オカメインコのP太郎が亡くなって一ケ月。
やっとP太郎のいない生活に慣れてきた。
でも、たまに口笛を吹き始めて「そうだ、いないんだ」と思ったりしている。
P太郎は口笛を吹くといつも一緒に歌ってくれたので、私はよく口笛を吹いていたのだが、今でもその癖が抜けないようだ。
P太郎がいなくなってしばらくの間は、P太郎のことを話すことさえ出来ないほど悲しみが深かった。
いつかいなくなることは分かっていたが、こんなにも早くいなくなるとは想像していなかったし、これほどまでにつらいとは思ってもいなかった。
ペットの寿命は短くて、いなくなった時がつらいから動物を飼うのは嫌だ・・・と、「オカメインコを飼いたい」と駄々をこねた、まだ小学生だった次女に言った覚えがある。
結局、根負けして飼ってしまったのだが、一代目のオカメインコを飼って間もなく、次女が誤って外に逃がしてしまうということがあり、近所に聞き込みまでして必死に探したものの見つからなかった。
その時にまたオカメインコを買ってくると言ったのは、他でもない私だった。
動物好きの両親に育てられて生まれた時から何かしらの動物がいる環境で育った私は、どうしようもないほど動物が好きだ。
特にわんこなんてもう好きで好きでたまらない・・・
いままで幾度もペットとの別れを経験してきたが、やはり何度経験してもつらいものがある。
それが怖かったから、もう動物は飼わないと思っていたのだが、次女にねだられて一代目のオカメちゃんを飼ってしまった為、忘れていたあの動物の可愛さを再び思い出してしまった。
だから一代目のオカメインコちゃんが居なくなった時の寂しさは、新しい子をお迎えすることでしか埋められないと、あの時は思った。
そしてP太郎がやってきたのだが、彼は先代の女の子のオカメインコより数倍気を使って育てなければいけない子だった。
とにかく繊細で、すぐにパニックを起こして怪我をする。
だからいつもP太郎を驚かせないように、かごの近くはゆっくりと、そして静かに歩き、できるだけ大きな音を立てないようにしていた。
また誰もいない時にP太郎がパニックを起こしたことを考えて、長期間の旅行は行かずに過ごした10年だった。
このようにP太郎に気を使って過ごしたものの、やっぱりP太郎がいてくれてよかったと心から思う。
P太郎とふれあって、心が通じ合うような気がしていた10年は楽しかった。
ところで先月、P太郎がいなくなって一週間ほど過ぎた頃、朝ゴミ出しに行った時に久しぶりにご近所の「鳥ともだち」に会った。
彼女はセキセイインコを飼っているのだが、その溺愛ぶりは話を聞いただけでもわかるほど可愛がっていた。
ちょうど地震と停電のあとだったのだが、彼女から「Pちゃん、あの揺れと停電は大丈夫だった?」と聞いてくれた。
この頃、P太郎のことは家族の中でも自然に避けている話題になっていたのだが、鳥ともさんにそう聞かれたからには答えねばいけない。
P太郎が死んだことを伝えると、彼女は驚いてしばらく絶句した。
そして「実はね・・」と言って、彼女のセキセイインコもP太郎が亡くなる9日前に亡くなったことを教えてくれた。
彼女のセキセイインコは、いつもと様子が違うと思った時にすぐに病院へ連れて行ったそうだが、入院させた翌朝に病院から「残念ですが、今朝・・・」との電話をもらったそうだ。
「私が悪かった。もっとちゃんと飼ってあげていたら」と涙ぐむ彼女を見て「そんなことないよ。すごく大切にしていたじゃない」と励ましつつ、私も一緒に泣いてしまった。
二人でゴミ袋を持ったまま泣いている横を、犬を散歩中の女性が不思議そうに見て通り過ぎて行き、私たちはワンちゃんを見てまた泣いた。
彼女の気持ちは分からないが、多分わたしと同じでワンちゃんを見て自分のいなくなったペットを思い出してしまったからだと思う。
この時に同じ鳥を飼うもの同士、同じ痛みを持つもの同士と話せたことがとても癒しになった。
彼女は別れ際に「もうセキセイインコは飼わないわ。(彼女は先代のセキセイインコを寿命にはまだ早いうちに失くしている)もうこんなにつらい思いはしたくないし、私も歳だから今から飼うと責任が持てなくなったら困るしね」と言った。
(歳って、、、私と同じ57歳じゃないの~!まだ飼えるわよ~)と思ったが、それは口に出さず・・・
彼女の「もうこんなにつらい思いはしたくない」という気持ちはよくわかる。
あれから彼女には会っていないが、元気になっただろうか。
えっ、私?
