錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

ラピュタ阿佐ヶ谷「桜町弘子」

2012-05-08 18:28:16 | 共演者
 現在、ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショー(午前10時半より)で桜町弘子さんの映画特集をやっている。
 明日から三週間にわたり、錦ちゃんとの共演作を3本上映するので、書いておきます。
 
 5月9日(水)〜15日(火) 『美男城』
 5月16日(水)〜23日(水) 『家光と彦左と一心太助』
 5月24日(木)〜31日(木) 『反逆兒』

 『美男城』は、平成21年11月「錦之助映画祭り」に合わせ、東映ビデオがDVDを発売する時にニュープリントにしてくれた作品である。新文芸坐での上映日がちょうど丘さとみさんのトークショーだったので、私は対応に追われ、半分しか観ることができなかった。
 東京のどこかで上映してくれたらぜひ観に行こうと思っていたが、これまでどこでもやってくれなかった。二年以上経ってやっとスクリーンで観られることになり、大変嬉しい。
 東映はニュープリント作品だと、二年間は映画館への貸し出し料を高く設定しているので、映画館は二の足を踏むことになってしまう。旧作のニュープリントは除外してほしいと常々思っているのだが、どうにかしてくれまいか。錦之助映画ファンの会が寄付金で作ったニュープリントも新文芸坐で一日上映しただけで、二年間倉庫に眠っているものばかり。錦ちゃんの13回忌の年(平成21年)に制作したニュープリントがようやく期限切れになったので、どんどん上映してもらいたいものだ。
『ゆうれい船』(前・後篇)『丹下左膳 飛燕居合斬り』『江戸っ子奉行 天下を斬る男』などは、早くまた観たいなあと思う。


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桂長四郎さんを偲ぶ

2012-04-28 10:30:33 | 錦之助ファン
 美術監督の桂長四郎さんが亡くなった。87歳だった。
 桂さんは京都での錦之助映画祭りに何度も足を運んでいただき、また京都シネマではトークゲストにお迎えし、私が聞き手をやらせていただいた(2009年6月11日)。「青春二十一 第二巻」の日誌にはそのときのことが書いてあるが、この小冊子を桂さんのお宅へにお送りした二週間前(3月26日)に桂さんは亡くなっていた。お送りしてすぐ奥様からお電話をいただき、桂さんの逝去を初めて知らされたのだった。第二巻をご覧になられたら、あの童顔をほころばせ、きっと喜ばれたに違いないと思うと、お目にかけられなかったことが悔やまれてならない。桂さんとは何度かお話ししたが、穏健でとても真面目な方だった。


(桂さんと京都シネマのロビーで)

 桂長四郎さんは美術デザイナーとして、昭和22年東横(東映の前身)入社から昭和39年ごろまで東映一筋にずっと第一線で活躍された。最初に稲垣浩監督作品につき、その後松田定次、マキノ正博(雅弘)、中川信夫、佐々木康、伊藤大輔、田坂具隆といった名監督たちの作品の美術を担当された。錦之助出演作では、『任侠清水港』『おしどり駕篭』『浅間の暴れん坊』『弥太郎笠』『親鸞』『続親鸞』『反逆兒』『ちいさこべ』『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』『関の彌太ッペ』などがある。


(京都シネマに展示した『弥太郎笠』のポスター)

 今私の手許に、京都シネマでのトークショーの時に、桂さんから前もっていただいたトークの原稿がある。トークの前に桂さんがちょっと打ち合わせをしたいとおっしゃり、こういうことを話そうと思っているんですがと手渡されたのがこの原稿である。私もこれまで何人かトークの聞き手をやっているが、原稿を書いてこられたのは桂さん以外にはいない。実際のトークは全くこの通りには行かず、違う話(桂さんが東横に入社するまで)に時間をとってしまい、桂さんが用意してきた内容とは相当離れてしまった。桂さんのご冥福を祈り、その原稿をここに紹介させていただく。

