週末に登別温泉へ行ってきた。
今回は次女の卒業と就職のお祝いを兼ねての旅行で、次女が行きたいと言っていた登別第一滝本館へ泊まった。
ところで、こちらのお宿はお風呂がすごい。
何がすごいのかと言うと、まずその広さで男女の浴室を合わせて広さはなんと1500坪あり35もの湯船がある。
そして数が多いのは湯船だけではなく、泉質の数が五種類もあり、これは日本の10ある泉質の半数を占めるのだとか。
もちろん源泉かけ流しであり、泉質が良いので入浴後は、はっきりと違いが分かるほどお肌がすべすべになる。
またお風呂からの眺めも良く、男湯からは宿の目の前にある地獄谷を見ることができるそうだ。
(残念ながら女湯からは地獄谷は見えませんので、地獄谷の一部を写真に撮ってきましたが、実際の地獄谷は遊歩道がありかなり広いです)
週末という事でホテルは満室状態で、大浴場はかなり広いのでさほど混んでいるようには感じなかったが、ロビーや宴会場などは大勢のお客さんであふれていた。
ところで大勢のお客さんだが、そこから日本語が聞こえてくることはあまりなくて、聞こえてくるのは中国語、韓国語、そしてたまに英語が少々といった感じで、特に中国と韓国からの観光客が多いようだった。
宿のエレベーターに乗った時に、ドアを開けて待っていてくれた年配男性に「すみません。ありがとうございます」と言ったら、「やっと日本人に会えた」と喜んでもらえて複雑な気持ちになった。
その方がおっしゃるには、宿の中は中国人と韓国人ばかりで、日本人客はいないのではないかと心細くなっていたそうだ。
今は日本中の観光地はどこも同じなのかもしれないが、こうした有名な観光地は日本人より外国からの観光客の方がずっと多いように思える。
登別温泉は中国や韓国などからの観光客が多かったのだが、同じ道内でもニセコは欧米人が多いと聞く。
スノーボードを持ってニセコへよく行く長男によると、「あそこはもう日本とは思えない」という。
歩いている人達もお店の店員さんもみんな外国人で、外国へ来たような錯覚をおぼえると言っていた。
確かに外国から観光客が来てくれることで、観光収入などで地域の活性化や経済効果が期待できるのだろうし、特に北海道は外国からの観光客を積極的に誘致しているので、そういう意味では成功しているのかもしれない・・・が、日本人が少ないのは、エレベーターで会ったおじさんじゃないがさみしさも感じる。
ただ一時期よく言われていた外国人観光客のマナーの悪さだが、今回の宿泊ではそのようなことを感じる場面はなくて快適に過ごすことができた。
というか、マナーが悪いのは日本人でもいるので・・・
ところで今日は忘れられない3・11東日本大震災の日。
8年前の3月11日。
その日の早朝に、青森に向かう夫と長男を駅まで送って行ったことを憶えている。
一浪の末、晴れて大学に合格した長男の入学手続きの為に青森に向かった夫と長男だったが、まさかその日の午後に、あのような大惨事が起こるとは予想もせず、長男をはじめ家族みんなが上機嫌で迎えた3月11日だった。
青森も揺れは大きかったそうだが、幸い被害は少なかったものの水道や電気、また交通網がすべてストップしてしまい、一体なにが起こっているのか、二人ともしばらくの間、状況がわからなかったらしい。
携帯電話の充電が切れ、大学から非常食用にもらっていたおにぎりを食べてしまうと、旅行者でもあった夫と長男は避難所へ行くことをせず、映画「サバイバルファミリー」のように帰宅することを選んだ。
そして途中で公衆電話を見つけると、電話をかける為に並んでいる人たちの長い列に加わって、私に電話をかけてきた。
私はインターネットを見ながら、動いている交通機関を探して夫と長男に知らせ続けていた。
当時は函館までの列車も運休していたが、奇跡的に動いた列車に乗ることができて帰って来ることができたが、これはまだ国内であったからで言葉の通じない外国でこのような状況になったらどうなっていたのかと思う。
実際に昨年9月の胆振東部地震では、外国人観光客への避難誘導の対応ができないとか、避難所へ入ることを断られた観光客もいたとか。
非常事態の時に多くの観光客をどうするのかということも、これからの問題なのかもしれない。
とはいえ、多くの命が犠牲になったあの日。思い出すと、また悲しくなる。
多くの方と同じように、私も3月11日を決して忘れることはないだろう。
