196万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

【少年少女譚海】創刊号は幻か?

2011-10-16 22:53:40 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。


先日

【伊勢田邦貴遺作展】


の案内を致しました。

ネット上では、私が紹介した明々社の冒険科学文庫【怪獣國探検】(伴 大作・著)の画像を紹介している方や、『少年少女王冠』(矢貴書店・昭和25年)の画像をバラで紹介している方も発見!
『冒険活劇文庫』の表紙群や、作品の詳細につきましては、後日改めまして・・・。
とブログ記事にしました。
その後、伊勢田先生の作品をネット上で検索して、一番信頼出来る形で紹介されている日本出版美術家連盟会員の大貫伸樹さんが作成したリストを見ていたら、私の所蔵する戦後の『少年少女譚海』創刊号にも、伊勢田先生の作品が掲載されていることを思い出しましたので、雑誌の表紙だけ紹介しときますね!(笑)

戦後の『少年少女譚海』は、創刊号の表紙に「熱血冒険痛快号」の文字があり、表紙絵を小松崎 茂先生の「猛獣狩り」が飾ってます。
判型はB6判。
主要掲載作品及び執筆陣は次の通り。

巻頭二色で小松崎 茂先生の連続冒険絵物語「黄金大旋風」作・大町浩太が飾り、
那須良輔、佐次たかし、村山しげるの漫画まで二色ページ。
続く荻原賢次、那須良輔、根岸こみち、寺尾よしたか、佐次たかしの漫画は一色。
再び二色ページとなり、
幻怪絵小説「南海の獸人」の絵を我らが伊勢田邦彦先生が画を担当。
泉本三樹・文。
見開きイラスト入りで創刊号目次となり、そして
怪奇探偵小説「夜光怪人」横溝正史、嶺田弘・画の扉絵までが二色。
野球小説「死のホームラン」ジェームス・ハリス、伊勢田邦彦・画となります。
「茨木童子」黒雲之巻を大平陽介、伊藤彦造・画。
科学冒険熱血連載小説「原子天馬團」秋永芳郎、小松崎 茂の扉絵が二色。
感激小説、大林 清、遠藤夕子・画。
感激絵物語、文・八幡良一、画・大川一夫。
落語小説「たんかい小僧」柳家金語樓、那須良輔・画。
西 河馬の漫画。
池田大助捕物帖「南蛮手品」発端篇、野村胡堂、山崎百々雄・画。
志村つね平、センバ太郎、小泉紫郎の漫画。
大宇宙科学小説「恐怖の地球」高垣 眸、深山百合太郎合作、松添 健・画が扉絵二色となり、終了します。途中、横山隆一先生の【フクちゃん】四コマが譚海の宣伝をしています。(笑)
発行は昭和24年であり、発行元が文京出版から途中変わってしまい、現在はどちらも無くなっているため、『少年倶楽部』を発行した講談社や、『冒険活劇文庫』『少年画報』を発行した少年画報社のように、本誌全てを保存している公共施設などないため、『少年少女譚海』は現在散逸してしまい、その全貌を把握することは、大変困難になっております。
ましてや、創刊号は発行部数も少なかったのか、滅多に古書市場にも出てきませんし、ネット上でもあまり見掛けることが出来ません。
詳しく解説していると、更に長文となってしまうので、今宵はこれまでにいたしとうございます。(笑)



以下の文章は、先日の記事の再録になりますが、関連情報など参考にして見て下さい。
今回の遺作展、私はまだ若輩者のため、何も協力出来ておりませんが、伊勢田先生の絵が好きであり、そして、作品研究を希望していた私の所へ直接案内状が送られて来たということは、とても嬉しく名誉な事だと考えております。
ネット上では、情報をいち早く仕入れた途端、さも関係者や熱心なファンを装い紹介する人達がいるようですが、日頃の行いや、今までの実績の累積により、本物なのか?偽者なのか?が直ぐに判るような気がします。(笑)
伊勢田邦彦先生の『冒険活劇文庫』及び『少年画報』に発表された作品群については、私が監修した【少年画報大全】を見ていただけたら、良く理解していただけるかと思います。
名実共に昭和の挿絵界の重鎮であった伊勢田先生の作品群を、この機会に平成の若い人達にも一人でも多く見てもらいたいと私は考えてブログ記事とさせていただきました。


「江戸川乱歩小説」から「現代美人画」まで、挿絵の黄金時代を駆け抜けた天才画家。

10月24日(月)ー30日(日)

日本橋ナンワギャラリー

11:00~19:00(最終日は17:00まで)

東京都中央区室町4ー2ー16
楠和日本橋ビル1F

電話03ー3241ー3927

*原画の販売もいたします。

協力:日本出版美術家連盟

アクセス
JR山手線 神田駅南口より徒歩3分
JR総武快速 新日本橋駅より徒歩5分
営団地下鉄銀座線 三越前より徒歩6分
営団地下鉄半蔵門線 三越前より徒歩8分

伊勢田邦貴(いせだ・くにたか)
1921年、京城(現ソウル)生まれ。本名・邦男。
京城師範学校普通科卒。帰国後、絵の本格習得に励む。
戦後、邦彦のペンネームで少年少女、大衆、婦人雑誌や新聞、週刊誌などに挿絵を執筆。
連載小説を担当した主な作家は江戸川乱歩、横溝正史、海野十三、川口松太郎、吉屋信子、菊田一夫、山岡荘八、檀 一雄、西条八十ほか一流作家の名作に花を添えた。
その後、油絵による現代美人画を制作。
洋画無所属。日本作家クラブ絵画賞、サンケイ児童出版文化賞受賞。
日本出版美術家連盟副会長。
2009年9月15日、88才にて永眠。


