ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

心の風景

2015-01-26 17:10:03 | 介護
高齢者住宅に居る父が最近ますます寝て過ごすことが多くなってきた。

父の担当医からは、「まだ身体は動くので、もっと外出したりデイサービスを利用したりする方がいいです」と言われているのだが、なんせ父の気力がない。

父には、このまま寝たきりになってほしくはないのだが、そのように言っても本人に気力がないのが難しいところだ。

子どもと違って、無理やり動かすことなどできない。

ますます足の筋力が落ちてきていると思うと、歯がゆいばかりだ。

ところで、父はレビー小体型認知症と言われているが、アルツハイマーと違って、会話の方はまだわりと普通に成立している。

しかし時々、過去のいくつかの出来事が混在してしまうことがあるようだ。

父の部屋で壁に貼ってある写真を見ながら、父と話をしていたときの事だった。

それは去年、父と一緒にヤギのいる公園へ行った時の写真で、父がヤギに餌をあげている姿が写っている。

「ヤギがなついて可愛かったよ。でも鳥も可愛かったなぁ」

そう言う父の言葉に「えっ、鳥もいたかな?」と思った。

そのまま父の話を聞いていると「あの時、鳥がたくさん来て、お父さんの胸や肩に止まったんだ。可愛かったよ」と父が続けた。

そこまで聞いて、父の頭の中で飼っていた鳥の思い出と公園のヤギの思い出が混ざっているのだなと分かった。

にこにこと嬉しそうに父が話すので、訂正せずに話を聞いていた。

「ところで、最近はあの二人組の男たちが来なくなったなぁ」と父が言った。

二人組の男というのは、父にしか見えない幻覚で、幻覚はレビー小体型認知症の症状の一つでもある。

「いつも夜中に部屋に入ってきて、何をしに来たのかと聞くとばつが悪そうにへへへと笑って、頭を掻きながら出て行くんだよ」と父が教えてくれる。

この話はいつも一貫して同じなので、父にはそう見えているのだろう。

それにしても父が叱りつけると、へへへと笑って頭を掻きながら出て行くなんて、なんとも情けなくユーモラスな感じさえする二人組だ。

「でも、その男の人たち、すぐに出て行ってくれてよかったね。居直られて怖い目にあったら大変だものね」と父に言うと「ホントだな」と父が笑った。

看護師さんに聞いたところによると、レビー小体型の人は、人によって様々な幻覚を見るらしい。

トイレに入るとトイレのタンクに人が座っているのが見えるとか、家具と家具の細い隙間からこちらを見ている人が見えるとか。

ひえ~、家具の隙間からこちらを見ている人がいるなんて怖すぎるわ!

それにしても、そのようなユーモラスな不審者の幻覚を見たり、小鳥と遊ぶ思い出を話す父は、穏やかな心境の中にいる現われなのかもしれないと思う。

もしも地獄というものがあるとしたら、それはその人の心の風景なのだと思う。

恐ろしいものを見る人は、そのような恐ろしい心を持ち続けてきたのかもしれない。

昔、怒りの炎が燃え続けて、自分でもどうしたらよいのか分からなかった時、非常におぞましく醜い姿の魔物を鏡の中にみた気がした。

あのままの心境で今も過ごしていたら、きっと私はその魔物たちがウヨウヨいる世界に行くのだろう。

そして今も鏡の中に魔物たちを見ていたのかもしれない。

老いた時に、父のように穏やかな心境で過ごして生きたいものだと思いながら、父の部屋をあとにした。





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入試はじまりました

2015-01-22 14:15:31 | 日記
今月17日と18日に次女ピーチのセンター試験が終わり、平均点および志望校合格の可能性などが出た。

これまでずっと志望校をどこにするかであれこれ迷っていたピーチだったが、センター試験の結果でおのずと受けられそうな大学が決まった。

というか、もうほとんど選択肢がないような(汗)

