ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

長女とお出かけ

2016-07-27 16:43:58 | 日記
昨日は長女チェリーとコンサートへ行って来た。

札幌交響楽団のコンサートだったが、クラッシックではなくポップスだったので、なじみのある曲ばかりの演奏にチェリーも楽しんでいた。

年に一度、チェリーと一緒に札響のコンサートへ行くことが、ここ数年来の恒例になっている。

そしてコンサートの後は、二人で街をぶらぶらして食事をして帰ってくる。
(チェリーはコンサートよりもこっちの方を楽しみにしているのではないかと思う)

昨日もチェリーにコンサート終了後「このあと、どこへ行きたい?」と聞くと「アクセサリーが見たい」と言うので、アクセサリーの売っているお店に行くことにした。

アクセサリーの種類がたくさんあって、しかも値段が安いところと言えば、大通駅そばにある4丁目プラザ(4プラ)がいい。
というか、私はもうずーっと郊外の田舎で暮らしているため、街中はさっぱり分からない。
だから昔からあるここしか知らない。

4プラとはたくさんの店舗が入ったファッションビルで、開業は古く昭和46年の札幌オリンピックの年からあるが、今も古臭さを感じないおしゃれ~なお店が数多く入っている。

そして開業当時は私もまだ10歳でさすがに4プラに行くことはなかったが、高校生くらいになると友人と一緒によく買い物に行った。

今もなのかもしれないが、当時は学生のお小遣いでも手が届きそうな洋服や雑貨がいろいろと売っていた。

またアクセサリーも安く、特に7Fにあるアクセサリー屋さんは大量のアクセサリーが所狭しと並べられていて見ているだけでも飽きなかった。

と言っても、私はアクセサリーを身につけるのがどうも昔からあまり好きではなく、ゆいいつ結婚の時にもらった指輪はしばらくは嵌めていたものの、もうずっと前に外したままつけていない。(多分どこかにあるはずですが)

だから、自分自身が買うよりも友人がアクセサリーを買うのを見ていたことの方が多かったのだが、あそこならばチェリーにも買えるアクセサリーがたくさんあるのではないかと思った。

チェリーと一緒に久しぶりの4プラのアクセサリー屋さんへ行ってみると、あったあった。

上からすだれの様に大量のネックレスがぶら下がっていて、指輪やらブレスレットやらがたくさん並んでいる。

値段を見ると、ネックレスはなんと380円からある!安い~

どれもみんな安くて、高いものでも千円くらいで買える。

そして値段のわりに見た目は悪くない。本物にさえ見えるんじゃないかと思う。
(ちなみに私は本物を見る目がまったくないのであしからず・・・)

チェリーがネックレスが欲しいというので一緒に選んだのだが、ハートのリングに小さな石がついた可愛らしいもので、石の色を何色にするか二人で悩んだが、結局チェリーが水色の石のついたものに決めた。

二人で迷いながら決めたネックレスの支払いをするために、すだれの様にぶら下がったアクセサリーをかき分けてお店の人に声をかけると、中にいたのはかなり年配の男性だった。

差し出したネックレスを見て「決めたかい?おっ、いいのを選んだねぇ。これは3千円以上には見えるよ!」とおっしゃった。

「そうですか?いいですか。これ3千円に見えるってよ!」と振り向いてチェリーに声をかけると、チェリーも嬉しそうにもじもじしていた。

するとその方が「ここはもう35年前から店をやっているんだよ」と商品を袋に入れながら教えてくれた。

そうかもしれない。そして、あの頃からお店はずっと変わっていない。

「知ってます。だって私も学生の頃、よく来ましたから」と私が答えると、その方はやっぱりという顔をされた。

きっと私だけではなく、当時の若い娘たちが母親になって、自分の娘と一緒に今またアクセサリーを買いに来ているのだろうなと思った。

「はい、学割ね」
そう言って、おじさんは380円の代金に400円を出したのに100円のおつりをくれた。

なんと80円もおまけ!

