196万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

祝!訪問者数25万人突破!!2014年は、萩尾望都名作名言手帳2014 で決まりだね!

2014-01-26 20:41:48 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
文化庁主催のマンガ研究とアーカイブが終了し、六本木から築地へ。
新富町の事務所に着くと、トーキョーノーザンライツフェスティバル2014のチラシが、実行委員会から届いていました。
1月30日(木)の日暮里サニーホールでの無声映画鑑賞会でも参加者の皆さんに配らせてもらおう。

さて、旗艦ブログとなるgooだけで訪問者数25万人突破!!閲覧数が累計83万!!
昨年の雑誌『猫生活』のカラーページ顔写真入りインタビューに始まり、無声映画鑑賞会の季刊紙『活狂』での日本のアニメーション史研究の現状報告、今度の(火)2014年1月28日発売の『週刊女性』の徹底特集70年代の音楽・漫画・映画に関する10頁の記事でのコメントなど、アニメ史と漫画史研究家だけでなく、これからは自称・少女マンガ史と映画史研究家としても芸域を更に発展させていきたいと考えていますので、お仕事の依頼受け付けてます。(*´∀`)♪
全ては因果応報であり自業自得、そして、継続は力となり真実は時の流れの中で証明される。
時間は夢を裏切らないし、隠された真実もやがて明らかにしてくれる。
薄っぺらい人間性を匿名で頭だけ隠し、尻尾が見えたまま私への誹謗中傷を繰り返していたTwitter上のネットストーカー、皆から嫌われ者の心も容姿も醜すぎるアラフィフ、アラフォーのオッサンの輩たちは、類は友を呼び、すっかり影を潜めて誰からも相手にされない元の木阿弥となり、哀れな末路を人知れず辿っているようです。(*´∀`)♪

2001年夏、戦後日本を代表する月刊少年雑誌『少年画報』を総覧する【少年画報大全】を監修する大役に、当時まだ駆け出しで無名、三十代前半の研究者だった私、本間正幸が大抜擢される一世一代の幸運を手に入れることが出来ました。
漫画史研究家の風雲児として、チャンスを生かし世に出ることが出来た私。(*´∀`)♪
以来、インタビューで御逢いできた先生方、特集を組ませていただいた先生方、少年時代からファンだった先生方、パーティー会場などで御会いして御挨拶させていただいた先生方に、ファンレター&感謝の気持ちを込めて毎年年賀状を送らせていただいております。
今年も温故知新、和魂洋才の精神で、粉骨砕身、精一杯頑張っていく所存です。

第四弾は、私達世代の女性達にカリスマ的な人気を誇る少女漫画家として知られる萩尾望都先生からの年賀状と、萩尾望都名作名言手帳2014目当てで初めて購入した、月刊YOU12月号です!
「ポーの一族」「トーマの心臓」「11人いる!」「百億の昼と千億の夜」「スター・レッド」「メッシュ」「半神」「マージナル」「イグアナの娘」「残酷な神が支配する」「バルバラ異界」「あぶな坂HOTEL」「王妃マルゴ」のイラスト入りで期待以上だったこの付録。
使うのがあまりにも惜しいので、取り合えず3月迄は、引き続き前回紹介した峰不二子ちゃん手帳を使う予定です。
さて、月刊YOUでは、萩尾望都先生の「王妃マルゴ」が激動の第二部クライマックス!
コミックス2巻、12/25発売決定!
次回は2014年掲載予定です。


第三弾は、私の心の恋人・峰不二子ちゃんからの年賀状?

いえいえ、【ルパン三世】の原作者であるモンキー・パンチ先生からの年賀状が右の画像なのです。(*´∀`)♪
現在、私が使っているスケジュール帳は、左の画像の通り峰不二子ちゃんのキャラクター手帳。
私は、数ある【ルパン三世】作品群の中でも、子供時代にリアルタイムで観たファーストルパンに出てくる不二子ちゃんの大ファン。
昨夏、最新のBlu-rayを購入したばかりなので、【ルパン三世】第1シリーズ全23話に加え、【峰不二子という女】全13話、現在、スカパー【BSアニマックス】で放送中の第2シリーズも、全て録画、永久保存に挑戦中!
映画やOVA、テレビスペシャルも、これからは【ルパン三世】と名の付くものは全て録画、保存していく覚悟です。


第2段は杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長から。

伝説のトキワ荘のメンバーであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名なアニメーターの鈴木伸一さん。
初対面は1999年。
当時、私はマンガ喫茶メトロポリスを池袋で経営しており、鈴木館長はスタジオゼロを主宰していた。
手塚治虫文化賞のパーティー会場で挨拶をし、マツダ映画社が保存する貴重なアニメーションフィルムや、手塚先生の初期SF三部作として知られる【メトロポリス】についてなど、共通の話題で意気投合。
赤塚不二夫先生の企画展レセプション会場でお逢い出来たり。
それからは、毎年のように東京国際アニメフェア、手塚治虫文化賞で御一緒させてもらうようになり、杉並アニメーションミュージアムオープンの際には、レセプションパーティーへ呼ばれたほど。(*´∀`)♪
館長と私は、大の手塚ファン、そして【フクちゃん】の横山隆一先生のファンだけでなく、ウォルトディズニーの初期アニメーションや【正ちゃんの冒険】や雑誌『航空少年』の表紙などで知られる挿絵画家・樺島勝一さんのファン。
共通の作家さんが被っているのです。
さて、杉並アニメーションミュージアムでは、新年は1月5日からオープン。
毎週月曜日は休館日となります。
現在企画展は、【テレビアニメ放送50周年展Vol.3~アニメのお仕事エトセトラ~】が4/13まで入館無料で開催されています。
開館時間10:00~18:00*最終入館17:30
住所
〒167-0043
東京都杉並区上荻3-29-5 杉並会館3階

詳しくは

http://www.sam.or.jp/

にて確認を。


先ずは私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名前の由来となった作品を手掛けている手塚治虫先生の版権を管理する手塚プロダクション資料室長・森晴路さんからの年賀状になります。

