言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

普天間移設問題、沖縄県知事の発言も「おかしい」が

2011-06-23 | 日記
時事ドットコム」の「沖縄での菅首相発言」( 2011/06/23-13:49 )

 菅直人首相が23日、沖縄県糸満市で記者団に語った内容は次の通り。
 -米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題で、なぜ県外移設は無理なのか。
 沖縄の皆さんが、県外あるいは国外移転を望んでいることはよく理解している。そうしたことを含めていろいろ検討もしてきたが、大変そのことが難しい状況にあるということで、何とか危険性を除去し、固定化を避けるため、努力しなければいけない。これからも沖縄の皆さんの声を聞きながらそうした方向で取り組んでいきたい。
 -延長国会で成し遂げたいことは何か。
 私がやらなければいけない課題は(震災の)復旧・復興、そして原子力事故の収束。それに向けて全力を挙げ、私自身、燃え尽きる覚悟でこのことに取り組んでいきたいと考えている。


 菅直人首相は今日、(日本)政府が普天間飛行場の(沖縄)県内への移設を進めようとしているのは、県外への移設についても検討してきたが(県外移設は)大変難しいからであると述べた、と報じられています。



 これに対して、沖縄県知事は、



47NEWS」の「沖縄知事、辺野古以外も検討を 普天間移設で」( 2011/06/23 17:49 )

 沖縄県の仲井真弘多知事は23日、同県宜野湾市の米軍普天間飛行場について「移設先が沖縄県名護市辺野古しかないとの思い込みは理解できない」と述べ、政府に県外移設の可能性を再検討するよう求めた。菅直人首相との会談後、那覇市で記者団に語った。

 同日の沖縄全戦没者追悼式に出席した首相が、日米合意に基づき辺野古移設を目指す考えを示したのを受けた発言。仲井真氏は「沖縄のせいで移設問題解決に時間がかかっていると言われるのはとんでもない話だ」として、政府に一層の取り組み強化を促した。

 首相が、新たな沖縄振興策に地元の意見を反映させると述べたことは「高く評価できる」と歓迎。


 「移設先が沖縄県名護市辺野古しかないとの思い込みは理解できない」と述べ、政府に県外移設の可能性を再検討するよう求めた、と報じられています。



 首相は「県外移設についても検討してきた」が、それは「大変難しい」と言っているにもかかわらず、

 知事は「移設先が沖縄県名護市辺野古しかないとの思い込みは理解できない」と述べ、政府に県外移設の可能性を再検討するよう求めたわけです。

 とすれば、沖縄県知事の発言は「おかしい」のではないかと思います。なぜなら国側は「(県内しかないなどと)思い込んでいない」のであり、知事のほうが「(国側が思い込んでいると)思い込んでいる」というべきだからです。



 ところで、「沖縄県知事選の結果と、普天間移設問題の見通し」に引用した報道(記事)によれば、知事選の際に仲井真陣営は「普天間問題に関心が集中すると、伊波さんに負ける可能性があった」ので「争点外し」を画策していたというのですから、

   本来、知事は徹底的に反対ではなかった

とみるのが自然ではないかと思います。そしてまた、沖縄県民もそれをわかったうえで、「ある程度の含み」をもって当選させたのではないかと思われます。とすれば、すでに「県内移設を認める下地がある」わけです。



 知事は「あくまでも県内は反対」という姿勢を「一度は徹底的に示さなければならない」のかもしれませんし、知事が
首相が、新たな沖縄振興策に地元の意見を反映させると述べたことは「高く評価できる」と歓迎
すると述べていることも、要は「条件次第では県内移設も認める」という姿勢の現れではないかとも思われます。



 したがって、知事の上記「おかしな」発言も、私には、すこしでも有利な条件を引きだすための「交渉戦術」なのではないかと思われてなりません。



■関連記事
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自由貿易の是非

2011-06-23 | 日記
N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.81 )

