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今日は節分なので・・・昨年書いた『泣いた赤おに』の記事再録です。

2011-02-03 19:09:35 | 「のらくろ」田河水泡と弟子たち・山根青鬼、追悼!山根赤鬼
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画像は、
『大アンケートによる少年少女小説ベスト100』(1992年2月10日・文春文庫)。

29位『泣いた赤おに』

浜田広介・作1933年より。

「ココロノ ヤサシイ オニノ ウチデス。
ドナタデモ オイデクダサイ・・・」
山奥に住む若い赤鬼は、ある日、自分の家の戸口の前に、こんな木の札を立てた。
姿かたちは鬼に違いないが、彼の心は他の鬼たちとは違っていた。
彼は人間たちの仲間になって、仲よく暮していきたいと考えていたのである。
しかし麓の村の人々は、赤鬼の立て札を容易に信用しようとはしなかった。
人間どもを食おうとする乱暴な鬼の計略と考えたのである。
村人の反応に絶望する赤鬼を見て、友人である青鬼は、ある計りごとをもちかけた。
自分が村に暴れ込んだところを赤鬼が成敗するという芝居をしようというのである。
青鬼はためらう赤鬼をせきたて、麓の村へと下っていくのだが・・・。
作者の浜田広介は、小川未明と共に、近代文学としての童話への道を開いた児童文学者。


赤鬼はこぶしをにぎって青鬼の頭をポカポカ打ちました。
講談社世界絵童話全集『泣いた赤鬼他』(1962年刊/井口文秀絵)


赤鬼は友のやさしさに泣きました。
偕成社日本児童文学全集『浜田広介童話集』(1969年刊/岩崎ちひろ絵)


『大アンケートによる少年少女小説ベスト100』
(1992年2月10日・文春文庫)より。


今日は、節分なので、『泣いた赤おに』の話を再録しました。


『のらくろ』で知られる漫画界の大御所、田河水泡先生の元に、戦後、漫画家志望の双子の少年達が訪れた時、田河水泡先生は、その少年達に赤鬼、青鬼のペンネームを授けました。
後に『漫画少年』を始め、各誌で活躍をしたその二人の漫画家は、『よたろうくん』で知られる山根赤鬼先生と、『名たんていカゲマン』で知られる山根青鬼先生と成りました。
山根赤鬼先生は、2001年に一度だけしか御会いすることが出来ませんでしたが、その後も年賀状の御返事を毎年いただき、病気で亡くなられた後は、奥様から毎年御返事をいただいております。
青鬼先生とは、日本漫画家協会のパーティーなどでいつも御会いする機会があり、懇意にしていただいております。
私が小学生の頃に、『名たんていカゲマン』の連載が始まり、私は、子供の頃からの読者でした。
赤鬼先生も青鬼先生も、とても心の優しい先生方ですのでこの話しとイメージが重なります。
『名たんていカゲマン』は、『探偵少年カゲマン』としてNHK教育テレビで2001年にアニメ化もされましたね!
コメント
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