今から30年以上前、私の高校時代には、高田馬場セブンビル2Fに手塚プロダクションはありました。
当時の手塚プロさんは、ファンサービスとして土曜の午後に見学会を開いていました。
熱狂的な手塚ファンだった私は、資料室の存在に興味を持ち、初対面の森さんに無理を云って図々しくも資料室に入り浸るようになったのです。
掲載誌から切り抜いた作品をファイルした膨大な資料の山に、高価な復刻本であった虫の標本箱の数々。
今のようにマンガ喫茶などまだ何処にもない時代、開館から五年目となる現代マンガ図書館の利用料は高く、読めるのは市販され持っている本ばかり。
オープンから通い始めて五年、既に現代マンガ図書館では物足りなくなっていた私は、現代マンガ図書館の会員を早々と卒業し、手塚ファンの楽園を資料室の中に見出だし、果てしなき漫画収集、漫画史研究家への道を歩み出すことになるのですが、その話は又、日を改めまして。



2014年1月3日(金)午前10時より弥生美術館にて待望の【生誕110年 降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】、竹久夢二美術館【夢二の子ども絵とすごろくー大正~昭和初期の小さなワンダーランドー】展が始まりました。
2月9日(日)14:00~弥生美術館のギャラリートークでは、伊藤彦造先生次女・伊藤布三子氏(日本舞踊家:立花志津彦)が参加されます

*河出書房新社より、展覧会にあわせて画集出版予定。

続いて姉妹館:竹久夢二美術館では午後3時より学芸員によるギャラリートーク。
二館併せて一般900円で御覧いただけます。
入館は午後4時半まで。

私が2002年から所属する日本出版美術研究会の会合も、この日にあるので当日は会場にいます。(*´∀`)♪
彦造先生の次女である伊藤布三子さんには、前回、2006年の弥生美術館での企画展の際に、【少年画報大全】監修者として初めて御挨拶させていただきました。
以来、毎年の私の年賀状の挨拶に対して、御返事までいただける嬉しさ。(*´∀`)♪

以下、毎年恒例となりましたアニメ史研究&漫画史研究家・本間正幸の2014年年賀状の紹介です。(*´∀`)♪


彦造傑作名画集より「初陣」『少年画報』昭和26年4月号。

郵便番号104-0044

東京都中央区明石町1-3-404

株式会社パインウッドカンパニー

TEL:03-5939-6991

Facebook、Twitter、訪問者累計24万人達成のgooブログもよろしく!

『漫画の匠』http://www.manganotakumi.com


剣豪・伊藤一刀斎の末裔として知られる神業絵師・伊藤彦造(1904~2004)先生。
戦前の『少年倶楽部』にて、我が本間一族の本拠地となる庄内鶴岡出身で、武者絵を得意とする山口将吉郎先生、【正ちゃんの冒険】や『航空少年』の表紙でも活躍された樺島勝一先生と共に、日本中の熱血少年達に支持された日本を代表する神業絵師である。

伊藤彦造先生や、庄内藩の武士の末裔である山口将吉郎先生が描くサムライの絵に私が魅せられてしまうのは、関東武士集団発祥の際、小野姓横山党本間から始まり、佐渡の地頭を経て、庄内藩のサムライとして明治維新を迎えたサムライ一族の末裔として、先祖伝来の血筋の中に息ずく遺伝子、今から30年前に47歳で亡くなった父より私の子供時代から厳しく叩き込まれた武士道精神の影響が強くあるようです。
アニメ史研究&漫画史研究家として在野で活動を続ける私の年賀状に、伊藤彦造先生の絵の使用許諾のOKがいただけたこと、2001年に【少年画報大全】監修者として、当時、多忙を極めていた故・米澤嘉博さんの代役として大抜擢をしていただけた当時の編集担当部長、現在は少年画報社・社長であられる戸田利吉郎さんに心から感謝すると共に、出版不況である2014年現在も【少年画報大全】は2001年から増刷を続ける現役書籍であり、監修者である私・本間正幸は、第一線で活動を続ける現役バリバリの漫画史研究家であり続けられることを誇りに思います。
【少年画報大全】監修者である私は、『少年画報』で活躍された全ての作家さんたちの思いを、アニメ史&漫画史研究家として、日本の漫画やアニメ、映画を心から愛する読者の皆さんに、生涯正しく伝えていきたいと心から願っております。
2014年も引き続きお付き合いのほどよろしくね!(*´∀`)♪


【少年画報大全】監修

本間正幸

*戦後マッカーサーのGHQにより、絵師の身でありながら戦犯容疑をかけられ、米軍座間キャンプに収容された伊藤彦造先生と、日本一の大地主と云われたため標的とされ、農地改革のモデルケースとして三千ヘクタールに及ぶ広大な農地の殆んどを没収された庄内の我が本間一族の間に、不思議な因縁めいたものを感じるのは私だけ?
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峰不二子という女からの年賀状? 2014

2014-01-08 22:51:19 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
2001年夏、戦後日本を代表する月刊少年雑誌『少年画報』を総覧する【少年画報大全】を監修する大役に、当時まだ駆け出しで無名、三十代前半の研究者だった私、本間正幸が大抜擢される一世一代の幸運を手に入れることが出来ました。
漫画史研究家の風雲児として、チャンスを生かし世に出ることが出来た私。(*´∀`)♪
以来、インタビューで御逢いできた先生方、特集を組ませていただいた先生方、少年時代からファンだった先生方、パーティー会場などで御会いして御挨拶させていただいた先生方に、ファンレター&感謝の気持ちを込めて毎年年賀状を送らせていただいております。

第三弾は、私の心の恋人・峰不二子ちゃんからの年賀状?