まだP太郎のことを日に何度も思い出すけれど、お姑さんの引っ越しなどで忙しくしているうちに元気になった。
そして今月は旅行も計画している。
今回は海を渡るのでわくわくしている。(津軽海峡だけど・・・)
もうP太郎のオカメパニックを心配することもなくなり、旅行を楽しんでこようと思う。
やっとP太郎のいない生活に慣れてきた。
でも、たまに口笛を吹き始めて「そうだ、いないんだ」と思ったりしている。
P太郎は口笛を吹くといつも一緒に歌ってくれたので、私はよく口笛を吹いていたのだが、今でもその癖が抜けないようだ。
P太郎がいなくなってしばらくの間は、P太郎のことを話すことさえ出来ないほど悲しみが深かった。
いつかいなくなることは分かっていたが、こんなにも早くいなくなるとは想像していなかったし、これほどまでにつらいとは思ってもいなかった。
ペットの寿命は短くて、いなくなった時がつらいから動物を飼うのは嫌だ・・・と、「オカメインコを飼いたい」と駄々をこねた、まだ小学生だった次女に言った覚えがある。
結局、根負けして飼ってしまったのだが、一代目のオカメインコを飼って間もなく、次女が誤って外に逃がしてしまうということがあり、近所に聞き込みまでして必死に探したものの見つからなかった。
その時にまたオカメインコを買ってくると言ったのは、他でもない私だった。
動物好きの両親に育てられて生まれた時から何かしらの動物がいる環境で育った私は、どうしようもないほど動物が好きだ。
特にわんこなんてもう好きで好きでたまらない・・・
いままで幾度もペットとの別れを経験してきたが、やはり何度経験してもつらいものがある。
それが怖かったから、もう動物は飼わないと思っていたのだが、次女にねだられて一代目のオカメちゃんを飼ってしまった為、忘れていたあの動物の可愛さを再び思い出してしまった。
だから一代目のオカメインコちゃんが居なくなった時の寂しさは、新しい子をお迎えすることでしか埋められないと、あの時は思った。
そしてP太郎がやってきたのだが、彼は先代の女の子のオカメインコより数倍気を使って育てなければいけない子だった。
とにかく繊細で、すぐにパニックを起こして怪我をする。
だからいつもP太郎を驚かせないように、かごの近くはゆっくりと、そして静かに歩き、できるだけ大きな音を立てないようにしていた。
また誰もいない時にP太郎がパニックを起こしたことを考えて、長期間の旅行は行かずに過ごした10年だった。
このようにP太郎に気を使って過ごしたものの、やっぱりP太郎がいてくれてよかったと心から思う。
P太郎とふれあって、心が通じ合うような気がしていた10年は楽しかった。
ところで先月、P太郎がいなくなって一週間ほど過ぎた頃、朝ゴミ出しに行った時に久しぶりにご近所の「鳥ともだち」に会った。
彼女はセキセイインコを飼っているのだが、その溺愛ぶりは話を聞いただけでもわかるほど可愛がっていた。
ちょうど地震と停電のあとだったのだが、彼女から「Pちゃん、あの揺れと停電は大丈夫だった?」と聞いてくれた。
この頃、P太郎のことは家族の中でも自然に避けている話題になっていたのだが、鳥ともさんにそう聞かれたからには答えねばいけない。
P太郎が死んだことを伝えると、彼女は驚いてしばらく絶句した。
そして「実はね・・」と言って、彼女のセキセイインコもP太郎が亡くなる9日前に亡くなったことを教えてくれた。
彼女のセキセイインコは、いつもと様子が違うと思った時にすぐに病院へ連れて行ったそうだが、入院させた翌朝に病院から「残念ですが、今朝・・・」との電話をもらったそうだ。
「私が悪かった。もっとちゃんと飼ってあげていたら」と涙ぐむ彼女を見て「そんなことないよ。すごく大切にしていたじゃない」と励ましつつ、私も一緒に泣いてしまった。
二人でゴミ袋を持ったまま泣いている横を、犬を散歩中の女性が不思議そうに見て通り過ぎて行き、私たちはワンちゃんを見てまた泣いた。
彼女の気持ちは分からないが、多分わたしと同じでワンちゃんを見て自分のいなくなったペットを思い出してしまったからだと思う。
この時に同じ鳥を飼うもの同士、同じ痛みを持つもの同士と話せたことがとても癒しになった。
彼女は別れ際に「もうセキセイインコは飼わないわ。(彼女は先代のセキセイインコを寿命にはまだ早いうちに失くしている)もうこんなにつらい思いはしたくないし、私も歳だから今から飼うと責任が持てなくなったら困るしね」と言った。
(歳って、、、私と同じ57歳じゃないの~!まだ飼えるわよ~)と思ったが、それは口に出さず・・・
彼女の「もうこんなにつらい思いはしたくない」という気持ちはよくわかる。
あれから彼女には会っていないが、元気になっただろうか。
えっ、私?
まだP太郎のことを日に何度も思い出すけれど、お姑さんの引っ越しなどで忙しくしているうちに元気になった。
そして今月は旅行も計画している。
今回は海を渡るのでわくわくしている。(津軽海峡だけど・・・)
もうP太郎のオカメパニックを心配することもなくなり、旅行を楽しんでこようと思う。