ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

永遠の存在

2013-05-31 17:51:37 | 日記
北海道新聞に興味深い話が載っていた。

記事を書いたのは道内在住の医師で、あるノンフィクションライターから聞いたという話だった。

春雨が降る夜、朽ちかけた廃屋の戸口に、廃墟と化した街角に、壊れた橋のたもとに、雲間からかすかにもれる蒼白い月の光にぬれるようにして幽霊が立ち現れると言う。

はじめ、ある老女が幽霊を目の当たりにした。

彼女はいぶかり、そして畏れた。

でも、怖がりはしなかった。

幽霊はたちまちにして、姿を消した。

老女は急いで家に戻り、電線が切断された薄暗い部屋の、崩れた壁際に傾いた仏壇にお線香をともし、涙してお念仏を唱えた。

あくる日なぜか、彼女の表情は晴々としていた。

うわさは、たちまち広がった。

誰もが幽霊に会いたいと言い出した。

そこで、こう取り決めた。

会うのはひとりずつ、数珠を持って行くこと、こちらからは話しかけないこと、幽霊の魂をせめて鎮めてあげるためにと。

この集落の人々はすべて、人生のつらい苦難を経験していた。

取り決めどおりに人々は、幽霊に会いに出かけた。

そしてこのあと不思議なことに、不幸にうちひしがれがちだった人びとみんなが、老女のように晴れやかになり、明日を生き抜こうという明るい希望をいだくようになった。

幽霊は、東日本大震災で大津波に巻き込まれ、無残にも突然、生を断ち切られた人たち。

生き残った家族や縁者が、本来なら誰もが怖がる幽霊に会いたがるのは、突然の別れをしなければならなかった死者と再会できるから。

一目でも会えればそれでいい。

会えば、無念のメッセージを優しく受け入れることもできる。


「集落の住民にとっては、恐ろしげな幽霊ではなく、親しみ深い人の亡き御霊(みたま)なのだろう」と、この記事を書いた医師は書いている。

幽霊に会いたいと願った人々の気持ちがよく分かる。

亡くなったのが家族や親しい人なら、たとえ幽霊であっても一目だけでもいいから会いたいと思う、その気持ちがよく分かる。

そして、幽霊に会った人々が、みんな晴々とした気持ちになったのも分かるような気がする。

それは、もしかしたら人は肉体が死んでも、魂は永遠に生き続けるということが、分かったからではないだろうか。

もちろん、親しい人との突然の別れは・・・いや突然でなくとも、それは気も狂わんばかりの辛さ、悲しさだろう。

でも、魂は生きている。

亡くなっても、すべてが無になって消えてしまうわけではないと分かったら。

幼い時に、亡くなった祖母に会ったことがある。

その頃は幼すぎて、魂の永遠など考えもしなかったが、はっきりと魂の永遠を確信したのは、母が亡くなったことだろうか。

あまりにも私が会いたいと思ったからか、亡くなってから49日の間に、母は色々な形でメッセージをくれた。

それは写真の中に、はっきり母だと分かるように写ってくれたり、夢の中であったり、時にはお線香の良い香りで知らせてくれることもあった。

今考えると、母には本当に申し訳ないことをしたと思う。

私の想いが強すぎて、母も心残りなく逝くことができなかったのだろう。

私の想いに答えようと、母には無理をさせてしまったかもしれない。

