196万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

帰ろかな

2012-11-07 20:31:06 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
帰ろかな 北島三郎
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今年も庄内柿が届いたよ

2012-11-06 22:41:36 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
今年も我が家に庄内柿が届ました。
夏の庄内砂丘メロン、秋の庄内柿。
私にとって、故郷と云える庄内地方との絆を思い出させてくれる季節のフルーツが、今も昔と変わらず我が家に届くのは、とても嬉しい出来事です。
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メロンの気持ち

2012-07-19 00:08:24 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
ゴールデン・ハーフのメロンの気持 ゴールデンハーフ
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メロンの気持ち?今年も庄内砂丘の

2012-07-18 21:15:20 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
ある時は昭和時代のアニメーション史研究家、またある時は昭和時代の少年少女漫画史研究家の本間正幸が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。


さて、私のブログは2009年3月の開設以来2012年6月にトータル訪問者数17万人を達成したgooを初め、アメブロでは新・旧二つ、Yahoo!楽天で昭和時代の音楽紹介と記事更新、はてなダイアリー、ヤプログ、livedoorで記事更新をしております。


先日我が家に父の田舎である庄内に住むオジサンから、庄内砂丘メロンが届きましたので、今日はその画像を紹介。(笑)

父の実家は、戦前の地主だった祖父の代から、GHQの農地解放により所有する畑のほとんどを失い山林などの一部だけが残りました。
戦後、戦地から復員してきた長兄の伯父は専業農家となり、所有していた庄内空港近くの土地は、メロン畑にしております。
スイカ畑も所有しており、子供の頃の夏休みに収穫を手伝った記憶がありますが、メロンは私にとって子供の頃からスイカよりとても身近なフルーツでした。

戦後、農地解放により小作人から自作農となるも、実際は直ぐに土地を転売して離農する人も多かったので、伯父はその度に戦前まで我が家で所有していた農地を買い戻し続けています。
伯父は現在93歳となり、農協の理事や、空港の整備対策協議会会長、区長など頼まれてついた地元の名誉職のほとんどから退いています。
今は完全に私の従兄弟とその息子の代になっており、伯父と伯母は曾孫の世話をしている毎日だとか。

さて、昨日は田町にて、facebooKの明治学院大学OB&OG会の「白金祭参加について」の打合せに自主的に参加。

facebookへの画像投稿の仕方がまだ良く判らなかったので、(笑)唯一の私の写真として登場しています。

若い時は、写真写りも良かった(笑)ので、たくさんの写真がありますが、最近はあんまり自分の写真は好きでなく・・・。
オジサンばかりの五人組の写真でも、構わないのであればfacebookも御覧になって見て下さいね!
黒いシャツが私です。

先週の日曜日、森下文化センターで行われた漫画関連イベントにて、久しぶりに御会いした藤子不二雄@先生の名作漫画【まんが道】にも出てくる漫画家の永田竹丸先生から、驚いた表情で

「本間さん、随分太りましたね!ワッハッハ。」

と、笑われてしまいました。(涙)

ここ数年、急激に太ってしまったので、元のスリムな体型に戻らないと、もう、いくら暑いからといって、海に行っても水着にはなれないかも。

自宅から一時間強で行ける近場の海は、都会のお洒落な海として全国的に知られる湘南地区であり、監視員の若いあんちゃんから、

「そこのオジサン!
見苦しいから水着にならないで!」

と注意されてしまうかも知れません。

それでは、又。
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映画『おくりびと』桜三月散歩道

2010-04-25 05:48:04 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。

今日の画像は、本宮ひろ志先生の『俺の空』より桜の花が咲く風景のカラーイラスト。


『桜三月散歩道』


作詞/長谷邦夫
作曲/井上陽水
歌/井上陽水


ねえ君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば花がない
町へ行けば花がない
今は君だけ見つめて歩こう
だって君が花びらになるのは
だって狂った恋が咲くのは三月


ねえ君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば風に舞う
町へ行けば風に舞う
今は君だけ追いかけて風になろう
だって僕が狂い始めるのは
だって狂った風が吹くのは三月