ところでセンター試験の一日目は猛吹雪になった。

とくに試験が終った頃は吹雪が一段と激しく、前が見えなくなるほどの「ホワイトアウト」状態だった。

試験会場まで車で迎えに行くのも難しい状態だったが、ピーチから「友達とバスで帰るから迎えは来なくてもいい」とメールがあり家で待っていたのだが、ピーチの帰宅はずいぶん遅くなってからだった。

話を聞くと、吹雪の為バスが待てど暮らせど全く来ず、猛吹雪の中でずっとバスを待ち続けていたのだとか。

もちろんピーチ以外にも待っている人はたくさんいて、少しでも吹雪を避けるようにと、一般のお客さんも受験生もみんなで一ヶ所にかたまり身体を寄せ合って立っていたのだそうだ。

そのように一団となって吹き付ける強風と雪に耐えながら、いつ来るとも知れないバスを待ち続けていたら、やっとバスが来て、「地獄に仏」とばかりに急いで乗り込もうとしたら、なんとそれは別の路線を走るバスだったそうだ。

猛吹雪の中で寒そうにバスを待っている人たちを見て、通りかかったバスの運転手さんが本当は停まるべき場所ではないバス停に停まり、待っている人たちを乗せて最寄の地下鉄駅まで送ってくれたとか。