今回は次女の卒業と就職のお祝いを兼ねての旅行で、次女が行きたいと言っていた登別第一滝本館へ泊まった。
ところで、こちらのお宿はお風呂がすごい。
何がすごいのかと言うと、まずその広さで男女の浴室を合わせて広さはなんと1500坪あり35もの湯船がある。
そして数が多いのは湯船だけではなく、泉質の数が五種類もあり、これは日本の10ある泉質の半数を占めるのだとか。
もちろん源泉かけ流しであり、泉質が良いので入浴後は、はっきりと違いが分かるほどお肌がすべすべになる。
またお風呂からの眺めも良く、男湯からは宿の目の前にある地獄谷を見ることができるそうだ。
(残念ながら女湯からは地獄谷は見えませんので、地獄谷の一部を写真に撮ってきましたが、実際の地獄谷は遊歩道がありかなり広いです)
週末という事でホテルは満室状態で、大浴場はかなり広いのでさほど混んでいるようには感じなかったが、ロビーや宴会場などは大勢のお客さんであふれていた。
ところで大勢のお客さんだが、そこから日本語が聞こえてくることはあまりなくて、聞こえてくるのは中国語、韓国語、そしてたまに英語が少々といった感じで、特に中国と韓国からの観光客が多いようだった。
宿のエレベーターに乗った時に、ドアを開けて待っていてくれた年配男性に「すみません。ありがとうございます」と言ったら、「やっと日本人に会えた」と喜んでもらえて複雑な気持ちになった。
その方がおっしゃるには、宿の中は中国人と韓国人ばかりで、日本人客はいないのではないかと心細くなっていたそうだ。
今は日本中の観光地はどこも同じなのかもしれないが、こうした有名な観光地は日本人より外国からの観光客の方がずっと多いように思える。
登別温泉は中国や韓国などからの観光客が多かったのだが、同じ道内でもニセコは欧米人が多いと聞く。
スノーボードを持ってニセコへよく行く長男によると、「あそこはもう日本とは思えない」という。
歩いている人達もお店の店員さんもみんな外国人で、外国へ来たような錯覚をおぼえると言っていた。
確かに外国から観光客が来てくれることで、観光収入などで地域の活性化や経済効果が期待できるのだろうし、特に北海道は外国からの観光客を積極的に誘致しているので、そういう意味では成功しているのかもしれない・・・が、日本人が少ないのは、エレベーターで会ったおじさんじゃないがさみしさも感じる。
ただ一時期よく言われていた外国人観光客のマナーの悪さだが、今回の宿泊ではそのようなことを感じる場面はなくて快適に過ごすことができた。
というか、マナーが悪いのは日本人でもいるので・・・
ところで今日は忘れられない3・11東日本大震災の日。
8年前の3月11日。
その日の早朝に、青森に向かう夫と長男を駅まで送って行ったことを憶えている。
一浪の末、晴れて大学に合格した長男の入学手続きの為に青森に向かった夫と長男だったが、まさかその日の午後に、あのような大惨事が起こるとは予想もせず、長男をはじめ家族みんなが上機嫌で迎えた3月11日だった。
青森も揺れは大きかったそうだが、幸い被害は少なかったものの水道や電気、また交通網がすべてストップしてしまい、一体なにが起こっているのか、二人ともしばらくの間、状況がわからなかったらしい。
携帯電話の充電が切れ、大学から非常食用にもらっていたおにぎりを食べてしまうと、旅行者でもあった夫と長男は避難所へ行くことをせず、映画「サバイバルファミリー」のように帰宅することを選んだ。
そして途中で公衆電話を見つけると、電話をかける為に並んでいる人たちの長い列に加わって、私に電話をかけてきた。
私はインターネットを見ながら、動いている交通機関を探して夫と長男に知らせ続けていた。
当時は函館までの列車も運休していたが、奇跡的に動いた列車に乗ることができて帰って来ることができたが、これはまだ国内であったからで言葉の通じない外国でこのような状況になったらどうなっていたのかと思う。
実際に昨年9月の胆振東部地震では、外国人観光客への避難誘導の対応ができないとか、避難所へ入ることを断られた観光客もいたとか。
非常事態の時に多くの観光客をどうするのかということも、これからの問題なのかもしれない。
とはいえ、多くの命が犠牲になったあの日。思い出すと、また悲しくなる。
多くの方と同じように、私も3月11日を決して忘れることはないだろう。