(セリフ)

夏の日の夕方
学校から帰ると僕達は
みんな真っ白なシャツを着て
色のはげた貨物船のような倉庫のある細い道に集まり
それから川の堤に駆け登るんだ
みんなで影をつれてね
夕陽が太い煙突に吸い込まれるまで
影踏みをして遊ぶんだ
影を踏もうとすると
影は驚いた魚のように逃げたっけ


ねえ君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば人が死ぬ
町へ行けば人が死ぬ
今は君だけ想って生きよう
だって人が狂い始めるのは
だって狂った桜が散るのは三月


『氷の世界』ポリドールレコード1973 June~Septemberより。


小学生の頃、父の故郷・山形県の庄内鶴岡にある父の実家で、年の離れた従兄弟が所有するレコードで初めて聞いた井上陽水さんのLPがこの『氷の世界』だった。

数年後、母方の七つ年上の従兄弟の家でも、このLPと再会し、中学二年生の時から、私の所有物となったので、もう30年も私の手元にある。
収録されているのは次の13曲。


=A=
1.あかずの踏切り(井上陽水 作詞/星 勝 作曲)
2.はじまり(井上陽水 作詞作曲)
3.帰れない二人(井上陽水,忌野清志郎 作詞作曲)
4.チエちゃん(井上陽水 作詞作曲)
5.氷の世界(井上陽水 作詞作曲)
6.白い一日(小椋 佳 作詞/井上陽水 作曲)
7.自己嫌悪(井上陽水 作詞作曲)

=B=
1.心もよう(井上陽水 作詞作曲)
2.待ちぼうけ(井上陽水,忌野清志郎 作詞作曲)
3.桜三月散歩道(長谷邦夫 作詞/井上陽水 作曲)
4.Fun(井上陽水 作詞作曲)
5.小春おばさん(井上陽水 作詞作曲)
6.おやすみ(井上陽水 作詞作曲)


私の目覚めのためのお気に入りのアンソロジー『おはよう』の一曲目は、一年中この『桜三月散歩道』なのである。

そして眠りにつくためのアンソロジー『おやすみ』の一曲目は、『帰れない二人』そして『自己嫌悪』『おやすみ』へと続く。

作詞を担当した長谷邦夫さんは、赤塚不二夫先生の元でブレーンとして活躍された漫画家の長谷邦夫先生である。
私は、何度か長谷邦夫先生と御会いしたことがあり、今でも年賀状の御返事などいただける仲なのだが、何故、長谷邦夫先生が井上陽水さんの『桜三月散歩道』の作詞をしたのか不思議に思い尋ねたことがある。
するとその答えは、
「当時まだ井上陽水は無名に近く、あまり売れてなかったから、当時フジオプロが責任編集で出していた雑誌『まんがNo.1』の企画ででも、使ってくれとレコード会社からフジオプロに依頼がきたんだ。」
とのこと。
そのため、長谷邦夫先生の詞に井上陽水さんの曲がつけられることになったそうである。
そして、その後大ブレイクした井上陽水さんと長谷邦夫先生とは、会う機会はなく、特に交流もないのだが、印税だけは今でも毎年必ず振り込まれてくるとのこと。
私は、この曲の中でも特にセリフの部分が気に入っている。


さて、桜の花の開花は、西から東に北上し、東北方面へと続く。

サムライが好んだという桜の花は、城に良く似合うと私は、思っている。
私の先祖は、サムライの発祥時に関東武士集団小野姓横山党の本間村から始まり、越前越後を経て、佐渡の地頭となり400年近く続くも、直江兼続たち上杉勢に攻め滅ぼされかけて庄内へとたどり着く。
やがて庄内藩のサムライとして200年以上続くのだが、サムライの一族として千年もの歴史が判っている家系は、とても珍しいとのことである。
研究者の話によると、宮本武蔵に出てくる吉岡一門の吉岡姓や、狂言の和泉姓、佐渡の沢田城城主の際に出来た沢田姓などは全て本間の一族から分かれた苗字となるらしい。

