ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

エルニーニョ

2018-11-28 17:44:14 | 日記
先日、雪かきをするほど降った雪は、その後、気温の高い日が続いたため、ほとんどが消えてしまった。

雪があると車の運転も怖いので、雪が融けてなくなってくれたのは嬉しい。

ところで今月の初めに「エルニーニョ現象」が発生したとの発表が気象庁からあったが、もしかしたら今年は雪が少ないのかもしれないと期待ができそうだ。

雪が少なくて困る業種の方々には申し訳ないが、一般生活を送るうえでは除雪の負担や運転面での危険が少なくなるので雪が少ないことに越したことはない。

この「エルニーニョ現象」とは何かというと、南米ペルー沖の海水温が通常よりも高い状態が続き、それが異常気象となって世界中に波及するというものだそうだ。

ちなみに「エルニーニョ」はスペイン語で「男の子」を意味するそうで、困ったちゃんの男の子がお天気に対していたずらをするようなイメージだそう。

この反対に通常よりも低くなる時は「女の子」という意味の「ラニャーニャ」と言って、同様に異常気象をもたらすようだ。

ところで、ここまで書いてお天気とは全く関係のないことを書こうと思うのだが、最近ずっと小さな男の子のことが気になっていた。

その男の子は3日連続で夢に現れた。

一日目の夢では、まだ幼児にもなっていない乳児だった。

おくるみにくるまった、その赤ちゃんが男の子だということを私は知っていた。

いつの間にか赤ちゃんは私の腕の中にいて、私を見あげて笑っていた。

その笑顔がもうとろけるほどの可愛らしさで、夢の中で「なんてかわいい子」と思った。

ところが目が覚めると同時に、どんな顔だったのかすっかり忘れてしまい、ただ可愛いと思ったことだけは鮮明に残っていた。

なぜ赤ちゃんなんかの夢を見たのだろう・・・
我が子が赤ちゃんだった頃を思い出して夢を見たのだろうかとも考えたが、その男の子は我が子ではないという確信があった。

どうしてか分からないが、それは間違いなかった。

そんな夢を見たことも忘れて眠った二日目。

また同じ男の子が夢に現れた。

正確には同じ男の子なのだが、もう赤ちゃんではなくて、小学校一年生くらいに成長している姿になっていた。

私は、成長した男の子と手を繋いで歩いていた。

赤ちゃんの頃と同じく可愛らしい男の子だった。

歩きながら、二人でなにか話をしたように思うが、何を話したのか憶えていない。
また男の子の顔も見たのだが、思い出そうとすると、顔の部分がぼやけてしまって思い出すことができない。

それにしても、二日続けて同じ男の子の夢を見るなんて珍しい。
しかも、同じ人物が一夜で成長している夢を見るのは、これまで一度もないことだった。

その日の夜。
「まさか三日目はないだろう」と思って眠ったら、明け方にまた同じ男の子の夢を見た。

三日目の男の子はさらに成長していて、今度は中学生くらいになっていた。

中学生と言えば、もう子ども扱いはできない年齢ということもあって、大人に接するように話した気がするのだが、やはり何を話したのか思い出せない。
記憶はすっぽりと消えていた。

そして中学生くらいになっていた三日目を最後に、同じ男の子の夢はもう見ることはなくなったのだが、たまにあの子は誰だったのだろうと思うことがある。

私の勝手な解釈だが、もしかしたらあの子は家系に関係する水子のひとりだったのではないだろうか。

毎日欠かさずに行う先祖供養では、家系に関係する水子の供養もしている。

私自身も二人流産しているので、その子たちを供養したいと先祖供養を始めた頃には思っていたが、今は家系をずっとさかのぼって、きっとたくさんいらっしゃるであろう水子さん達が一人でも多く昇って行かれるようにという気持ちでお線香をあげている。

ところで以上のような話は、人によっては「それが何か?」と言われるような内容にしか聞こえないかもしれない。

特に口に出すと、もっとそう思うだろうという気がするので、書くことは別にしても他人に向かっては話すことはしない。

実は昔はそうではなく、経験したことを普通に他人に話していたこともあったが、前述のように「それが何か?」という顔をされることもあり、「どうしてこの人は、この感動がわからないのだろうか」と話した後に思っていたこともあった。