誰でもいつか必ず肉体が無くなる日がくる。

そしてまた、新しい生を授かる。

まったく違った人間に生まれ変わったとしても、私達は永遠の存在なのだ。

だから、与えられたこの肉体、命を大切にして、精一杯生き抜かなければいけないと思う。













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進化するゴキブリ

2013-05-28 19:05:26 | 日記
「もしもし・・・お母さん?」小さく押し殺したような声。

青森で一人暮らしをしている長男パインからの電話だった。

パインが小声で話し始めるときには、大抵 何かあったということが多い。

しかも、あまり良くないことが・・・

ちょっとドキドキしながら「どうしたの?」と聞くと、「台所に虫が居たんだよね。たぶんゴキブリじゃないかと思う」

な~んだ、そんなことか。

「捕まえて外に出せば」

そう言うと、パインはおびえた様子で「だってデカイんだよ。見た途端、しばらく動けなくなった。何か叩くものがないかと探しに行ってたら、もういなくなってた」とのこと。

横で話を聞いていた夫が「それはどんな虫だった?」とパインに聞いた。

パイン「3センチくらいで細長くて黒かった」

「平べったくなかったか?」と夫が聞くと、パインは「どうだったかなぁ。そんなに平たくなかったような気がするけど・・・」と言う。

すると夫は「平たくなければゴキブリじゃないかもな。いや、でもやっぱりゴキブリかなぁ」と考えつつ「とりあえずゴキブリ用の殺虫剤を買え」とパインに指示をした。

パインは、すぐにでも買いに行きたい様子だった。

そんな虫がいた位で大げさじゃないのと思ったが、なんせ私は本物のゴキブリを見たことがない。

もちろんパインもゴキブリを見たことはなく、家族の中で唯一ほんもののゴキブリを見たことがあるのは、東京で学生生活を送ったことがある夫だけだ。

夫によると「あれを初めて見たときには驚いた。一瞬クワガタかと思ったが、動きが早いし気持ち悪いんだよ。自分の方に向かって飛んできたときには、気を失いそうになった」ということだった。

噂には聞いていたが、それほどとは・・・

ところで、ゴキブリが生息する最北端は青森県だそうだ。

しかし同じ青森県でも、弘前市までが生息できる北限で、弘前より北の青森市にはいないのだとか。

ここ最近、道内でも暖かいビルの中に入る飲食店にゴキブリが出たと聞いたことがあるが、普通の家で出たという話は、まだ聞いたことがない。

そんなに気持ちが悪い虫が生息できない所でよかった。

寒い場所に住むことも悪くないかと思える。

それにしても怖いもの見たさで、一度くらいは実物を見てみたいものだ。

「また部屋に出たら、写メで送ってね」とパインに頼んでおく。

ところで、ここまで記事を書いたところで本日の夕刊に目を通していたら、な~んといいタイミングにもゴキブリについての記事が載っていた。

ゴキブリが甘み嫌いに進化したという記事だった。

甘く味付けした駆除剤を食べないゴキブリが出現したのは、糖を味わった時に逆に苦しみを感じる神経経路が働くようになり、「甘いもの嫌い」に進化したためだと、米ノースカロライナ州立大の研究員らが米科学誌サイエンスに発表した。