「いい運転手さんで本当によかった。あのまま立っていたら凍死していたかもしれない」

冷え切った身体で帰宅したピーチが冗談を言った。

でもいい運転手さんが乗せてくれなかったら、冗談ではなくなっていたかもね・・・

思い起こせば長男パインの時もそうだったが、大学入試の時期、一月中旬から二月というのはもっとも天候が厳しく荒れることが多い。

もしも吹雪や大雪になれば交通に遅れが出るし、中には用心して同じ市内であっても試験会場近くのホテルに泊まりこんでいる生徒もいるとか。

またこの時期は、流行するインフルエンザにも気をつけなければいけない。

例えば、入試を真冬ではなく夏にやって秋入学というのはどうなのだろう。

外国ではほとんどがそのようになっているらしいが、日本は難しいのだろうか。

やはり桜の咲く時期に卒業入学というのが定番で、それを変えるというのは嫌だという意見が多いのかなぁ。

「それよりも会社の採用や各種資格試験などの絡みがあって難しいんじゃないか?」と夫が言った。

なるほど・・・

それはさておき、問題はピーチの受験だ。

これから二次試験や私立の試験などが控えている。

ところが、本人はいたってのんびりしている。

けっして希望的展望が開けているわけではないのだが・・・

ピーチ曰く「志望校には合格したいけれど、もしもダメなら道内の私立に行こうと思ってるから」だそうだ。

親としてもこれはとても複雑な心境だ。

志望校に合格してほしいと願っているが、そうなれば本州に出さなければいけない。

女の子の一人暮らしはなにかと心配だ。

その点、家から通える私大なら健康面も見てあげられるから安心だ。

でも、志望校には合格して欲しいし・・・

とにかくなるようになって行くのだろう。

私が心配したところで仕方がない。

・・・とここまで書いていたら、リビングからお笑いのDVDを見て「アハハハ~」と大笑いしているピーチとオカメインコのP太郎の笑い声が聞こえてきた。

余裕あるぅ~

いや、ただ呑気なだけね・・・






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植物との交流

2015-01-16 15:30:54 | 日記
私は植物を育てるのが好き。

今、家の中ではセントポーリアやランの花が咲き乱れております。。。



また、写真ではすでに花の盛りは過ぎてしまいましたが、カゲツまたの名を「金のなる木」も、毎年たくさんの花をつけてくれます。



ところでこの「金のなる木」、なかなか花が咲かないという話を聞く。

いつも我が家に遊びに来る叔母にも「どうやって花を咲かせるの?うちのはぜんぜん咲かないのだけど」と言われた。

そこで叔母には「それはあまり過保護にしないこと」と教えた。

義母もそうなのだが、植物かわいさのあまり、季節に関係なく頻繁に水をあげる人が多いように思う。

水のやりすぎは根腐れの原因になるので、私は今の時期ならせいぜい一週間に一度くらいしか水やりはしない。

土をさわって乾いているかを確認してから水をあげている。

さらに叔母には次のようにアドバイスをした

「金のなる木は春になって気温が上がってきたら軒下に出すのがいいですよ。
あとは雨水のみで夏の間も水はほとんどあげない。
最初は葉が落ちるけれど気にしないで。
あくまでスパルタ教育でビシバシと(冗談)。
スパルタだけど優しく見守ってあげて。
そして、秋になって気温が5度以下になったら室内に入れてね。
そうすると来年花が咲くかもしれないですよ」

