言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

なぜ弁護士「激増」なのかがわからない

2011-10-22 | 日記
 当ブログの「弁護士増員反対論に対する反論」のコメント欄で、
 そもそも、なぜそこまで弁護士を増やしたいのですか。
と問われたので、
 それは誤解です。私は最近、増員問題について(自分のブログで)意見を表明していません。あなたがコメントされているこの記事も、一年以上前のものです。私が執拗に増員を主張しているのであればともかく、一年以上も増員問題について意見を主張していないのですから、「なぜそこまで弁護士を増やしたいのですか」と問われても困ります。

 私は弁護士を増やしたいのではなく、弁護士の「質」を上げたいのです。また、弁護士に対する市民のアクセスを改善したいのです。要は、弁護士の「質」を上げつつ、「料金」を下げたいのです。そのためには、弁護士の「数」を増やすのが最善だと思います。

 逆に、私のほうから問いたいのですが、増員反対派の方々が、やたらと「激増」と主張するのは、いかがなものかと思われませんか? 現状が「激増」といえるのか、それ自体が議論に値すると思いますが、なぜか増員反対派の方々はその議論を飛ばして「激増」と主張したがります。したがって、私からすれば、「増員反対派の弁護士は、なぜそこまで弁護士を増やしたくないのですか」と問いたくなります。


 なお、「資格制度を設けている以上、一定の能力担保は必要です」というご意見には同意します。しかし、増員すれば「質の低い弁護士」が増えると考えるのは、なぜですか? 「質の低い弁護士」が淘汰されることで、かえって「弁護士の質」が高くなるのではないでしょうか。とすれば、「一定の能力担保は必要」である以上、増員路線を維持すべきである、という論理も成り立ちます。

 また、「一般の職業と比較するのは間違いです」とのことですが、「なぜ間違いなのか」「なぜ弁護士は特別なのか」が示されないことには、あなたの意見には説得力がありません。たとえば調理師やタクシーの運転手など、他の「一般の」職業にも免許制度がありますが、それらの職業では需要を考慮して合格者数を調節しろ、といった話は聞いたことがありません。
と回答したのですが、いまだご返事がありません。

 「自分は質問するが、質問には答えない」という態度はいかがなものかと思います。



 私としては、「???」なままなので、

元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記」の「法科大学院撤退と日弁連バッシング

という記事のコメント欄に、
 前から疑問に思っていたのですが、そもそも、あなたが「大増員」であるとか「激増」であるとか主張する根拠は何ですか? まさか、仕事にあぶれた弁護士がいるから、といった「くだらない」根拠ではないですよね?

 坂野弁護士のブログは私も、読んだことがありますが、とても弁護士とは思えないほど、論理性に欠けるご意見を書かれていましたよ。坂野弁護士のブログを読んだだけでも、増員前の弁護士のレベルは高いが、増員によって弁護士のレベルが下がった、とはとても言えないことがわかると思いますが…。

※ たんに論理性に欠けるというのみならず、論理的に「おかしな」主張を坂野弁護士はされていた、という意味です。
と質問を記き込んでみました。



 こちらのブログ主である、元「法律新聞」編集長の河野真樹さんは以前、
増員に反対するために「わざと」「偏った」主張を「意図的に」している
と書かれていたので、「世論を増員反対に誘導しよう」とされているのだと思います (つまり元ジャーナリストでありながら、公平な態度をとろうとなさっておられない) 。

 したがって、こちらのブログ主さんも答えてくださらないかもしれませんが、一応、質問を書き込んでみました。

「司法修習生の司法修習」は「民間会社の新人研修」にはあたらない

2011-10-20 | 日記
 先日、このブログの記事「司法修習生の給費制は打ち切り、貸与制にすべき」のコメント欄に、次のようなコメントをいただきました。



国家資格者かどうかとか、身分は関係ありません。
民間会社の新人研修期間でも、職人の見習い期間でも、いくら使い物にならないからといって給料を払わなくていいですか?入社後はもちろん入社前研修であっても事実上義務付けるのなら給料を支払わないといけないんです。
昼休みに電話番させるだけでも時給払わないといけません。
修習生も同じように身体を拘束されてるんだから対価を払わないといけないというのが原則でしょう。
低所得者がどうのとか関係ないでしょう。