 牛飼と農夫の例のように、人は特化と交換によって利益を得ることができる。異なる国どうしの国民も同様である。アメリカ人が享受している多くの財は外国製品であり、また多くのアメリカ製品が海外で販売されている。外国で生産されて国内で販売される財のことを輸入品と呼び、国内で生産されて外国で販売される財のことを輸出品と呼ぶ。
 国々が交易(貿易)によって利益を得られることを理解するために、日本とアメリカの2国と、食糧と自動車の2財だけがある世界を考えよう。自動車生産に関して、両国の技量は同じだとしよう。日本の労働者もアメリカの労働者も、1人当たり1ヵ月に1台の自動車を生産することができる。一方、食糧の生産には、広くて肥沃な土地をもつアメリカのほうが適しているとしよう。アメリカの労働者は1人当たり1ヵ月に2トンの食糧を生産できるが、日本の労働者は1人当たり1ヵ月に1トンの食糧しか生産できない。
 比較優位の原理によれば、ある財の生産に関して機会費用が低いほうの国が、その財を生産すべきである。アメリカにおける自動車の機会費用は食糧2トンであり、日本における自動車の機会費用は食糧1トンなので、日本は自動車の生産において比較優位をもっている。日本は国内で必要とする以上に自動車を生産し、その一部をアメリカに輸出すべきである。同様に、日本における食糧の機会費用は自動車1台であり、アメリカにおける食糧の機会費用は1/2台なので、アメリカは食糧の生産において比較優位をもっている。アメリカは国内で消費する量以上に食糧を生産し、その一部を日本へ輸出すべきである。特化と貿易を通じて、両国ともにより多くの食糧と自動車を得ることができるのである。
 もちろん、現実においては、国際貿易に関わる問題はこの例で示されたよりも複雑である。国際貿易の問題のなかで最も重要なのは、どの国も異なる利益関係をもつ多様な国民から構成されているということである。国際貿易は、一国全体をより豊かにすると同様に、国民の一部分を貧しくすることがある。アメリカが食糧を輸出して自動車を輸入する場合、アメリカの農家への影響とアメリカの自動車産業の労働者への影響は違うものになる。しかしながら、政治家や政治評論家がしばしば述べる意見に反して、国際貿易は戦争ではない。戦争は勝利する国と敗北する国を生み出すが、国際貿易はすべての国々をより繁栄させるのである。


 「経済学の十大原理」の一つ、「交易 (取引) はすべての人々をより豊かにする」は、異なる国どうしの国民についても成り立つ。比較優位の原理に基づいて貿易を行えば、すべての国々がより繁栄する、と書かれています。



 たしかに著者の述べるように、貿易はすべての国々をより繁栄させる、とはいえます。

 しかしこれには問題があります。今日は、その問題に焦点を当てたいと思います。



 著者は
国際貿易の問題のなかで最も重要なのは、どの国も異なる利益関係をもつ多様な国民から構成されているということである。国際貿易は、一国全体をより豊かにすると同様に、国民の一部分を貧しくすることがある。アメリカが食糧を輸出して自動車を輸入する場合、アメリカの農家への影響とアメリカの自動車産業の労働者への影響は違うものになる。
と述べ、「損をする」国民もいることが最重要の問題であるとしています。

 しかし「損をする」国民がいることは、それほど重要な問題ではありません。

 なぜなら貿易によって、(貿易をしない場合に比べ)利益を得られるのであれば、

   貿易によって得られた利益の「一部分」を
   貿易によって「損をする」国民に配分すればよい

からです。貿易によって「損をする」国民にその損失を補償して、なお余りある「利益」が得られるというのが、比較優位の原理が示す「貿易」の効果です。したがって貿易によって「損をする」国民がいることは、たいした問題ではありません。まったく問題にならない、といってもよいくらいです。



 問題なのは、相手がいつまでも貿易を続けてくれるのか、ということです。たしかに理論上は、貿易を続ければ双方ともに利益を得られます。しかし、

   一方の国が他方を侵略すれば、
   もっと大きな利益が手に入る

ことが問題です。上記の例でいえば、アメリカが日本を侵略すれば、アメリカは

   代価として(アメリカの)食糧を払わずに
   (日本の)自動車が手に入る

わけです。わざわざ貿易をする必要はありません(相手が約束の期日に代金を支払わないというケースもあり得ます)。

 とすれば、相手に侵略を思いとどまらせるだけの軍事力、あるいは「貿易を続ける」ことを選択させる軍事力の裏づけがなければ、貿易には「一定の限度がある」と考えざるを得ないのではないかと思います。

 アメリカの場合には世界を圧倒する軍事力がありますので、「アメリカが」自由貿易を推進するのは問題ありません。しかし日本の場合には、「一定の枠内で」貿易を行うほかないのではないかと思います。

 わかりやすく例をあげれば、日本が中国と自由貿易を大々的に行って日中双方が繁栄すれば、中国はますます軍拡を進める余裕ができてしまうので、(長期的にみれば)日本にとってマイナスになる。しかし貿易の利益は捨てがたいので「一定の枠内で」貿易を行うほかない、ということです。



 なお、侵略までいかなくとも、食糧安全保障上の問題もあります。食糧については、

   「コメ」は「一定の枠内で」自由化してよい、
   「コメ以外」は「完全に」自由化してよい、

というのが(現在の)私の意見です。これについては、「日本の食糧自給率」や「飼料用穀物の自給について」に書いています。よろしければ併せ(あわせ)ご覧ください。



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 「比較優位の原理