ご挨拶

子供の頃兄と私は父のことをふくろう先生だねと呼んでいたことが有ります。
朝から昼にかけて眠っていることが多く
夜になるととても活動的に絵を描いていたからです。
そんな父の部屋を昨年の春、整理することになりました。
次から次へと見たこともない絵、原画、本などが山ほど出てきました。
片付けては手を止めその都度その頃の父の姿が浮かびました。
60年もの間、父が絵を描いてきた時間は懐かしい昭和の時代を思い出させてくれました。
この度三回忌という節目にあたりこのような機会を作らせて頂くことになりました。
父を通じてご縁ができた皆様の御厚意と熱意に感謝申し上げます。
どうぞごゆっくりご観覧していただけましたら幸いです。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

綱川洋子


そして同時期、10月27日からは、

粋美挿画展〈本の世界を彩ってきた挿絵画家たちの作品展〉

原画展示/伊勢田邦貴・堂 昌一・濱野彰親ほか

が、
主催:株式会社東京堂
協力:日本出版美術家連盟

東京堂書店神田本店6階 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-17

にて

10月27日(木)~11月3日(木)10:00~20:00(最終日12:00まで)入場無料があります。


私にとって、伊勢田先生の作品は、伊勢田邦貴として発表された物よりも、伊勢田邦彦時代の作品群の方がとても魅力的ですね!


伊勢田先生には、2001年発売の【少年画報大全】(少年画報社)発表前から、大変お世話になりました。
伊勢田先生は、少年月刊誌『少年画報』の前身である『冒険活劇文庫』(明々社)の頃から、表紙を多数手掛ける大人気画家だったのです。
永松健夫先生の【黄金バット】伊藤彦造先生の挿絵、小松崎 茂先生の【地球SOS】などの強力連載陣に加え、伊勢田邦彦先生の描くB5判の表紙絵の素晴らしさが、戦前から続く名門の『少年クラブ』(講談社)や、戦後出版された『少年』(光文社)などを押さえ昭和30年代前半に『少年画報』を日本一の少年月刊誌へと導く礎となったのです。

私は、幸運にも銀座の日本出版美術家連盟の作品展や、千葉県松戸での小松崎 茂先生を囲む会など、【少年画報大全】発表後も、伊勢田先生と何度も御逢いし、お話することが出きました。
先生が描く美人画の絵葉書をいただいたことさえあるのです。
伊勢田先生が、【鐘の鳴る丘】の印刷紙芝居を描かれていたので、街頭紙芝居を描いたことがあるのか尋ねてみたら、印刷より街頭紙芝居の仕事の方が圧倒的に多かったとのことや、明々社から、書き下ろしの単行本を出していたこと。
今では幻の月刊誌となった『少年少女王冠』創刊の経緯など、伊勢田先生から直接お聞きすることが出来ました。
(伊勢田先生がお亡くなりになってから、私は、明々社発行の書き下ろし単行本、そして『月刊少年少女王冠』を全冊入手することが出来ました。近日中にその本たちのことも紹介しますね!)
とりあえず、以上が速報です!


以下の文章は、昨日更新したばかりのものですが、在野の漫画史研究家であり、コレクターである私の日頃の考え方など、今日の記事に連なる内容となっておりますので、あえて再録致します。





暗くて判りづらいですが、今夜の月と鶴見の貯水塔になります。
窓や明かりのない巨大な丸い塔は、子供の頃の私にとって不気味な恐怖の象徴でした。
曙出版から出版された白川まり奈さんというカルト作家の【吸血伝】という書き下ろし単行本に、この貯水塔とそっくりの建物が出てきたような記憶があるのですが、その本は、三歳上の姉が友人から借りてきた本であり、私は一瞬しか見せてもらえなかったのです。
その後、実際にその本に出会う機会はなく、次に【吸血伝】に出会った時は、数十年後、カルトの人気作家として白川まり奈さんの本が数万単位のプレミアがつくと紹介されていた記事でした。
なるほど、カルトでレアな作品であり、入手困難な漫画本と云えるでしょう。
私の漫画本のコレクションは、テレビ化されたりアニメ化されるような昭和の名作漫画が中心のため、カルトな作品はあまり所蔵していないのです。
入手する際も、高いプレミアがついた本を購入することは少なく、誰も見向きもしなかったかつての名作を発掘することの方が好きなのです。
また、絵物語のジャンルなど、かつては高額で取引されていたジャンルの本のプレミア価格が急落した場合は、喜んで購入します。(笑)
私にとって、人の評価や価格にはあまり興味がなく、全ては私の判断で収集を続けています。
そのため、所有する本の価値が上がろうが、下がろうが一切関係ありません。
一度購入して気に入った本は、余程のことがない限り処分したことがないので、一時期2万冊まで達してしまいました。(涙)
ここ数年は、平成以降の新書判を中心に大量に処分してきましたが、昨日、知り合いの研究者から連絡があり、戦前、戦後に活躍したさる高名な漫画家さんの遺族が所有していた戦後の少年月刊誌の付録200冊、段ボール箱2個分の買取りを頼まれました。
電話では、高名な漫画家の物はあまりないとのことでしたが、縁あって私の元へ集まって来る本たちを拒むことは出来ません。
私は、コレクターであると同時に在野にいる数少ない漫画史研究家なのです。
作品の価値は、私が読んで見てその価値を決めたいと思います。
戦前、戦後の漫画史や、街頭紙芝居、挿絵、絵物語や少年少女小説のジャンルは、研究者が非常に少ない分野です。
現在70代前後となる高名な先生方の直ぐ下の研究者が私となってしまうのだから。(笑)
途中研究者の年齢には、30年近くのブランクがある訳ですが、リアルタイムで楽しんだ世代と、私のように時代を越えて漫画史研究をタイムトラベルのように楽しむ世代とはその意義が随分違ってくるような気がしますね!