学割か~

この歳で学割にしてもらえるとは思わなかったなぁ。

なんだかとても嬉しかった。

またチェリーと、今度は次女ピーチも連れてアクセサリーを買いに行こうと思う。






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守って頂いて

2016-07-25 16:46:08 | 日記
車を運転していると、たまにひやっとすることがあるのだが、そんな時は「守って頂いたなぁ」と、ありがたくて心の中で手を合わせている。

そして、それは夫も同じく思っているようだ。

数年前の冬のことだった。
夫は子どもたちを車に乗せて出かけていたのだが、帰宅した夫がとても動揺していた。

話を聞くと、夫が運転していた車の目の前を猛スピードで通り抜けて行った車があったそうだ。

その時、夫は大きな通りの交差点で赤信号が変わるのを待っていたのだが、夫の車の前には、もう一台の車が待っていたそうだ。

信号が青に変わり前の車が発進したので、夫も後に続いたのだが、突然、前の車と夫の車の間を、信号を無視した車が猛スピードで通り抜けて行ったそうだ。

その距離は前後の車に接触してもおかしくないほど近くて、夫の車の前ぎりぎりのところを抜けて行ったのだが、夫は目の前に車が現れるまで車が来ていることに気が付いていなかったのだとか。

そして、信号無視の車はそのままスピードを落とさず、分離帯に積み上げられた雪山に乗り上げてやっと停まったそうだ。

その通りは緩やかな下り坂になっているのだが、スピードを出して下って来た車が路面の凍結によって停まることができず、赤信号で突っ込んできたらしい。

夫の車と前の車の車間距離は、車一台がやっと通り抜けられるほどしかなかったそうで、夫があと数秒発進するのが早ければ間違いなく衝突していたとのことだった。

「あのスピードで側面にぶつかってこられていたら、怪我だけでは済まなかったかもしれない。
守られたなと心の底から思ったよ」と夫は言った。

その話を聞いて、私も心臓がどきどきしたのだったが、夫の言う通り何かが守って下さったとしか思えなかった。
まさに間一髪で事故を免れたのだった。

ところで昨日も「守って頂いた」と思うような事があった。

やはり夫の運転する車で外出し、家に戻って来た時のことだった。

夫がバックで駐車スペースに車を入れようとした。

私は助手席でバックモニターに映る映像を見ていたのだが、夫とほぼ同時に「あっ!」という声を出してしまった。

なんと家で留守番をしていた89歳のお姑さんが、車のすぐ後ろを横切ろうとしたのだ。

昨日の夫は、何故かいつもよりゆっくりとした速度でバックをしていた為、お姑さんに気づいてすぐに停車して、幸いにもお姑さんにぶつかることはなかったが、死角になっていたせいか直前までお姑さんの姿を確認できていなかった。

それにしても、お姑さんはなぜ動いている車の後ろを横切ろうとしたのか?

車が止まらなければ、自分が轢かれるとは思わなかったのか?

あとから夫が注意をするためにお姑さんに聞いたところ「さぁ~、どうしてあんなことしたんだろう?」と、なんとも頼りない返事が返って来た。

お姑さんはやや認知症があるが、いくらなんでも動いている車に近づいては危険だということくらい分かっているだろうと私たちは思い込んでいたのだが、実はそうではなかったということが昨日判明した。

今後はお姑さんがいないか、よく確認してから駐車場に入れなければと思う。

それにしても、何事もなくて本当に良かった。

車を運転するときは事故を起こさないように十分気をつけることはもちろんだが、日々感謝の祈りも非常に大切なことだといつも思う。

なぜならば、このように奇跡的に「守られた」と思うようなことが時々起きるから。

ありがたいことです・・・






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カラスの巣立ち

2016-07-22 17:20:23 | 日記
あまり人には言えないが、カラスが近くにいると、ついつい話しかけてしまう私。

今日もゴミ出しに行ったら、生ごみを狙ってゴミステーションのすぐ横にある塀にカラスが一羽とまっていた。

そばに近づいても逃げず、隙あらば生ごみをあさろうと待ち構えている。

「ゴミを散らかしては駄目だよ。それにヘンなもの食べるとお腹こわすよ」

カラスに向かって話しかけている「おばさん」は、知らない人が見れば、さぞかし不気味かもしれない。

私がカラスに生ごみをあさってはいけないと話しかけるのは、ゴミを散らかすことが迷惑だということはもちろんだが、実はもうひとつ理由があって、それはカラスがごみの中のビニール袋やラップを食べてしまうからだ。