でも、それは他人には話すべきことではなかったということに気づいたのは、それからずっと後になってからのことだった。

特に先祖供養や床供養では、自分にしか分からないような「気づき」や「感動」を経験することがあり、このように文章にしたとしても、自分の内面で起こったことをすべてうまく書き切れる自信はない。

なぜなら、これらの感動や気づきは他人には関係の無いことで、自分で受け止めて、自分で向き合って、そしてひとりで進んで行くことだから。

とはいえ、同じように進むたくさんの方たちのために、ブログという媒体に書き留めておきたいと書いてみました。

エルニーニョ現象から霊現象の話になってしまいましたけどね・・・









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冬のハエ

2018-11-22 17:33:00 | 日記
今日は、朝から味噌作りをしていた。

手前味噌のおいしさにハマってから、年に二回は味噌を仕込んでいるのだが、毎回材料の配合を変えてみたり、自分で作った酵母を加えてみたりと研究を重ねている・・・と言っては大げさすぎるが。

今まで味噌作りをして思うのは、味噌の美味しさは大豆の旨さというよりも麹の美味しさで決まるのではないだろうかということで、近場のスーパーで買ってきた大量生産の麹よりも専門店で買ってきた麹の方が美味しいと思うのは、多分、私の思い込みだけではないと思う。

というわけで、今回味噌作りに使った麹は、市内にある麹専門店まで行って買ってきた。

味噌は仕込んでから半年後くらいから食べられるので、どんな風に仕上がっているか、今から楽しみです。

しっかし、味噌作りは時間がかかる。

まず、昨日から水に浸しておいた大豆を柔らかく煮るのだが、私は圧力鍋を使っている。

大豆はできるだけ柔らかくしたいので、圧力鍋の重りが動いてから15分、火を消してから15分放置している。

そして、この作業は大豆の量が多いため二回繰り返す。
これだけで単純に計算しても1時間だが、実際は鍋を洗ったりしているので、もっと時間がかかる。

で、大豆を煮ている間に麹の塩切をし(麹と塩を丁寧に混ぜ合わせる作業です)、味噌を入れる容器を洗って消毒して・・・などなどしているうちに、あっという間に半日が終った。

冬は日が暮れるのが早い。なんだか、味噌作りで一日が終わった気分。。。

ところで先日やっと初雪が降った。

外はこんな感じで、今も雪が降っている。



シマエナガちゃんたちがいた大きな木にもたくさんの雪が積もった。

あれからたびたび窓の外を見ているのだが、シマエナガちゃんたちを見ていない。

というか、他の野鳥たちも雪が積もってからほとんど姿を見せなくなった。

エサを求めて別の場所に行ったのかな?

