RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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開山・栄西禅師 800年遠忌 栄西と建仁寺

2014-04-20 21:30:00 | 美術
見てきました

東京国立博物館

会期は2014年3月25日から2014年5月18日。

2014年は、日本に禅宗(臨済宗)を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した栄西禅師(1141~1215)の800年遠忌。
これに合わせて、栄西ならびに建仁寺ゆかりの宝物を集めた展示です。
近年研究の進んでいる栄西の著述、建仁寺にかかわりのある禅僧の活動などを通して栄西、建仁寺が日本文化の発展に果たした役割を検証しようとするもの。
工芸や絵画の名品のほか、俵谷宗達の国宝「風神雷神図」、栄西をはじめとした建仁寺歴代の書蹟、全国の建仁寺派の寺院などが所蔵する宝物が展示されています。

会場に入って一番最初にいるのがこちら。
「明庵栄西坐像」
現存する最古の栄西像。
手を前に組み穏やかな表情です。
北条政子が創建し、栄西が開山となった鎌倉の寿福寺伝来です。

高峰東著「興禅護国論和解」
これは栄西が記した「興禅護国論」の解説書的なもの。
さて、今回の展示ですが『ようさいとけんにんじ』です。
「栄西」を「えいさい」ではなく「ようさい」と読んでいます。
それはこの書の「イヤウサイ」と読みがふられているから。
これにより建仁寺では「ようさい」と読んできました。
ただ、「えいさい」も間違いではないそうで、両方の読みがあるのだとか。
建仁寺の「ようさい」という長年の読み方も、建仁寺の文化の一つと考え、今回の展示では「ようさい」と読んでいるんだそうです。

「明庵栄西像」
現存最古の肖像だそう。
頭が四角く、先ほどの像に似ています。
袈裟の色がとてもきれい。

《プロローグ 禅院の茶》
建仁寺で行われる四頭茶会。
これは、茶道の源流とも言われているようで、会場内にはそれを再現したものが展示されていました。
抹茶を用いた喫茶法が中国から日本へ伝わったことについては、一般的には日本で最初の茶書である『喫茶養生記』を著した栄西によるものとされています。
栄西が帰国する以前の12世紀半頃までに、すでに博多には喫茶に用いた茶碗が舶載されていたようですが、いずれにしても栄西を始めとする入宋の禅僧や渡来僧の業績により、禅院を中心に広く伝えられようになったのは間違いないとのことです。

「四頭茶会所用具」
この四頭茶会、現在も建仁寺で4月20日の栄西の誕生日に行われているそうです。
その道具で実際の茶会を再現しています。
古い禅院の茶法を受け継いだものだそう。
4名の正客と相伴客各8名(合計36名)が1つの部屋の中で順番に茶をふるまわれます。
方丈の正面中央に栄西像と龍虎図。
そのようすは映像でも見れました。
まったく知らない世界でしたのでかなり興味深い。

「油滴天目」
なんて美しいんだろう、と思わず誰もが思うでしょう。
曜変天目に次いで高く評価されたそう。
深い色に細やかな斑文が美しく、小さな宇宙のよう。
金色の縁もきれいです。

《第1章:栄西の足跡》
近年、栄西の著作や自筆書状の発見が相次いでいるそう。
ここではその人となりを絵画や彫刻、九州滞在や2度の入宋、東大寺での活動などで見ていきます。

「長命富貴堆黒箱」
南宋に滞在していたころ、金の役人から送られたものだそう。
黒い漆器に文字と吉祥文らしき文様が施されています。
落ち着いた印象です。

「漢柿蔕茶入」
中国より持ち帰った茶種から茶の栽培に成功した栄西。
これは高山寺の明恵にお茶の種5粒を入れて送ったとされるものだそう。
それらは梅尾茶の礎となったそう。
渋い色です。