私の父の一族は、今も庄内鶴岡を拠点としているので、8男となる父が青年時代に故郷を後にして上京し、一族の発祥地である神奈川の地に家を構えたことは、我が一族の歴史からすると、実に700年振りとなる原点回帰だ。

『サラリーマン金太郎』などで知られる人気漫画家の本宮ひろ志先生には、戦後の農地改革と庄内の本間家をモデルにした『俺の女たち』という作品がある。
滋賀県の琵琶湖を個人所有し、GHQによる農地改革のモデルケースとされるまで、日本一の大地主として知られていた酒田の本間家では、当主が代わり、最近のホームページ上で、「下川村の本間家から分かれた」という説が記載されているのだが、下川で続く本間家とは、何と私の父の実家のことなのだから実に興味深いことである。

さて、明日はTBSテレビ月曜ゴールデン映画として『おくりびと』が放映される。
『おくりびと』
(2008年TBS・セディックインターナショナル・松竹・電通ほか)
滝田洋二郎監督
本木雅弘 広末涼子
余貴美子 笹野高史
吉行和子 山田辰夫
峰岸徹 山崎努

楽団の解散でチェロ演奏家の道をあきらめた大悟は故郷の山形に戻る。
高給保証に惹かれて応募した先は遺体を棺に納める納棺の仕事だった。
アカデミー外国語映画賞。

藤沢周平の映画『たそがれ清兵衛』は時代劇だったが、現代劇である映画『おくりびと』でも、山形県の庄内地方が舞台となることは、何とも喜ばしいことである。
そして山形県鶴岡に、『鶴岡市立藤沢周平記念館』が4月29日開館するという。

ANAグループ機内誌『翼の王国』2010年4月号(通巻490号)によると、以下のような記述だ。


日本を代表する時代小説作家・藤沢周平は『暗殺の年輪』で直木賞を受賞し、『蝉しぐれ』『花のあと』『用心棒日月抄』など、数々の作品を生み出しました。
また、ふるさと鶴岡を書いたエッセイも多く、小説に登場する「海坂藩」は庄内地方をモデルにしたと言われています。
この春、藤沢周平の文学世界を紹介する「鶴岡市立藤沢周平記念館」が開館します。
直筆原稿、創作資料を通して作品を解説。
自宅書斎の再現、愛用品を展示し、作家の生涯を紹介します。
藤沢周平のふるさとである鶴岡・庄内の自然と歴史ある文化に触れながら、藤沢文学に親しんでみてはいかがでしょうか。

問合せ
鶴岡市立藤沢周平記念館
0235ー29ー1880
www.city.tsuruoka.lg.jp
山形県鶴岡市馬場町4ー6


羽田空港からANAを利用して、今から20年ほど前に私の伯父が整備対策委員長をつとめて開港した庄内空港より『庄内映画村』だけでなく、『鶴岡市立藤沢周平記念館』にも、是非行きたいものである。
そして何よりも父の実家が代々檀家の代表をつとめ、藤沢周平の『龍を見た男』の舞台となる曹洞宗総持寺派の善宝寺にある先祖の墓にも御参りがしたい。
そこには、父が子供の頃に亡くなってしまった祖父だけでなく、私が子供の頃に毎年冬になると上京し、私の面倒を見てくれていた祖母も静かに眠っているし、私が17歳の時に胃癌で亡くなった父の遺骨も分骨されているのだから・・・。
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今年も庄内砂丘メロンが届いたよ! !