せっかく野鳥の観察を楽しみにしていたのに残念です。

しかし、その代わりに野鳥観察ならぬハエの観察をしていた。

こんなに寒くなったのに、しばらく前から一匹のハエがリビングの窓の外側にずっとしがみついていた。

ずっと動かないので、もしかしたら死んでいるのかと思ったら、わずかに移動したので生きているとわかった。

窓ガラスには網戸もあって、ハエは網戸の隙間から入ったのだと思う。

ハエは、網戸があるから自由に飛んで行けないのではないかと思い、網戸をずらしてみたのだが、もう飛ぶ元気もないようで、日中ずっと日差しのある窓でじっと動かずにいた。

そして、日が暮れ始めて気温が下がってくると、どこか風の当たらない所へ移動するのか姿が見えなくなり、朝になるとまた日差しのある場所に現れてじっとしていた。

このハエに気づいてから、毎朝、今日も生きているだろうか、生きていて欲しいと思いながらカーテンを開けていた。

寒いだろうに、かわいそうに、と思いながら毎日ハエを観察していた。

思えば夏の盛りにハエが家の中に入ってこようものなら、殺虫剤を持って追いかけていたのに、今は少しでも長く生きてほしいと思っている。

この違い。我ながらなんなのかと思う。

うまく言えないが、「命のはかなさ」というようなものが、このハエから感じられたのだと思う。

小林一茶のような俳句を作れたらいいのに。うまい文章が書けない悲しさ・・・

ハエは、昨日から姿を見せなくなった。

そして、もう二度と見ることはないだろうと思う。

もうハエの観察ができないと思うと、少し寂しい。









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冬の楽しみ、シマエナガ

2018-11-16 16:00:56 | 日記
家の裏庭に面した森林の木々のほとんどが葉を落とし、茶色の幹だけになった森林はなんとも物悲しく感じる。

しかし、葉が落ちたことで嬉しいこともある。

それは、野鳥の姿が見えやすくなったこと。

葉が茂っている時期は、鳴き声はすれど、なかなかその姿を見ることができなかったが、今はすぐに見つけられるようになった。

今朝も鳥たちのにぎやかなさえずりがしたので、窓の外を見てみると、大きな木の枝にたくさんの小鳥たちがいた。

いつも見かけるシジュウカラとゴジュウカラ。・・・と、そこに混じって見慣れない小鳥たちがいた。

目を凝らしてよ~く見ると、尾が長くて身体はずんぐりとした雪だるまのような鳥だった。

もしかして・・・と思って、双眼鏡で確認したところ、思った通り「シマエナガ」だった。

シマエナガは、その姿の愛らしさから、最近人気の野鳥だとは知っていたが、家の近くでその姿を見ることができたのは初めてだった。

昨今の人気ぶりがわかるように、なんと可愛らしい姿の小鳥。

先日のゴミ捨て場にいたカラスも可愛かったが、シマエナガも負けず劣らず可愛らしい。

なんとか写真に撮りたいと、シマエナガを見られた興奮で、心臓バクバク状態でカメラをかまえたのだが、シマエナガが小さくて動きが速く距離もあったのでうまく撮ることができなかった。
残念。

というわけで、他から写真を借りてきました。

シマエナガ↓



ねっ、可愛いでしょ?雪の妖精とも言われているとか。

今日はお昼過ぎにもまた他の小鳥たちに混ざって大きな木にやって来ていたので、この冬はこの辺りで過ごすのかもしれない。

これでまたひとつ、冬の楽しみが増えましたわ。

そして冬の楽しみと言えば、やっぱり温泉。

私の場合、温泉は、もはや冬だけの楽しみではなく一年を通しての楽しみになっているのだが、やはり寒い季節にあったまる温泉は最高ー!

というわけで、昨日は長女と二人きりだったので、夕食を作らずに温泉へ行ってきた。

岩盤浴で汗を流し、温泉へ入ってから食事をした。

普段は胸やけするので滅多に天丼は食べないのだが、昨日は隣で若いお兄ちゃんが美味しそうに天丼を食べているのを見て、めずらしく天丼を頼んでしまった。

途中でやっぱり胸焼けして、長女に天ぷらをあげたのだが、夕食の支度も後片付けもしなくてよいというだけで幸せ。
胸焼けはしたが、他人が作ってくれた天丼は美味しかった。