いえいえ、【ルパン三世】の原作者であるモンキー・パンチ先生からの年賀状が右の画像なのです。(*´∀`)♪
現在、私が使っているスケジュール帳は、左の画像の通り峰不二子ちゃんのキャラクター手帳。
私は、数ある【ルパン三世】作品群の中でも、子供時代にリアルタイムで観たファーストルパンに出てくる不二子ちゃんの大ファン。
昨夏、最新のBlu-rayを購入したばかりなので、【ルパン三世】第1シリーズ全23話に加え、【峰不二子という女】全13話、現在、スカパー【BSアニマックス】で放送中の第2シリーズも、全て録画、永久保存に挑戦中!
映画やOVA、テレビスペシャルも、これからは【ルパン三世】と名の付くものは全て録画、保存していく覚悟です。


第2段は杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長から。

伝説のトキワ荘のメンバーであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名なアニメーターの鈴木伸一さん。
初対面は1999年。
当時、私はマンガ喫茶メトロポリスを池袋で経営しており、鈴木館長はスタジオゼロを主宰していた。
手塚治虫文化賞のパーティー会場で挨拶をし、マツダ映画社が保存する貴重なアニメーションフィルムや、手塚先生の初期SF三部作として知られる【メトロポリス】についてなど、共通の話題で意気投合。
赤塚不二夫先生の企画展レセプション会場でお逢い出来たり。
それからは、毎年のように東京国際アニメフェア、手塚治虫文化賞で御一緒させてもらうようになり、杉並アニメーションミュージアムオープンの際には、レセプションパーティーへ呼ばれたほど。(*´∀`)♪
館長と私は、大の手塚ファン、そして【フクちゃん】の横山隆一先生のファンだけでなく、ウォルトディズニーの初期アニメーションや【正ちゃんの冒険】や雑誌『航空少年』の表紙などで知られる挿絵画家・樺島勝一さんのファン。
共通の作家さんが被っているのです。
さて、杉並アニメーションミュージアムでは、新年は1月5日からオープン。
毎週月曜日は休館日となります。
現在企画展は、【テレビアニメ放送50周年展Vol.3~アニメのお仕事エトセトラ~】が4/13まで入館無料で開催されています。
開館時間10:00~18:00*最終入館17:30
住所
〒167-0043
東京都杉並区上荻3-29-5 杉並会館3階

詳しくは

http://www.sam.or.jp/

にて確認を。


先ずは私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名前の由来となった作品を手掛けている手塚治虫先生の版権を管理する手塚プロダクション資料室長・森晴路さんからの年賀状になります。

今から30年以上前、私の高校時代には、高田馬場セブンビル2Fに手塚プロダクションはありました。
当時の手塚プロさんは、ファンサービスとして土曜の午後に見学会を開いていました。
熱狂的な手塚ファンだった私は、資料室の存在に興味を持ち、初対面の森さんに無理を云って図々しくも資料室に入り浸るようになったのです。
掲載誌から切り抜いた作品をファイルした膨大な資料の山に、高価な復刻本であった虫の標本箱の数々。
今のようにマンガ喫茶などまだ何処にもない時代、開館から五年目となる現代マンガ図書館の利用料は高く、読めるのは市販され持っている本ばかり。
オープンから通い始めて五年、既に現代マンガ図書館では物足りなくなっていた私は、現代マンガ図書館の会員を早々と卒業し、手塚ファンの楽園を資料室の中に見出だし、果てしなき漫画収集、漫画史研究家への道を歩み出すことになるのですが、その話は又、日を改めまして。



2014年1月3日(金)午前10時より弥生美術館にて待望の【生誕110年 降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】、竹久夢二美術館【夢二の子ども絵とすごろくー大正~昭和初期の小さなワンダーランドー】展が始まりました。
2月9日(日)14:00~弥生美術館のギャラリートークでは、伊藤彦造先生次女・伊藤布三子氏(日本舞踊家:立花志津彦)が参加されます

*河出書房新社より、展覧会にあわせて画集出版予定。

続いて姉妹館:竹久夢二美術館では午後3時より学芸員によるギャラリートーク。
二館併せて一般900円で御覧いただけます。
入館は午後4時半まで。

私が2002年から所属する日本出版美術研究会の会合も、この日にあるので当日は会場にいます。(*´∀`)♪
彦造先生の次女である伊藤布三子さんには、前回、2006年の弥生美術館での企画展の際に、【少年画報大全】監修者として初めて御挨拶させていただきました。
以来、毎年の私の年賀状の挨拶に対して、御返事までいただける嬉しさ。(*´∀`)♪

以下、毎年恒例となりましたアニメ史研究&漫画史研究家・本間正幸の2014年年賀状の紹介です。(*´∀`)♪


彦造傑作名画集より「初陣」『少年画報』昭和26年4月号。

郵便番号104-0044

東京都中央区明石町1-3-404

株式会社パインウッドカンパニー

TEL:03-5939-6991

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『漫画の匠』http://www.manganotakumi.com


剣豪・伊藤一刀斎の末裔として知られる神業絵師・伊藤彦造(1904~2004)先生。
戦前の『少年倶楽部』にて、我が本間一族の本拠地となる庄内鶴岡出身で、武者絵を得意とする山口将吉郎先生、【正ちゃんの冒険】や『航空少年』の表紙でも活躍された樺島勝一先生と共に、日本中の熱血少年達に支持された日本を代表する神業絵師である。

伊藤彦造先生や、庄内藩の武士の末裔である山口将吉郎先生が描くサムライの絵に私が魅せられてしまうのは、関東武士集団発祥の際、小野姓横山党本間から始まり、佐渡の地頭を経て、庄内藩のサムライとして明治維新を迎えたサムライ一族の末裔として、先祖伝来の血筋の中に息ずく遺伝子、今から30年前に47歳で亡くなった父より私の子供時代から厳しく叩き込まれた武士道精神の影響が強くあるようです。
アニメ史研究&漫画史研究家として在野で活動を続ける私の年賀状に、伊藤彦造先生の絵の使用許諾のOKがいただけたこと、2001年に【少年画報大全】監修者として、当時、多忙を極めていた故・米澤嘉博さんの代役として大抜擢をしていただけた当時の編集担当部長、現在は少年画報社・社長であられる戸田利吉郎さんに心から感謝すると共に、出版不況である2014年現在も【少年画報大全】は2001年から増刷を続ける現役書籍であり、監修者である私・本間正幸は、第一線で活動を続ける現役バリバリの漫画史研究家であり続けられることを誇りに思います。
【少年画報大全】監修者である私は、『少年画報』で活躍された全ての作家さんたちの思いを、アニメ史&漫画史研究家として、日本の漫画やアニメ、映画を心から愛する読者の皆さんに、生涯正しく伝えていきたいと心から願っております。
2014年も引き続きお付き合いのほどよろしくね!(*´∀`)♪