2009-07-28 17:30:53 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
父の実家より今年も庄内砂丘メロンが届きました。
子供の頃、夏休みに父の田舎にいると、スイカにメロンそしてだだちゃ豆がでてきましたが、その頃の私は、スイカやメロンなどのフルーツ類があまり好きではなかったので、だだちゃ豆ばかり食べていました。
だだちゃ豆とは、庄内鶴岡地方のえだ豆のことで、見栄えはあまり良くはないのですが、味はとても良いのです。
大学生になってから、添乗員として日本全国を旅するようになり、各地でえだ豆を食べてみても、成人して飲み会などでえだ豆を食べてみても、何故か子供の頃に食べたえだ豆より美味しくありません。
えだ豆の味が変わってしまったのか、それとも私の味覚が変わってしまったのか、考えていたら、10年前くらいから、鶴岡のだだちゃ豆が日本で一番美味しいえだ豆だとの評判に成程と思ったことがあります。
祖母の嫁入り道具は、雛人形と、だだちゃ豆の種だったという話があります。
祖母の実家の地域は、鶴岡でも特にだだちゃ豆の美味しいところらしく、父の実家では、その種から栽培していたのです。
祖母の一周忌の法要があった14年前の夏に、従兄弟が近所の農家がそれぞれ作るだだちゃ豆を貰ってきて、私も一緒に食べ比べたことがありましたが、やはり私の父の実家のだだちゃ豆が一番美味しかったのです。ということは、父の実家で作るだだちゃ豆は、日本有数の美味しいえだ豆になりますね!

メロンについては、子供の頃、父の実家の縁側で、直ぐに食べずにいたら、かぶと虫が何匹も飛んできました。
私は、嬉しくなって、メロンを食べずにそのまま中庭に皿ごと出しておいたら今度は、伯父さんがやってきて、えらく怒られました。
かぶと虫には、食べた後の残りカスだけで充分なんだと。

子供の頃の私にとっては、メロンを食べることよりも、かぶと虫の方が有り難みがあったのです。

私のお嫁さんになってくれる人には、特典として庄内米と、庄内砂丘メロンがついてきますのでよろしくね!
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父方の従姉妹のお姉さんとの再会

2009-07-22 02:28:41 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
今日の画像は、私が7歳の夏休みに、山形県庄内の父の実家から父と母、伯父さん二人、そして従姉妹たちと皆でドライブに行った時の写真だ。
手前で白い帽子と白いシャツを着ている小さな男の子が私である。


昨日は、父方の従姉妹のお姉さんが、岡崎から我が家にやってきた。
父の仏前に線香をあげるために。
一昨日の夜、横浜の中華街で同窓会があり、関内のホテルに宿泊し、その帰りに我が家へ寄ってくれたのだ。
山形県の庄内地方から上京し、保母さんとして働いていた頃が丁度私の幼稚園時代と重なり、幼い日の私をとても可愛いがってくれたお姉さんも、今年で還暦となる。
孫が二人おり、毎週のように家族で家に遊びにくるという。
お姉さんが七夕の時、幼い私のために手作りの浴衣をプレゼントしてくれたことを今でもはっきりと覚えている。
従姉妹のお姉さんは、それから数年後、愛知県の岡崎へ嫁に行き、その後、再会出来たのは、私が17歳の時、父の葬儀の場だった。
そして姉の結婚式で逢ったのが今から16年前。
横浜と岡崎、嫁に行ってしまったお姉さんとは、中々会う機会も少なくなってしまった。
従姉妹のお姉さんは、幼い頃の幸せ一杯だった私の家族の姿を知る貴重な一人だ。
とても可愛いらしい、幼い男の子だった私と父の葬儀の場で再会した時、不良少年と化していた私の姿を見て、最初は誰だか判らず、そしてその不良少年が私だとわかった時、従姉妹のお姉さんがとても悲しんでいたのを良く覚えている。
本好きで、山本有三の本はほとんど読んだという従姉妹のお姉さんに、山本有三などを含めた少年少女のための文学や漫画を研究する今の私が出来ることは、3歳と1歳になるお姉さんの孫の男の子達のために何か本をプレゼント出来たらなと思う。

25年前に亡くなった父の仏前にお線香をあげるためにわざわざ立ち寄ってくれた従姉妹のお姉さん。

山形県の庄内から進学や就職のために上京してきた二人の姪(共に保母さんとなった)や甥の世話を焼いていた私の父を、従姉妹のお姉さんやお兄さん達は、今でも私に会うたびに