 このコメントに書かれた内容について、私の意見を述べたいと思います。



 まず、このコメントは、「司法修習生には給与を支給すべきだ」と主張しつつ、「低所得者がどうのとか関係ないでしょう」とも主張しています。この主張は奇妙です。

 なぜなら、「司法修習生には給与を支給すべきだ」と主張しつつ、「低所得者がどうのとか」主張しているのは、日弁連(日本弁護士連合会)だからです。つまりこのコメントをされた KKK さんは、
「お金持ちしか法律家になれなくなる」ので「司法修習生には給与を支給すべきだ」という日弁連の主張は「おかしい」
と述べつつ、同時に、「司法修習生には給与を支給すべきだ」と主張されているわけです。

 常識的に考えて、「お金持ちしか法律家になれなくなる」ので「司法修習生には給与を支給すべきだ」という日弁連の主張が「おかしい」と考えるなら、司法修習生には給与を支給すべき「ではない」と考えることになるはずです。それにもかかわらず、なぜか KKK さんは「司法修習生には給与を支給すべきだ」と主張されています。



 ここで、KKK さんが言いたいのは、「なにがなんでも給与を支給しろ!!」なのかもしれない、とも思われます。なぜなら、

 私は上記記事「司法修習生の給費制は打ち切り、貸与制にすべき」において、「お金持ちしか法律家になれなくなる」ので「司法修習生には給与を支給すべきだ」という日弁連の主張は「おかしい」と指摘したのですが、

 それを読んだ KKK さんが「日弁連の論理がおかしいかどうかは関係ない。給与支給という結論先にありきだ。なにがなんでも司法修習生には給与を支給しろ!!」と主張されているとすれば、KKK さんが「低所得者がどうのとか関係ないでしょう」とコメントしつつ、同時に「司法修習生には給与を支給すべきだ」とも主張されていることも、納得がいくからです。

 しかし、これが KKK さんの主張であるとすれば、それはあまりにも「おかしい」と言わざるを得ません。

 「給与支給という結論先にありきだ。なにがなんでも司法修習生には給与を支給しろ!!」や、「司法修習生に給与を支給すべき合理的根拠があるかないかは関係ない。とにかく給与を支給しろ!!」などといった主張は、常識的に考えれば「論外」だということになるからです。



 そこで、別の可能性を考えてみます。すると、KKK さんは、
 「お金持ちしか法律家になれなくなる」ので「司法修習生には給与を支給すべきだ」という日弁連の主張は、たしかに「おかしい」。このような主張を根拠として、司法修習生に給与を支給すべきだと主張している日弁連は「間違っている」。このような根拠で司法修習生に給与を支給することは認められない。この点で、私(=KKK)はあなた(=memo26)の意見に同意する。
 しかし、民間会社の新人研修期間について考えてみれば、いくら使い物にならないからといって給料を払わなくていいなどということはない。司法修習生も同じように身体を拘束されている以上は対価を払わないといけないというのが原則である。したがって、「司法修習生には給与を支給すべきだ」。
と主張されているのではないか、とも考えられます。

 KKK さんの文章を「そのまま、自然に」読めば、このような解釈は採り難い(とりがたい)のですが、このように解釈しなければ、KKK さんは「根拠なんかどうでもいい。なにがなんでも給与を支給しろ!!」と主張されていることになると思います。

 そこで、以下、この解釈を前提として、私の意見を述べます。



 上記解釈を前提とすれば、KKK さんは、民間会社の新人研修と司法修習を同一視し、または同様に捉えたうえで、「司法修習生にも給与を支給すべきだ」と主張していることになります。

