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天空の城ラピュタと少年時代、追悼・平山亨プロデューサー

2013-08-05 12:20:01 | スカパー!東映チャンネル「仮面ライダー」追悼!平山亨プロデューサー
皆さん、お元気ですか?(*´∀`)♪

ここ最近、諸般の事情によりブログの更新が出来ませんでしたが、私は横浜の自宅近くに新事務所をオープンさせ、最新のBlu-rayを購入し、元気に快適な日々を過しています。

東映の名プロデューサーとして知られる平山亨さんの訃報を知り、映画【ニュー・シネマ・パラダイス】で、アルフレッドの死を知った時のトトのように、土曜日の午後、横浜から大泉学園にある東映の撮影所に平山さんを訪ねて何度も通った12歳の少年時代からのことを思い出していました。

今日の画像は、大好きな映画【少年時代】と【天空の城ラピュタ】のパンフレットになります。

平山さんと初めて逢った日から34年。
いつか悲しい知らせを聞かなければならない日が訪れてしまうことを、一年以上前から日々覚悟して生きてきました。
平山さんのお人柄、人間性については、少年時代より心の師匠として尊敬し続けてきましたが、生涯変わることのない嘘のない、人間として本当に素晴らしい方でした。
もう、あの平山さんの「本間くん」と話し掛けてくれる独特の大きな声は二度と聞けないのだなぁ。


2011年3月11日、大震災の際に私は平山さんと電話で話をしていました。
そして・・・。

元気な平山さんと最後に御逢いできたのは、2010年12月末、私が御誘いした新宿紀伊國屋ホールでの無声映画鑑賞会でのこと。
上映会終了後は、毎年恒例、脚本家・石森史郎先生を囲んで、御弟子さんたちと一緒の食事会に平山先生と二人で参加。
その後、タクシーで西武新宿線の新宿駅まで行き、西武新宿線の車内まで御案内して座席を確保し、電車に乗った先生をホームでお見送りしたのです。
その後、突然病に倒れた平山さんとは、お逢いする機会もなく、時は過ぎて行ったのですが、昨年の夏、石森史郎先生から連絡があり、

「平山さんの御見舞いに行くから、私の付き添いとして本間くんも一緒に行こう!」

と、言って下さったのです。

今回の平山さんの葬儀、告別式は密葬のようですが、病気入院中の御見舞いについても、俳優さんなどの著名人や、東映時代からの関係者のみに最期まで限定され続けていました。
私と平山さんの関係を良く知る石森史郎先生だけが、付き添いの形を取って私に生前の平山さんに逢えるチャンスを作ってくれたのです。
昨年の夏、既に自力で歩行出来ないほど痩せ細り、車椅子に乗った変わり果てた平山先生の姿を見た私は、いつかこんな日が来ることを覚悟していました。

何故なら、高二の夏、父が癌のため長期入院し、一年近く見舞いや看病に通い続けた経験が私にはあるので、その覚悟も経験済みなのです。

私が17歳の時、47歳だった父の死は、その後の私の人生に様々な影響を及ぼしました。
心の師匠である平山さんとは別に、私が師事した二上洋一先生の急逝の際には、まだまだ聞きたい話も沢山あり、未練や後悔もありましたが、遺された著書を読み返すことにより、その淋しさからは解放されています。
平山さんの場合、少年時代から付き合いも大変長く、東映の助監督時代の話や、奥様とのなれそめなどプライベートの話まで、様々なお話を聞く機会が数限りなくありました。
私の場合、子供として実の父親からその人生について聞く機会が少なかった分、図々しくも父親代わりに平山先生から人としての生き方を学ばせてもらっていたのです。
平山先生の場合は、84歳の大往生であり、プロデュースされた沢山の作品や、作詞された歌の数々、そして著書があります。


今回の平山先生の大往生に際し、私は平山先生が作詞された名曲【男はひとり道をゆく】を心のテーマに、平山先生が残された映画に対する熱い思いを大切に生きて行きたいと考えています。
また、心の師匠として平山亨さんに師事していた私は、【仮面ライダー】や【戦隊】シリーズなど、平山さんがプロデュースした東映特撮作品群や俳優さんをめぐってイベントや、ネット上で争われている全ての事柄に関して、これからも一切関わる気はありません。
何故なら、平山さんが一番嫌ったことは、自分の利益のためだけに作品を利用してファン同士が争いを繰り返すことだったからです。
平山亨先生が亡くなられた現在、何時も快く電話での応対をしていただけた奥様以外、常識ある社会人として交流したいと思う方はいませんし、現在の奥様の状況では、私に出来ることもなさそうです。
(無声映画鑑賞会の会場で、平山先生の御紹介により縁が始まった、石森史郎先生と奥様には、引き続き御指導御鞭撻していただけたら幸いです。(*´∀`)♪)


最後に、かつて平山さんが【柔道一直線】や【太陽の恋人】をプロデュースするなど、縁が深く、【愛と誠】【あしたのジョー】【タイガーマスク】など、私が大好きな作品を数多く生み出した梶原一騎先生の【夕やけ番長】のラストの言葉からアレンジして、平山さんに捧げます。


平山亨はどこへ行ったのでもない。
どこへ消えたのでもない。
かれを愛してくれた視聴者諸君の心の中へと去り、そこに住みついたと信じたい。
永久の無二の友として・・・夕やけによびかけてくれ。
たとえスモッグによごれていようとも、そこからかれは諸君に語りかけるだろう・・・


平山先生、長い間、本当に有難うございました。(*´∀`)♪
これからは、先生のお力に頼ることもなく全て自力だけで人生の困難に立ち向かって行きます。
人生とは正に【男はひとり道をゆく】ですね!(*´∀`)♪

アニメと漫画史研究家

本間正幸
コメント
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