「47NEWS」の「司法修習、8人に1人落第 7月の卒業試験、過去最低」( 2010/08/24 21:17 )
旧司法試験に合格した者のうち、ほぼ1割が司法修習終了時に行われる試験 (二回試験) に不合格となった、と報じられています。
この試験 (司法修習終了時に行われる試験) に合格しなければ、司法試験に合格しても法律家になる資格が得られないのですが、
ほぼ1割が不合格になったというのですから、司法試験合格をもって、事実上法律実務家になることが確定した、と考えてはならないことがわかります。
法律実務家 (弁護士など) のなかには、新司法試験合格者はレベルが低い、旧司法試験制度に戻すべきだ、といった意見を述べるかたもおられますが、
この1割という数字は、「旧司法試験に合格した者のうち、二回試験に合格しなかった者の割合」ですから、「新」司法試験に合格した者の成績は、もっと悪いと考えてよいのではないかと思います。
とすれば、新司法試験・旧司法試験のどちらに合格したかを問わず、「司法試験に合格すれば、(事実上) 誰でも法律実務家になれる、といったものではない」と考えてよいと思われます。
「街の弁護士日記 SINCE1992」の「司法修習の給費制廃止に反対する」
研修医には給与が支払われるのに、司法修習生には給与が支払われない。これは不公平である、と書かれています。
「お義理でいやいや国選をやっている」というのはどうか、とも思いますが、それはともかく、
「司法修習生」は「司法試験合格者」のなかから選ばれます。
冒頭、(私が) 述べたように、「司法修習終了時に行われる試験に不合格となり、法律実務家としての資格を得られない」者が「かなり多い」のであれば、すなわち、「司法試験合格者 (司法修習生)」のうち「ほぼ全員」が法律実務家になれるわけではないのであれば、
司法修習生を研修医と同視するのはおかしい、
と考えなければなりません。どちらかといえば、
司法修習は、研修医の研修ではなく、
医学部学生の臨床実習に相当する
と考えるべきだと思われます。
言うまでもありませんが、研修医の研修には給与が支払われますが、医学部学生の臨床実習には給与は支払われません。給与が支払われるどころか、逆に (臨床実習を受けるために) 学費を支払わなければなりません。
したがって、司法修習生を研修医と同列に置いて「給費制廃止は不公平である、おかしい」などと主張するのは、「どこか変」だと言ってよいと思います。むしろ、司法修習生を医学部学生と同列に置いて「給費制維持は不公平である、おかしい」と主張することこそが、「自然」ではないでしょうか。
司法修習生を研修医と同列に置こうとするのは、「給費制維持」という「結論先にありき」の発想だと思われます。実質的にみれば、司法修習生は医学部学生と同列に置くべきではないかと思われます。
そしてこの主張は、「司法修習生の労働者性」を否定すべきであると考えられることと、矛盾なく結びつきます。
実質的にみて、司法修習生は学生であり、(あえて医師になぞらえるならば) 研修医ではなく医学部学生にあたる、といってよいのではないかと思います。
最高裁は24日、司法試験に合格した修習生が法曹(裁判官、検察官、弁護士)資格を得るための7月の卒業試験で、受験者223人に対し、合格は195人にとどまり、約12・6%に当たる28人が不合格だったと発表した。8人に1人が落第した計算で、合格率は過去最低だった。
現在の司法試験は法科大学院出身者対象の新試験と従来の旧試験が並行して実施され、修習期間も異なる。今回の卒業試験は主に2008年の旧試験合格者が対象。受験者のうち75人は過去に不合格となった再受験組で、うち21・3%の16人が再び落第。初受験の148人に限れば不合格者は8・1%の12人だった。
5科目(民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護)のうち、1科目でも合格点に達しなければ落第となる。不合格科目は多い順に刑事裁判の12人、民事裁判の11人と続き、複数科目を落とした修習生もいた。
不合格者は希望が認められれば、新試験の修習生向けに11月に行われる卒業試験を受験できるが、再び全科目を受けなければならない。
旧司法試験に合格した者のうち、ほぼ1割が司法修習終了時に行われる試験 (二回試験) に不合格となった、と報じられています。
この試験 (司法修習終了時に行われる試験) に合格しなければ、司法試験に合格しても法律家になる資格が得られないのですが、
ほぼ1割が不合格になったというのですから、司法試験合格をもって、事実上法律実務家になることが確定した、と考えてはならないことがわかります。
法律実務家 (弁護士など) のなかには、新司法試験合格者はレベルが低い、旧司法試験制度に戻すべきだ、といった意見を述べるかたもおられますが、