【少年画報大全】監修

本間正幸

*戦後マッカーサーのGHQにより、絵師の身でありながら戦犯容疑をかけられ、米軍座間キャンプに収容された伊藤彦造先生と、日本一の大地主と云われたため標的とされ、農地改革のモデルケースとして三千ヘクタールに及ぶ広大な農地の殆んどを没収された庄内の我が本間一族の間に、不思議な因縁めいたものを感じるのは私だけ?
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毎年恒例! 漫画家さんからの年賀状紹介2014 【杉並アニメーションミュージアム】鈴木伸一館長

2014-01-07 00:49:00 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
2001年夏、戦後日本を代表する月刊少年雑誌『少年画報』を総覧する【少年画報大全】を監修する大役に、当時まだ駆け出しで無名、三十代前半の研究者だった私、本間正幸が大抜擢される一世一代の幸運を手に入れることが出来ました。
漫画史研究家の風雲児として、チャンスを生かし世に出ることが出来た私。(*´∀`)♪
以来、インタビューで御逢いできた先生方、特集を組ませていただいた先生方、少年時代からファンだった先生方、パーティー会場などで御会いして御挨拶させていただいた先生方に、ファンレター&感謝の気持ちを込めて毎年年賀状を送らせていただいております。

第2段は杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長から。

伝説のトキワ荘のメンバーであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名なアニメーターの鈴木伸一さん。
初対面は1999年。
当時、私はマンガ喫茶メトロポリスを池袋で経営しており、鈴木館長はスタジオゼロを主宰していた。
手塚治虫文化賞のパーティー会場で挨拶をし、マツダ映画社が保存する貴重なアニメーションフィルムや、手塚先生の初期SF三部作として知られる【メトロポリス】についてなど、共通の話題で意気投合。
赤塚不二夫先生の企画展レセプション会場でお逢い出来たり。
それからは、毎年のように東京国際アニメフェア、手塚治虫文化賞で御一緒させてもらうようになり、杉並アニメーションミュージアムオープンの際には、レセプションパーティーへ呼ばれたほど。(*´∀`)♪
館長と私は、大の手塚ファン、そして【フクちゃん】の横山隆一先生のファンだけでなく、ウォルトディズニーの初期アニメーションや【正ちゃんの冒険】や雑誌『航空少年』の表紙などで知られる挿絵画家・樺島勝一さんのファン。
共通の作家さんが被っているのです。
さて、杉並アニメーションミュージアムでは、新年は1月5日からオープン。
毎週月曜日は休館日となります。
現在企画展は、【テレビアニメ放送50周年展Vol.3~アニメのお仕事エトセトラ~】が4/13まで入館無料で開催されています。
開館時間10:00~18:00*最終入館17:30
住所
〒167-0043
東京都杉並区上荻3-29-5 杉並会館3階

詳しくは

http://www.sam.or.jp/

にて確認を。


先ずは私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名前の由来となった作品を手掛けている手塚治虫先生の版権を管理する手塚プロダクション資料室長・森晴路さんからの年賀状になります。

今から30年以上前、私の高校時代には、高田馬場セブンビル2Fに手塚プロダクションはありました。
当時の手塚プロさんは、ファンサービスとして土曜の午後に見学会を開いていました。
熱狂的な手塚ファンだった私は、資料室の存在に興味を持ち、初対面の森さんに無理を云って図々しくも資料室に入り浸るようになったのです。
掲載誌から切り抜いた作品をファイルした膨大な資料の山に、高価な復刻本であった虫の標本箱の数々。
今のようにマンガ喫茶などまだ何処にもない時代、開館から五年目となる現代マンガ図書館の利用料は高く、読めるのは市販され持っている本ばかり。
オープンから通い始めて五年、既に現代マンガ図書館では物足りなくなっていた私は、現代マンガ図書館の会員を早々と卒業し、手塚ファンの楽園を資料室の中に見出だし、果てしなき漫画収集、漫画史研究家への道を歩み出すことになるのですが、その話は又、日を改めまして。



2014年1月3日(金)午前10時より弥生美術館にて待望の【生誕110年 降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】、竹久夢二美術館【夢二の子ども絵とすごろくー大正~昭和初期の小さなワンダーランドー】展が始まりました。
2月9日(日)14:00~弥生美術館のギャラリートークでは、伊藤彦造先生次女・伊藤布三子氏(日本舞踊家:立花志津彦)が参加されます

*河出書房新社より、展覧会にあわせて画集出版予定。

続いて姉妹館:竹久夢二美術館では午後3時より学芸員によるギャラリートーク。
二館併せて一般900円で御覧いただけます。
入館は午後4時半まで。

私が2002年から所属する日本出版美術研究会の会合も、この日にあるので当日は会場にいます。(*´∀`)♪
彦造先生の次女である伊藤布三子さんには、前回、2006年の弥生美術館での企画展の際に、【少年画報大全】監修者として初めて御挨拶させていただきました。
以来、毎年の私の年賀状の挨拶に対して、御返事までいただける嬉しさ。(*´∀`)♪

以下、毎年恒例となりましたアニメ史研究&漫画史研究家・本間正幸の2014年年賀状の紹介です。(*´∀`)♪


彦造傑作名画集より「初陣」『少年画報』昭和26年4月号。

郵便番号104-0044

東京都中央区明石町1-3-404

株式会社パインウッドカンパニー

TEL:03-5939-6991

Facebook、Twitter、訪問者累計24万人達成のgooブログもよろしく!