ゴキブリの高い環境適応能力の一端を示す成果。

「ゴキブリは駆除対象なので、味覚研究は遅れている。甘いもの嫌いのゴキブリは日本にも現れているのではないか」と話している。

以上 北海道新聞より


ゴキブリを引き寄せるために甘くした駆除剤が、1980年代に普及したが、数年後には この駆除剤を食べないゴキブリが米国に現れたそうだ。

駆除剤を食べないゴキブリは、糖を与えると、甘みを感じる神経回路がほとんど働かず、本来なら苦味を感じる回路が働いていたそうだ。

進化して駆除剤から生き延びたゴキブリ。恐るべし。

それを考えると、いつか寒さに強いゴキブリに進化して、道内の家庭でも見かけるようになるのだろうか。

それだけは止めてほしいと願っている。







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老親とのつきあい

2013-05-27 15:24:49 | 介護
今日は、うちのお姑さんのばあちゃんがデイサービスへ行く日。

ばあちゃんはデイサービスへ行くことを、いつもとても楽しみにしていて、朝からにこにこ忙しそうに行く準備をしている。

ところが、今朝はいつもの笑顔が無くなんだか元気がない。

原因はわかっている。

昨日、息子である夫に厳しく叱られたから・・・

それは数日前のことだった。

「足が弱るから、すこし散歩をしたほうがいい」と夫がばあちゃんに言い、ばあちゃんが散歩に出かけたことがあった。

「迷ったら困るし、無理したら足に悪いから、近くのバス停まで行ったら戻っておいで」

そう言って夫は、ばあちゃんを散歩に送り出したのだが、これがいくら待っても帰ってこない。

「まさか迷っているわけはないよなぁ」

軽い認知症に罹っているばあちゃんなので、近所と言えども迷う可能性は無きにしも非ず・・・

夫が心配しはじめたので「私が見てこようか」と言うと「いや、いい。俺が行く」そう言って、ばあちゃんを探しに外へ出て行った。

しばらくして、ばあちゃんを連れて帰ってきた夫の顔は、明らかに不機嫌そうだった。

「ばあちゃん、どこに居たの?」と聞くと、なんと山に入っていたそうだ。

今の時期は山菜が顔を出し始めているので、それを採りに山へ入っていたらしい。

そして、ばあちゃんのエプロンのポケットには、「よもぎ」がたくさん入っていたそうだ。

「近くまで行ったら戻ってこいよ」と言い聞かせたていたにも関らず、山へ入っていたことで、まず夫の不機嫌スイッチがオンになった。

このあたりはキタキツネがよく出るので、我が家では地面の近くに生えている山菜は触ったり、食べないようにしている。

なぜなら、キツネから感染するエヒノコックスが心配だから。

エヒノコックスは、感染してから発症するまで長く、気がついたときには重大な症状を引き起こしている怖い感染症だ。

知り合いもエヒノコックスで亡くなっている。

まぁ、熱を通して食べれば大丈夫だろうが、心配しながら食べるくらいなら、最初から食べないほうがいい。

そんなわけで夫は「よもぎは食べないから捨てろ」と言ったそうだが、ばあちゃんは「せっかく採ったのだから」と捨てるのを拒み、結局うちへ持ち帰ってきた。

ここでスイッチの入った夫の不機嫌メーターが、やや上がった。

夫は仕方なく「うちの家族は食べないから、自分だけでなんとか処分しろよ」と言い残し、ばあちゃんの部屋を出たのだが、ばあちゃんはその後、採ってきたよもぎを使ってお団子を作っていたらしい。

そして昨日。

夫からよもぎは食べないと言われたので、ばあちゃんは夫に見つからないように、こっそりご近所のお宅へおすそわけしてきたらしかった。

私は、ばあちゃんがそんなことをしているとは全く気がつかなかったのだが、さすが夫は自分の母親の行動がどうも怪しいと感づいたようで、外から戻ってきたばあちゃんを問い詰めてご近所に配ったと言う事がわかったようだった。