以前、カラスたちがゴミ袋から飛び出したビニールをパクパク食べているのを見たことがある。

その時はやめさせようとしたのだが、カラスはせっかくのごちそうを取られてなるものかと、それをくわえたままどこかへ飛んで行ってしまった。

生ごみの臭いや水分がついたビニール類は、カラスにとっては食べ物に見えるのかもしれない。

でもそんなものを食べてしまったら、死んでしまう。

「カラスはゴミを食べて生きている」と考えている人も多いが、実はそうではないのだとか。

ゴミステーションにカラスが来ることは間違いないのだが、「突けば食べ物が出てくる」ことを学習してしまったカラスがゴミに「お呼ばれ」しているそうだ。

だからカラスの主食は生ごみではない。

カラスの主食はと言えば、植物の実や小動物などで、種を糞として排出することで種子を散布する役割も担っている。

カラスも大自然の生態系の中で大切な役割を持って生きているのだ。

ところで我が家の裏に広がる森林では、約一か月ほど前にカラスの幼鳥たちの巣立ちが行われていて、ずいぶんと賑やかだった。

幼鳥カラスの声が森の中に響き渡ると、あちこちからたくさん大人のカラスたちが飛んできて、そばの木にとまり鳴き声をあげる。

まるで初めて飛び立つ子どもたちを励まし、そしてみんなで見守っているかのようだった。

今はやっと巣立ちが終わったようで、森はまた静けさを取り戻した。

しかし、カラスの幼鳥たちは巣立ちを終えたとは言え、実際はまだまだ親の保護下にあるそうで、自分で採食はできるが、親を見ると食べ物を催促して、おねだりが盛んなのだとか。

また親カラスのほうも一旦は拒否しても、根負けしてついつい給餌をしてしまう姿も見られるそうだ。

親カラスにつれられて縄張り周辺の河川や緑地、またゴミステーションへ行くなど、まさに今は一人前のカラスになるための修行の時期で、秋になる頃、やっと幼鳥カラスたちは「独り立ち」するそうだが、中には翌春まで親元に居座る「ニートくん」もいると聞いて笑ってしまった。

このようにカラスの生活を知ると、カラスもまた可愛い生き物だと思うのは私だけだろうか。

なにかと悪者にされてしまうカラスたちだが、都会の中にいるカラスたちを山へ帰せというのは無理な話なので、しっかりとゴミの管理をするなど人間ができることはやるべきだろうと思う。

また大きな鳴き声や糞のまき散らかしを防ぐ為には、カラスを刺激をしないことが一番だそうだ。

カラスに限らず野鳥は興奮すると水分の多い糞を大放出するので・・・



大好きなティッシュ箱に笑みを浮かべるP太郎ですが、実はP太郎もよく水っぽい糞をする。

もしかして興奮状態なのだろうか?