『漫画の匠』http://www.manganotakumi.com


剣豪・伊藤一刀斎の末裔として知られる神業絵師・伊藤彦造(1904~2004)先生。
戦前の『少年倶楽部』にて、我が本間一族の本拠地となる庄内鶴岡出身で、武者絵を得意とする山口将吉郎先生、【正ちゃんの冒険】や『航空少年』の表紙でも活躍された樺島勝一先生と共に、日本中の熱血少年達に支持された日本を代表する神業絵師である。

伊藤彦造先生や、庄内藩の武士の末裔である山口将吉郎先生が描くサムライの絵に私が魅せられてしまうのは、関東武士集団発祥の際、小野姓横山党本間から始まり、佐渡の地頭を経て、庄内藩のサムライとして明治維新を迎えたサムライ一族の末裔として、先祖伝来の血筋の中に息ずく遺伝子、今から30年前に47歳で亡くなった父より私の子供時代から厳しく叩き込まれた武士道精神の影響が強くあるようです。
アニメ史研究&漫画史研究家として在野で活動を続ける私の年賀状に、伊藤彦造先生の絵の使用許諾のOKがいただけたこと、2001年に【少年画報大全】監修者として、当時、多忙を極めていた故・米澤嘉博さんの代役として大抜擢をしていただけた当時の編集担当部長、現在は少年画報社・社長であられる戸田利吉郎さんに心から感謝すると共に、出版不況である2014年現在も【少年画報大全】は2001年から増刷を続ける現役書籍であり、監修者である私・本間正幸は、第一線で活動を続ける現役バリバリの漫画史研究家であり続けられることを誇りに思います。
【少年画報大全】監修者である私は、『少年画報』で活躍された全ての作家さんたちの思いを、アニメ史&漫画史研究家として、日本の漫画やアニメ、映画を心から愛する読者の皆さんに、生涯正しく伝えていきたいと心から願っております。
2014年も引き続きお付き合いのほどよろしくね!(*´∀`)♪


【少年画報大全】監修

本間正幸

*戦後マッカーサーのGHQにより、絵師の身でありながら戦犯容疑をかけられ、米軍座間キャンプに収容された伊藤彦造先生と、日本一の大地主と云われたため標的とされ、農地改革のモデルケースとして三千ヘクタールに及ぶ広大な農地の殆んどを没収された庄内の我が本間一族の間に、不思議な因縁めいたものを感じるのは私だけ?
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毎年恒例! 漫画家さんからの年賀状紹介2014 【手塚プロダクション】

2014-01-04 22:09:05 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
2001年夏、戦後日本を代表する月刊少年雑誌『少年画報』を総覧する【少年画報大全】を監修する大役に、当時まだ駆け出しで無名、三十代前半の研究者だった私、本間正幸が大抜擢される一世一代の幸運を手に入れることが出来ました。
漫画史研究家の風雲児として、チャンスを生かし世に出ることが出来た私。(*´∀`)♪
以来、インタビューで御逢いできた先生方、特集を組ませていただいた先生方、少年時代からファンだった先生方、パーティー会場などで御会いして御挨拶させていただいた先生方に、ファンレター&感謝の気持ちを込めて毎年年賀状を送らせていただいております。

先ずは私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名前の由来となった作品を手掛けている手塚治虫先生の版権を管理する手塚プロダクション資料室長・森晴路さんからの年賀状になります。

今から30年以上前、私の高校時代には、高田馬場セブンビル2Fに手塚プロダクションはありました。
当時の手塚プロさんは、ファンサービスとして土曜の午後に見学会を開いていました。
熱狂的な手塚ファンだった私は、資料室の存在に興味を持ち、初対面の森さんに無理を云って図々しくも資料室に入り浸るようになったのです。
掲載誌から切り抜いた作品をファイルした膨大な資料の山に、高価な復刻本であった虫の標本箱の数々。
今のようにマンガ喫茶などまだ何処にもない時代、開館から五年目となる現代マンガ図書館の利用料は高く、読めるのは市販され持っている本ばかり。
オープンから通い始めて五年、既に現代マンガ図書館では物足りなくなっていた私は、現代マンガ図書館の会員を早々と卒業し、手塚ファンの楽園を資料室の中に見出だし、果てしなき漫画収集、漫画史研究家への道を歩み出すことになるのですが、その話は又、日を改めまして。



2014年1月3日(金)午前10時より弥生美術館にて待望の【生誕110年 降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】、竹久夢二美術館【夢二の子ども絵とすごろくー大正~昭和初期の小さなワンダーランドー】展が始まりました。
2月9日(日)14:00~弥生美術館のギャラリートークでは、伊藤彦造先生次女・伊藤布三子氏(日本舞踊家:立花志津彦)が参加されます

*河出書房新社より、展覧会にあわせて画集出版予定。

続いて姉妹館:竹久夢二美術館では午後3時より学芸員によるギャラリートーク。
二館併せて一般900円で御覧いただけます。
入館は午後4時半まで。

私が2002年から所属する日本出版美術研究会の会合も、この日にあるので当日は会場にいます。(*´∀`)♪
彦造先生の次女である伊藤布三子さんには、前回、2006年の弥生美術館での企画展の際に、【少年画報大全】監修者として初めて御挨拶させていただきました。
以来、毎年の私の年賀状の挨拶に対して、御返事までいただける嬉しさ。(*´∀`)♪

以下、毎年恒例となりましたアニメ史研究&漫画史研究家・本間正幸の2014年年賀状の紹介です。(*´∀`)♪


彦造傑作名画集より「初陣」『少年画報』昭和26年4月号。

郵便番号104-0044

東京都中央区明石町1-3-404

株式会社パインウッドカンパニー

TEL:03-5939-6991

Facebook、Twitter、訪問者累計24万人達成のgooブログもよろしく!