これを機に、夫の不機嫌メーターは振り切れんばかりに上がった。

夫の怒りは大きく、窓を閉めても外に響き渡るんじゃないかと思うくらい大きな声で怒鳴っていた。

心配になってチェリーと一緒に、夫に叱られているばあちゃんの部屋へ行ったのだが「向こうへ行ってろ」と扉を閉められてしまった。

ばあちゃんに説教している夫の大声が延々と聞こえてくる。

なんだか、ばあちゃんがとてもかわいそうになった。

ばあちゃんだけではなく、老人になると、多くの人が若い頃からやってきたことを変えることが難しいのだろうと思う。

ばあちゃんは、若い頃 そうやってよもぎを摘んで子供達におやつを作ったのだろう。

そして、今よりずっと濃密な近所付き合いがあった昔は、作った料理のやりとりは普通のことだった。

時代と共に変わっていくという事が、なかなか理解できないのだと思う。

そして、悲しいかな歳を取ると「新しいことが覚えられない」という症状が現れるため、いくら「それはやってはいけない」と説明しても、また繰り返すのだと思う。

事実、同じようなことが、これまでも2~3度あった。

それにしても自分の親を叱るというのは、自分の子供を叱るより、ずっとエネルギーを使うのではないかと思う。

疲れた顔をしてばあちゃんの部屋を出てきた夫の顔を見てそう思った。

そんな私も介護で実の父と頻繁に会う機会が増える度、私が主導権をとって色々な事を決めていたことに気づく。

仕事ばりばり人間だった父が、まるで幼子のようになり、いつの間にか親子の立場が逆になってしまった。

実父のそばに住む妹の負担が少しでも軽くなるように、ヘルパーを頼んだり、デイサービスを申し込んだりと話を決めてきた。

それでも一応、父の了解は取っているが、あとで父が「本当はヘルパーが来るのが嫌なんだ」とか「デイサービスには行きたくない」などと妹に言うらしい。

「やってみたら、案外いいものだと思うかもしれないから試してごらん。嫌ならあとでいくらでもやめれるんだから」

そう言いつつ、どんどん決めていく娘(私の事)に反論したくてもできないのだろうか・・・

父にごねられて困った妹が私に電話をしてくる。

妹は、昔から父のいう事に反論することができないのだ。

「わかった。今度行った時に、お父さんにちゃんと話してあげるから」

そういって電話を切り、さ~てどうやって言いくるめようか・・・と思案する。

大きな声にならないよう(耳が遠いから無理か)、威圧的にならないよう、優しく説明してあげなければと思う。

子育てが 終われば次は ジジ育て








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踊っているのか?輝いているのか?

2013-05-23 16:43:02 | 日記
今日は美容院へ行き、髪をばっさりと切ってもらった。

長くしようと伸ばしていたのだが、くせ毛のため伸びてくると収拾がつかなくなっていた。

え~い、めんどうだ。切ってしまおう!

・・・と切ったのだが、本当は髪を切って気分をすっきりさせたかった。

ずっと知り合いの女性が気になっていた。

お互いに忙しく、そんなに頻繁に会うということもなかったが、会えば趣味の話など共通することが多く、楽しい話相手だった。

ところが、どうも最近避けられているような気がしていた。

「何か悪いことでもしたかしら・・・」と考えていたが、思い当たることと言えば、彼女から挨拶をされていたのに、気がつかずにいたことだろうか。

ある時、かなり遠いところに立っている彼女を見つけた。

もう少し近づいてから挨拶をしようと思い、道端の植物を眺めながら歩いていった。

多分、この時、彼女は私に遠くから手を振ったのかもしれない。

しかし、私の視線は道端の草に注がれていた為、彼女のことは見ていなかった。

結局、近づいて挨拶と思った時には、彼女は他の人と話をしていて、その場は挨拶を交わすことができなかった。

まさか、そんなことくらいで・・・と思ったが、やっぱり以前と態度が違う。

なので、思い切って彼女に電話をかけてみた。

電話をすると「ありがとう。嬉しい」と言ってくれて(これは本心だと思いたいが)、飼っているペットが病気になったこと、彼女自身うつ状態だったことなど話してくれた。

そういえば、以前親しくしていた頃、彼女はよく「人が嫌い」と言っていた。

そして、将来は誰も住んでいないような田舎で家庭菜園でもやりながら暮らしたいとも話していた。

色々な原因はあったと思うが、仕事も家庭も、そして周囲とも、十分うまくやっているように見えても、内面では人には言えない辛さがあったのだろうと思う。

お互いに心を開いて色んな話ができていたのに、それを「やっぱり人が嫌いだ」と、再び私が彼女に思わせてしまったとしたら、申し訳ない気持ちで一杯になった。

その後、機会があれば、声をかけるようにしていたが、やはり以前のようにはならない。

ある時から、もう無理に近づくのはやめようと思った。

不干渉でいこう。

これは相手を無視するということではなく、会ったら自然に挨拶をするし、相手が話したそうなら話をするが、無理にこちらから何かアクションを起すということはしないということ。

これで縁が無くなったとしても、仕方がない。

ところが、なんだか私の心はもやもやとしてすっきりとしなかった。

なんとなく避けられているというのは変わりなく、そうされると私も気分が悪くなった。

だんだん、自分の心の中の輝きが深く沈みこんでいくのを感じた。

(これを内在神と言うそうです)

あ~!いかん、いかん・・・

自分の中にある内在神を傷つけてはいけない。

相手がいる場合、相手のせいで自分の心が暗くなっている、相手に傷つけられたと思いがちだが、実は、自分で自分の心を傷つけているのだ。

以前の私は分からなかったことだが、今はそれが分かる。

傷つけているのは「自分」だということが分かる。

胸が躍る、胸がいたむ、胸が熱くなる、胸が騒ぐなどなど、胸を使った言葉は多いが、これはとても的を得た言葉だと思う。

胸というのは、つまり「内在神」のことなのだと思う。

今、私の内在神はどうなのか?