食事のあとは長女の好きな番組をやっていたので、レストランでそのままテレビ鑑賞をして、すこし身体が冷えたので再び岩盤浴と温泉であったまった。

いつもはすぐに「のぼせた。もうあがりたい」と文句を言う長女が、昨日は最後まで文句を言わずに私につき合ってくれたので、心ゆくまで温泉を楽しむことができた。

長女には障害があることもあって、今後のことなど心配すればキリがないのだが、それは今心配しても仕方がないことであり、その都度、最善の道を模索していくだけ。

今を、この一瞬一瞬を心ゆくまで楽しむということがどんなに大切なのことなのか、これまで生きてきた長い時間と紆余曲折を経てわかったことだ。

というわけで楽しみはいろいろとあるのだが、まずは今年の冬もやっぱり温泉と、そこに新たにシマエナガちゃんたちの観察という楽しみが加わった。







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夫の部屋

2018-11-13 12:57:21 | 日記
夫が突然バイクを止めた。

あれほど「もう止めたら?」と言っても止めなかったのに、ある朝、起きたら突然にバイクを売ってくると言い出した。

一体、どうしたのかと聞いてみたら「今年還暦を迎えて徐々に注意力が落ちてきた。だから、そろそろ止める時期だと思っていた」そうだ。

夫は学生時代にオートバイにハマり、ずっと乗っていたが、就職を機に止めたそうだ。

しかし、40代後半になり仕事のストレスで身体に不調が出るようになって、再びバイクに乗るようになった。

バイクに乗ったことがない私は、「車と違って生身なんだから危ないんじゃないの?」と止めたのだが、夫は安全運転をするから大丈夫だと言い、万一ぶつかってもダメージが少ないというスーツを買うと言った。

「バイクは無理をしなければ安全な乗り物だ」という話を夫からこんこんと聞かされ、それで仕事のストレスが少しでも和らぐのならばと、私は渋々承諾したのだが、息子が年頃になってバイクに興味を持ち始めると、今度は止める側になっていた。

息子に「危ないから乗るな」と言っているのを聞いた時には「な~んだ。やっぱり危ないと思っているのか」と思ったものだったが、自分が乗るのと子どもが乗るのでは違うのだろう。
(待っている者の気持ちが少しはわかったかな?)

というわけで週末になると、夫は嬉々としてバイクに乗って出かけて行く生活が当たり前になっていたのだが、バイクに乗っていることに慣れたとは言え、やはり家に帰って来るまでは心配だった。

このようにバイクをこよなく愛していた夫が、突然バイクをやめると言い出したことには驚いたが、自分で見切りをつけて止めてくれたことは素直に嬉しかった。

ところでバイクを売りに行って家に戻って来た夫は、冗談とも本音ともとれるかのごとく「あぁバイクが無くなって、これからどうしたらいいんだー!」と叫んだ。

実は、このことがきっかけと言うわけではないが、私にはかねがね思い描いていたひとつのアイデアがあった。

施設に入って空いたお姑さんの部屋を、今度は夫の部屋にしたらいいんじゃないかと思っていた。

夫に話すと「いいね」とは言ったものの、まだ実感がない様子。

そこで夫の部屋にするべく、これまでずっと部屋の整理をし続けてきたが、それがやっと完成した。

本と音楽が好きな夫だが、置き場所がないためロフトに追いやられていた夫の大量の本と大きなスピーカーを部屋に運び込んだ。

一人用のゆったりと座れる椅子を用意し、今まで狭い寝室に置いてあった夫の机も運んだ。

徐々に自分の部屋のなって行くのを見ていた夫のテンションも上がり、今では寝る前のひと時に好きな音楽をかけて本を読むことを楽しみに「自分の」部屋へ入って行くようになった。

これまで二回も家を建ててくれたのに、一度も自分の部屋がなかったものね。

喜んでくれて嬉しい。な~んてね。照れますが・・・

若い頃は考え方の違いからたくさん喧嘩もしたが、二人とも歳を取って来て、やっと自分のことよりも相手の喜ぶことを考えるようになってきたと思う。

その模範となるご夫婦が、私にとっては天皇皇后両陛下のお姿で、いつかあのようなご夫婦になりたいものだと、恐れ多いですが思っている。

自分の考えばかりを前面に押し出すと、夫婦じゃなくても人間関係は難しい。

でも、相手が喜んでくれることを考えると、自分も嬉しいし心が満ち足りて幸せになれる・・・






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新しい生活

2018-11-08 17:09:24 | 介護
お姑さんが高齢者住宅へ入って1か月が過ぎた。

夫と私は、週に一度は必ずお姑さんに会いに行く。

入居する前、夫は「毎週なんて行かないぞ。一ケ月に一度くらい行けばいい」と言っていたが、やはり自分の母親のことが心配らしく、週末ごとに1度、いや2度くらい会いに行っている。