『漫画の匠』http://www.manganotakumi.com


剣豪・伊藤一刀斎の末裔として知られる神業絵師・伊藤彦造(1904~2004)先生。
戦前の『少年倶楽部』にて、我が本間一族の本拠地となる庄内鶴岡出身で、武者絵を得意とする山口将吉郎先生、【正ちゃんの冒険】や『航空少年』の表紙でも活躍された樺島勝一先生と共に、日本中の熱血少年達に支持された日本を代表する神業絵師である。

伊藤彦造先生や、庄内藩の武士の末裔である山口将吉郎先生が描くサムライの絵に私が魅せられてしまうのは、関東武士集団発祥の際、小野姓横山党本間から始まり、佐渡の地頭を経て、庄内藩のサムライとして明治維新を迎えたサムライ一族の末裔として、先祖伝来の血筋の中に息ずく遺伝子、今から30年前に47歳で亡くなった父より私の子供時代から厳しく叩き込まれた武士道精神の影響が強くあるようです。
アニメ史研究&漫画史研究家として在野で活動を続ける私の年賀状に、伊藤彦造先生の絵の使用許諾のOKがいただけたこと、2001年に【少年画報大全】監修者として、当時、多忙を極めていた故・米澤嘉博さんの代役として大抜擢をしていただけた当時の編集担当部長、現在は少年画報社・社長であられる戸田利吉郎さんに心から感謝すると共に、出版不況である2014年現在も【少年画報大全】は2001年から増刷を続ける現役書籍であり、監修者である私・本間正幸は、第一線で活動を続ける現役バリバリの漫画史研究家であり続けられることを誇りに思います。
【少年画報大全】監修者である私は、『少年画報』で活躍された全ての作家さんたちの思いを、アニメ史&漫画史研究家として、日本の漫画やアニメ、映画を心から愛する読者の皆さんに、生涯正しく伝えていきたいと心から願っております。
2014年も引き続きお付き合いのほどよろしくね!(*´∀`)♪


【少年画報大全】監修

本間正幸

*戦後マッカーサーのGHQにより、絵師の身でありながら戦犯容疑をかけられ、米軍座間キャンプに収容された伊藤彦造先生と、日本一の大地主と云われたため標的とされ、農地改革のモデルケースとして三千ヘクタールに及ぶ広大な農地の殆んどを没収された庄内の我が本間一族の間に、不思議な因縁めいたものを感じるのは私だけ?
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日曜夜からの体調不良と、【ルパン三世】原作者であるモンキー・パンチ先生からの嬉しい寒中見舞い。

2013-01-24 00:56:23 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
日曜日の夕方から、突然体調を崩してしまい、珍しく三日間寝込んでいました。(涙)

激しい腹痛と吐き気により、珍しく食欲も無く、何もやる気が起きない状態が続きましたが、どうやらやっと山場も越えたようなので、活動再開宣言です。(笑)

今日の画像は、私の大好きな【ルパン三世】原作者である漫画家のモンキー・パンチ先生からの寒中見舞いです。
【ルパン三世】大ファンである私の元に、モンキー先生からのメッセージ付き寒中見舞いが届いたら、もう寝込んでなんかいられません。

健康で元気だけが取り柄の私なので、頑張らなければ。(笑)




漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

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『漫画の匠』
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漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を、次に、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのものを紹介。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、少年時代に愛読していた藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の影響から多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きになり、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の藤子不二雄@先生からの年賀状に書いてある

「毒蛇は急がない」

は、藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の中に出てくるエピソード。

蛇の顔が【笑うせえるすまん】の喪黒福造で、ゴルフボールを抱えてます。
富山から上京したてで@先生の両国の親戚の家に最初に下宿した藤子不二雄先生二人のコンビは、二畳一間の下宿の主人から、作家としての心構えを説かれたのが「毒蛇は急がない」のエピソード。

後にあの伝説のトキワ荘の四畳半へ移り住む前の印象深い話である。

私が、漫画史研究家として【少年画報大全】でメジャーデビューした際、当時担当編集者であった編集長の添田さんと、当時の編集部長であり、現在は少年画報社の社長である戸田さんから云われたことがある。

「これからは、お金のためだといって変な仕事はするな。ちゃんと仕事は選べよ。」

武士は食わねど高楊枝。

私は、今まで旅行会社の添乗員としても、漫画史研究家・本間正幸としての署名入りの仕事も、お金のために人として恥ずべき生き方をしたことが一切ありません。
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。
今年、赤塚不二夫先生のお嬢さんである赤塚りえ子さんが代表を務めるフジオ・プロダクションからの年賀状には、二匹のへび達が登場。

「くだらん!!」

「どうしたの?青大将のジョナサン?」

「おれはただのヘビじゃないぞ!!」

「ぼくにはただのヘビにしかみえないけど・・・」

「よしっ東京へいこう!!そしてりっぱなヘビになって故郷へニシキヘビをかざるんだ!!」

今年は、NHKBSで毎週日曜日の朝、少女時代に山形の庄内地方で苦労に苦労を重ねた【おしん】が再放送され、TBSの日曜劇場では【とんび】が放送されます。

「私も、名実ともに日本一のリッパな漫画史研究家となって、父の故郷である庄内地方へ父の代わりとなってニシキヘビをかざるんだ!!」

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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赤塚不二夫先生は、故郷にニシキヘビを飾れたのか!

2013-01-13 21:18:20 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

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郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

『漫画の匠』
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漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を、次に、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのものを紹介。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、少年時代に愛読していた藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の影響から多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きになり、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の藤子不二雄@先生からの年賀状に書いてある

「毒蛇は急がない」

は、藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の中に出てくるエピソード。

蛇の顔が【笑うせえるすまん】の喪黒福造で、ゴルフボールを抱えてます。
富山から上京したてで@先生の両国の親戚の家に最初に下宿した藤子不二雄先生二人のコンビは、二畳一間の下宿の主人から、作家としての心構えを説かれたのが「毒蛇は急がない」のエピソード。

後にあの伝説のトキワ荘の四畳半へ移り住む前の印象深い話である。

私が、漫画史研究家として【少年画報大全】でメジャーデビューした際、当時担当編集者であった編集長の添田さんと、当時の編集部長であり、現在は少年画報社の社長である戸田さんから云われたことがある。