踊っているのか?

輝いているのか?

いつも自分にそう問いかける。

そして、すこし前、私の内在神は心の奥底に隠れて縮こまっていた。

そんな時、いつも感謝の言葉を口にする。

内在神が心の奥底に隠れているときは、感謝の言葉を口にすることは、なかなかすんなりできないのだが、それでも無理矢理にでも口にする。

そうすると、忘れていたたくさんの有難いことが思い出されてくる。

また、彼女に対しても早く元気になってね、幸せになってねという気持ちがこみ上げてくる。

こうして、今、私の内在神は輝きを取り戻した・・・と思う。













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玄関掃除

2013-05-16 20:16:54 | 日記
冬の間、玄関に入れていた植物の鉢を外に出した。

寒い寒いと言っても5月も半ば。

いくらなんでも、外の寒さで枯れてしまうなんてことはないでしょう。

さて植物を出した後の広くなった玄関・・・なんだかタイルの汚れが気になった。

というわけで、今日は玄関の掃除を念入りにすることにした。

玄関の床つまりタイルは、時々拭き掃除しているのだけれど、タイルの表面についた泥汚れは頑固で、なかなか綺麗になってくれない。

ブラシをかけてみるが、どうもイマイチ汚れが落ちない。

以前、広告でよく見かけたスチームの出るモップって言うのはどうなのだろうと思っていた。

何でも高温のスチームで泥汚れも綺麗に落ちるとか。

ん~買おうかなぁ。

実は私は掃除をするのが、かなり好きな方でして、掃除道具や掃除用洗剤なんてのも大好き。

スチームモップというものも、使ってみたくて仕方がなかったが、散々迷った挙句、結局買うのをやめた。

なぜかと言うと、モップの値段が約1万円だったから。

玄関掃除の為だけに、1万円払うことには躊躇がある。

そんなわけで、今日も雑巾がけをしていたのだが、急に「メラミンのスポンジ」でこすってみたらどうだろうと思った。



メラミンのスポンジは、水で濡らしてこすると、拭いただけでは落とせなかった汚れが面白いように落ちることがある。

さっそくメラミンスポンジを持ってきてこすってみると・・・ビンゴ!

頑固な汚れが簡単に綺麗になっていく~♪



綺麗になった左のタイル。スポンジでこする前の右のタイル。

何故もっと早く気づかなかったのだろう。

無心になってタイルを磨きながら、ふと子供の頃を思い出した。

そういえば、こういうことって子供の頃も好きだったなぁ。

つま楊枝を持って、家の中の細かい汚れをほじくり出すのが好きな変な子供だった。

ゴミの溜まった所を見つけると、嬉々としてつま楊枝でゴミを掻き出していた。

多分、それは今でもあまり変わっていないということかもしれない。

そう言えば・・・

長女チェリーも時々、背中を丸めて真剣な表情で、つま楊枝でブラシに絡まった髪の毛を取りのぞいていることがある。

「お母さん(私)とチェリーは宇宙人だな」

いつも夫にそうからかわれて「えー!ぜんぜん違うでしょ」と反論してきたが、やはり同じ人種なのかもと思う。















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遅い春

2013-05-14 15:54:24 | 日記
父の介護で実家へ帰った折、妹に「すごく痩せたね~。どこか具合でも悪いんじゃないの?」と言われてしまった。

そういえば、ここ最近1~2キロ体重が減ったかもしれない。

体型に関しては、さすがに中年ともなると若い頃と同じと言うわけにはいかないが、体重に関しては20代の頃から変わっていなかった。

もともとあまり太らない体質なので、もう少し体重があってもいいかなというくらいだったが、その体重がさらに減ってきたので、たまに会う妹にはすごく痩せたように見えたのかもしれない。