この1割という数字は、「旧司法試験に合格した者のうち、二回試験に合格しなかった者の割合」ですから、「新」司法試験に合格した者の成績は、もっと悪いと考えてよいのではないかと思います。
とすれば、新司法試験・旧司法試験のどちらに合格したかを問わず、「司法試験に合格すれば、(事実上) 誰でも法律実務家になれる、といったものではない」と考えてよいと思われます。
「街の弁護士日記 SINCE1992」の「司法修習の給費制廃止に反対する」
研修医には給与、法律家には貸与、この図式は単純に不公平である。
医師と弁護士の違いは、医師は国家試験に合格すれば、医師の資格があるので、給与制になじみ、弁護士は国家試験に合格しただけでは何の資格もない素人なので、給与になじまないということによるもののようだ。
なぜ、同じように国家試験に合格しても一方は資格があり、他方は資格がないのか。必ずしも合理的な根拠があるわけではない。
国家試験に合格した段階で、弁護士の資格を与えれば医師と同じなのである。国家試験に合格した弁護士を「研修弁護士」と呼べばいいだけである。
確かに、「研修弁護士」にそのまま何の監督もなく一人だけで実務をやらせれば、ミスもするだろう(最も、新人弁護士でも事情は同じだが)。飛び抜けて優秀な一握りを除けば、法律家として一人前にやれるだけの技量がないのもそのとおりであろう。「研修弁護士」なのだから当たり前だ。
ただ、国選弁護などは、「研修弁護士」にやらせれば、お義理でいやいや国選をやっている僕のような弁護士よりよほど熱心に取り組むに違いない。現に僕も、研修中熱心だったのは、刑事弁護と刑事裁判だった。刑事弁護では、僕の起案した極めて悪筆で読みにくい最終弁論をそのまま指導弁護士が法廷で読み上げてくれたし、刑事弁護の講義では、教官も気づいていない被害者証言の矛盾をついて褒められたりした。刑事裁判では、沖縄差別絡みの少年事件で、家裁への逆送を主張して職業裁判官による意見と正面から対立し、僕の意を少し汲んでもらったこともあった。
「研修医」も、だれの監督もなく、一人で診察・治療を行う訳ではあるまい。まさか「医師」の資格があるからといって、研修初日にメスを握らせて手術させる訳でもあるまい。
だから、困難な国家試験に合格したという段階で、研修医と同じく、法律家も十分に「研修弁護士」の資格に値する能力があり、研修期間中の給与を保障すべきことは医師の場合と何らの違いもないのである。
研修医には給与が支払われるのに、司法修習生には給与が支払われない。これは不公平である、と書かれています。
「お義理でいやいや国選をやっている」というのはどうか、とも思いますが、それはともかく、
「司法修習生」は「司法試験合格者」のなかから選ばれます。
冒頭、(私が) 述べたように、「司法修習終了時に行われる試験に不合格となり、法律実務家としての資格を得られない」者が「かなり多い」のであれば、すなわち、「司法試験合格者 (司法修習生)」のうち「ほぼ全員」が法律実務家になれるわけではないのであれば、
司法修習生を研修医と同視するのはおかしい、
と考えなければなりません。どちらかといえば、
司法修習は、研修医の研修ではなく、
医学部学生の臨床実習に相当する
と考えるべきだと思われます。
言うまでもありませんが、研修医の研修には給与が支払われますが、医学部学生の臨床実習には給与は支払われません。給与が支払われるどころか、逆に (臨床実習を受けるために) 学費を支払わなければなりません。
したがって、司法修習生を研修医と同列に置いて「給費制廃止は不公平である、おかしい」などと主張するのは、「どこか変」だと言ってよいと思います。むしろ、司法修習生を医学部学生と同列に置いて「給費制維持は不公平である、おかしい」と主張することこそが、「自然」ではないでしょうか。
司法修習生を研修医と同列に置こうとするのは、「給費制維持」という「結論先にありき」の発想だと思われます。実質的にみれば、司法修習生は医学部学生と同列に置くべきではないかと思われます。
そしてこの主張は、「司法修習生の労働者性」を否定すべきであると考えられることと、矛盾なく結びつきます。
実質的にみて、司法修習生は学生であり、(あえて医師になぞらえるならば) 研修医ではなく医学部学生にあたる、といってよいのではないかと思います。
上程された事はまあ良いとしても、法案の趣旨説明のみで審議なしにいきなり採決、賛成多数で可決とは無法もここに極まれりであります。
弁護士の質の低下がはなはだしいそうで、大学程度の法学の知識も持っていないらしいと言う信じられないような弁護士も存在するようですが、それならいっそのこと司法研修所など廃止して、戦前のように司法試験合格即弁護士資格付与と言う制度にしたほうが望ましいでしょう。
外国でも国が弁護士試験合格者の研修を行っているところはまれだそうですし、他の国家試験合格者なども、国が税金を使って実務研修など行っているのはなく、それでも実務に支障をきたしていると言う話など聞いた事もありません。