追記

昨晩、夜8時半に我が家に待望の荷物が無事到着。
石森史郎先生脚本、石原裕次郎さん主演の映画【夜霧よ今夜も有難う】を観終わった後、急いで開封して一覧していたら、深夜4時過ぎとなってしまいました。(涙)
戦後に少年雑誌の付録として発表された子供漫画の全貌とはどのようなものか?詳細は、後日日を改めまして。(笑)
これを機会に、戦前・戦後の少年雑誌特集もブログ記事のプログラムに組んでいけたらと考えておりますのでよろしくね!(笑)

映画と漫画史研究家

本間正幸
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伊勢田邦彦( 邦貴)作品のレア画像

2011-10-14 19:03:43 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
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よろしくです。


昨日

【伊勢田邦貴遺作展】


の案内を致しました。

ネット上では、私が紹介した明々社の冒険科学文庫【怪獣國探検】(伴 大作・著)の画像を紹介している方はいましたが、肝心の『少年少女王冠』(矢貴書店・昭和25年)の画像を紹介している方は見当たらないようなので、取り急ぎ併せて紹介しますね!(笑)
『冒険活劇文庫』の表紙群や、作品の詳細につきましては、後日改めまして・・・。
伊勢田先生の作品をネット上でもきちんと信頼出来る形で紹介されている方は、今回の遺作展のスタッフであり、日本出版美術家連盟会員でもある大貫伸樹さんだけでしょう。
昨年、銀座の画廊で行われた日本出版美術家連盟の作品展の初日のパーティーに、私は脚本家の石森史郎先生と一緒に参加し、大貫さんにも自己紹介、名刺交換及び挨拶をさせていただきました。
その際、会長である濱野彰親先生(伊勢田先生と同時期から面識があり、なんと!私のことを憶えていただいております。)が同席されており、濱野先生の作品についてだけでなく、小松崎 茂先生や伊勢田邦彦先生の作品についても話題になりましたっけ。
以下の文章は、昨日の記事の再録になりますので、関連情報など参考にして見て下さい。
今回の遺作展、私はまだ若輩者のため、何も協力出来ておりませんが、伊勢田先生の絵が好きであり、そして、作品研究を希望していた私の所へ直接案内状が送られて来たということは、とても嬉しく名誉な事だと考えております。
ネット上では、情報をいち早く仕入れた途端、さも関係者や熱心なファンを装い紹介する人達がいるようですが、日頃の行いや、今までの実績の累積により、本物なのか?偽者なのか?が直ぐに判るような気がします。(笑)
伊勢田邦彦先生の『冒険活劇文庫』及び『少年画報』に発表された作品群については、私が監修した【少年画報大全】を見ていただけたら、良く理解していただけるかと思います。
名実共に昭和の挿絵界の重鎮であった伊勢田先生の作品群を、この機会に平成の若い人達にも一人でも多く見てもらいたいと私は考えてブログ記事とさせていただきました。


「江戸川乱歩小説」から「現代美人画」まで、挿絵の黄金時代を駆け抜けた天才画家。

10月24日(月)ー30日(日)

日本橋ナンワギャラリー

11:00~19:00(最終日は17:00まで)

東京都中央区室町4ー2ー16
楠和日本橋ビル1F

電話03ー3241ー3927

*原画の販売もいたします。

協力:日本出版美術家連盟

アクセス
JR山手線 神田駅南口より徒歩3分
JR総武快速 新日本橋駅より徒歩5分
営団地下鉄銀座線 三越前より徒歩6分
営団地下鉄半蔵門線 三越前より徒歩8分

伊勢田邦貴(いせだ・くにたか)
1921年、京城(現ソウル)生まれ。本名・邦男。
京城師範学校普通科卒。帰国後、絵の本格習得に励む。
戦後、邦彦のペンネームで少年少女、大衆、婦人雑誌や新聞、週刊誌などに挿絵を執筆。
連載小説を担当した主な作家は江戸川乱歩、横溝正史、海野十三、川口松太郎、吉屋信子、菊田一夫、山岡荘八、檀 一雄、西条八十ほか一流作家の名作に花を添えた。
その後、油絵による現代美人画を制作。
洋画無所属。日本作家クラブ絵画賞、サンケイ児童出版文化賞受賞。
日本出版美術家連盟副会長。
2009年9月15日、88才にて永眠。


ご挨拶

子供の頃兄と私は父のことをふくろう先生だねと呼んでいたことが有ります。
朝から昼にかけて眠っていることが多く
夜になるととても活動的に絵を描いていたからです。
そんな父の部屋を昨年の春、整理することになりました。
次から次へと見たこともない絵、原画、本などが山ほど出てきました。
片付けては手を止めその都度その頃の父の姿が浮かびました。
60年もの間、父が絵を描いてきた時間は懐かしい昭和の時代を思い出させてくれました。
この度三回忌という節目にあたりこのような機会を作らせて頂くことになりました。
父を通じてご縁ができた皆様の御厚意と熱意に感謝申し上げます。
どうぞごゆっくりご観覧していただけましたら幸いです。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

綱川洋子


そして同時期、10月27日からは、

粋美挿画展〈本の世界を彩ってきた挿絵画家たちの作品展〉

原画展示/伊勢田邦貴・堂 昌一・濱野彰親ほか

が、
主催:株式会社東京堂
協力:日本出版美術家連盟

東京堂書店神田本店6階 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-17

にて

10月27日(木)~11月3日(木)10:00~20:00(最終日12:00まで)入場無料があります。


私にとって、伊勢田先生の作品は、伊勢田邦貴として発表された物よりも、伊勢田邦彦時代の作品群の方がとても魅力的ですね!