入居した当初、お姑さんは不安そうな様子を見せていて「慣れました?」と聞いても、必ず顔をしかめて「いや、慣れない」と言っていた。

また、新しい環境で不安なこともあってか毎晩のように自宅へ電話をかけてきた。

その電話の内容は、ほとんどが「薬が無いんだけど」というものだった。

お姑さんの場合、薬に対する執着が強いと思う。

特に重い病気はないのだが、年相応にたまに血圧が高くなることがある。

しかし、それはお医者さまから「薬は止めてもいいんだけどね」と言われている程度の状態なのだが、お姑さんが「薬は絶対に出してください!」と熱望したので出してもらっている。(←いいのだろうか・・・)

あとは軽い睡眠薬。

こちらも何十年前から飲み続けている薬で、効いているのか効いていないのか、もしかして薬の代わりにラムネでもいいのかもしれないが、長年の習慣なので絶対にやめられないようだ。

そんなわけで朝食と夕食後、そして寝る前に必ず薬を飲む生活を続けてきたのだが、ここ最近は薬を自分で管理できなくなっていたので、施設では職員さんがその都度持って来てくれることになった。

しかし、これがお姑さんにとって不安材料になった。

職員さんにもらって飲んだことを忘れ、自分で薬を探がして飲むようになった。

薬はお姑さんの部屋の吊戸棚の中に仕舞ってあり、その中から職員さんが出して飲ませてくれていたのだが、お姑さんの身長では絶対に手が届かない場所だと安心してたら、なんと椅子を使って自分で薬を取り出していたことがわかった。

薬を重複して飲むことも心配だが、椅子の上に立ち上がることの方が心配だった。

もしもバランスを崩して落ちたら骨折するかもしれない。90歳を過ぎての骨折はまずい。

というわけで、職員さんと相談して、お姑さんの薬は部屋に置かないことにしたのだが、薬が無くなったお姑さんはますます不安になって、自宅に電話をかけてきたというわけだった。

その後、薬は職員さんが管理するようになったことを何度も何度も説明して、やっと薬のことは言わなくなった。

たぶん職員さんに出してもらうことに慣れたのだろう。

ところで、高齢者住宅にはデイサービスのお友達もいるのだが、お姑さん曰く「デイサービス以外ではあまり交流はしていない」とのことだった。

私たちが帰ろうとすると、お姑さんは必ず玄関まで送ってくれる。

そして、泣き出しそうな顔でずっと手をふっている姿が切なかった・・・

ところが最近、お姑さんの様子が変わってきた。

お姑さんの部屋に行くと、お友達が遊びに来ていることが多くなった。

また、高齢者住宅の有志で行っているというお茶会にも参加しているそうだ。

先日も「慣れました?」と聞いたら、今度は「ハイ、慣れました」と返事が返ってきた。

そして帰り際、いつものように見送ってくれたお姑さんが、満面の笑みで手を振ってくれたことがとても嬉しかった。

慣れるまでは心配したが、やはりこの施設に入ってもらったことは正解だったと思える。

もともと社交的なお姑さんであり気の合う友人がいることで、毎日楽しく生活できているようで一安心だ。

ところで、同じようなことが昔もあったような気がする・・・もしかしてデジャブとか?

