196万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

20世紀冒険活劇の少年世界とは!

2009-07-15 02:43:44 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
今日の画像は、少年画報大全より、戦後の月刊少年雑誌と週刊少年漫画誌の変遷を年表形式で比較した少年誌比較年表の中の一ページ。
月刊の少年雑誌として冒険活劇文庫(明々社)S23年8月創刊から少年画報(少年画報社)S46年11号(6月)休刊・判型B5判、漫画少年(学童社)S23年1月創刊~S30年10月休刊全101冊・判型B5判、少年クラブ(講談社)大正3年11月創刊~S37年12月休刊全611冊・判型A5判からB5判、少年(光文社)S21年11月創刊~S43年3月休刊・判型A5判からB5判、週刊の少年漫画誌として少年マガジン(講談社)S34年3月26日創刊、少年サンデー(小学館)S34年4月5日創刊、少年キング(少年画報社)S38年8月1日創刊、少年ジャンプ(集英社)S43年8月1日創刊、少年チャンピオン(秋田書店)S44年8月10日創刊を昭和21年から昭和46年迄、少年画報を中心に5ページに
わたり比較したものだ。

*本年表作成にあたり(冒険活劇文庫)(少年画報)全297冊を調査いたしました。
尚、この年表は(少年画報大全)を読むに際して役立つよう(少年画報)に関係する作家を中心として作成しております。
小説、絵物語中心の月刊誌から漫画中心へそして週刊誌へと移行するのが理解出来るよう考慮しております。(本間)


昨日は、

(サンデー・マガジンのDNA~週刊少年漫画誌の50年~)

についてPress Releaseより企画主旨を紹介をした。
そして、関東甲信地方は平年より6日早く梅雨明けとなったわけだが、少年の日の夏を思い出すこの時期なので私が監修し、2001年7月に発売を開始した


20世紀冒険活劇の少年世界
少年画報大全

昭和23年~46年


の理念をこの機会に紹介しておこう。
巻頭の目次に、おことわりとして次の言葉を載せた。

ご紹介した作品・記事の中には、現在の社会規範・生活実感からみて、差別的な表現が含まれている場合があります。
著作物は作者の了解なくみだりに改変できない、という著作権上の問題もありますが、当時の実情を知り、今日のあり方を反省するために、あえてそのまま掲載しています。
少年誌が歩んだ道を、またマンガの辿った足跡を歴史的資料として提示する本誌の目的をご理解ください。
私たちは、民族、国民、障害、病気、思想信条、職業、生活環境などによって、人が差別されたりしてはならないと考えています。
差別を助長するような表現については、今後とも、読者の皆さまとともに、これを厳に戒めていきたいと考えています。


この文章は、少年画報大全制作に関わったスタッフ全員の冒険活劇文庫・少年画報掲載作品に対する思いである。

戦後日本の復興を願い、健全な青少年育成のために月刊少年少女雑誌に絵物語や漫画を発表してくれた作者である先生達の思い。

それに対して、作者の側であった上田トシコ先生は、少年画報大全の中の私のインタビューに対して


当時の編集の人は皆(日本の復興のため)という誇りを持っていたんじゃないでしょうか。


と言われました。


小松崎茂先生の言葉は、次の通り。


50年たって非常に良くなったことと、良くならないことありますね。
戦争に負けたけど、日本には日本のモラルがある。
世の中の人というのはそんなに馬鹿ではありません。ポルノとかセックスとかそういうものだけで売る雑誌はやっぱ長続きしない。
やはり雑誌として立派でなければダメ。
少年雑誌がなくなっちゃったから子ども達はメモリーシンボルがなくなっちゃたんだよ。
だから親を殺したり、友達をイジメたり。
いい少年雑誌が出れば世の中のターゲットになります。


冒険活劇文庫の創刊号に対する、当時の編集者の思いについては、

冒険活劇文庫創刊号の理念とは?

と題して、5月26日のブログで既に紹介済みである。

サンデー・マガジンのDNA~週刊少年漫画誌の50年~
と、弥生美術館の

昭和少年SF大図鑑展
S20~40' ぼくたちの未来予想図(7月5日の私のブログに案内あり)

そして、昭和30年代前半、日本一の月刊少年雑誌として一時代を築いた少年画報(1959年新年号は80万部発行。戦前戦後の少年雑誌の新記録を樹立し、99.8%を売り切った)を総覧し紹介した、少年画報大全の中で5ページにわたり特集した主要月刊少年雑誌と五大週刊少年漫画誌との少年誌比較年表をみくらべて見て初めて、月刊少年雑誌と週刊少年漫画誌の時代というものが見えてくるのではないかと私は個人的に考えている。
月刊少年雑誌の時代を経て、昨日のPress Releaseの企画主旨にあるような今日の週刊少年漫画誌の時代が来るのは、昭和39年前後からなのだが、何も知らない人達が昨日の文章だけを見ると、まるで戦後の月刊少年雑誌が何の役割も果たしていなかったかのごとき印象を与えてしまう。
昨年、川崎市市民ミュージアムから始まった巡回企画展、


少女マンガパワー!

ーつよく・やさしく・うつくしくー


では、少女マンガ史のみならず、日本の漫画史においても最重要人物の一人である上田トシコ先生の不朽の名作フイチンさんすら紹介されていない前歴がある。
少年漫画を上べだけの視聴覚文化として捉える評論家達の視点ではなく、これからは、社会学からの視点でも日本の漫画史を捉えるべき時代が来たのではないだろうか。


と、まがりなりにも大学で社会学を学び、漫画史研究家の肩書きを持つ私は、これからの日本の漫画文化の更なる発展のためにあえて苦言を呈しておこう。


社団法人日本漫画家協会正会員

漫画史研究家

本間正幸
コメント
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