 しかし、この種の主張には、重大な疑問があります。それは、民間会社の新人研修の場合、雇用している民間会社が給与を支給しているのですが、(裁判官志望者や検察官志望者はともかく)弁護士になることを志望している司法修習生に、なぜ、「雇用関係にない」国が給与を支給しなければならないのか、という疑問です。

 裁判官志望者・検察官志望者について「のみ」、国は、民間会社の新人研修と同様に給与を支給しろ、という主張であれば、まだわかります。しかし、自営業者になる弁護士に、あるいは自営業者である弁護士に雇用されて働く弁護士に、なぜ、修習期間中「国が」給与を支給しなければならないのでしょうか。



 実際問題として、司法修習生の「圧倒的大多数」は、弁護士になります。とすれば、司法修習生に対する給与支給の是非については、自営業者たる弁護士になる者に対して、その研修期間中に、「国が」給与を支給すべきか否か、という問題を基準にして考えるべきこととなります。

 とすれば、司法修習生の修習期間中には、国は、給与を支給する必要はない、と考えることが合理的です。もし、どうしても民間会社の新人研修と同様に扱うべきだ、と主張したいのであれば、司法修習生に給与(給費)を支給すべき主体は

   国ではなく、
   弁護士の団体である日本弁護士連合会

であると考えなければ、筋が通りません。とすれば、KKK さんとしては、
 日弁連が国に対し、司法修習生に給与(給費)を支給しろと主張しているのは間違っている。国は、弁護士志望者に給与(給費)を支給する必要はない。国ではなく、日弁連(日本弁護士連合会)が、司法修習生に給与(給費)を支給すべきである。
 日弁連は、自己が負担すべき司法修習生の給与(給費)を、国に支給せよと求めている点で、間違っている。
と主張しなければならないことになります。

 この場合、具体的な支給方法は、日弁連の判断に任せてよいとは思いますが、たとえば日弁連が会員(弁護士)から徴収している会費の一部を、司法修習生に給与(給費)として支給するなどといった方法が考えられるでしょう。



 以上により、司法修習生の司法修習を、民間会社の新人研修期間と同一視し、または同様に捉えたうえで、司法修習生の給費(給与)支給を国に対して求める主張は、「合理的な根拠を欠いているので、認められない」と思います。つまり、「司法修習生の司法修習」は「民間会社の新人研修」にはあたらない(該当しない)ということです。

 民間会社の新人研修期間と同一視する論法によって、司法修習生の給費制(給与支給制)維持を国に求めてはならないし、国は、このような給費制維持論は無視すべきである、と考えます。


■関連記事
 「日弁連の「司法修習生に対する給費制維持」論について
 「なぜ司法修習生に給与を支払う必要があるのか
 「司法修習生の労働者性
 「司法修習生は研修医にはあたらない
 「司法修習生の給費制、一年延長の見通し
 「司法修習生に対する貸与の返済免除制度について

サブプライムローンの本質

2011-10-19 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.85 )

萱野 略奪ということでいえば、今回の金融危機の元凶となったサブプライムローンも略奪的なものですよね。要するに隠れた高利貸しですから。最初は金利が低いんですが、数年後に一気に跳ね上がるので、借りた人たちは借金地獄になる。もともとサブプライムローンは、住宅バブルをつづけるために、低所得などの理由で家をなかなか買えない人たちにも家を買わせようとあみ出された方法です。しかしそれは逆に、彼らを借金地獄にすることで中産階級へのルートから完全に蹴落としてしまった。

水野 サブプライムローンの実態というのは、かつてイギリスの海賊が平滑空間でやったことを、もう略奪できる空間がないから自国民に対してやってしまったということだと思うんですよ。
 そういう意味では、国境の外では何をやってもいいんだという、イギリスのやり方がいいとは思わないのですけれども、今回アメリカがやったような、自分たちの国民から略奪まがいのことをするというのは、もっとたちが悪いというふうに思えてならないのです。他国民を犠牲にすることだってよくないですが、自国民を裏切るサブプライムローンはもっと悪質じゃないかなと思いますけれどね。一国を単位とした民主主義も機能不全に陥っているのではないでしょうか。