叔父さんにはとても世話になった

と言ってくれる。
父がまだ元気だった頃には、私は退学寸前の不良少年だったために、父は私が無事高校を卒業出来たことも、大学を奨学金を貰いながら、優秀な成績で卒業したことも、何も知らない。

たいした学歴は無くても、正直で働き者だった父は、姪や甥となる従姉妹のお姉さんやお兄さん達にとても慕われていた。
父の写真は、47歳の若さのまま、いまも変わらず私達家族に優しく微笑みかけてくれている。

そんな父のことを、私は誇りに思っている。

私が、文筆業となり、自分の著書があることを父が知ったら、何と言ってくれるかな・・・
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映画たそがれ清兵衛について!!

2009-06-27 15:51:52 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
昨日の金曜ロードショーは、庄内藩がモデルの架空の海坂藩が舞台の藤沢周平原作・山田洋次監督作品・映画(たそがれ清兵衛)だった。
今回のアカデミー賞受賞の映画(おくりびと)も我が父の故郷である庄内地方が舞台だったし、最近なにかと庄内地方が話題となって嬉しい限りである。
今日の画像も昨日に引き続き、ビデオのパッケージから。今日は裏面。


昨日の表面


そんな父のことを、私は誇りに思っておりますーー


のコピーがこの作品の本質を語っている。


裏面には、


日本映画史に残る時代劇の最高傑作!


時代小説の第一人者
藤沢周平作品初の映画化


山形県庄内地方を中心に、長野県望月町、秋田県角館町など日本の原風景を丹念にロケーション。
"海坂藩"を見事に描く。


のコピーが踊る。
庄内藩は、城下町がある鶴岡と商業都市であり、港がある酒田とに分かれている。
たそがれ清兵衛は、庄内藩のサムライをモデルに架空の藩である海坂藩を舞台にサムライの生きざまを描いている。
藤沢周平の小品、(龍を見た男)の舞台となる善宝寺近くの父の実家の風景は、自然が今もそのまま残された、日本の美しい故郷の原風景だ。


昨今はサムライブームであり、猫も杓子も直ぐにサムライとなる。
けれども、本来のサムライの姿は、それほど格好良いものではなく、下級武士ともなれば、清兵衛のように生活も質素でつつましやかだ。
華々しい活躍などする機会も滅多にない。
サムライと言っても、戦国時代や幕末と江戸時代中頃とではその生きざまも変わってくる。
藤沢周平の作品は、そんな海坂藩の下級武士の生活を多く描いている。
たそがれ清兵衛は、幕末となるため、何かと周囲が騒がしいのだが・・・


戊辰戦争を描いた壬生義士伝と幕末が舞台となる、たそがれ清兵衛は共にサムライの悲哀を描いている。

庄内藩の戦いは、会津藩と違ってあまり知られていない。

西郷隆盛との逸話も残っているのだが・・・


お金などなく、貧乏でつつましやかな暮らしでも、誠実に生きてきた人達は素晴らしい。
この名作は、今更私が解説をするよりも、数々の受賞データがその素晴らしさを語ってくれているようだ。作品の鑑賞については、CMがはいり、一部場面や、エンドロールがカットされる事が多いテレビでの放送よりも、ビデオやDVDでの鑑賞を、そして、出来ることなら、スクリーンでの鑑賞を、おすすめしたい。


以下は、ビデオのパッケージから。


幕末の庄内、海坂藩。
平侍の井口清兵衛(真田広之)は妻を亡くし、二人の娘と老母のために下城の太鼓が鳴ると家路を急ぐ毎日。
同僚たちはそんな彼を"たそがれ清兵衛"と呼んでいた。
ある日、幼なじみの朋江(宮沢りえ)を救ったことから剣の腕が噂になり、上意討ちの討手として清兵衛が選ばれてしまう。
清兵衛は藩命に逆らえず、朋江への想いを打ち明け、切腹を不服とする余吾善右衛門(田中みん)が立てこもる死地に向かった・・・。