 美術デザイナーの桂長四郎でございます。
 振り返ってみると、中村錦之助さんを中心にして監督のマキノ雅弘さん、田坂具隆さん、伊藤大輔さんを始め、たくさんの方達との出会いを持ち、良い作品につかせていただけたことを幸せだったと思っております。
 先ほど観ました『弥太郎笠』は、子母沢寛の名作で、各社で撮られておりますが、この作品はマキノ監督好みの作品だと思っております。昭和35年(1960年)公開ですから、49年ぶりに観ました。マキノさんとはこの作品のほかに6本くらいやっております。
 『ちいさこべ』は、一昨日上映され、見せてもらいましたが、この話は江戸の大火で親と死に別れた孤児達を助け、一緒に生活していく若き大工の棟梁を、田坂さんは優しい目で描いた心の暖まる作品であったと思います。
 田坂さんはその昔、日活多摩川時代は『路傍の石』や『土と兵隊』といった心にしみる名作を作ってこられ、内田吐夢さんと昔の日活を代表する監督です。私が田坂さんと初めて仕事をしたのは、『親鸞』でした。これも時代劇ですが、むつかしい時代で、考証が大変でした。田坂さんという方は誠実で穏やかに話をされる方で、打ち合せにあたって私の意見をじっくりと聞いていただき、それをとり入れていただけたと思っております。田坂さんは終戦の年広島で被爆され、「桂さん、私はねェ、原爆の落ちた時、便所に入っていたから命が助かったんだよ」と言っておられたことを思い出します。当時白血病でおつらかったことだと思いました。
 この『ちいさこべ』のお話をいただいたのは私がちょうど『反逆兒』で毎日映画コンクールに入賞してその受賞に東京の東映本社へ寄った時、本社の方が田坂さんが私がこちらへ来るので是非会いたいとおっしゃっているので受賞式が終ったら必ず本社へ立ち寄るようにと言われ、式が終って本社へ訪れると、田坂さんとプロデューサーの小川貴也さんが待っておられ、次回にやる『ちいさこべ』の美術をやってほしいと言われて驚いたことがありました。監督からじかに指名されたことは初めてだったからです。
 準備して撮影に入りましたが、大工の棟梁の話ですから、大道具の係の古い方にお願いし、演技の指導、新築の家を建ち上げるまでの工程と立ち会ってもらい助かりました。
 そして江戸の大火の場面、焼け跡のセットも大変でした。オープンセットで作るわけにもいかず、近くにある宝プロダクションの空地に全部焼け跡の江戸の街を作りました。材料には焼けた木材をずいぶんと使いました。



(京都シネマに展示された『ちいさこべ』のポスター)

 今回は上映されませんでしたが、伊藤大輔監督の『反逆兒』は私の一番思い出に残る作品です。私と伊藤さんとの初めての出会いは小池一美さんというデザイナーについて早川雪洲の『あゝ無情 第一部』(レ・ミゼラブル)でしたが、二週間ほど九州ロケに連れて行ってもらい、私は監督の指名で捕り手役にかり出されたことを思い出します。
『反逆兒』は、徳川家康の長男である信康を家康は徳川の家を守るために殺させるという悲惨な話でしたが、その信康を演じた錦之助さんの演技は大変見事だったと思いました。
 その年の芸術祭で伊藤大輔監督が『反逆兒』で芸術賞を受けられてその祝賀会が行なわれた時、その席上で離れた席から私の方へ来られた錦之助さんから、「桂さん、良かったですね」と握手をしていただいたことがありました。錦之助さんはこの『反逆兒』で熱演されておられ賞をいただけると私達は信じていたのに、ご本人も残念だったと思います。まだまだ思い出はつきませんが……。伊藤さんとはその後、『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』『この首一万石』と三本続いて仕事をさせていただきました。



(トークが終って、桂さんご夫妻と食事)

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青春二十一 第二巻 販売書店(追加)

2012-04-23 18:10:58 | 錦之助ファン
 以下の書店で、来週初めには店頭に出ます。
 
 旭屋書店イオン鹿児島店、ジュンク堂書店鹿児島店、ジュンク堂書店大分店、リブロ熊本店、喜久屋書店熊本店、クエスト小倉本店、クエスト黒崎本店(北九州市)、
 紀伊國国屋書店高松店、
 喜久屋書店阿倍野店、
 カルコス岐阜本店、カルコス穂積店(岐阜県瑞穂市)、
 有隣堂ルミネ横浜店、有隣堂小岩ポポ店、
 喜久屋書店千葉ニュータウン店、
 あゆみブックス仙台青葉通り店

 連休明けまでには、あと数店増えると思います。
 「青春二十一 第二巻」を販売している書店では、「青春二十一 第一巻」と「一心錦之助」も併売してもらっています。

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近況報告(その三)