妹が心配してくれるように、どこか具合が悪いというのは全くなく、むしろ以前より疲れにくくなったような気がする。

確かに食べる量は、少なくなってきたかもしれないが、年齢と共に代謝が落ちてくるので、取り込む食物も少なくて済むのだろうと思う。

しか~し、思うに痩せたのはアレが原因かもしれない。。。

アレとは、毎日続けているスロージョギングのこと。

毎日、20~30分ゆっくり走っているだけなのだが、最近すこぶる体調がいい。

夜はよく眠れるし、朝もすっきり目覚めることができる。

なにより疲れにくくなったことが嬉しい。

たったこれだけでも違うものだと感じていたところだったが、どこか具合が悪いんじゃないかと思われるくらい痩せて見えるのはチョット問題かもしれない。

「上半身が特に細く見えるから、もっと筋肉つけないと。これから年を取っていくと、貧弱に見えるようになるよ」

40代にしては筋肉質の「スポーツオタク」の妹に言われ、筋肉をつけるべく家の中でできるストレッチを伝授された。

そういえば、毎日泳ぎに行くくらい好きだった水泳を、しばらくやっていなかったから筋肉が落るのも当然かもしれない。

でも、今はまだ寒いせいもあって、泳ぎに行くという気持ちになれない。

本州では30度を越す暑さなのだとか。

「どひゃ~信じられない」とテレビの前で絶句する。

まったくこれが同じ日本なのかと思う。

暖房をつけ、冬用の服を着ているというのに。

「消えた春」という見出しの新聞を読みながらため息をつく。

・・・が、着実に春は来ている!

やっと緑に色づいてきた裏山



茶色一色だった景色が、毎日少しずつ色づいていくのを見るのが楽しみ。

自然はなんと美しいのだろうなんて感動したりして・・・

美しいと言えば、こちらも毎日目を楽しませてくれている。



母の日に二人の娘から1本ずつもらったガーベラ。

母の日と言えばカーネーションだが、私の希望でガーベラにしてもらった。

「花束で買ってあげる」と娘たちは言ってくれたが、この2本でじゅうぶんだよ。






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青森への旅・・・浅虫

2013-05-11 22:07:27 | 旅行
青森にいる間は、ずっと長男パインのアパートに泊まっていたのだけれど、最後の日は浅虫温泉に宿泊した。

浅虫温泉は去年も泊まったが、北海道にはない古い歴史のある土地や温泉に惹かれて、ぜひもう一度泊まってみたいと思っていた。

それにしても「浅虫」と言う名称は、どういう由来があるのだろうか。

そういう名前の虫が多く生息していたとか?

そう思っていたら、泊まった宿のパンフレットに浅虫温泉の由来が書かれていた。

浅虫温泉は平安時代、法然が奥州巡教の折、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て発見されたと伝えられ、その地方はかつて住民が麻布を温泉の効き目を知らないで蒸していた為、「麻蒸」と呼ばれ、後に火難を恐れ火に縁のある文字を嫌い「浅虫」となったと言われている。