萱野 先進国の有利な交易条件が消滅していくなかで、なんとか利潤率を維持しようと思ったら、自国民から略取するしかないんですね。

水野 これまでのグローバル化というのは、つねに少数の人が外部に有利な交易条件を求めて、そこから利益を得るというかたちでしたが、いま起こっているグローバル化では、地球全体がグローバル化するぞということになって、そうした外部が消滅してしまったのですね。


 サブプライムローンは略奪的な仕組みである。資本主義が略奪の対象としてきた「外部」がなくなったために、自国民から略奪せざるを得なくなっている、と書かれています。



 サブプライムローンは略奪的である、という指摘についてですが、かならずしもそのように捉える必要はないと思います。



 もともとサブプライムローンというのは、(売る側ではなく)借りる人々も「値上がりした後に(住宅を)売る」ことを目的としていたのではないでしょうか。もともと「あとで売る」ことを前提としていたからこそ、「最初は金利が低いんですが、数年後に一気に跳ね上がる」仕組みになっていたと考えられます。つまり、ローンを完済して住宅に「住み続ける」ことが目的ではなく、値上がりしたあとで「住宅を売る」ことが前提になっていた、ということです。

 であるならば、「借りた人たちは借金地獄になる」ということはないわけです。借りた人たちは、ローンで買った住宅を値上がりしたときに売って、ローンを返済するつもりだったからです。金利が上がる前に住宅を売って(ローンを)完済する計画を前提に考えれば、借りた人たちにとって「最初は金利が低いんですが、数年後に一気に跳ね上がる」サブプライムローンは好都合だったとしか考えられません。



 もちろん、上記の構造を考えれば、どこかの段階で「売家」が急増するはずで、住宅が値上がりし続けるはずはないとも考えられ、その意味では、サブプライムローンは略奪的であるともいえます。

 しかし、借りる側の立場に立って考えてみれば、
  1. 最初から上記の「賭け」に参加するチャンスすら与えられない状況と、
  2. 上記の「賭け」に参加するチャンスが与えられる状況、
どちらがよいかは「あきらか」だと思います。

 もちろん、「賭け」に参加する機会が与えられるほうが「いい」はずです。また、そもそもアメリカの場合、日本とは異なり、ローンを返済する代わりに(買った)住宅を銀行に「返す」方法での返済方法もある(らしい)ので、ローンの借り手にはリスクがほとんどないと考えられます。

 とすれば、サブプライムローンが略奪的であるとまでは考えられない、ということになります。



 「借りた人たちは借金地獄になる」「国民を裏切るサブプライムローン」などといった表現は、アメリカの(一般)国民を馬鹿にしすぎではないかと思います。



 とはいえ、「外部」が消滅しつつあるなか、利潤率を維持しようとすれば、このような方法しかなかった、という著者らの指摘は正鵠を射ているのではないかと思います。



■関連記事
 「じつは、アメリカ人も堅実だった
 「「条里空間」と「平滑空間」

goo ブログの韓国語表示

2011-10-17 | 日記
 いま、韓国語(朝鮮語)について調べています。

 文法は簡単らしいのですが、あの文字を見ると「うんざり」します。最大の関門は文字かもしれません。



 というわけで、goo ブログの韓国語表示について実験します。映画のタイトルが正しく表示されれば、実験は成功です。

   『僕の彼女を紹介します』
     (내 여자친구를 소개합니다)



 日本の隣国の動向を分析するうえで、韓国語(朝鮮語)は重要だと思います。韓国・北朝鮮の新聞を引用・分析するために、早くハングルを読めるようになりたいです。



■関連記事
 「gooブログの外国語表示
 「goo ブログのベトナム語表示

「条里空間」と「平滑空間」

2011-10-13 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.81 )