伊勢田先生には、2001年発売の【少年画報大全】(少年画報社)発表前から、大変お世話になりました。
伊勢田先生は、少年月刊誌『少年画報』の前身である『冒険活劇文庫』(明々社)の頃から、表紙を多数手掛ける大人気画家だったのです。
永松健夫先生の【黄金バット】伊藤彦造先生の挿絵、小松崎 茂先生の【地球SOS】などの強力連載陣に加え、伊勢田邦彦先生の描くB5判の表紙絵の素晴らしさが、戦前から続く名門の『少年クラブ』(講談社)や、戦後出版された『少年』(光文社)などを押さえ昭和30年代前半に『少年画報』を日本一の少年月刊誌へと導く礎となったのです。

私は、幸運にも銀座の日本出版美術家連盟の作品展や、千葉県松戸での小松崎 茂先生を囲む会など、【少年画報大全】発表後も、伊勢田先生と何度も御逢いし、お話することが出きました。
先生が描く美人画の絵葉書をいただいたことさえあるのです。
伊勢田先生が、【鐘の鳴る丘】の印刷紙芝居を描かれていたので、街頭紙芝居を描いたことがあるのか尋ねてみたら、印刷より街頭紙芝居の仕事の方が圧倒的に多かったとのことや、明々社から、書き下ろしの単行本を出していたこと。
今では幻の月刊誌となった『少年少女王冠』創刊の経緯など、伊勢田先生から直接お聞きすることが出来ました。
(伊勢田先生がお亡くなりになってから、私は、明々社発行の書き下ろし単行本、そして『月刊少年少女王冠』を全冊入手することが出来ました。近日中にその本たちのことも紹介しますね!)
とりあえず、以上が速報です!


以下の文章は、昨日更新したばかりのものですが、在野の漫画史研究家であり、コレクターである私の日頃の考え方など、今日の記事に連なる内容となっておりますので、あえて再録致します。





暗くて判りづらいですが、今夜の月と鶴見の貯水塔になります。
窓や明かりのない巨大な丸い塔は、子供の頃の私にとって不気味な恐怖の象徴でした。
曙出版から出版された白川まり奈さんというカルト作家の【吸血伝】という書き下ろし単行本に、この貯水塔とそっくりの建物が出てきたような記憶があるのですが、その本は、三歳上の姉が友人から借りてきた本であり、私は一瞬しか見せてもらえなかったのです。
その後、実際にその本に出会う機会はなく、次に【吸血伝】に出会った時は、数十年後、カルトの人気作家として白川まり奈さんの本が数万単位のプレミアがつくと紹介されていた記事でした。
なるほど、カルトでレアな作品であり、入手困難な漫画本と云えるでしょう。
私の漫画本のコレクションは、テレビ化されたりアニメ化されるような昭和の名作漫画が中心のため、カルトな作品はあまり所蔵していないのです。
入手する際も、高いプレミアがついた本を購入することは少なく、誰も見向きもしなかったかつての名作を発掘することの方が好きなのです。
また、絵物語のジャンルなど、かつては高額で取引されていたジャンルの本のプレミア価格が急落した場合は、喜んで購入します。(笑)
私にとって、人の評価や価格にはあまり興味がなく、全ては私の判断で収集を続けています。
そのため、所有する本の価値が上がろうが、下がろうが一切関係ありません。
一度購入して気に入った本は、余程のことがない限り処分したことがないので、一時期2万冊まで達してしまいました。(涙)
ここ数年は、平成以降の新書判を中心に大量に処分してきましたが、昨日、知り合いの研究者から連絡があり、戦前、戦後に活躍したさる高名な漫画家さんの遺族が所有していた戦後の少年月刊誌の付録200冊、段ボール箱2個分の買取りを頼まれました。
電話では、高名な漫画家の物はあまりないとのことでしたが、縁あって私の元へ集まって来る本たちを拒むことは出来ません。
私は、コレクターであると同時に在野にいる数少ない漫画史研究家なのです。
作品の価値は、私が読んで見てその価値を決めたいと思います。
戦前、戦後の漫画史や、街頭紙芝居、挿絵、絵物語や少年少女小説のジャンルは、研究者が非常に少ない分野です。
現在70代前後となる高名な先生方の直ぐ下の研究者が私となってしまうのだから。(笑)
途中研究者の年齢には、30年近くのブランクがある訳ですが、リアルタイムで楽しんだ世代と、私のように時代を越えて漫画史研究をタイムトラベルのように楽しむ世代とはその意義が随分違ってくるような気がしますね!
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速報!?伊勢田邦貴( 邦彦)遺作展!!