このようにエラそうに叔母に教えていた私だが、実は植物を瀕死の状態にまでしてしまうことも珍しくない。

最近では「ローズマリーちゃん」と「榊くん」を息も絶え絶えの状態にまでしてしまった・・・

ローズマリーは昨春に小さな苗を購入し、ずっと庭で育てていたのだが、越冬できないので秋に室内に取り込んだ。

最初は元気だったローズマリーが、ある日から急に枯れてきてしまった。

また榊の苗は昨年秋にたまたま園芸店で見つけて買ったのだが、その時、お店の人から北海道では越冬できないので室内で育ててくださいと言われた。

そこで榊を鉢に植え替えて室内で育て始めた。

ところが榊もしばらくは元気だったのに急に葉が枯れ始め、ついには幹と枝だけを残して丸坊主になってしまった。

ローズマリーも榊も比較的じょうぶで育てやすいと聞いたが、やはり植物も新しい環境(その家)に慣れるまで時間がかかるのかもしれない。

ローズマリーと榊が元気が無くなってきた時、どの場所がいちばん合っているのだろうかと鉢を持って室内をうろうろしながら、色々な場所に置いて様子をみたことがある。

その時は「植物が口を聞いてくれたらいいのに」と心から思った。

「そこは日差しが強すぎてダメよ、ダメダメ~」とかなんとか言ってくれれば分かりやすいのに。

結局ローズマリーは午前中に日差しがさんさんと入る場所に、そして榊は北側のあまり日差しが強く入らない場所に落ち着いた。

今はローズマリーちゃんは無事に復活し、元気に青々とした葉を茂らせている。

また一時はもうだめかと思った榊くんも、丸坊主になった枝に最近小さなつぼみがついているのを発見して大喜びした。

植物に対して愛情を持って声をかけたりして育てると、植物はそれに答えてすくすくとよく成長してくれると聞いたことがある。

医師であった塩谷信男さんによると、これはどうやら本当のことらしいと言う。

古代では、岩も木も草もみんな人間と交流していると信じられていたそうだ。

そして塩谷さん曰く「草や木も生き物である以上、人間との感情の交流、意思の交換、対話などが可能なのです」とのことだ。

塩谷さんの住むマンションでのお話。

塩谷さんの部屋の窓をふさぐように二本の樹木が伸びてきたことがあったそうだ。

そのまま樹木が伸びると窓からの景色が何も見えなくなってしまうので、塩谷さんは樹木に向かって語りかけたそうだ。

「悪いが、これから海のほうへ向かって伸びてくれないか。潮風に逆らうことになってつらいだろうが、何とか頼むよ」

すると樹木がそれに答えるかのように、幹を海の方へ曲げてくれて、窓からの景色が見えなくなることはなかったそうだ。

塩谷さんのお話は本当なのだろうと思う。

植物も生き物である以上、交流や対話は可能なのだと私も思う。

今は元気になったローズマリーちゃんと榊くんに、励ましの言葉をかけている毎日です。。。











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もうひとかき

2015-01-09 15:54:10 | 日記
「今年は雪が少なくていいわ~。雪かきが楽ちん♪」と思っていたのが昨年暮れ。

「そうは言っても、絶対に帳尻が合うんだよね。必ずどっか~んと(雪が)来るんだよ」

誰かがそう言っていたが、やっぱり来ました。どっか~んと・・・

ここ数日の天気は大荒れだ。

雪もさることながら、風はまるで台風並み。

外はどんどん雪が降り積もって行くが、雪かきをしたくても風が強くてなかなか外に出られなかった。

そのような中、風と雪がすこし静かになった頃合いを見て、雪かきをするために外へ出た。

ご近所の方も同じことを考えてか、みなさん出てきてもくもくと作業をしている。

このような時は、ご近所の方と顔を合わせても軽く会釈をする程度で誰も話をしない。

仲が悪いとか近所付き合いがないというわけではなく、ただ目の前の雪を捨てることだけで頭がいっぱいなのと、重労働の雪かきで息があがり話をする余裕がないということだと思う。

さて雪かき。

玄関を出て外の光景を目にした途端、あまりの雪の多さに絶望的な気持ちになったが、気を取り直して積もった雪の中に入っていく。

まずスコップで雪を集め大きな雪山を作る。

それから、おもむろにその雪山にママさんダンプを勢いよく突入させる。
(身体ごとぶつかる感じで。最後は足でママさんダンプを押したほうがよろしいかと思います・・・)

ママさんダンプにできるだけたくさんの雪を載せたら、こんどはそれを裏の森まで運んでいって捨てる。

ママさんダンプは昨年に通常の1.5倍は雪が積めると言う大型サイズを買ったのだが、この大雪では大型ダンプであっても何度となく森まで往復しなければならなかった。

まるで自分が白い砂糖(雪)をすこしずつ巣穴に運ぶ蟻になったような気持ちがした。

ママさんダンプを押して歩くと、かなりよい運動になり氷点下の気温でも汗ばんでくる。

蟻のように雪を運び続けること一時間あまり・・・

徐々に雪山が小さくなって行き、ついに全部運びきった。
(けっこう達成感があったりして)

しかし、これで終わりではない。

最後にこぼれた雪をかき集めて綺麗にする。

さらに自宅前だけではなく、両隣のお宅の前の歩道もスコップでひとかき、ふたかきして終了となる。

ここは公道なのでやらなくてもいいと言えばいいのだが、やはり歩行者のことを考えてか、ほとんどの方は自宅前の道路も除雪している。

さらにはなんと車道まで雪かきをしている善意のかたまりのような方もいらっしゃって頭が下がる。
(車同士がすれ違えるようにということです)

私はそこまで体力が続かないので歩道までで終了としているが、お隣さんがまだ除雪をされていない時は必ず「もうひとかき」をお隣さんの敷地前まで除雪することにしている。

別に頼まれたわけでもなく、そのような取り決めをしたわけでもないが、この辺りの家々では早く除雪をした方が、やや多目にお隣の敷地まで除雪をするようなことが自然にされている。

かといって、これは強制でもなんでもないので、いつもこちらがやるばかりの時もあったり、「えっ、こんなにやってくれたの!?」と言うくらいこにこちら側まで除雪してくれたりすることがある。

それはお互い様であって、隣家の敷地まで雪かきをやってもやらなくても誰も何も思っていないと思うが、自然発生した小さな思いやりの「もうひとかき」はよい習慣だな~と思う。











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ピロリ菌

2015-01-06 16:33:25 | 健康
私は胃腸があまり丈夫ではないのだが、お正月というとつい食べ過ぎてしまい、いつも胃腸が重苦しいという症状が出ていた。