「これからは、お金のためだといって変な仕事はするな。ちゃんと仕事は選べよ。」

武士は食わねど高楊枝。

私は、今まで旅行会社の添乗員としても、漫画史研究家・本間正幸としての署名入りの仕事も、お金のために人として恥ずべき生き方をしたことが一切ありません。
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。
今年、赤塚不二夫先生のお嬢さんである赤塚りえ子さんが代表を務めるフジオ・プロダクションからの年賀状には、二匹のへび達が登場。

「くだらん!!」

「どうしたの?青大将のジョナサン?」

「おれはただのヘビじゃないぞ!!」

「ぼくにはただのヘビにしかみえないけど・・・」

「よしっ東京へいこう!!そしてりっぱなヘビになって故郷へニシキヘビをかざるんだ!!」

今年は、NHKBSで毎週日曜日の朝、少女時代に山形の庄内地方で苦労に苦労を重ねた【おしん】が再放送され、TBSの日曜劇場では【とんび】が放送されます。

「私も、名実ともに日本一のリッパな漫画史研究家となって、父の故郷である庄内地方へ父の代わりとなってニシキヘビをかざるんだ!!」

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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藤子不二雄@先生、毒蛇は急がない

2013-01-12 20:32:17 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

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故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

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漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を、次に、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのものを紹介。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、少年時代に愛読していた藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の影響から多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きになり、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の藤子不二雄@先生からの年賀状に書いてある

「毒蛇は急がない」

は、藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の中に出てくるエピソード。

蛇の顔が【笑うせえるすまん】の喪黒福造で、ゴルフボールを抱えてます。
富山から上京したてで@先生の両国の親戚の家に最初に下宿した藤子不二雄先生二人のコンビは、二畳一間の下宿の主人から、作家としての心構えを説かれたのが「毒蛇は急がない」のエピソード。

後にあの伝説のトキワ荘の四畳半へ移り住む前の印象深い話である。

私が、漫画史研究家として【少年画報大全】でメジャーデビューした際、当時担当編集者であった編集長の添田さんと、当時の編集部長であり、現在は少年画報社の社長である戸田さんから云われたことがある。

「これからは、お金のためだといって変な仕事はするな。ちゃんと仕事は選べよ。」

武士は食わねど高楊枝。

私は、今まで旅行会社の添乗員としても、漫画史研究家・本間正幸としての署名入りの仕事も、お金のために人として恥ずべき生き方をしたことが一切ありません。
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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横山まさみち先生からの年賀状と、深夜3 時からラジオ日本の番組に石森史郎先生が出演します。

2013-01-11 02:52:17 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

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漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

今夜の画像は、御存知【やる気まんまん】のオットセイくんです。

私は、作者である横山まさみち先生の貸本時代の代表作【ああ青春】の大ファン。

【ああ青春】は、様々な境遇や家庭環境のため、昼間でなく夜間高校で青春時代を過ごさなければならなかった主人公と、その友人たちの青春群像を描いた貸本末期を代表する大傑作です。
私が漫画史研究家として【少年画報大全】でメジャーデビュー出来たのは、2001年だったため、私に明治学院大学の夜間で学ぶ決心をさせてくれた、大ファンである横山まさみち先生に御逢いすることは生涯出来ませんでした。
横山先生のお別れ会の案内の通知が来た時、元『ヤングコミック』の編集長として、横山まさみち先生とも古くから親交の有ったサードハウスの編集者桑村誠二郎さんのお伴として参加することが出来ました。
昨年亡くなられた桑村さんは、お別れ会参加にあたり、私のためにサードハウスの名刺を作ってくれたので、桑村さんと親交のある漫画界の大御所の先生方とも、話をするきっかけが出来たのです。
横山先生作品の版権を管理して守っていらっしゃる長男の晃彦さんは、とても優しい方なので、これといって横山先生作品の復刻に貢献出来ていない私の所にまで毎年年賀状の返事を送ってくださいます。
今年こそかねてからの私の悲願である横山先生作品の本質【ああ青春】の完全復刻を、電子書籍として実現したいですね。
今夜は、この後深夜3時から、脚本家である石森史郎先生がラジオ日本の「カフェ」に一時間出演されるので、告知も兼ねて深夜のブログ更新とさせていただきました。
ラジオを聴いたら直ぐに眠ります。
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祝!テレビアニメ50年!!鉄腕アトム放送50 周年記念と手塚プロさんからの年賀状

2013-01-09 21:45:36 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

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郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

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漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

昨日は、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を紹介させて貰いましたが、鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。

今日の年賀状は、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのもの。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

【リボンの騎士】は、虫プロのテレビアニメの再放送から、音楽、漫画と全て私好み。

【鉄腕アトム】は、漫画からリバイバルのカラー放送を見て。

【ブラック・ジャック】は、『週刊少年チャンピオン』の連載時からリアルタイムで、初出のカラー扉も楽しむことが出来ました。
「沈む女」の二色ページは美しく、ストーリーはあまりにも物悲し過ぎて・・・。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きで、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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あれっ!ラーメン大好き小池さん?今年も沢山の年賀状の返事が貰えたよ!!

2013-01-08 21:14:24 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

株式会社 パインウッドカンパニー

郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com

漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずはスタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状です。
鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。
杉並アニメーションミュージアムのスタッフの皆さんとは、ミュージアムがオープンした時からの長い付き合い。
昨年は、上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】のアニメ上映に伴い、私が発行名義人を務めるオンデマンド本の販売をミュージアム館内でしていただきました。
今年は、何度ミュージアムへ行けるかな?
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臥薪嘗胆の時を経て213 年は温故知新の志で!!

2013-01-01 20:40:17 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
漫画史研究家であえる私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

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漫画史研究家 本間正幸
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天才バカボン OP -Full-

2010-09-16 10:00:02 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
天才バカボン OP -Full-


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バカボンパパ - 傷だらけの人生

2010-09-15 21:00:32 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
バカボンパパ - 傷だらけの人生


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昨日は、赤塚不二夫先生の命日なので・・・赤塚先生からのサイン色紙!

