言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

英米間の「覇権国と新興国の戦い」

2011-06-02 | 日記
田中宇 『日本が「対米従属」を脱する日』 ( p.61 )

★繰り返される資本と帝国の暗闘

 多極化を、国連を国際社会の中心に据える動きとして考えると、多極化が持つ歴史的な深みを理解できる。国連の前身である国際連盟は、第一次大戦を機に米国が提案して作ったもので、連盟の連立は、それまでの英国の世界覇権を解体して国際連盟に世界運営権を委譲させることが目的だった。だが米国より外交手腕がはるかに上だった英国は、ベルサイユでの外交交渉の中で、米国の意に反して結成過程の連盟を乗っ取ってしまい、そのため米国のウィルソン大統領は、自分が作った連盟に加盟せず、国際連盟の構想は失敗した(ウィルソンは米議会を批准拒否に誘導した)。
 その後、第二次大戦で英国は再び米国の軍事力を頼りにしなければならなくなり、米英が勝ったら今度こそ本当に米国が望む国際組織を作るという約束(米英の大西洋憲章)になり、戦後、国際連盟を潰して国際連合が作られ、米英仏ソ中という多極型の安保理体制が新設されたが、英国はその直後から冷戦を誘発し、国連中心主義は英国好みの冷戦体制によって上書きされ、米政界自身、軍産英複合体に牛耳られた。
 国際連盟や国連は、米国が、英国の覇権体制を解体再編するための組織である。なぜ解体再編が必要だったかを考えるには、もう少し歴史を深読みする必要がある。
 18世紀末以来、欧州は、英国を発端とする産業革命によって経済が急成長し、フランス革命を発端とする国民国家革命によって国家の結束が飛躍的に強まった。欧州の資本家は、この二つの革命を欧州全土そして欧州外の世界に拡大し、産業革命と国民の中産階級化が進む各国に投資して儲けを拡大しようとした。
 だが、国民国家群となった欧州内で最初に産業革命を行って群を抜く覇権国となった英国は、他国の成長・強化によるライバルの登場を好まなかったので、「資本の論理」と「帝国の論理」が衝突する事態となった。英国は、欧州各国の国民国家化をやむを得ず容認していったが、外交や諜報の技能を活用し、各国の合従連衡を操作する均衡戦略(バランス・オブ・パワー)によって覇権を維持した。
 資本家の側は、19世紀初頭にかけて中心地をロンドンからニューヨークに移転した。ドイツが台頭して英国をしのぎ、第一次大戦が起きると、資本家たちは外交問題評議会(CFR)をニューヨークに設立し、最初の仕事として国際連盟の構想を立案した。これを元に国際連盟が作られ、植民地の独立は進んだものの、すでに述べたように国際連盟は英国に換骨奪胎されてしまった。「資本の論理」と「帝国の論理」の1回戦目は「帝国の論理」の勝ちとなった。
 第二次大戦後にニューヨークに作られた国際連合は、本部の土地をロックフェラー家(ニューヨークの資本家)が寄贈したが、国家は戦後のCFRを主導した。このことからも、ニューヨークの資本家が国連主義や多極化を推進していると感じられる。第二次大戦後、植民地はほとんどが独立し、この点は資本の論理に沿った展開となったが、英国が米軍産複合体やマスコミと組んで扇動した冷戦によって、国連の5大国制度は有名無実化し、資本と帝国の暗闘の2回戦も帝国の勝ちとなった。


 国際連盟や国連は、米国が、英国の覇権体制を解体再編するための組織である。なぜ解体再編が必要だったかといえば、「資本家」が利潤を求めて産業革命と国民国家革命を各国に拡大しようとしたのに対して、「英国」が他国の成長・強化を阻止しようとしたからである。国際連盟も国連も、英国によって有名無実化してしまった、と書かれています。



 ここでふと思ったのですが、著者のように

   「資本家」と「英国」の戦い、
   「資本の論理」と「帝国の論理」の戦い

として捉えるのではなく、

   「新興国」と「覇権国」の戦い、

として捉えたほうがよいのではないかと思います。



 どちらも、同じことをちがう観点から述べているにすぎないのですが、「資本家」を「覇権国たる英国(という国家)」と同列に並べることには違和感があります。資本家は英国の「覇権の下で」自由に利潤追求活動が行えたはずで、いわば、英国の「覇権に守られていた」といえるはずです。また、国家には資本を規制する権限がありますが、逆に、資本には国家を制約・制限する権限はないはずです。