しかし、今年はそのような症状も無く絶好調~!なのです。

なぜ今年は絶好調なのかと言うと、それは多分昨年12月にピロリ菌の除菌をしたせいかもしれない。

ピロリ菌というのは、その呼び名の可愛らしさとはまったく違い胃癌の原因にもなるかもしれないという怖い菌。

日本人の半数が感染していて、50代以上ではなんと70パーセントが保菌者とも言われているそうだ。

ちなみに感染は大人になってからはなく、幼児の頃に5歳頃までに感染すると言われている。

50代以上が多いのは、その年代が幼児だった頃、日本はまだ下水道が整備されておらず井戸水を飲んでいたからだそうだ。

たしかに私が子供の頃もポンプでくみ上げた井戸水を飲んでいた記憶がある。

ところで胃痛というのを初めて感じたのが高校生の時だった。

土曜日の授業が終わり、放課後の部活動に出るためにおにぎりを食べていたところ、胃に今まで感じたことのなかった痛みをおぼえた。

どんどん痛みが強くなり、この痛みではもう部活に出るのは無理だというので友人に付き添われて帰宅することにした。

友人と一緒の時は自分の足で歩けていたのだが、友人と別れて一人になってから急に激痛が襲ってきて、うずくまった状態のまま動けなくなってしまった。

周囲に人の姿は無く、よろよろしながらもなんとか公衆電話に辿り着き、家に電話をした。

幸い土曜日で早く帰っていた父がいたので、車で迎えにきてもらうと、そのまま病院へ直行することになった。

当時、病院での診断は「急性胃炎」だった。

注射を打ってもらったら、うそのように痛みが消えて、その後はそのような症状が出ることも無かったのだが、30歳になってからまた胃痛に悩まされることになった。

胃の痛みは突然くる。

それも高校生の時のように、うずくまったまま動けなくなるほどの痛さだった。

その度に病院で胃カメラ検査をしてもらったが、軽い炎症が起きている程度だと言われた。

軽い炎症でこんなに痛みが強いなんてと思ったが、その頃はよく激しい胃の痛みに悩まされていた。

今思うと、たぶんストレスによる胃痛だったと思う。

あの頃は育児が大変な時期で、そのような自覚はなかったが、無意識に強いストレスを感じていたのだと思う。

で、どうにかこの胃痛を治す方法はないものかといろいろ試した結果、私の場合、玄米を食べると胃痛が起こらないということが分かり、以来ずっと玄米食にしていた。

ところが40代後半になってから、昔のような激痛はないが、なんとな~く胃が重いということが起きるようになった。

もはや玄米でもダメかと病院で検査をしてもらったところ「慢性胃炎」と言われてしまった。

ただし薬を飲むほどのものではないそうだったが、慢性胃炎は胃癌に移行しやすいので、毎年胃カメラ検査は欠かさずにしていたのだが、2年くらい前に医師から「ピロリ菌がいるかどうか調べましょうか」と言われ、ピロリ菌の検査をしたことがあった。

その時の結果は「ピロリ菌なし」だった。

それを聞いて「本当にいないのかなぁ」と疑問に思っていた。

なぜなら私の妹はピロリ菌が原因で起きる「胃潰瘍」になったことがあるし、母なんて胃癌で亡くなっている。

一緒に暮らして同じ水や食べ物を身体に入れていたのに、私だけピロリ菌がいないなんてことはあるのだろうか?と思っていた。

そして昨年のこと。

いつものように胃カメラの検査を受けたのだが、その時は胃の調子があまりよくなかった。

それを医師に告げると「もしかしたらピロリ菌がいるかもしれません。検査をしてみましょう」と言われ、再びピロリ菌検査をしてもらった。

すると、今度は陽性つまりピロリ菌が胃の中にいますとの結果が出た。

「二年前に受けた時はいないと言われたのですが、最近感染してしまったのでしょうか?」と聞いたところ「それはないです。今の検査は以前より性能が上がったので、前には発見できないくらいのピロリ菌でも発見できるようになったということです」と言われた。

つまり私の胃の中にわずかに居て、隠れていたピロリ菌を今回は発見したということだろうか。

「ピロリ菌の除菌したいですか?」と聞かれたので「お願いします」と答え除菌をしてもらった。

ピロリ菌の除菌には抗生物質を七日間飲む。

一度失敗すると、その抗生物質は免疫ができて使えなくなるそうだ。

そして、残りのチャンスはあと一回だけしかないそうで「絶対に飲み忘れることなく飲み続けてください」と念を押された。

(ピロリ菌の除菌に効く抗生物質が2種類しかないらしい)