2011-10-13 18:26:17 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
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今日、横浜にある我がメトロポリス漫画総合研究所に

【伊勢田邦貴遺作展】


の案内が届きました。(涙)
「江戸川乱歩小説」から「現代美人画」まで、挿絵の黄金時代を駆け抜けた天才画家。

10月24日(月)ー30日(日)

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11:00~19:00(最終日は17:00まで)

東京都中央区室町4ー2ー16
楠和日本橋ビル1F

電話03ー3241ー3927

*原画の販売もいたします。

協力:日本出版美術家連盟

アクセス
JR山手線 神田駅南口より徒歩3分
JR総武快速 新日本橋駅より徒歩5分
営団地下鉄銀座線 三越前より徒歩6分
営団地下鉄半蔵門線 三越前より徒歩8分

伊勢田邦貴(いせだ・くにたか)
1921年、京城(現ソウル)生まれ。本名・邦男。
京城師範学校普通科卒。帰国後、絵の本格習得に励む。
戦後、邦彦のペンネームで少年少女、大衆、婦人雑誌や新聞、週刊誌などに挿絵を執筆。
連載小説を担当した主な作家は江戸川乱歩、横溝正史、海野十三、川口松太郎、吉屋信子、菊田一夫、山岡荘八、檀 一雄、西条八十ほか一流作家の名作に花を添えた。
その後、油絵による現代美人画を制作。
洋画無所属。日本作家クラブ絵画賞、サンケイ児童出版文化賞受賞。
日本出版美術家連盟副会長。
2009年9月15日、88才にて永眠。


ご挨拶

子供の頃兄と私は父のことをふくろう先生だねと呼んでいたことが有ります。
朝から昼にかけて眠っていることが多く
夜になるととても活動的に絵を描いていたからです。
そんな父の部屋を昨年の春、整理することになりました。
次から次へと見たこともない絵、原画、本などが山ほど出てきました。
片付けては手を止めその都度その頃の父の姿が浮かびました。
60年もの間、父が絵を描いてきた時間は懐かしい昭和の時代を思い出させてくれました。
この度三回忌という節目にあたりこのような機会を作らせて頂くことになりました。
父を通じてご縁ができた皆様の御厚意と熱意に感謝申し上げます。
どうぞごゆっくりご観覧していただけましたら幸いです。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

綱川洋子


そして同時期、10月27日からは、

粋美挿画展〈本の世界を彩ってきた挿絵画家たちの作品展〉

原画展示/伊勢田邦貴・堂 昌一・濱野彰親ほか

が、
主催:株式会社東京堂
協力:日本出版美術家連盟

東京堂書店神田本店6階 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-17

にて

10月27日(木)~11月3日(木)10:00~20:00(最終日12:00まで)入場無料があります。


私にとって、伊勢田先生の作品は、伊勢田邦貴として発表された物よりも、伊勢田邦彦時代の作品群の方がとても魅力的ですね!


伊勢田先生には、2001年発売の【少年画報大全】(少年画報社)発表前から、大変お世話になりました。
伊勢田先生は、少年月刊誌『少年画報』の前身である『冒険活劇文庫』(明々社)の頃から、表紙を多数手掛ける大人気画家だったのです。
永松健夫先生の【黄金バット】伊藤彦造先生の挿絵、小松崎 茂先生の【地球SOS】などの強力連載陣に加え、伊勢田邦彦先生の描くB5判の表紙絵の素晴らしさが、戦前から続く名門の『少年クラブ』(講談社)や、戦後出版された『少年』(光文社)などを押さえ昭和30年代前半に『少年画報』を日本一の少年月刊誌へと導く礎となったのです。

私は、幸運にも銀座の日本出版美術家連盟の作品展や、千葉県松戸での小松崎 茂先生を囲む会など、【少年画報大全】発表後も、伊勢田先生と何度も御逢いし、お話することが出きました。
先生が描く美人画の絵葉書をいただいたことさえあるのです。
伊勢田先生が、【鐘の鳴る丘】の印刷紙芝居を描かれていたので、街頭紙芝居を描いたことがあるのか尋ねてみたら、印刷より街頭紙芝居の仕事の方が圧倒的に多かったとのことや、明々社から、書き下ろしの単行本を出していたこと。
今では幻の月刊誌となった『少年少女王冠』創刊の経緯など、伊勢田先生から直接お聞きすることが出来ました。
(伊勢田先生がお亡くなりになってから、私は、明々社発行の書き下ろし単行本、そして『月刊少年少女王冠』を全冊入手することが出来ました。近日中にその本たちのことも紹介しますね!)
とりあえず、以上が速報です!


以下の文章は、昨日更新したばかりのものですが、在野の漫画史研究家であり、コレクターである私の日頃の考え方など、今日の記事に連なる内容となっておりますので、あえて再録致します。





暗くて判りづらいですが、今夜の月と鶴見の貯水塔になります。
窓や明かりのない巨大な丸い塔は、子供の頃の私にとって不気味な恐怖の象徴でした。
曙出版から出版された白川まり奈さんというカルト作家の【吸血伝】という書き下ろし単行本に、この貯水塔とそっくりの建物が出てきたような記憶があるのですが、その本は、三歳上の姉が友人から借りてきた本であり、私は一瞬しか見せてもらえなかったのです。
その後、実際にその本に出会う機会はなく、次に【吸血伝】に出会った時は、数十年後、カルトの人気作家として白川まり奈さんの本が数万単位のプレミアがつくと紹介されていた記事でした。
なるほど、カルトでレアな作品であり、入手困難な漫画本と云えるでしょう。
私の漫画本のコレクションは、テレビ化されたりアニメ化されるような昭和の名作漫画が中心のため、カルトな作品はあまり所蔵していないのです。
入手する際も、高いプレミアがついた本を購入することは少なく、誰も見向きもしなかったかつての名作を発掘することの方が好きなのです。
また、絵物語のジャンルなど、かつては高額で取引されていたジャンルの本のプレミア価格が急落した場合は、喜んで購入します。(笑)
私にとって、人の評価や価格にはあまり興味がなく、全ては私の判断で収集を続けています。
そのため、所有する本の価値が上がろうが、下がろうが一切関係ありません。
一度購入して気に入った本は、余程のことがない限り処分したことがないので、一時期2万冊まで達してしまいました。(涙)
ここ数年は、平成以降の新書判を中心に大量に処分してきましたが、昨日、知り合いの研究者から連絡があり、戦前、戦後に活躍したさる高名な漫画家さんの遺族が所有していた戦後の少年月刊誌の付録200冊、段ボール箱2個分の買取りを頼まれました。
電話では、高名な漫画家の物はあまりないとのことでしたが、縁あって私の元へ集まって来る本たちを拒むことは出来ません。
私は、コレクターであると同時に在野にいる数少ない漫画史研究家なのです。
作品の価値は、私が読んで見てその価値を決めたいと思います。
戦前、戦後の漫画史や、街頭紙芝居、挿絵、絵物語や少年少女小説のジャンルは、研究者が非常に少ない分野です。
現在70代前後となる高名な先生方の直ぐ下の研究者が私となってしまうのだから。(笑)
途中研究者の年齢には、30年近くのブランクがある訳ですが、リアルタイムで楽しんだ世代と、私のように時代を越えて漫画史研究をタイムトラベルのように楽しむ世代とはその意義が随分違ってくるような気がしますね!
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【オペラの怪人】と, 黄金バット!