日本アカデミー賞最優秀賞

作品賞/監督賞/脚本賞/主演男優賞/主演女優賞/助演男優賞/音楽賞/撮影賞/照明賞/美術賞/録音賞/編集賞


キネマ旬報ベスト・テン


ベスト・テン第1位/読者選出第1位/監督賞/読者選出監督賞/脚本賞/主演男優賞/主演女優賞/新人男優賞


毎日映画コンクール


日本映画大賞/男優主演賞/女優助演賞/撮影賞/録音賞/技術賞


ブルーリボン賞


作品賞/助演女優賞


報知映画賞最優秀賞


作品賞/監督賞/主演女優賞

日刊スポーツ映画大賞


作品賞/監督賞/主演男優賞/助演女優賞


ベルリン国際映画祭 コンペティション部門出品


真田広之/宮沢りえ/田中みん/小林稔侍/岸恵子/丹波哲郎/大杉漣/吹越満/深浦加奈子/神戸浩/伊藤未希/橋口恵莉奈/草村礼子/嵐圭史/中村梅雀/赤塚真人/佐藤正宏/桜井センリ/北山雅康/尾美としのり/中村信二郎

松竹株式会社/日本テレビ放送網株式会社/住友商事株式会社/株式会社博報堂/日本出版販売株式会社/株式会社衛星劇場 提携作品

製作代表:大谷信義・萩原敏雄・岡素之・宮川智雄・菅徹夫・石川富康/プロデューサー:中川滋弘・深澤宏・山本一郎


原作:藤沢周平(たそがれ清兵衛)(竹光始末)(祝い人助八)新潮文庫/脚本:山田洋次・朝間義隆
撮影:長沼六男/美術:出川三男/美術監修:西岡善信/音楽:冨田勲/照明:中岡源権/編集:石井巌/録音:岸田和美/衣裳:黒澤和子/監督助手:花輪金一

主題歌:(決められたリズム)作詞・作曲・歌:井上陽水(フォーライフ ミュージックエンタテイメント)

撮影協力:山形県鶴岡市・羽黒町・櫛引町・長野県望月町・秋田県角館町/製作協力:松竹京都映画株式会社
監督:山田洋次


平成14年度文化庁映画芸術振興事業


2002年作品 カラー129分公開・収録:ビスタサイズ

コピーライト2002 松竹/日本テレビ/住友商事/博報堂/日販/衛星劇場
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今夜の映画は、たそがれ清兵衛! !

2009-06-26 11:07:29 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
今夜の金曜ロードショーは、庄内藩がモデルの海坂藩が舞台の藤沢周平原作・山田洋次監督作品・映画(たそがれ清兵衛)だ。
今回のアカデミー賞受賞の映画(おくりびと)も我が父の故郷である庄内地方が舞台だったし、最近なにかと庄内地方が話題となって嬉しい限りである。
今日の画像は、ビデオのパッケージから。


そんな父のことを、私は誇りに思っておりますーー


のコピーがこの作品の本質を語っている。


日本映画史に残る時代劇の最高傑作!


時代小説の第一人者
藤沢周平作品初の映画化


山形県庄内地方を中心に、長野県望月町、秋田県角館町など日本の原風景を丹念にロケーション。
"海坂藩"を見事に描く。


のコピーが踊る。
庄内藩は、城下町がある鶴岡と商業都市酒田とに分かれている。
たそがれ清兵衛は、庄内藩のサムライをモデルに架空の藩である海坂藩を舞台にサムライの生きざまを描いている。
藤沢周平の小品、(龍をみた男)の舞台となる善宝寺近くの父の実家の風景は、自然が今もそのまま残された、日本の美しい故郷の原風景だ。
我が一族の菩提寺となり、代々檀家の代表を務める善宝寺の本山である総持寺のある横浜鶴見を父は活動拠点としたのだが、私には子供の頃から京浜工業地帯の一角となるこの鶴見の地はどうしても好きになれなかった。
子供の頃、父と母そして姉の家族4人で訪れる鶴岡市郊外の自然に囲まれたあの風景がすきだった。
私にとっての庄内鶴岡は今もあの頃となんら変わることのない心の故郷である。