聞くところによるとピロリ菌の除菌は副作用が辛いとか・・・

私の知人で除菌をした人は「もうゲロゲロでホントに苦しかった」と言い、夫の同僚で除菌した人は「ゲロゲロ状態でひどい目に遭った」と言っていた。

共通点は「ゲロゲロ」か・・・

しかしこれで胃痛から解放されるのなら、どんなゲロゲロも耐えようと覚悟を決めて薬を飲み始めたのだが、これがいくら待っても「ゲロゲロ」は来なかった。

私の場合まったく副作用がでなかったようで、ゲロゲロになることなく快適な一週間を過ごすことができた。

そして無事、除菌は成功。今後、慢性胃炎は治っていくでしょうとのことだった。

バンザイ~

最近とても胃の調子が良いのは、気のせいではなくピロリ菌がいなくなったからだと思う。











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今年の目標

2015-01-05 17:03:31 | 日記
お正月が終わり、やっといつもの日常が戻ってきた。

ここ数年はいつもの事なのだが、相変わらず忙しいお正月だった。

お正月中は長男パインが久しぶりに帰っていたので、大食いパインの為に、ある時は「食堂のおばちゃん」と化し、またある時は年末に手を傷めた87歳のお姑さんの「ヘルパー」となった。

さらに、ある時は来客をもてなす「長男の嫁」になって、そしてある時は実家の父を見舞う「娘」にもなった。

そんなわけで、お正月中はいろいろな役回りを演じなければならなかったので忙しかった。

本当はお正月はソファに寝転んで「読書三昧」をしていたいと思っていたのだけど、女優業が忙しく、なかなか読書の時間をとっている時間がなかった。

それでも深夜、眠い目をこすりながら何冊か本を読む事ができた。

読みたい本はどっさり貯めてあった。

その中から適当に取り出して読み始めたのだが、読書中に偶然なのだが同じ意味のフレーズがまったく別々の本から何度も繰り返し出てきたことは、今回とても面白い現象だった。

そのフレーズとは「私たちはみんな生まれたときから完璧で素晴らしい存在なのだ」ということ。

本によって少しずつ言い方は違っていたが、意味はみな同じだった。

以前はこの言葉を読んだとしても、あまり心に残らなかったかもしれない。

「それは理想であって、そんなことあるわけないでしょ。だって私は完璧でもなく素晴らしくもないもの」

きっとそのように思ったはずだと思う。

でも今はその言葉がとても心に沁み渡る。

本当の私は・・・そして誰もがみんな本当は完璧で素晴らしい存在なのだと思える。

このように同じ言葉でも時間が経つと、自分の感じ方が違ってくることも読書の面白さだと思う。

それにしても本当は誰もが素晴らしい存在のはずなのに、自分で自分をそう思えないことのは「思い込み」のせいだった。

小さい頃からの間違った教育、競争と比較の教育は本当の自分を奥へ奥へ押し込んでしまった。

私なんてだめな人間。

何度わたしもそう思ってきたことだろう。

その度ごとに本当の自分がどんどん隠れてしまったことに気がつかなかった。

まず自分で自分を好きになること。

そして自分自身を大切にすること。

他人を傷つけるような犯罪を犯す人は、自分自身のことも同じように傷つけている可哀想な人なのだろう。

自分自身を大切にして、さらに先祖も、他人も、他の生き物たちも大切にしていると、自分自身を信じることができるようになるのではないだろうか。

太古の人たちが本能に従って行動していたように、自分自身を信じることによって、より良い選択ができるようになっていくのではないだろうか。

以前このブログにも書いたが、パインのことを心配していた時、本当の自分は「パインは大丈夫だ」と言っているのに、私は自分が信じられずオロオロしていた。

さらに警備会社の方にまで、ご足労をおかけしてしまった。

あぁ、なんて私はダメな人間・・・

って、これが間違いなのよ~

間違ってもいいのだ。

それが今の自分。

今年は「思い込みを手放す」

これを目標にしたいと思います。ハイ。








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