思い出せば、子どもが幼稚園に行き始めた頃と似ている。

幼稚園に慣れただろうか、友だちはできただろうか、楽しく過ごせているだろうか、そんな心配をしていたっけ。それが今とそっくりだ。

とにかく一ケ月が過ぎて施設の暮らしに慣れて来たお姑さんは、ますます元気で人生を楽しんでいるようにみえる。






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災害に備えて

2018-11-07 17:03:49 | 日記

裏庭から見える森の木々の紅葉も終盤で、葉っぱが落ちて幹だけになった樹木が増えてきた。



幹だけになった木を見ると、もうすぐ雪の季節だなぁと思う。

気温も低くなり、日中でも暖房が必要になった。

寒くなってきて思うことは、あの災害が(地震と停電)が厳寒期じゃなくて本当に幸運だったということ。

もしも、あれが1月や2月だったらと思うとぞっとする。

今回の災害は暖房の必要がない時期で幸いだったが、停電になると暖房が使えない。

真冬に暖房が使えないということは、最悪の場合、凍死者がでるかもしれない。

ちなみに避難所へ避難したとして、学校体育館の厳冬期の室温は氷点下1度くらいだそうだ。

以外に気温が下がらないのね・・・と思ったが、体育館は床下の空気の層が断熱材の役割をする為、これよりも下がることはないようだ。

とはいえ、氷点下1度と言えば冷蔵庫のチルド室なみの温度で、暖房器具がすみやかに置かれなければ避難してきた人は低体温症などで体調を崩す可能性がある。

また氷点下4度以下になると水道管が凍結すると言われているが、おそらく水道が凍結して水は使えなくなっていることも考えられる。

そして、厳冬期の災害で一番恐ろしいのが「雪」なのだそうだ。

雪が一般的な木造住宅の屋根に1メートル積もった場合、その重さはなんと12~18トンにもなる。

この状態で地震が来たとしたら、揺れ幅は雪のない状態よりも大きくなり、特に古い木造住宅の場合、夏よりも倒壊の危険性が2倍になるという研究結果もある。

また、今回のように震度6以上の揺れが来たならば、屋根の積雪50センチであっても被害が急増すると言われているそうだ。

雪が屋根に積もっている時期に大きな地震があった場合、急いで家の外に出た方がいいのかもしれない。

そして雪があることで危険なのは家屋の倒壊だけではなく、雪崩が起きる可能性が高まる。

今回は厚真町で大規模な土砂崩れが起こったが、冬はこれに雪崩が加わることで、さらに甚大な被害が予想されるということだ。

雪道での交通渋滞による救助の遅れの心配もある。

ただでさえ雪が降ると交通渋滞が起きるのに、はたして緊急車両は通ることができるのだろうか。

もしも家が壊れて中に人が閉じ込められていたら、厳しい寒さの中で何時間助けを待つことができるだろうか。(厳冬期では、2時間以内に救助されなければ危ないそうだ)

ちなみに札幌市では最大で阪神・淡路大災大震災に近いマグニチュード7と想定し、冬に札幌直下型が起こった場合(市内には三つの伏在活断層があると言われている)の被害の試算を出しているが、死者は夏の4倍という試算が出ている。

「何十年かに一度、起きるか起きないかの地震があったばかりなんだから、生きてる間はもう来ないべ」という声もたまに聞くが、いやいや、わからない。
備えは万全にしておくに越したことはない・・・

とはいえ、今回の災害で防災意識が高まった人が増えて「どれだけ備えが甘かったか身に染みた」という意見や「今回の地震で、考えを改めなさいと言われた気がした」などの意見も多くあったそうだ。

ところで、我が家では2011年の東日本大震災以降、災害時の備えを始めた。

まず食料と水。ガスボンベのコンロ。手回し式ラジオ(←これは今回おおいに役に立った)

また災害用に懐中電灯しか用意していなかったが、今回の災害ではキャンプ用のLEDのランタンがとても役に立った。
物置小屋にしまってあったランタンを出してきて使ったのだが、ろうそくや懐中電灯を使うよりずっと明るくて重宝した。

そして厳寒期の災害を想定してカセットガス式のストーブを買ってある。

小さいものだが一部屋でかたまって過ごすならば、これでなんとかしのげそうだと思う。

コンロ用とストーブ用にカセットガスもたくさん用意しているが、これらは古くなる前に使い切るようにして、順次新しいものを補充している。(使い切るために鍋料理が増えます・・・)