弁護士に限らずOJTで実務をこなす力を蓄えるのが普通であるから、司法研修所は断固廃止すべきです。
OJTについて、司法修習がOJTにあたる、という主張が弁護士さん達からなされていますが、そもそも司法修習がOJTにあたるのか、その点も疑問です。その検討をせずに、「司法修習はOJTにあたるから給費制を維持せよ」と弁護士さん達が主張されているのであれば、弁護士さん達の給費制維持論は「粗雑すぎる」と評さざるを得ないと思います。
なお、弁護士の質の低下については、「増員とは無関係に」弁護士の質が低下しているのではないかと思います。
「弁護士増員と、弁護士の質の関係」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/833bc6b491b77347b7aacd02965a7f29
同じくOJTなのですから、警察学校の給費制維持論は「粗雑すぎる」と評さざるを得ないと思うのです。
随分無茶な意見ですねえ。あなたのような粗雑な頭の無知な人はもっとお勉強してからこういうところに投稿すべきですね。
警察学校に限らず、税務大学校、航空大学校、気象大学校、防衛大学校その他国立の公務員養成機関は、その機関を管轄する官庁がその官庁に勤務する公務員に所管の仕事を教育するためのものであって、採用された人の身分は国家公務員です。
これは、企業、特に大企業が、採用した社員に仕事を教えるために、企業が設置した教育機関で一定期間教育する事がありますが、その場合でもそれらの養成員は有給の社員には変わりがなく、職階として養成工あるいは教育生となっている事と全く同じです。したがって、仕事は何もせずに給料を支給されていると言いたいらしい「警察学校」の給費制を廃止すべきである、と言う貴方の言い草が大間違いである事は「どうする?」さんも認めるでしょう。
ところが、上記国立養成教育機関とは異なり、司法研修所で研修している司法修習生は身分としてはあくまで民間人であって公務員ではありません。判検事になりたい者は研修所を卒業してから採用されるの出るのであり、修習生の身分は学生に過ぎません。司法修習生にかねを給付する事(はおろか教育費つまり授業料を無料にする事も)は本来誤りであります。
なぜそのような誤りが生じたかと言えば、1948年に司法従事者養成制度が変わった際に、法曹一元化という「美名」のもとに、本来公務員である判検事と、民間人である弁護士を一緒の司法研修所で教育すると言う暴挙を行ったことにあります。
したがって、問題の根本は司法研修費の支給の有無ではなくて、判検事と弁護士を一緒に教育する司法研修所が存在することにあります。
法科大学院や司法研修所で長年教育を受けても、どこやらの判事が慨嘆していたように、法律の初歩も理解していない弁護士が存在しているのですから、いっそのこと弁護士は、殆どの諸外国におけるように司法試験合格即弁護士資格付与と言う制度にすれば、研修費問題などおきようがありません。
なお、判検事の養成は司法試験合格者のうち判検事任官希望者を採用して、判検事養成所のようなもので教育すればよいだけです。法曹一元化など、特に判検事交流など、は百害あって一利なしです(現在のニッポンでは)。
最高裁から「任命」される準公務員であり、修習専念義務(アルバイト禁止)や守秘義務を負います。
はっきり法律上公務員とされていないのは、そうすると修習終了時に法律上退職金を払わざるを得なくなるからであり、実際に置かれている地位としては公務員となんら変わりません。
さすがに修習終了時に退職金を払うのはおかしいと考えられたのでしょうね。
それはともかく、私は「国費削減」のために給費制廃止(貸与制+返済免除)を主張しているのではありません。もっとも、財務省は国費削減を考えているようですので、その観点で「どうする?」さんの指摘はもっともだと思います。しかし国費削減を考えるのは財務省の仕事であって、(司法修習生に対する) 給費制廃止の根拠がそれのみ、ということではないと思います。
次に、準公務員である、という点ですが、それは私も知っています。しかしそれは形式上の話で、実質的に公務員(労働者)とみるべきかは、別の問題だと思います。
井上さんの主張が「まぁ間違ってはいませんけど。」というコメント (おそらく名前欄とタイトル欄を間違えられたのでしょう) が示しているように、実質的には学生といってよいのではないかと思います。
「実際に置かれている地位としては公務員となんら変わ」らない根拠が、「修習専念義務(アルバイト禁止)や守秘義務を負います」であり、この種の義務は「学生であればありえない」とはいえないことも、実質的には学生であるとみて問題はないことを示していると思います。「任命」されるのは、形式上準公務員としたために、形式上「任命」という形をとっているにすぎない、と解してよいのではないでしょうか?