2010-08-03 20:33:45 | 漫画家さんからの年賀状とサイン色紙
【今日の記事は、2009年12月26日のブログ記事の再録です。】
昨日は、クリスマス!でしたね。
子供の頃は、サンタさんから貰えるプレゼントをとても楽しみにしていたものです。

大人になってからは、あまりプレゼントを貰うことがなくなりましたが、私の人生において、両親や肉親以外から貰ったプレゼントとして、一番凄い物は、赤塚不二夫先生から貰ったプレゼントかも知れません。


(今日は、赤塚不二夫先生との思い出について、3月・8月に書いたブログの再編集版です。)

青梅に赤塚先生の記念館が出来た時、真知子さんが元講談社の名編集者であり、赤塚不二夫先生とはトキワ荘時代からの長い付き合いとなる丸山昭さんに招待券を送ってくれたので、私は、丸山さんと、『月刊少女クラブ』の編集者時代の後輩になる新井善久さん二人のお供、『水戸黄門』でいうところのうっかり八兵衛の役まわりとして、護国寺(講談社)のご隠居こと当時講談社社友会(OB会)の会長をつとめていた丸山昭さんと一緒に青梅の赤塚不二夫会館の見学をさせてもらいました。
当時、真知子さんは、2001年から毎年年賀状を送ってくれていました。
以前、社団法人日本漫画家協会の会報で赤塚不二夫先生への追悼文を発表したので、今日は赤塚先生に二度目に逢った時のことを中心にもっと詳しく話してみたいと思います。
TBSテレビの『おはようクジラ』という朝の情報番組の中継を、当時私が経営していた池袋の漫画喫茶メトロポリスから行うことになり、その前日赤塚先生のコメントのVTR撮影のため小林豊アナウンサーや撮影スタッフ達と一緒にフジオ・プロを訪ねました。
二度目となるフジオ・プロ2Fのリビングで赤塚先生や真知子さん、その時偶然来ていた元チーフアシスタントの安達勉先生(『タッチ』で知られる、あだち充先生の実兄)と助手の人に囲まれて、嬉しくなってつい
「赤塚先生!僕はたいした学歴はないけれど、いつの日にか漫画史の研究者になりたいんです。」
と少年の日からの夢を打ち明けてしまいました。
すると赤塚先生は、
「俺で良かったら応援するよ。うん。応援する。」
と言ってくれたのです。
当時から、今でも漫画の研究書を出したり、大学で教授や准教授、講師をしているのは、漫画家さんか、有名大学の大学院を出た人達がほとんどです。
私は、旅行会社の添乗員のアルバイトや、奨学金を貰い、働きながら明治学院大学の夜学で学んだので、一般の人達からすると正規の明学生の学歴ではなく、むしろ映画『華麗なるギャッツビー』が第一次世界大戦に参加し、勲章を貰った軍人の褒美として、エール大学の聴講生として通った学歴を、エール大学卒業と称したのと似たようなものに見えるのかも知れません。
安達勉先生は、
「弟に逢ったことはありますか?なければいつでも紹介しますよ。」
と言ってくれました。
真知子さんからは、
「貴方は、随分漫画に詳しいみたいだから、そのうち私達のほうが御世話になる時が来るかもしれないからその時は協力してね。」
と言われたのです。
当時の私は、まだ文筆業としての活動はなく、ズブの素人の漫画好きに過ぎなかったのですが、そんな私に対して、赤塚不二夫先生や真知子さん、安達勉先生はとても親切に接してくれたのです。
あの時の三人のやさしさにあふれた笑顔は、今も私の眼に鮮やかに焼き付いてます。

(赤塚先生!!僕は、2003年春に漫画史の研究者として社団法人日本漫画家協会の正会員になれたんですよ!)

安達勉先生が亡くなられたのは2004年6月18日。
真知子さんが亡くなられたのが2006年7月12日です。
昨年放映されたフジテレビのドラマ『古畑中学生』では、『おそ松くん』の雑誌や単行本などの資料協力を、杉並アニメーションミュージアムの追悼展では赤塚先生からいただいた色紙の展示協力をさせていただきました。
2010年3月17日からは、某国立博物館に赤塚先生の作品が常設展示されます。
その下働きの手伝いを私がしているのです。
3月の東京国際アニメフェアでは、鈴木伸一館長と、りえ子さんとフジオ・プロのスタッフと私の4人で追悼展示ブースを見学し、パーティ会場へも御一緒させてもらいました。
トキワ荘で赤塚先生と縁が深かった寺田ヒロオ先生の本が、講談社から『少年のころの「思い出漫画劇場」 寺田ヒロオの世界』として8月に発売され、『COM』(虫プロ商事)掲載のトキワ荘のエピソードの漫画も収録されています。
その講談社の本に、私も資料協力やまんが年表の作成など編集協力をさせて貰っているのです。
あだち充先生とは、石井いさみ先生の紹介で少年サンデー&少年マガジン50周年大同窓会のパーティの席上で初めてお逢いすることができました。
その際、赤塚先生の所で、安達勉先生と御会い出来た話を充先生に直接お話しすることも出来ました。

いまの私なら、きっと少しは赤塚先生や真知子さん、安達勉先生3人のお役に立つことも出来るのになぁ・・・

追伸
今日の画像は、赤塚不二夫先生からいただいたサイン色紙です。
こんなに素晴らしいサイン色紙を、当時無名の一ファンにすぎなかった私に、赤塚先生は描いて、応援してくれたのです。
知名度や肩書きなどで人を判断しない、誰にでも平等に接してくれる赤塚先生の心優しい人柄が偲ばれます。

『ー大アンケートによるー少年少女小説ベスト100』(1992年・文春文庫)

に赤塚先生の次のようなコメントが載っています。

「マイベスト3

赤塚不二夫(漫画家・55歳)
1.ロビンソン漂流記(ダニエル・デフォー)

2.宝島(ロバート・L・スティーブンスン)

3.ソロモンの洞窟(ヘンリー・R・ハガード)

少年少女小説だけでなく、夢中になった伝記ものがあります。
エジソンとか、野口英世とか。
ほとんどが子供の頃、勉強ができなかったり、貧乏だったり。
ああ、ボクと同じ境遇なんだなあ、よし、ボクも頑張ろう、なんて思って、はげみになったものです。」
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