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バ~ラが咲いた♪

2016-07-20 16:48:31 | 日記
庭のバラが次々と花を咲かせている。

あまり暑くならないこの夏の気候が良かったのか、はたまた秋と春に肥料をたっぷりとあげたのが良かったのか、今年のバラはいつもの年より花の数も多くとても元気だ。



それにしても花はどれもみんな機嫌よく笑っているように見える。

庭のバラも、野に咲く小さな花々も、花はみんな笑顔。

そうか、だから花には人を癒す力があるのか・・・

私も花たちの様にいつでも機嫌よく笑顔でありたいと思う。

しかし、いろいろなことが起きる日々の暮らしの中では、なかなかそうも言っていられない。

中でも大きなストレスになるのが他人との関わりかもしれない。

特に怒りや不平不満を抱えている人と関わることは大きなストレスを感じる。

ともすれば私もその負のエネルギーに巻き込まれ、あっという間に不機嫌な気持ちになることがある。

「あれっ?どうして私はこんなに不機嫌になっているのだろうか」と思うと、他人の怒りの言葉や不平不満を聞いた後だったということが多い。

怒りや不満の言葉を言い続ける人たちは、その怒りや不平不満の原因となることを解決したいのかと思えばそうではなく、ただ話を誰かに聞いてほしい、その思いをぶつけたいだけということが多い。(というかほとんどそう・・・)

それが彼らのストレス発散になっているのだろうと思う。

そして、その悩みが解決したとしても、必ず別のことでまた怒りや不満を持つのだろう。

これは昔、私も同じだったのでよくわかる。

どこかで気がついて変わらなければ、怒りと不平不満はエンドレスに続いていく。

そして、その怒りと不平不満の感情や言葉は自分自身の身体を攻撃する。

だから彼らの話を聞いて、自分まで不機嫌になるなんて全くもって馬鹿らしいと思う。

できれば関わり合いにならないことが一番なのだが、そうもいかない場合がある。

そんな時は自分だけは決してネガティブな言葉は使わないようにしようと思う。

本当は花の様にいつでも笑顔でいたいのだけど、それは無理なので、せめて微笑みくらいは浮かべていられるようになりたい。

だが、それさえも難しいことが多々ある。

話を聞いた後は綺麗さっぱり忘れる、気持ちを切り替えることがもっとできるようになるといいなぁと思う。

「自分の感受性くらい自分で守れ。ばかものよ」
 
こんな時は、いつも茨木のり子さんの詩の一節を思い出す。

それにしても命のある限り修行は続く、なのですねぇ。

バラを見ながら、そんなことを考えていた。








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新しいお仕事

2016-07-15 16:14:54 | 日記
どんな仕事でも初めての時はドキドキと緊張する。

昨年まで続けていた介護ヘルパーは高齢者と接する仕事だったが、今度はぐ~んと若返って小学生と接する仕事をすることにした。

塾を経営する知り合いに頼まれて、一旦はお断りしたのだが、人手が足りないからどうしても・・・とのことで週に1~2回手伝いに行くことになった。

仕事の内容は、生徒がやった問題の採点をして、どうしても分からない問題があれば、ちょっとしたヒントを与えるくらいのことをする。

しかし生徒たちにきちんと教えるのは、しっかりとした先生たちなので、私はあくまでも採点中心ということで、それほど大変ではないだろうと思っていた。

小学生が学校を終えた午後3時、続々と生徒たちがやってきた。

まだまだ幼さがある小学生たちの可愛いことと言ったらない。

今まで高齢者ばかり見ていたから、エネルギーが一杯の子どもたちがまぶしいくらいだ。

知り合いの先生が子供たちに向かって、私を紹介してくれた。

「みなさーん、今日から来てくれたミーロ先生です」

それを聞いた私は心の中で「え~~~っ!!今、もしかして先生って言った?やだぁ~!恥ずかしい~」と叫んでしまった。

口には出さないが、なんだかお尻がこそばゆくなるような気恥しさと、そして嬉しさとで、私はきっと赤面していたと思う。

「先生」なんて、これまでの私の人生の中で呼ばれたことなどなかったから、居心地の悪さと恥ずかしさが大きかった。

そこでちゃんと先生らしく挨拶をしなければと、背筋を伸ばして「よろしくお願いします」ときっぱりとした声で言うと、そんなことはどうでもいい子どもたちは軽く会釈をしたかと思うと、すぐに自分の勉強を始めた。