実態を知っているものからすると違和感があります。
・普通の学生は、最高裁から任命されたりしない
・普通の学生は、全国の裁判所に配属されたりしない
・普通の学生は、厳に秘密とされている裁判官の合議を傍聴できたりしない
・普通の学生は、被疑者の取調べをしたりしない
・普通の学生は、司法解剖に立ち会ったりしない
・普通の学生は、警察の捜査手法について研修をうけたりしない
・普通の学生は、守秘義務を課せられたりしない
・普通の学生は、その身分に入るときに他の士業の登録の抹消を求められたりしない(修習生になるには、例えば公認会計士登録は抹消を求められます)
・普通の学生は、その身分に入る条件として国家試験合格を求められたりしない
これらはどれも論理的に学生であることを否定する要素ではないのかもしれないのですが、これだけ違いがいろいろある特殊なものを実質的という留保をつけたとしても学生というくくりにするのには違和感があります。
なお、
>司法修習生を研修医と同列に置いて「給費制廃止は不公平である、おかしい」などと主張するのは、「どこか変」
こちらには賛成します。研修医ともいろいろ違いがあります。(例えば、国家資格を研修医はもってるが、修習生はない
など)
どっちからもいろいろ違いがある特殊な身分をどちらかに無理やりなぞらえようということ自体の実益に疑問を感じます。(修習生は修習生というカテゴライズが一番妥当かと思います。)
仮にどっちに近いと言うのがいえても、それを根拠に何らかの立論をするのは、1~100まであって、51のものを100にカテゴライズ(1か100のカテゴリーしかないものとします)した上で、51は100(というカテゴリーに分類されるもの)だから、~である、と論ずるようなものでしょう。
よって、修習生は研修医だから支払われるべき、学生だから支払われるのは不当、何れも不当な立論と考えます。
なお、私はまったく別の理由から給費制維持に賛成するものですが、スレ違いだと思いますので理由は略します。
つまり、「どちらかといえば」学生であるので給費制には反対である、「どちらかといえば」社会人であるので給費制に賛成する、と考えざるを得ないのではないかと思います。
修習生は修習生である、という観点で述べれば、給費の額を減らす (給与とはいえないレベルにまで減額する) か、条件を付したうえで返済免除制を導入する、などに落ちつかざるを得ないのではないかと思います。
私の主張は「貸与制+返済免除制」です。あなたがお考えの「別の理由」については、記事本文の趣旨とまったく無関係とはいえないので、書いてくださってもかまいませんよ。ただ、「別の理由」の是非論が延々とコメント欄で続けられる状況は避けたいと思っています。
なお、私のブログは、比較的、司法制度改革に関する記述が多いらしいので、「別の理由」に関連する記事がどこかにあるかもしれません。もしあれば、そちらに「別の理由」をコメントしていただければと思います。
研修医のほうが、レベル低い。なぜなら、医師に求められるスキルは命がかかわる分、高度なものを取り扱うことはできない。研修医のほうがレベルは低くなければ、危険だな。ちなみに、研修医のオペうけた痛い経験あり。
弁護士は、とくにオーソドックスな刑事裁判や、交通事故、離婚、債務整理などは、眠っててもできるというほど、業務の中ではほとんど高度のスキルを求められない。
司法修習生のみならず、弁護士業務の大半がいわゆる「安全」。
司法修習を廃止せよ、のほうが、あなたの主張は一貫性ありますよ。
また、たしかにあなたのおっしゃるとおり、一般的な事件(企業法務など特殊な事件ではないもの)については、ほとんど高度のスキルは求められないと思います。とすれば、弁護士の増員に問題はない、という結論になります。増員すれば「質」が下がる、という増員反対論は変ですよね。増員に反対するほうが「おかしい」ということになると思います。