2011-08-29 18:24:56 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
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よろしくです。


今日の画像は、無声映画鑑賞会のプログラム『クラシック映画ニュース』から、映画【オペラの怪人】の紹介が載っています。

無声映画鑑賞会の上映プログラムの中でも、【メトロポリス】と【オペラの怪人】は、おすすめの作品です。
【オペラの怪人】と【黄金バット】の関係とは?

その秘密は、又、後で(笑)
門前仲町、門仲天井ホールにて
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冒険活劇文庫サムライ魂伊藤彦造

2009-06-24 04:24:45 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
今日の画像は、伊藤彦造の

待て 父の仇(少年倶楽部昭和4年1月号初出)


である。
(待て父の仇。)鋭く叫んで車をさえぎった少年武士。
腰の刀に反りをうたせてつめよった。
(少年倶楽部名作選 絵画編・昭和42年7月17日講談社より)


昭和の少年少女を熱狂させた不世出ペン画挿絵の巨匠伊藤彦造先生の一枚。


少年画報大全(2001年7月発行)では


特集06 伊藤彦造の世界
阿修羅天狗と彦造傑作名画集

と題して3ページの特集を組んだ。

以下その本文より。


昭和を代表する挿絵画家


戦前少年倶楽部の豹の眼や角兵衛獅子天兵童子の挿絵で全国の少年達にその名を知らしめた彦造。
敗戦後、彦造は戦犯容疑を受け、米軍座間キャンプに収容された。
その際に牧師から洗礼名アーサー・ガブリエルを授けられるが、キリスト教に帰依したわけではない。
挿絵画家伊藤彦造の復活は昭和24年からであるが、なかでも冒険活劇文庫誌上の作品群が秀逸である。
97歳を迎えた現在、町田市でご健在である。(本間)


DATE


彦造傑作名画集
S.24.8~S.26.10月号(全31集) *但し剣豪名画集にて25~28集を発表


阿修羅天狗
原作・野沢純
S25.1~S26.6月号(全19回)

変幻修羅八荒
原作・相模小次郎
S.26.7~10月号(未完)


荒野の決闘
原作・相模小次郎 画・アーサー・ガブリエル名義
別冊付録(冒険活劇文庫)
S25.8~S26.4月号(全10回)

魔界の征者
原作・相模小次郎
画・伊藤新樹名義
S.25.7月号


時代活劇 阿修羅天狗
S26.1月号 少年誌への連載とは思えない程の本格的時代活劇物語
祗園の名妓である幾松など妖艶なおとなの女性までもが登場する


時代活劇 変幻修羅八荒
S26年10月号 阿修羅天狗の続編ともいうべき白頭巾の大活躍を中心として描かれた
惜しくも4カ月で未完


西部活劇 荒野の決闘
S26年1月号 別冊付録(冒険活劇文庫)の柱としてアーサー・ガブリエル名義で全回にわたり連載された彦造異色の西部活劇


冒険探偵 魔界の征者
S25年7月号 伊藤新樹名義の短編現代劇


S26年4月号 口絵 初陣 彦造傑作名画集は額面用特別口絵として折込まれた
全三十一集
掲載画は進学、就職の春に際し、読者である少年達へのはなむけとして描かれた


さて、以上のように(少年画報大全)で紹介させてもらった伊藤彦造先生だが、その後、2004年9月9日100歳の生涯を閉じる。
弥生美術館では、
伊藤彦造追悼展
天才絵師100年の軌跡
2006年7月1日(土)~9月24日(日)

が開催された。
河出書房新社からは、
(伊藤彦造イラストレーション)新装・増補版!
定価2800円(税別)が発売された。

初版発行 1999年8月16日
再版発行 1999年9月30日
新装増補版2006年6月30日
もちろん(待て 父の仇)も収録されているのだが、カラーでなく、白黒なのが残念である。
2001年の(少年画報大全)発売後、(冒険活劇文庫)の看板作家として特集を組んだ(黄金バット)の永松健夫先生、(地球SOS)の小松崎茂先生、(彦造傑作名画集)の伊藤彦造先生と三人共皆、再ブームが起き、逓信総合博物館、弥生美術館などでの展示会が行われたことを特記しておきたい。
監修者として、私の眼に狂いはなかったのである。
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冒険活劇文庫小松崎茂の地球SOS

2009-06-23 01:34:06 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
冒険活劇文庫創刊2号目に登場したのが、皆さんご存知の小松崎茂先生・地球SOSである。
今日の画像は、少年画報大全の特集05
小松崎茂地球SOS
21世紀を予言した空想科学の世界
と題した4ページのうち最初の2ページである。