2012-04-21 02:45:57 | 錦之助ファン
 この一週間にいろいろなことがあったが、錦ちゃんに関係する話題だけ書こう。
 先週の土曜日は、スイスから帰郷した錦ちゃんファンの方とお会いした。ハルエさんと言って、70歳すぎの日本人の女性だが、3年ほど前にインターネットで「錦之助映画祭り」のことを知り、弾む声で私に国際電話をかけて来て、錦之助映画ファンの会に入られた方である。スイスのバーゼル在住で、『笛吹童子』を観てからずっと錦ちゃんファンだったとのこと。日本でスイス人と結婚して、スイスに渡られたのだが、9年前にご主人を亡くしてからは、「錦ちゃん命」で、錦ちゃんの映画ばかりをビデオとDVDで観ているそうな。
 ハルエさんはスイスの遠い空から、いつも錦ちゃんの映画の上映会のことを想い、たまに私が上映会のチラシや錦ちゃんの本を送ると大喜びして、バーゼルの自宅で何度も熟読されるという。もちろん、お金も過分に送ってくれる。錦之助映画ファンの会にとっては得難いファンなのだ。私とはメールか手紙で連絡を取り合っているが、今年の3月にはスイスのチョコレートを大量に送ってくれた。私が「青春二十一 第二巻」をなんとか作れたのも、彼女のお蔭が大きい。チョコレートでエネルギー補給をしながら、制作にあたれたからだ。
 土曜日は朝からあいにくの雨で肌寒い日だったが、お昼に宝町の地下鉄の出口で待ち合わせた。ミシェルさんという息子さんもいっしょだった。三人で喫茶店へ行き、レストランへ行き、そのあと、彼らが宿泊しているウィークリーマンションへ行き、トータルで3時間ほど話しただろうか。このハーフの息子さん(40歳くらい)というのが実に親孝行で、錦ちゃんのDVDの購入は全部、彼が引き受けているらしい。ハルエさんが多分最後の里帰りになるかもしれないということで、ちょうどイースターの休暇に母親に付き添って来たのだという。彼は日本語はカタコトで、主にドイツ語で話していたが、これでも私は昔はドイツ語を勉強したので、彼の言っていることの半分くらいは理解できた。外国語は使っていないと、話すのはダメだが、聞くだけならなんとかなる。
 ハルエさん親子は翌日の日曜にはスイスへ帰国したはずである。別れ際に彼女のリクエストしたものを送る約束をしたので、きっとスイスに帰ってから楽しみにしている思う。
 
 今週の火曜に私は還暦になった。この日は、新橋演舞場へ『仮名手本忠臣蔵』を観に行った。獅童さんのお母さんの小川陽子さんからいただいた招待券が2枚残っていたので、丘さとみさんをお誘いした。「青春二十一 第二巻」を送ったあと、丘さんから電話があって、その時、招待券のことを言うと、ぜひ!とおっしゃるのでごいっしょすることになった。
 午後の3時ごろ、有楽町のUNOというパチンコ屋の上にあるお好み焼き屋で待ち合わせた。丘さんは趣味がパチンコで、私と会う前にパチンコをしていたらしい。お会いしてすぐ、丘さんから誕生日プレゼントを頂戴した。ダンヒルのネクタイで、デパートで買って来てくださったようで、恐縮至極、感謝感激。お好み焼きを食べて腹ごしらえしてから、タクシーで新橋演舞場へ行った。
 二階のど真ん中の席だった。最初が五段目の「山崎街道」で、おかる・勘平の話。獅童さんは悪役の斧定九郎で、はまり役だったが、登場してすぐに死んでしまった。死体のまま寝そべっている時間が長くて、かわいそうに思った。主役は勘平の亀治郎で、六段目の腹切はなかなかの熱演だった。近々、猿之助を襲名するので、亀治郎としては最後の舞台になるとのこと。おかるは福助で、相変わらずの女形。舞台を観ながら、私は錦ちゃんの映画『おかる勘平』を思い出していた。
 次は、七段目の「祇園一力茶屋」。由良之助が染五郎なので、丘さんが「大丈夫かしら」と心配。貫禄が今一つで、どう観ても城代家老には思えないというのが私の感想で、丘さんは「思ったより良かった」と。なにしろ東映オールスター映画では、右太衛門と千恵蔵が演じた大役。あの二人の迫力にはかなわない。が、東宝では染五郎の祖父の松本幸四郎(先代)が演じている役でもあり、染五郎も今から由良之助を演じておいて、今後磨きをかけていけば良いかもしれない。丘さんは、寺岡平右衛門を演じた尾上松緑がお気に入りで、大変買っていた。
 最後に十一段目「討入り」があり、これは歌舞伎では私は初めて観た。立ち回りが良かった。
 丘さんとは休憩時間に東映の『忠臣蔵』(『赤穂浪士』)についていろいろお話を聞いた。「あたし、一度でいいから、内匠頭夫人の瑶泉院をやりたかったの」とおっしゃっていたことが印象に残った。

 昨日の20日の金曜。美術監督の桂長四郎さんの奥様からお電話をいただいた。悲しい知らせだった。3月26日に桂長四郎さんが心不全でお亡くなりになったとのこと。「青春二十一 第二巻」の私の日誌に京都シネマでの桂さんのトークのことが出てくるが、お読みになれないまま、あの世へ行かれてしまった。残念である。