「栄西申状」
日本で最初の禅寺、聖福寺建立の由来を栄西自身が述べた文章。
55歳のときだそう。

「仏手」
とても大きな左手。
像高は4.8mほどと考えれるのだそう。
丈六の像で宋風。
完全な姿だったらどれほどだろうとしばし考え込みます。。

栄西著「喫茶養生記」
茶のもつ養生延命の功徳を述べ、喫茶をすすめる日本最古の茶の本です。
茶は健康にいいとこの時から理解していたことに驚き。
なお、私も癖というか習慣でほぼ毎日飲んでいます。

《第2章:建仁寺ゆかりの僧たち》
京都最初の禅宗寺院である建仁寺。
そこでは、曹洞宗の開祖道元、東福寺開山円爾、法燈派の祖無本覚心など、禅宗の発展に大きな役割を果たした人々が研鑽を積みました。
また、住職は一つの門派に独占させず、広く有能な人物を登用する十方住持制という制度を採り、多用な人材を集めました。
歴代住持には中国からの渡来僧も。
ここではそういった僧たちの像やゆかりの品が展示されています。

康乗作「蘭渓道隆坐像」
蘭溪道隆は、建仁寺の11世住持。
南宋から渡来した禅僧です。
また建仁寺の前には鎌倉建長寺の開山となっているそう。
この像は中が空洞で彫像の頭部が入っていたそう。
調査した結果、この像と同じ人物で像の元となったものの一部だとか。
おもしろい。

天境霊致賛「総持正傑大姉像」
描かれているのは女性。
豊後守護大友貞宗の後室で豊後に禅宗文化を根付かせたのだそう。
制作年の分かる女性単独の肖像画として最古のもの。
このあたりは本当に歴史のあるものばかりです。

「塩瀬家関係史料」
塩瀬家は両足院の開山、龍山徳見が元から帰国する際に同行した中国人の末裔。
で、日本にまんじゅうの製造を伝えた人、だそう。
重要です!!個人的に。笑

《第3章:近世の建仁寺》
応仁の乱により荒廃した建仁寺。
天文21(1552)年の兵火により建仁寺の堂舎と多くの塔頭を焼失する決定的な打撃を受けます。
その再興が進むのは16世紀末。
慶長4(1599)年の安国寺恵瓊により本坊方丈の再建されます。
また、寛永元(1624)年には、秀吉夫人北政所の願いにより高台寺に建仁寺295世三江紹益が中興開山として迎えられました。

三江紹益賛「奥平信昌夫人像」
描かれている女性は家康の長城で奥平信昌に嫁いだ亀姫。
美しい衣装ですが、小袖には葵の紋が入っています。

「打掛 亀甲花菱模様縫箔 高台院所用」
秀吉の正室、北政所着用の打掛として高台院に伝わるもの。
花菱亀甲文に吉祥の文様である州浜紋を組み合わせています。
すべて刺繍で施されています。
豪華で繊細。
素晴らしいです。
ただ、小さく感じる……

狩野山楽筆「蓮鷺図襖」
こちらは正伝永源院、客殿中央の間の襖は16面あるのですが、その中心部分。
金地に緑と白、蓮、燕…いきいきとしています。
華やか。

狩野山楽筆「禅宗祖師図」
2幅の掛け軸。
左はいつまでたっても悟りが開けなかった僧が箒で掃除をしていたところ、石ころが竹に当たる音を聞いてその瞬間に悟ったというお話を描いています。
右は亀に手を差し伸べる僧。
優しくかわいらしい。

「菊枝桐紋蒔絵提子」
高台寺蒔絵です。
高台寺蒔絵とは桃山時代に流行した蒔絵の様式。
高台寺の霊屋内部の蒔絵と同寺蔵の蒔絵調度類にちなんで名づけられたもの。
これは高台寺蒔絵の代表作。
三脚で手でもつところまで蒔絵が施されています。
秋草の繊細さも美しい。

「印金堂裂帖」
妙光寺境内にあった開山堂内に貼り巡らされていた印金。
それを保存のために貼り付け一帖としたもの。
こういったものを丁寧に保管しているところもすごい。

海北友松筆「雲龍図」
このあたりには海北友松の作品が。
海北友松、うみきた ともまつ ではなく、かいほう ゆうしょう。
安土桃山から江戸初期にかけての絵師。
独特の空間の取り方が素敵です。
黒い雲の合い間から巨大な龍。
うねる雲、鋭い爪、睨みつける目に、リアルな背中。
迫力満点で雄大です。
これは見れて嬉しい!!