黙々と、淡々と、ひたすら問題を解いていく子供たち。

私の前で問題を解いている女の子はまだ3年生だって。
すごいなぁ、親はもう塾に入れるんだ。

とは言え、北海道ではまだまだ少数派なのだろうけど、塾が終わるまで車の中で待っている親もいて、ずいぶんと教育に力を入れているのだなぁと思う。

せっかく親は高いお金を払って塾に入れているのだから、私もできる限りのことをさせてもらわなければ・・・と気が引き締まる思いがした。

さてさて、仕事を始める前は採点くらいならそれほど大変ではないだろうと思っていたのだったが、それは大きな間違いだった。

とにかく息つく間もないほど忙しい。

子どもたちがやり終えた問題を採点し、持ってきた宿題も採点するのだが、間違った箇所はやり直しをさせるべく新たに解答を書く欄を作ってあげる。

正しい答えがわかるまで何度でもやり直しをさせるのだが、例えば分数の計算で約分をしていないとか、英語では大文字で書くべきところを小文字で書いているとか、いいところまで行ってるけど惜しいという子がいて、それも何度もやり直しをさせるのだが、果たしてこの間違いに気づくだろうかなど余計な心配をしてしまう。

あまりに何度もやり直しをさせると、嫌気がささないかな~と心配になってしまう。(私なら嫌になるので)

本当は自分で気が付くまで考えさせるらしいのだが、ついつい小声で(なぜか小声になる)教えてしまった。ここは後で先生に確認しようと思っている。

それにしても悩むのが国語の採点だった。

自分の考えを書かせる問題は、解答集の模範解答と違うなんてのはザラなので、果たしてこれが正解なのかということを自分も問題を読んで考えなければいけない。

小学生の問題とは言え、これがなかなか難しい。

久しく使っていなかった脳みそをフル回転させて考える。何度も何度も読み返して考える。

あ~、つくづくさび付いた脳みそに差す油が欲しいと思った。

あっという間に終了時間となったのだが、これほど集中したのは何年ぶりかというくらい、周りの声も聞こえないくらいに集中した時間だった。

終わってみたら老眼の目はショボショボで疲れたけれど、気分はなぜかとても元気になったような気がした。
やっぱり子どもたちと接すると、元気をもらえるのかもしれない。

なんだかもう次に仕事へ行くのが楽しみになっている。








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初出勤

2016-07-11 14:00:00 | 日記
先日、関東に住む友人の一人が帰省したので、用事があった数名を除いて、今回は友人たち7名ほどが集まった。

これはもう恒例行事となっていて、一年に一度ではあるが、みんなで集まって昼食を食べている。

本州に住む二名の友人を除いて、ほかはみんな道内に住んでいるのだが、ふだんはそれぞれに忙しく過ごしているので会う機会もなく、友人の帰省に合わせて集まる機会を作っている。

一年ぶりの再会に近況などを話し合うのだが、今回はもっぱら健康についての話題が多かった。

やはり50代半ばともなると、みんな身体のあちこちにガタが来るようで「どこの病院がいい」とか「これを食べるといいみたい」などなど、健康談義はつきなかった。

それにしても、ついこの前までは育児の話が多かったし、その前は仕事の話が多かったし、さらにそのず~っと前だと、みんな独身で恋愛の話などで盛り上がっていたはずなのだが。

