうか?」

「どうだろうか」と夫に聞かれても、私も困ってしまう。

「だめなら縁が無かったということで、ほかにもっと縁のある会社があるってことだよ」
そう答えたのだが、私もその会社に決まってほしいという気持ちは山々あるが、駄目なら他がパインにとってもっと良いと言うことだと、本気で思っていた。

その後、他社からもパインに熱いラブコールの電話が何度もあり、パインの人生にとって初めての「モテモテ期」が来たようだった。

そんなパインに夫が忠告をした。
「嬉しいのは分かるが、うまく行っている時ほど気をつけなければいけないぞ。うっかりミスをしないようにな」

私もそう思うが、もうひとつ私なら言っておきたいと思うことがある。

「心で考えることはなるべく善いことを思いなさい。話す言葉は善いことだけを出しなさい」

心で考えることは、そのあとの言葉や行動になる。

口から出された言葉は、時には他人を傷つけることもあれば、癒すこともある。

周囲を癒すことが割と自然にできているパインだから、今後はそれをもっともっと大きくしていってほしいと、母は強く願っているのです。









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旅の思い出は・・・

2016-06-02 15:57:25 | 日記
旅行でしばらくヨーロッパへ行っていた妹から「帰って来たよ」と電話があった。

現在、妹の娘が英国に留学しており、今年の夏に帰国する予定なのだが「こんな機会じゃないともう行けないから、娘が英国にいる間に行ってくる」と言って、妹は人生初の一人旅で英国へ向かった。

・・・と言っても英国の空港まで娘が迎えに来ているそうで、飛行機を間違えずに乗って行けば、多少
英語ができなくても、なんとかなりそうだという。

ここ最近、更年期症状で、ずっと神経が高ぶってイライラしてばかりの妹だったので、旅行でリフレッシュしてくるのは良いことだと私も妹が姪の所に行くのは大賛成だった。

そして先日、「帰って来たよ」と最初に聞いた妹の声は旅行前よりもずっと穏やかになった・・・ような気がした。

娘の所に行った妹は、しばらくロンドンで過ごした後、娘と一緒にドイツへ行ったそうだ。

私は電話の妹がヨーロッパの素敵な場所や建物を見て、その話をしてくれるものだとばかり思っていたのだが、意外にも妹が最初に教えてくれたのは、素敵な建物の話でも美味しかった料理の話でもなく、英国やドイツで見たホームレスや難民の話だった。

ニュースでも報道されていたが、特にドイツでは難民が多く、泊まっていたホテルの前ではイスラムのスカーフを被ったおばあさんが地べたに座り、毎日、一日中、紙コップを手にして物乞いをしていたそうだ。

また、凍傷で切断したのか手足の先が無くなった難民の男性が道端に横たわっている光景も目にして、妹はとてもショックを受けたそうだ。

そのような人々が路上にいるにも関わらず、壁一枚を隔てた飲食店の中では食べきれないほどたくさんの量の料理が運ばれてくる。

妹は食べ物を残してはもったいないと思いつつ、やはり全てを食べ切るには多すぎて、結局半分ちかくを残してしまったそうだが、「食べられない人たちがすぐそばに居るのに、こんなに食べ物を残してしまっている自分」という罪悪感でいっぱいになったそうだ。

難民を受け入れていているドイツなので、もしかしたら物乞いをしなくても最低限の生活は保障されているのかもしれない。

しかし、ドイツではそのような人たちがたくさんいて、難民ではないドイツ人たちの人種差別的な態度は観光で行った妹でさえも感じるほど強かったそうだ。

「私が出会ったドイツ人がたまたまそうだっただけなのかもしれないけど・・・駅員さんもカフェの店員もとても不機嫌で不親切な態度だった。つくづく自分はアジア人だったと思い知らされたような気がしたわ」と妹が沈んだ声で言った。

「ただね、お前はどこの国の人間なのか?と聞かれて日本人だと答えると、急に態度が変わって親切にしてくれることもあったわ」

そのように妹が言うので、私はてっきりドイツとは第二次世界大戦の時に同盟国(古い!?)だったからかと思ったが、そうではなくて中国人と間違われていたせいで冷たくあしらわれていたということが分かったそうだ。

近年、多くの中国人がヨーロッパに観光で訪れるようになり、そのマナーの悪さから中国人はとても反感を買ってるのだとか。
(一般的に日本人はマナーが良いと思われているので、日本人だと言うと一変して友好的になるそうだ)

それにしても私たちが白人の区別がつかないように、欧米の人々もアジア人の区別がつかないのは想像がつく。

そして多くの難民を受け入れて治安が悪くなっているであろうドイツで、外国人に対する態度が頑なになるのもわかるような気がする。
(まったく難しい問題ですね・・・)

ひとしきり暗い話をして、しんみりとした雰囲気になったが、その空気を打ち消すように力強く妹が言った。

「やっぱり日本はいいわ~!こんなに住みやすい国は無いって、しばらく向こうで暮らしてよくわかった。日本の設備の細やかなことと言ったら、もう痒いところに手が届くほどだもん。
だって、イギリスでホテルの部屋のトイレに入ったら、トイレットペーパーに手が届かないのよっ!信じられないでしょ。
どーしてこの位置にペーパーホルダーを付ける?って思ったわ。
まったく使う人の事を考えていない!」

(ちなみに妹の身長は170センチ近い。欧米人と比べても決して負けてはいない大きさなのだが、その妹でも手が届かない位置ってどこなのか興味深い・・・)

トイレットペーパーに手が届かなかったことを思い出して怒りが沸きあがって来たのか、妹はさらに力を込めてさらに言い放った。

「イギリスのシャワーはクソよっ!!」

イギリスのとある場所でシャワーを使ったら、頼りなくちょろちょろと出て来た水は肩のあたりで霧となって消え、全身を洗うなどとてもできなかったそうだ。

しかも熱湯か冷水のどちらかしか出ないそうで、ちょうどよい温度の温かいお湯を浴びて心ゆくまで身体を洗いたかったと妹は言った。

イギリスに限らず、海外はきっとこのような場所が多いのでしょうね。

今回は、妹にとって、あらためて日本の良さや有り難さを思い知らされた旅になったようです。

更年期がぶり返さないように、妹にはトイレットペーパーとシャワーの話は絶対にふらない様にしようと思う。















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