《第4章:建仁寺ゆかりの名宝》
建仁寺は、栄西をはじめとして、中国の文化を求めた僧たちによって、時代の先端を行く文化を京都に発信してきました。
ここではその歴史の中で守り伝えられてきた名宝が展示されています。

「鉄蛸足香炉」
中国の禅院で使用されていたもので、鎌倉時代に日本へ来ました。
開山堂で現役で使われているそうです。
これは見た目がかわいらしい。
その名の通り、たこなのです。
長く複数ある足が特徴。
6本の長い足と6本の短い足が組み合わさっています。

「三具足」
三具足とは香炉・燭台(火立)・花立の各一つずつで一組となる仏具。
仏前の前に置かれた机上に配します。
絡みつくような龍がとても精巧です。

「架鷹図」
中国、南宋時代の作。
8幅の掛け軸です。
それぞれに鷹が描かれているのですが、とてもかっこいい。
鋭い目つきや美しい羽にはうっとりです。

長谷川等伯筆「松に童子図襖」
これは晩年に描かれたもの。
巻物と筆の入ったカゴを持ち、水辺に立つ童子。
左奥には松林も描かれています。
等伯といえは「松林図屏風」の印象がどうしてもありますから。

長谷川等伯筆「竹林七賢図屏風」
これは海北友松の障壁画を見て自らの作風に生かしたのだそう。
その友松の作品も第3章で展示されています。
詳細は描いていませんがもちろんよかったです。
この作品は6曲1双の屏風。
すっとまっすぐに伸びた竹が美しい。

曽我蕭白筆「山水図」
高低が強調され、しっかり描かれた建物とぼかした山の景色が蕭白らしいなぁ、と感じます。
人は豆粒のような小さな人が描かれています。
じっくり見てとても楽しい作品です。

伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」
雪の中にいる鶏。
山茶花の鮮やかな色彩と雪の白のコントラストが美しい。
これ、江戸時代なんだよね。。
毎回驚かされますが、毎回うっとりです。

長沢芦雪筆「牧童吹笛図」
寝そべった牛の上に童子が座り笛を吹いています。
牛がちょっと間抜けな顔をしていてかわいい。
なんとこの作品、筆ではなく、指で描いたのだとか。
弘法筆を選ばずなのです。
すごい人は道具が何であれ作品を作り上げられるのですね。

「涅槃図」
吉祥モチーフがちりばめられた作品。
菩薩に羅漢も描かれ、登場人物(動物)もかなり多く、色彩も鮮やかでにぎやかな作品。
狛犬に孔雀に…ファンタジーのようです。

「珍皇寺参詣曼荼羅」
京都東山の六道珍皇寺が参詣客で賑わう様子が描かれています。
右上には井戸が描かれています。
この井戸は小野篁があの世とこの世を行き来したとされる井戸。
この近くには、院達作の「小野篁・冥官・獄卒立像」も展示されています。
両側に冥官と獄卒を従え、堂々たる姿。
像は高さ180cmを超えるものですが、篁が亡くなった時の伝記には背丈が六尺二寸(約188cm)とあったそうです。
ほぼ等身大。
当時としては考えられないくらいの巨大な人物です。
たしかに迫力あります。
この大きさも閻魔大王の補佐、という伝説につながったのかな。。。

俵谷宗達筆「風神雷神図屏風」
今回のメインでもあるこの作品。
教科書などで誰もが目にしたことのある作品です。
本物を目の前にすると圧倒されます。
雷神と風神の迫力、躍動感、その構図、色彩。
月並みですが、素晴らしいです。

以上になります。
トーハクは展示方法もかっこいい。
今回も貴重なものがたくさんみれて満足となりました。



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