萱野 空間の問題については、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリも共著『千のプラトー』のなかで、シュミットとひじょうに近いことを述べているんです。
 彼らは空間の問題を「条里空間」と「平滑空間」という二つの概念で考えています。条里空間というのは、簡単にいえば、区画された空間のことです。私たちが住んだり、活動したりしている空間は、基本的にはすべて区画されていますね。ここは道路で、ここは誰々の所有地で、ここは公園で、というように。主権国家の領土だって政治的な帰属が定められた条里空間です。インターネット空間だって、IPアドレスがふられた条里空間ですね。海や空だって基本的には条里空間です。位置確定され、領海権や領空権が定められ、それによって広い意味での「法」が整備された、そうした空間が条里空間です。
 これに対して「平滑空間」というのは、そうした条里空間での「法」を無化してしまうような空間のことです。条里空間における区画を無化するような、滑らかな空間、ということですね。たとえば国家は非常事態においては、人びとの所有権を無視して土地を接収したり、戦車を走らせたりすることができます。そこでは通常の区画は意味をなさなくなる。あるいは、一八七一年のパリコミューンや一九六八年のフランス五月革命のように、労働者や学生が蜂起して街を占拠してしまうようなときも、平滑空間が生まれます。
 注意したいのは、こうした平滑空間はけっしてたんなる無法地帯ではない、ということです。平滑空間は条里空間の法を無化するとはいえ、それはあくまでも条里空間とは別のルールや空間活用法をそこに対置することによってです。

水野 それでいくと、一六世紀では海がまさしく平滑空間だったわけですね。

萱野 そうなんです。…(中略)…
 ヘゲモニーとの関係でいうと、こうした平滑空間を活用する一番の利点というのは、通常の条里空間ではありえないようなかたちで富を手に入れることができるということにあります。たとえばイギリスは海賊によって初期の資本を蓄積し、海での自由貿易を管理することで世界的な富の集積地になったわけですよね。さらにいえば、海のむこうの植民地だって同じです。植民地ではいくら略奪しても、そこはヨーロッパの考える法がまだ確立していないところだという理由で許されました。だからこそ、ヨーロッパの帝国主義列強は、ヨーロッパの外では自由な植民地獲得競争ができた。平滑空間では条里空間とはちがうやり方で富を手に入れることができるし、それが結局はヘゲモニーのもとでの資本蓄積につながっていくんです。


 「条里空間」と「平滑空間」の内容が説明されています。



 要するに、

   「条里空間」= 既存の空間
   「平滑空間」= 新しい空間

ということになるのですが、

 新しい空間である「平滑空間」では「条里空間」の法が適用されない、という部分が重要だと思います。



 言われてみれば当然のことではあるのですが、植民地はヨーロッパではないので、そこではヨーロッパの法律が適用されないわけですね。

 これは(すくなくとも表面上・理論上は)人種差別でも植民地蔑視でもありません。日本の法律がアメリカでは適用されず、アメリカの法律が日本では適用されない、といったレベルの話です。

 したがって、ヨーロッパではない植民地では、略奪を行っても「合法」であり「許される」。



 う~ん。。。

 これは思いつかなかった。



 たしかに法理論上はそうかもしれませんが、

 人間の自然な感覚でいえば「許されない」はずで、そこにはヨーロッパの独善性が現れているように感じられます。おそらく、当時のヨーロッパ人も略奪が「正しい」とは思っていなかったでしょう。法律上は「許される」というにすぎず、倫理的に「正しい」といっているわけではありませんしね。

 とはいえ、略奪を行う際に「良心の呵責」を逃れるための効果が、すこしはあったかもしれません。



 なお、上記私見とは異なり、「人間は正しいことをしようとは思っていない」という考えかたも成り立ちます。倫理なんか気にしている人間はごく一部である、罰せられなければ人は平気で略奪を行う、といった考えかたです。この考えかたを前提にすれば、「合法」であって「許される」以上、略奪を行ううえでの障害はまったくなかったことになります。



■関連記事
 「覇権を動かす空間革命