  
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近況報告(その二)

2012-04-18 03:56:10 | 錦之助ファン
 先週の13日の金曜、第21回日本映画批評家大賞の授賞式に出席した。映画評論家で選考委員代表の渡部保子さんから招かれ、午後の3時半ごろに調布のグリーンホールへ来るようにと言われていた。が、引っ越しの後片付けで遅刻。会場に着いたのは4時過ぎで、すでに式は始まっていた。ホールに入るとほぼ満員で、ちょうど調布市長の長いスピーチの最中。そのあとすぐ、渡部さんのスピーチがあり、なんとか間に合ってほっとする。渡部さんの黒い服に付いたたくさんのビーズがライトを浴びてキラキラ輝き、大変引き立っていた。手短でざっくばらんな話し振りも良かった。舞台の前のテーブルに受賞者がずらっと揃っていたが、新人賞の女優二人に向かい、渡部さんが「すぐ結婚しないで、映画界のためずっとガンバッテよ!」と言って、会場から笑いが起る。新人賞は、剛力彩芽と前田敦子。最近の芸能界に疎い私でも、剛力彩芽は顔と名前が一致する数少ない若手タレントの一人だったが、前田敦子という女の子のことはまったく知らず。あとで恥をかく。なんと、今売れっ子のAKB48の一員で、この間引退というか卒業というか、メンバーを辞めたとのこと。「あんた、知らないの!」とパーティの時渡部さんからもバカにされる。彼女が出席するというので、報道陣がこんなに集ったのかと、やっと納得。別に、そこらへんにざらにいる平凡な女の子の一人じゃないかと思うものの、やっぱり若さと人気には勝てない。この日の出席者には、浅丘ルリ子(ダイヤモンド大賞)を始め、山本陽子(ゴールデングローリー賞)、宮本信子(助演女優賞)もいたが、スポットの浴び方が断然違う。なぜか『黒部の太陽』が特別賞を受賞したことで、石原まき子こと往年の北原三枝も出席していたが、彼女ももう忘れられた女優なのだろう。北原さん自身もスピーチでそう語っていた。
 ほかの受賞者で主な出席者は以下の通り。
 成島出(監督賞)、阪本順治(作品賞『大鹿村騒動記』)、三浦友和(主演男優賞)、片岡愛之助(助演男優賞)、西田敏行(審査員特別演技賞)、北大路欣也(ゴールデングローリー賞)、蟹江敬三(ゴールデングローリー賞)。壇上で受賞後、それそれスピーチあり。 *大竹しのぶ(主演女優賞)、白川和子(ゴールデングローリー賞)は録画映像でスピーチを流した。
 授賞式の後、壇上に出席者が集って記念撮影があり、その後40分ほど休憩。北大路欣也さんだけは存じ上げているので、ちょっとだけお祝いの言葉を申し上げようと思い、楽屋裏へ行く。欣也さんが通路にいらしたので、声を掛ける。前々回に丘さとみさんが同じゴールデングローリー賞を受賞したことを言うと、ご存知で、私が「丘さんとは最近連絡とってますか」と聞くと、「ここんとこ電話してないなあ」「丘さん、きっと待ってますよ」。欣也さんは、錦之助さんを兄貴と慕い、丘さんをお姉さんと慕い、長谷川裕見子さんをお母さんと慕う方である。錦之助さんの十三回忌に発行した「一心錦之助」では、真っ先に熱い思いのこもった文章を下さったし、裕見子さんのお通夜にも出席された。「来年の3月、錦之助さんの十七回忌ですよ」と言うと、「早いもんだねえ」と欣也さん。「その節はまたよろしくお願いします」と言って、お別れする。
 ホールのロビーに石森史郎夫妻がいらしたので、歌舞伎の招待券を2枚差し上げる。新橋演舞場で今上演中の「仮名手本忠臣蔵」のティケットで、獅童さんのお母さんの小川陽子さんから送っていただいたもの。二日分各2枚ずつあったので、日頃お世話になっている石森夫妻に差し上げることにした。私は別の日に丘さとみさんと観に行くことにしている。
 こういった映画関係者の集るパーティに出席すると、いろいろな方と話し、名刺を交換することになる。この日も10人ほどの方と顔見知りになった。市議会議員、デザイン事務所社長(このお二人は石森さんの紹介なのでまたお会いすることがあるかもしれない)、プロデューサー三人、イヴェント企画者、映画書評ライターなど。まあ、それでもほとんどの方とは一期一会であるが……。(つづく)

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