他にもまだ用意が不足だと感じているものがあり、簡易トイレも必要かな~と思っている。

思えば、あの災害から早2か月。

被害の大きかった地域では復興はまだまだでしょうが、ほとんどはもう災害前となんら変わりない日常に戻った。

でもたまに思い出す。

P太郎が亡くなってすぐだったこともあり気持ちがズズンと沈んでいたが、突然ラジオからアナウンサーさんの明るい声が聴こえて来た。

「みなさ~ん、今が冷蔵庫掃除のチャンスですよ~。この機会に冷蔵庫の中をきれいにしましょうね」

災害状況一色の内容だったラジオから聴こえて来た、思ってもいなかった呼びかけ。

なんだか可笑しくて笑ったら、ふわっと心がゆるんだ気がしたことを思い出した。





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カラス萌え~

2018-11-01 16:35:21 | 日記
朝、ゴミ捨て場にゴミを持って行ったところ、ゴミの上にかぶせたカラスよけのネットの上に一羽のカラスがいた。

おなかを空かせていたのだろう。

カラスは、なんとかネットの上からゴミを漁ろうとしていた。

ゴミの日に、カラスがカラスよけネットの上にいることは珍しいことではなく、いつもなら近寄って行くとすぐに飛び去るのだが、その日のカラスは、急に現れた私を見て驚いたものの飛んで行こうとはしなかった。

ネットの上にとまったまま、じっと私を見ている。

私もじっとカラスを見た。

まだ若いカラスかな。つやのある綺麗な身体をしていた。

まんまるのおめめがかわいい。

しかし、カラスがよけてくれなければ私はゴミを捨てられない。

そこでカラスに話しかけた。

「ゴミを捨てたいから、そこをどいてね」

そうお願いすると、じっと私の方を見ていたカラスはそばの板塀にぴょんと飛び乗って、ごみの上からどいてくれた。

「どいてくれてありがとう」とカラスにお礼を言ってゴミを入れてから、再びカラスよけのネットをかけた。

カラスは板塀の上にとまったまま、ずっと私を見ていた。

「さては、私がいなくなるのを待っているのかしらん。いなくなったら、またゴミを引っ張り出そうとするのかな」と思った。

カラスにはかわいそうだが、ゴミ捨て場を汚されては困るので、カラスにまたお願いすることにした。

まだじっと私を見つめているカラスに向かって、ここのゴミをつついてはいけない事、山で食べ物を探すようにと話しかけた。

私が話している間、カラスはつぶらな瞳で私の目をずっと見ながら、小首をかしげて、まるで話を聞いているかのようだった。

(かわいい。。。ホントにかわいい。こういうのを萌え~というのだろうなぁ)と思った。

「萌える」というのは、広辞苑によると、愛情に似た特別な好意や興味を覚え、胸を高鳴らせることだとか。

そういえばずいぶん昔にも、カラスを見ては「かわいいー!」と思ったことがあった。

先代のオカメインコを逃がしてしまったあとで、落胆しきっていた私は鳥を見ると自然と目が行くようになっていた。

そして、その当時もカラスを見て「かわいい。カラスかわいいー」と思った記憶があって、この時にハタと気づいたのは「私はまた鳥が飼いたいのだ」という自分の気持ちだった。

それでP太郎を買ってきたわけだが、今回はその時の気持ちとは違っている。

P太郎がいなくなって寂しいけれど、十分に愛情を注いだ満足感からなのか、仕方がないというあきらめの気持ちからなのか、P太郎に対する感謝はあっても未練はない。

だから、今はまた鳥を飼うつもりもない。

ただただ純粋に本当に可愛いカラスだった。

逃げるどころか、私が腕を差し出したらぴょんと飛び乗ってきそうと思うくらい、賢そうで可愛いカラスだった。まさに萌え~!

ところが、そんな可愛いカラスに話しかけていたら、急に夫が現れてびっくりした。

カラスも夫の姿を見て、今度こそどこかへ飛んで行ってしまった。

「ほら、もうひとつゴミ残ってたよ」と夫がゴミ袋を持って来てくれた。

そうだ、ゴミは二つあって、重いので一つずつ運ぼうと思っていたのだった。

カラスと話していて、もうひとつのゴミの事はすっかり忘れていた。

カラスに話している最中だったので、「これは絶対に夫に聞かれたな」と思い、あわてて「今、カラスとおしゃべりしていて・・・」と言い訳をするつもりで、つい本当のことを話してしまった。

夫はいつものことかといった感じで軽く笑いながら行ってしまったが、現れたのが夫でよかった。

これが他人ならば、危ない人だと思われたに違いない。

(まぁ、危ない人と思われてもいいんだけどねぇ)

というわけで、動物を見るとつい話しかけてしまうという話でしたが、動物に話しかけるとかなりの確率で通じていると私は勝手に思っている。。。










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