小松崎茂先生は、3月のご自宅でのインタビューから9ヶ月後におなくなりになられてしまわれたが、少年画報大全の中では、いつまでも変わらぬ現役の姿のまま絵を描き続けている。


私のインタービューに対して、


いい少年雑誌が出来れば・・・


と日本のモラルについてや、当時の読者に対する思いを語ってくれました。
以下(少年画報大全・2001年7月発売)より。


(地球SOS)
昭和23年2号(10月号)~昭和26年10月号(全38話未完)
(草原の覇者)
昭和29年1月号~昭和30年1月号(全11話途中2回休載)
(氷獣ドライス)原作/久米元一
昭和32年4月号~昭和33年3月号(全12話)


懐かしき空想科学の絵物語

挿絵画家として戦前から活躍した小松崎茂は、(冒険活劇文庫)が創刊されると第2号から(地球SOS)の連載を開始。
21世紀を舞台に描いた(地球SOS)はまたたく間に少年読者の心を捉え、毎号巻頭2色を飾る人気作となる。
(黄金バット)の毎回4P連載に対し、(地球SOS)は当初から6~7P、多い時には13~14Pにも渡って話が進んでいく。
敗戦間もない日本の子ども達にとって21世紀の未来は科学が発達した文明社会であり、自分達がその世界を築いていく夢や希望にあふれていた世界としてうけとめていたのだろう。
当時の新聞にUFOの目撃談が掲載され、(地球SOS)のなかにも紹介されたバグア彗星人の存在は、よりリアルに感じられたことだろう。
人類がまだ月や火星へ到着する前の話である。
(草原の覇者)は(大平原児)など西部劇をも得意とした小松崎の知られざる名作のひとつである。
(氷獣ドライス)は小説の挿し絵であり、以降は長期間に渡り巻頭の(少画シネラマ画集)などで活躍していくことになる。
86歳を迎えた現在も尚、現役である。(本間)
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冒険活劇文庫と黄金バットとは?

2009-06-09 04:20:50 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
(冒険活劇文庫)の看板作品として登場した街頭紙芝居の大ヒット作、永松健夫の(黄金バット)だが、その成り立ちは、果たして本当に加太こうじが(紙芝居昭和史)に書いた通りなのだろうか?

戦前の成り立ちの部分に関しては、もはや確認のしようがないのだが、戦後の部分については、2001年夏、(少年画報大全)監修時に実証的に検証した事柄が、その後逓信総合博物館の(松本零士コレクションでつづる漫画誕生と黄金バットの時代)展などにより、広まってくれたようで有難い限りである。
(正チャンの冒険)に関しても、2003年逓信総合博物館による(正チャンの冒険80年)展を境に全6巻でなく、全7巻であることが広まり嬉しい限りである。
私も、展示のために秘蔵のコレクションであった7巻を貸出したかいがあるというものだ。
同時期に開催された新聞博物館による(新聞漫画の眼)展での図録による日刊アサヒグラフでの(正チャンの冒険)連載開始日の誤りが流布しなくて何よりである。
展示会や図録を作る場合、担当する研究者や学芸員は、そういった基本的なことを確認すべきだと思うのだが?


以下、黄金バットについて(少年画報大全)2001年7月少年画報社から発売の引用である。


特集04永松健夫(黄金バット)
史上最大の紙芝居ヒーロー登場


不滅の黄金バットは紙芝居から絵物語へ

黄金バットは昭和5年に鈴木一郎作、永松武雄(戦後健夫に改名)絵により誕生した紙芝居史上最大のヒット作である。
戦後、街頭紙芝居に復活すると、再び子ども達の間で大人気となる。
明々社より単行本として(なぞの巻)(地底の国)(天空の魔城)と3冊続けて出版され、瞬く間にベストセラーとなった。
それが契機となり、(黄金バット)を看板に(冒険活劇文庫)が創刊される。
創刊号より連載された(アラブの宝冠)は"黄金バット誕生編"ともいうべきストーリーで、(なぞの巻)以前の話である。
その後、単行本(彗星ロケット)が発売され、昭和25年新年号より連載された(科学魔篇)へと続く。
12月には映画化され、朝日新聞の映画広告欄に"男装の麗人川路龍子、世紀の鳥人上田龍児、特別出演美空ひばり"の配役が記されている。
怪盗黒バット団一味であるモモンガーのお熊ばあさんやハルピンお光は、ダンスの会でダイヤを盗み、ドブロクスキー博士の手によってブルタンクを作り出す。黒バットを追う大木探偵夫妻は捕らえられ、息子のまさるは倉田かず子と共にライオン朝日号を連れた蛇王のおじさんに助けを求める。
蛇王は黒バットに鉄棒をなげつけ、朝日号も怒ってとびかかる。
両足を切断する重症を負った黒バットは、みみずく型の覆面をし、名をナゾーと改める。
蛇王は、どくろ岩に眠る黄金バットを呼び出し、力を借りる。
巨大な前世紀の怪物エーア・ソーラスを引き連れ、高らかな笑いと共に天空に現れた黄金バット!!
ブルタンクに乗るナゾー一味との対決はいかに?(本間)


DATE


(黄金バット)
アラブの宝冠 S.23.8-S.24.8、12(全13回)
科学魔篇 S25.1-5(全5回未完)
映画/新映画社制作:東映配給/黄金バット 摩天楼の怪人/S25.12.23封切り/上映時間71分/監督:志村敏夫/主要出演者:川路龍子、上田龍児、美空ひばり
単行本B6判全4冊
1巻なぞの巻 S22.11.15 定価35円
2巻地底の国 S23.1.20 定価40円
3巻天空の魔城 S23.4.25 定価40円
4巻彗星ロケット S24.3.20 定価65円
復刻版単行本 B6版 全2冊上・下 共にS53.1.1 定価650円
(新黄金バット)
S27.8-S28.8(全13回)

(少年画報)S27年12月号付録として単行本(なぞの巻)を1冊分丸ごと別冊付録に仕立て直したものもある。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
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冒険活劇文庫創刊号の理念とは?