感想は、明日のブログにて!
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刑事一代と父の故郷・庄内本間家

2009-06-22 04:44:32 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
昨日は、(刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史~後編)が面白かった。
戦後の日本を揺るがした大事件の裏側には、必ずこの男がいたーー。

のコピー通り、戦後重大事件の捜査に関わった男の生涯。


私も、漫画史の研究者として見習うべき点が多数あった。

ところで、最近私の父の故郷である庄内地方が何かと話題になることが多くなってきているようで非常に喜ばしい。
来週の金曜ロードショーは、庄内藩がモデルの海坂藩が舞台の藤沢周平原作作品映画(たそがれ清兵衛)だし、今回のアカデミー賞受賞の映画(おくりびと)も我が父の故郷である庄内地方が舞台である。
今日の画像は、サラリーマン金太郎や、硬派銀次郎などで知られる漫画家本宮ひろ志先生が庄内の本間家をモデルに描いた作品(俺の女たち)。
戦前戦後の庄内地方と本間家の一族を、農地改革をまじえて本宮流に描こうとしたようだが・・・


私の父の実家は、庄内酒田の本間家三代目光丘の時に庄内藩の城下町がある鶴岡に武家として分家して以来従兄弟の長男が10代目と続く旧家である。
庄内藩のサムライから明治維新以降は地主となり、戦後のGHQによる農地改革の際、農家となった。
藤沢周平の小品、(龍をみた男)の舞台となる善宝寺近くの父の実家の風景は、自然が今もそのまま残された、日本の美しい故郷の原風景だ。
地主の息子でも8人兄弟の8男であり、農地改革により残されたのは僅かばかりの土地となった故郷庄内を成長すると父は離れた。
我が一族の菩提寺となり、代々檀家の代表を務める善宝寺の本山である総持寺のある横浜鶴見を父は活動拠点としたのだが、私には子供の頃から京浜工業地帯の一角となるこの鶴見の地はどうしても好きになれなかった。
子供の頃、父と母そして姉の家族4人で訪れる鶴岡市郊外の自然に囲まれたあの風景がすきだった。
私が中学2年生となった頃より父は体調を崩しはじめ、私はいつのまにか梶原一騎先生原作ながやす巧先生絵の漫画(愛と誠)に出てくる太賀誠のような不良少年へと変わってしまい、父の運転により家族揃って鶴岡にある父の実家へ行くことも出来なくなってしまった。
私の祖父は、父が10歳の時に亡くなってしまったため、長男である伯父が親代わりとなり、父を育ててくれたのだが、その伯父も今年で90歳になる。

私が17歳で父を癌で亡くしてからは私の父親代わりともなった。



そうだ、今年こそ鶴岡へ帰ろう。


善宝寺の我が一族代々の墓には、父の遺骨も分骨されているし、子供の頃冬になると、両親が共働きのため鍵っ子であった私の面倒をみるために毎年上京してきてくれたお祖母さんの墓参りもしたい。
伯父さんや従兄弟にその長男。

そしてまだ私があったことのない伯父さんにとっては曾孫となる小さな子供達。
私にとっての庄内鶴岡は今もあの頃となんら変わることのない心の故郷でもあるのだから。


追伸

本間ゴルフ創業者一族と、酒田の本間家との関係はいくら調べても良く分かりません。
以前、テレビ番組の(バリバリバリュー)の取材に対し、後に放火事件をおこし逮捕された社長本人が、そのことを番組内で白状していました。
私の伯父達が戦後皆、上京してきた際、総持寺との関係で鶴見に滞在したことや、私の父が鶴見に住んだことと、偶然鶴見や川崎辺りに住んでいた本間ゴルフ創業者一族が、庄内の本間家の関係者と勘違いされてそのまま利用したという事実をテレビの再現ドラマで見ましたが、何か関係があるのかも知れません。
ちなみに、庄内空港開港の際の整備対策委員長は私の伯父が務めており、庄内空港が酒田市と鶴岡市の中間の山あいに位置しているのは、伯父の働きかけにより、用地買収が容易であった地域が選らばれたからなのかも知れませんね。
ネット上では、いまだに本間ゴルフ創業者一族が、酒田の本間家の直系やまつえいとする説が多数あるようなので一言。
ちなみに、私の父の実家と酒田の本間家とは現在行き来はありません。
ただ、父の実家に裏紋として残され使っている紋が本間家の正式の分家のひとつの証明であることを、私が明治学院大学在学中、ゼミで(菊と刀)をテーマに講義をされていた川本教授から教わりました。((ルパン三世・カリオストロの城)の指輪のエピソードと似ている)