あぁ、年齢と共に話題も変わっていくものなのね・・・

これが80代になってお姑さんくらいになると、いつもいつもみんなで同じ話をするのだとか。

お姑さんによると「みんな同じ話しかしないよ。だって新しいことなんてないもの。だから、若い頃の苦労話をするのが何よりも楽しみ」なのだそうだ。

ふんふん、なるほど若い頃の苦労話か・・・

これはさすがに私たち55歳の若者(?)だと、まだしないわね~

っていうか、今まさにその苦労の真っ最中にいる人が多いからかもしれない。

50代というのは、男性も女性もいろいろと面倒なことが降りかかってくることが多くなる年代ではないだろうか。

職場にいれば、それなりに責任ある立場になり若い頃よりもメンタルな部分が大変そうだし、家庭の主婦であれば老親の介護の問題が起こってくる。

また他にもいろいろと起ってくる家族の問題なども解決していかなければいけない。

さらに追い打ちをかけるように、50代は自分の体調が思わしくないといったことも出てくる。

身体の変わり目だからなのか、はたまた老化なのか(多分こっち)若い頃の様に無理がきかなくなってきた。

集まった友人たちも、みんな多かれ少なかれ、そんな波の中にいるのだが・・・何故かみんな明るい。

愚痴も言わず、うわさ話や悪口の類も一切しない。

年に一度の会だから、楽しく過ごしたいとみんな思っているから、暗い話は誰もしないのだと思う。

パートに出ている友人の失敗談に大笑いし、またほかの友人が自分の娘よりも可愛いと言って見せてくれたペットの犬の写真に対して「これ、キツネ?」と失言した友人に「違うでしょ~!!」と、またまた大笑いする。

こんな風に笑って過ごして、帰ってきた後は、私もまた頑張ろう!と思える。

どうせするなら楽しく機嫌よく、家事も介護も仕事もしたいと思えるのは、やはり友人たちと会ったお陰だと思う。

さてさて、というわけで、今日はこれから初仕事に行ってきます。

ずっと頼まれていたことがあって、介護や家事に支障が出ないくらいの仕事を引き受けることにした。

楽しみでもあり、不安もありですが、行ってきます・・・







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いつか行く道。持って歩くものは・・・

2016-07-05 15:36:09 | 介護
高齢者住宅に住む父の所に行って来た。

言葉が出なくなってきた父が少しでも声を出すように、車椅子に乗った父を挟んで食堂の椅子に座り、妹と二人で必死に話しかけていたら、歩行器につかまりながら歩いて来たおじいさんが音もなく後ろに現れたので驚いた。

いつの間にか近づいて来ていて、気づかない間にそばに立っていたのだ。

ぼーっとした精気の無い表情のおじいさんは、きっと認知症なのかもしれない。

おじいさんが抑揚のない声で「これ、なんだかわかるか?」と言った。

指さす方を見ると、おじいさんの使っている歩行器にハンガーにかけた洋服がぶら下がっている。

紺色で腕の部分に金色のリボンがついているブレザー。中には同じ布地のズボンも見えた。

「あッ、どこかの制服ですよね!消防か警察かな?」

そう答えると、おじいさんは「青函連絡船」と教えてくれた。

「おじさん、青函連絡船に乗っていたんですか?」と言ったら、おじいさんは「そうだ!」と少し大きな声で胸を張って答えてくれた。

青函連絡船は昭和63年頃まで函館と青森の間を運航していた。

昭和63年に青函トンネルが開通するまで、津軽海峡を渡る青函連絡船は北海道と本州を結ぶ主要な交通ルートだった。

そして、そんな連絡船には私も中高時代の修学旅行で何度か乗った。

「青函連絡船の乗組員だったんですかぁ、おじさん、すごいなぁ~。私も乗りましたけど、その時に船を動かしていたのは、もしかしたらおじさんだったんですね!」と言うと、おじさんの目がキラキラしてきた。

「でも連絡船に乗ると、わたし必ず船酔いしていたんです」と私が言い、妹が「私も!最初は甲板に出て海とか見ているんだけど、そのうち気持ち悪くなってきて、ずっと寝ていました」と言ったら、おじいさんが初めて大きな声でケラケラ笑った。

そんな話をおじいさんとしていたら、職員さんがおじいさんを迎えにきた。

そして「○○さん、青函連絡船の話をしていたの?よかったわね~」と言って、おじいさんの背中を支えながら行ってしまった。

おじいさんにとって青函連絡船で働いていたことは、きっと人生の中で忘れられない出来事なのだろう。

というか、それがすべてと言ってもよいくらいなのかもしれない。

そう思っていたら妹が「私が歳を取ったら、何をぶら下げて歩くんだろう・・・」と言った。

「そうねえ、何だろうね。しゃもじとお玉とか?」そう言ったら、妹は「そうかも!」と言って笑った。

家族に食べさせることに情熱を注ぐ妹なので、歳を取って料理を作れなくなっても料理器具は持ち歩いているかもしれない。

じゃあ、私は・・・と考えると、掃除が好きなので掃除機を引っ張って歩いていたりして。
いやいや、歳を取ってからは筋力が衰えて掃除機を引きずるのも難しいかもしれないから、せいぜいモップくらいにしておこうかしらん。

その日、仕事から帰った夫に青函連絡船の乗組員だったおじいさんの話をした。

すると、やっぱり夫も同じことを言った!