2009-05-26 01:27:31 | 街頭紙芝居「黄金バット」と『冒険活劇文庫』の時代
戦前戦後を通じて、街頭紙芝居最大のヒーローである永松健夫の黄金バットを看板に、戦後の少年雑誌の流れを変えた冒険活劇文庫(明々社)創刊号の理念とは?


ー冒険活劇文庫についてー

これからの日本を背負ってたつ、みなさんは、大切なお國の宝です。
まちがった戦争によって、世界の國々からお交際(つきあい)をことわられていた日本が、生れかわって民主國となりました。
民主主義ということは、みんなが自由に勝手放題をすることではなく、自分の務(つとめ)を立派にはたし、他人にめいわくをかけず、自分の心を正しくして、身体(からだ)も心も健全になることです。
そして正しいと思った事は、あくまで貫ぬき通すたくましい正義の精神が民主主義の根本となるのです。
いままでの日本人には、この正義の精神が、もっとも欠けていました。
冒険活劇文庫の物語は、皆この点に立脚して、諸先生方に腕をふるっていただいた、傑作ぞろいの雑誌です。
この絵物語のなかには、正義を培う精神と知識の芽生えをそだてる夢の世界が満ちあふれています。
みなさんは、このたまらない面白い絵物語のなかから、正義の精神を汲みとって、すこやかに育って下さい。
それが、世界の少年たちに負けない立派な子供になる近道です。
冒険活劇文庫は、冒険・科学・探偵・活劇物語を満載して、毎号すばらしい出来ばえを、みなさんにお眼にかけるつもりでいます。(編集部)

少年画報大全付録・冒険活劇文庫創刊号復刻版(2001年・少年画報社)より


昨今、安易にサムライと名付けるのが現代の風潮だが、冒険活劇文庫のタイトルまで無断使用しているホームページを見つけた時は流石に驚きました。
冒険活劇文庫の創刊から、改題後の少年画報の休刊に到るまでを総覧し、少年画報大全を監修した私にとっては、誠に遺憾です。
冒険活劇は、慣用句ですが、冒険活劇文庫は明々社発行の雑誌タイトル、いわば固有名詞となります。
冒険活劇文庫に掲載された作品群と他の雑誌や単行本などで発表された物とでは、その理念が違ってくるのです。
冒険活劇文庫の創刊の理念を本当に理解して使用してくれているホームページならせめて救いがあるのですが・・・

私は、少年画報大全に関わったことを生涯の誇りに思い、発売以来9年間、添乗員として旅行の時も常に鞄の中に入れて持ち歩いております。
少年画報大全発行の際にご協力いただいた先生方及び遺族の方とは、現在も懇意にしていただいております。
先生方も皆、冒険活劇文庫及び少年画報に関わられたことを今も良い思い出としていただいているのです。
冒険活劇文庫創刊の理念を理解されずに何ら関わりのない方がそのタイトルを使用するのは、果たしてどんなものなのでしょうか?

せめてサイト管理者の実名を公表し、関係者各位に挨拶があってから使用してもおかしくはないと思うのはネット社会の常識を知らない私だけの過剰なる思い込みなのでしょうか?

明々社及び少年画報社を創業した故・今井堅社長の志を思うと酷く悲しい思いになるのです。


創業50周年に際して

創業に際して私は、戦後の新しい日本を担う青少年の正しい育成こそまさに喫緊事であり、出版を通じて微力ながらその一助たらんと念願した次第でありました。
敗戦直後の社会の混乱は、産業・風俗の著しい荒廃のみならず、教育の偏向までもたらしました。
伝統的ないわゆる醇風美俗さえ否定される有様で、良識は影をひそめ、一部には偏見と独善が横行する観がありました。
こんな風潮に、大きな不安と憤りを覚えずにはいられません。
青少年の行末はどうなる?自由と公正が本当に実現する活き活きした社会。
それを建設する若人となるべき青少年を、一人でも多く世に送り出さねばならない。と痛感せずにはいられなかったのです。
(明るく、清く、正しく、強く。)
この標語には(少年画報)と読者とを結ぶ当時の合言葉でした。
(赤胴鈴之助)や(ビリーパック)はこうして生まれ、多くの少年たちの血を湧かせ、夢を育んだのです。
以来、星霜五十年。
波乱も経ました。
しかし創業の理念ーー時流に棹さして偏せず、健全な青少年の育成に奉仕する当社の姿勢は、終始変わらないのであります。

創業者 今井堅
平成9年12月3日没

トーハン週報1995年1月13日号挨拶より

(少年画報大全)


少年画報社から社史ともいうべき少年画報大全監修の特命を受けた者として

社団法人日本漫画家協会正会員
漫画史研究家

本間正幸


追伸

このブログを読んでくださる皆様には、是非一度、少年画報大全を手にとって御覧いただけたら幸いです。以前、私のブログの中でも書かせてもらいましたが、この本の編集に関わった者全てが、この本だけはという特別の思い入れが今もあるのです。
冒険活劇文庫という神聖なタイトルを、冒険活劇文庫と何ら関わりあいの無い人物に安易な思いつきだけで使用してもらいたくはありません。
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