なるほど・・・

個人的には「麻蒸」という文字のほうが良い様に思うけれど、そういう訳があったのか。

その昔、ここに住む人々は、どんな姿で、どんな風に麻布を蒸していたのだろう。

そして、その麻布では何を作っていたのだろう・・・

遠い昔に思いを巡らせながら、のんびりと温泉に浸かってきた。

あ~極楽、極楽。

ところで、浅虫は海沿いにあり、泊まった部屋の窓から海に浮かぶ小島が見えた。



こちらは「湯の島」

浅虫温泉から近いので、ボートで行けるらしい。

カタクリの群生地だそうで、ちょうど時期的にカタクリの花が見ごろとのことだった。

カタクリの花を愛でに、ぜひ渡ってみたかったのだが、残念ながら天候が悪くて断念。

本当に今回の旅は、天候に恵まれず残念だった。

ところで「湯の島」に赤い鳥居があるのが見える。

これは弁財天を祀っているそうだ。

この鳥居を見ていると、版画家棟方志功の絵を思い出す。

私が持っている棟方志功の版画のポスター弁財天妃の額にも、小さな鳥居があったなぁ・・・

浅虫温泉は、青森出身の棟方志功がたびたび訪れていた所で、この町の色々な場所でスケッチをしていたそうだ。

きっとこの湯の島も眺めていたことだろう。

もしやこの鳥居が、あの弁才天妃の鳥居だったとか?(私の空想・・・)

ところで、それまで棟方志功は名前を知っているくらいで、あとはほとんど知らなかったが、去年宿泊した宿で、初めて棟方志功の作品と志功自身の写真を見てファンになった。

力強く生命力に溢れた作品も素晴らしかったが、笑顔で写っていた棟方志功の目のあまりの美しさに、しばらくその写真の前から動けなくなってしまった。

以来、棟方志功が大好きになり、今回は青森市にある棟方志功の記念館にも行ってみようと思っていた。



この記念館は昭和50年に開館したそうだが、昨年(2012年)7月に鎌倉市の棟方版画館と合併し、版画館所有の作品、資料の全てを、こちらの記念館の方に収蔵したそうです。

その結果、版画だけではなく倭画、油絵などの棟方志功の作品のほぼ全てを網羅し、作品数では国内最大だそうです。

「一枚一枚をじっくり見てほしい」と言う棟方志功の意向で、記念館も展示室も思ったよりこじんまりとしていた。

しかし、見ていくうちに引き込まれてしまうような作品の数々は、どれも素晴らしかった。

夫と共にじっくりと時間をかけて作品を見て行ったが、作品を見終わった後、夫はすっかり棟方志功に魅せられてしまったようだった。

最後に、夫がとても気に入った書の作品が入った絵葉書を買った。

作品は年4回入れ替えを行い、作品を順次公開しているそうなので、次回もぜひまた行ってみたいと思う。

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青森への旅・・・岩木山神社

2013-05-08 16:05:45 | 旅行
青森に到着して2日目は、いよいよ岩木山神社へ参拝に行く。

その日は、朝からあいにくの雨。

というか、青森にいる間、ず~っと雨が降ってた。

しかも、毎日とても寒かった。

楽しみにしていた弘前公園の桜は、例年にない寒さで花が開いていないそうだった。

昨年に続き、今年も弘前公園の見事な桜を見ることができなかった。

残念だが仕方がない。

桜はあきらめるとしても、岩木山神社へは行かなければ。

雨だろうが、雪だろうが・・・

こちらが岩木山神社。やっと来た~!



鳥居をくぐって参道を登っていくと、楼門が見えてくる。



岩木山の伏流水が勢いよく出ている手水舎。

水を口から出しているのは、龍なのかしら・・・

亀のようにも見えるし、ワニのようにも見えます。



こちらが拝殿。

拝殿の奥には本殿、その奥に岩木山(奥宮)がある。



岩木山神社へ着いた時には雨が降っていたのだが、参道を歩いていくうちに、だんだん小降りになり、拝殿の前に立った時には、なんと陽の光が差し込んでくれた。

参拝が終わると、また雨が降り出し、その後は強い雨に変わってしまったけれど・・・

でも、参拝する時に一瞬でも晴れて下さったのは、本当にありがたいことです。

持っていた傘を置いて、さっそく感謝のお祈りをした。

感謝の言葉だけなので、参拝時間はわずか1分くらい。

夫には「はるばるここまで来たのに早い」と言われるが、これで十分に心の中が満たされたような気持ちになる。

ところで、拝殿の中に書かれている大黒様の壁画は、今回は中で結婚式が行われていたこともあって見ることができなかったのだが、参道を歩いている途中に、今まで来ていた時には気がつかなかった小さな神社を見つけた。







狛犬の代わりに、大黒様とエビス様がいらっしゃった。めずらしいですね。







青森は出雲と関係が深いのだろうか?