善宝寺近くにある君の父の実家には、昭和40年頃山形大学との共同研究で調査のため、訪ねたことがある。その際の資料が山形大学に残されているハズだ。
君の家の歴史は、調べて見るととても面白いぞ。
酒田の本間家が武士として鶴岡に分かれたことや、GHQの農地改革の際、酒田の本間家がモデルケースとされたことなどまだまだ世間には、知られていない事実がたくさんあるからな。
調べて見るといい。


川本教授はゼミの中だけでなく、その後の一般授業である農村社会学の中でも庄内の本間家について1コマ講義をされました。
私は、少年時代に父から教わった先祖の話と、川本教授の話が一致していることが嬉しくて、嬉しくて、夜空を見上げながら一人帰ったことをいまでもはっきりと憶えています。
私の武家である本間家と父に対する思いは、スタジオジブリの宮崎駿監督作品、(天空の城ラピュタ)に出てくるパズーの天空の城ラピュタと父に対する思いと同じでした。
あれから20年間、少しずつではありますが関東武士集団としてサムライの発祥から続く本間家千年の歴史について調査を続けています。

最近、相場の神様として話題になっている本間宗久は、9代前の先祖本間光丘の叔父にあたりますので私とも少し繋がりがあることになりますね!
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我が故郷庄内

2009-03-08 17:12:57 | NHK「ファミリーヒストリー」、東北庄内「たそがれ清兵衛」「おくりびと」
父の故郷庄内が最近何かと話題になることが多くなってきているようで非常に喜ばしい。たそがれ清兵衛に続き、今回のアカデミー賞受賞の映画おくりびとも我が故郷である庄内の鶴岡が舞台である。
従兄弟の長男が鶴岡で10代目となる旧家である父の実家は、庄内藩のサムライから明治維新以降地主となり、戦後のGHQによる農地改革の際農家となる。
藤沢周平の小品、龍をみた男の舞台となる善宝寺近くの父の実家の風景は、自然が今もそのまま残された、日本の美しい故郷の原風景である。
地主の息子でも8男であり、農地改革により残されたのは僅かばかりの土地となった故郷を離れ、我が一族の菩提寺となる善宝寺の本山である総持寺のある横浜鶴見を父は活動拠点としたのだが、私には子供の頃から京浜工業地帯の一角となるこの鶴見の地はどうしても好きになれなかった。
子供の頃、父と母そして姉の家族4人で訪れる鶴岡市郊外の自然に囲まれたあの風景がすきだった。
中学2年生となった頃より父は体調を崩しはじめ、私はいつのまにか太賀誠のような不良少年へと変わって行き、父の運転により家族揃って鶴岡にある父の実家へ行くことも出来なくなってしまった。
10歳の時に父親を亡くしてしまった私の父の親代わりとなり、父を育ててくれた伯父さんも今年90歳になる。私が17歳で父を癌で亡くしてからは私の父親代わりともなった。
そうだ、今年こそ鶴岡へ帰ろう。善宝寺の我が一族代々の墓には、父の遺骨も分骨されているし、子供の頃冬になると、両親が共働きのため鍵っ子であった私の面倒をみるために毎年上京してきてくれたお祖母さんの墓参りもしたい。
伯父さんや従兄弟にその長男。そしてまだあったことのない伯父さんにとって曾孫となる小さな子供達。
私にとっての庄内鶴岡は今もあの頃となんら変わることのない心の故郷でもあるのだから。
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