「俺は何をぶら下げて歩いているのだろう」

人生の折り返し地点を過ぎると、みんな自分に置き換えて考えてみるものですね。

いつか行く道。





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バランスが大切

2016-07-04 17:45:17 | 日記
バングラデシュで起こったテロ事件は本当に痛ましい。

なんの落ち度もない人たちが、このように命を奪われてしまうとは。

被害者の家族の方が「はらわたが煮えくり返る思い」とおっしゃっていたが、まさにそのような気持ちになるのも仕方がないと思う。

ただどこへ怒りをぶつけてよいものか、過激な思想は叩いても叩いても世界中に広がっているように思える。

犯人たちの写真を見たが、手にした銃を除けば、どこにでもいるような若者だった。

そして、その笑顔だけを見れば、ふつうに優しさもあるように思える。

しかし、一旦過激な思想に染まってしまったら、このような残酷なことも平気でできるようになることが恐ろしい。

特に現状に不平や不満、また心に悩みを持つ若い人たちが、過激な宗教や思想に走るようで怖い。

「そこへ行けば、この渇いた心を救う答えを教えてもらえる」とでも思うのだろうか。

ところで父がまだ会話が普通にできていた頃、ふと自分の若い頃の話をしてくれたことがあった。

父が20代になったばかりの頃、共産主義に傾倒し活動をしていたという話だった。

当時の父は昼間は働き、夜は大学に通っていたので、そのような活動をする時間がよくあったと思うのだが、若かった父はすっかり共産主義の思想に染まり、同じ思想を持つ仲間たちと共に「世の中を良くするため」に、かなり一生懸命に活動していたのだそうだ。

当時は戦争が終わって間もない頃だったこともあり、共産主義に対する警察の取り締まりは今では考えられないほど厳しかったようだ。

実際に父も共産主義の活動をしたということで警察に捕まり、何日も留置場に入れられたことがあったという。

塀の向こう側で「不当逮捕!すぐに釈放せよ!」と仲間たちが叫んでいるのを、父は留置場の中で聞いていたそうだが、その時に父が何を思っていたのかということまでは聞くことができなかった。

そして、その後、父は「自己批判」をして共産主義の運動をやめたそうだ。

なぜ思想運動から足を洗ったのか、何があったのか、父にそのあたりのことを聞きたいと思っても、なぜか父はそれ以上は話したがらなかった。

それ以来、父は左から右になり、共産主義や社会主義を激しく批判する側になった。

だから私が知っている父は、どちらかと言うと右翼的な考えの持ち主だった。

きっと若かった父には、世の中に大きな不平不満があったのだろうと思う。

まだ日本が貧しい時代、父も貧しかったが、そのような思想が日本を良くする、世の中を良くすることができると真剣に考えていたのだろう。

ただ途中で自分の考えが間違っていたと180度考えが変わったのだが、なぜそう思ったのか是非聞いてみたかった。
認知症で言葉が出なくなった今ではもう聞くことはできなくなってしまったが・・・

私たちの周りには危険な宗教も含めて、たくさんの主義思想が溢れている。

私など普通の主婦のおばさんなので、あえて自分からはもうそういったものに近づこうとは思わないし、近づいてこられることもない(笑)のだが、大学へ通っているパインやピーチの話を聞くと、危険が一杯といった感じがしている。

純粋で無知な若者を騙す?ことなど簡単なことだろう。

だから過激な宗教や思想に染まり妄信しないためには、たくさんの本を読んだり他人の話を聞いたりして、いろいろな思想や考えに触れることもひとつではないかと思う。

知識を頭の中に蓄えておけば「これは変だぞ」と思えるのではないかと思うのだが・・・






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