詳しいことはよく分かりませんが、こちらの出雲神社にも感謝の祈りを捧げてきました。







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青森への旅・・・酸ヶ湯温泉

2013-05-07 16:44:41 | 旅行
5月2日午前0時発のフェリーに乗り青森へ行って来た。

いつもは午後7時発のフェリーに乗るのだが、それだと八戸に着くのが早朝でほとんどの店が閉まっているため、午前0時発のフェリーに乗った。

この便なら午前8時頃に着くので、活気づいた街を見ることができる。

さてフェリーだが、今回は寝台のチケットを取ったので、かなり快適に過ごすことができた。

寝台は各自ベッドがあり、そして個々にカーテンで仕切られているので周囲が気にならず、とても寝やすい。

いつものスタンダード部屋(大部屋)だと、ほとんど眠れないのだが、これならゆっくり眠れる!

・・・はずだったが、これがまた眠れなかった。

周囲は静かだったし、ベッドも寝やすくて申し分なかった。

その証拠に一緒に行った夫と長女チェリーはぐっすり眠ることができたそうだ。

それなのに、なぜ私が眠れなかったのかと言うと、興奮した修学旅行中の小学生状態だったから・・・

もうすぐ岩木山神社へ参拝に行くことができる♪と思うと、ワクワクして眠れなくなるのだ。

まったく我ながら、どうかしていると思う。

神社への参拝は、行く前の道中からすでに始まっているそうで、「これは全くその通りだわ」と納得しつつ、ずっと心の中で感謝の言葉をつぶやいていた。

さてやっと八戸に到着し、その後は車で市内を走り回った。

道端の桜の木が満開で美しかった。

道内では、まだ見ることができないので、満開の桜を見ることができて嬉しい。

そして、さらに車を走らせ、途中、奥入瀬渓流を見ながら八甲田山へ入る。

奥入瀬渓流と言えば、初めて奥入瀬渓流を見たときの感動は、今でも忘れられない。

中学3年生の修学旅行の時で、騒ぎ疲れた皆んなが眠ってしまい、静かになったバスの中から見ていた奥入瀬渓流。

木漏れ日が川面をキラキラさせて、息を飲むほど綺麗だった。

多分、あれほど感動したのは14年間生きて初めてだったと思う。

あれから40年近く経った今でも、あの光景が目に焼きついている。

そんなことを思い出しながら、車窓から景色を眺めていると、神様?精霊?そういったものが、本当にいらっしゃるのだとしたら、青森という土地には、きっとまだ神々や精霊がたくさん住んでいらっしゃるのではないだろうか・・・などと考えていた。

さて、今回の旅の目的のひとつでもあったのが、八甲田山にある温泉「酸ヶ湯温泉」に行くことだった。

毎回、酸ヶ湯温泉の前を通過するたびに強烈な硫黄の匂いがしていた。

こちらで有名なのは「ヒバ千人風呂」という混浴の大きなお風呂だそうだ。

300年前からという歴史のある温泉に、ぜひ一度は入ってみたいと思っていた。



当日は霧と雨の悪天候。

時折、雪もちらちら降ってきて、すごく寒かったのだが、念願の温泉には入りました!

といっても、混浴の千人風呂に入ったのは夫だけで、私と長女チェリーは女性専用の小ぶりな温泉の方へ行った。

硫黄の香り漂う源泉掛け流しのお湯は、浸かるだけでもなんだか万病に効きそうな気がしてくる。

ちなみに千人風呂へ入った夫によると、お年を召した女性が3名ほどいたそうだ。

湯煙で、はっきり見られることはないものの、長女チェリーは絶対に入ってはダメだと言っていた。

「私は?」と聞くと、「50過ぎれば大丈夫だぁ」だと・・・

では、次回来たときには千人風呂に挑戦してみたいと思います。

つづく・・・









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