 したがって、「資本」と「帝国」の戦いと考えるのではなく、「新興国」と「覇権国」の戦いと考えるほうが、適切ではないかと思います。

 実際、著者自身、
第二次大戦後、植民地はほとんどが独立し、この点は資本の論理に沿った展開となったが、英国が米軍産複合体やマスコミと組んで扇動した冷戦によって、国連の5大国制度は有名無実化し、資本と帝国の暗闘の2回戦も帝国の勝ちとなった。
と述べ、英国が米軍「産」複合体と組んだ、としています。英国は米国の「資本家」と組んだと、著者自身が述べています。



 さて、私のように「新興国」と「覇権国」の戦いとして考える場合、「数が多い」新興国の側は国際連盟や国際連合のような機関を作って「多数決」で決することが望ましいと考えるはずです。逆に、「単独の」覇権国としては「多数決など導入せずに既存の秩序を維持したい」はずです。

 このように考えれば、当時、「新興国だった米国」が国際連盟や国際連合を作ろうとし、「覇権国だった英国」がその動きを阻止しようとしたというのも、理解しやすくなります。

 そして「新興国だった米国」が力をつけるとともに、次第に英国の覇権が失われ、米国に覇権が移り続けたと考えればよいでしょう。国際連盟も国連も、英国によって有名無実化したとはいえ、着実に米国の望む方向に向かっているからです。



同 ( p.63 )

★冷戦終結で3回戦に決着

 3回戦の始まりは、60年代のケネディ大統領である。彼はソ連側と話し合って冷戦を終わらせようとしたが、冷戦終結を阻止したい軍産複合体に暗殺されて終わった。多極主義の資本家の側は、ホワイトハウスに政策スタッフを送り込んで米政府の戦略を操作することは当時から現在までできるようで、ケネディ作戦の次は、ベトナム戦争を過剰にやりすぎて敗戦と財政破綻を招く策略を行い、ロックフェラーが選んだキッシンジャーをニクソンと組ませて政権に送り込み、財政破綻による金ドル交換停止(ドル崩壊)や、ベトナム敗戦を受けた米中関係の正常化を行った。
 英国は1950~60年代に財政破綻して国力が低下した。70年代のニクソン政権における多極化攻勢に対しては、英国に代わってイスラエル(在米シオニスト右派勢力)が、米国を牛耳るノウハウを英国から継承し、ホロコーストをめぐる誇張戦略なども使い、米政界での影響力を拡大した。軍産イスラエル複合体は、多極主義者よりもマスコミ操作が上手で、ニクソンはウィーターゲートのスキャンダルで潰された(ニクソンを潰したジャーナリズムが英雄視される構図は、軍産イスラエル複合体がマスコミ操作をして人々の善悪観を操作できることを示している)。
 冷戦派と多極派の暗闘3回戦は80年代も続いた。レーガン政権は冷戦派のように振る舞いつつも、ゴルバチョフと対話して冷戦を終わらせてしまう「隠れ多極主義」の策をとって成功した。冷戦派はマスコミを握っているので、冷戦派のふりをしていないと、スキャンダルなどをぶつけられて潰されてしまう。だから多極主義者は「隠れ」になった。
 レーガンは冷戦を終わらせる際、英国が米国と同じ金融自由化を行って金融立国として儲けていくことを提案し、英国が冷戦終結を黙認するようにした。一方、イスラエルについては、アラファトをパレスチナ人の代表に仕立て、パレスチナ和平を進めようとした(イススエルはこの話をいったんは受け入れて93年のオスロ合意となったものの、はめられていると気づいて転換し、95年のラビン首相の暗殺以降、和平拒否の態度を強めた)。「資本」と「帝国」の3回目の暗闘は、冷戦終結によって、「資本」の念願成就となった。
 冷戦終結後、レバレッジ、債券化など、米英が自由化された同じ金融システムをとるというレーガンの遺産が活用され、米英が金融で世界を支配する金融グローバリゼーションの時代となった。世界が単一の自由市場になるグローバリゼーションは、ニューヨークの資本家が多極化を推進し始めた18世紀末以来、100年ぶりの出現だった。グローバリゼーションは、暗闘の中で資本家側が優勢な時に起きる(反対に帝国の側は、世界を敵味方に分断することで覇権を維持しようとしてきた)。


 多極主義の資本家は冷戦を終わらせようとし、軍産複合体は冷戦終結を阻止しようとしていた。「資本」と「帝国」の暗闘は、冷戦終結によって、「資本」の念願成就となった、と書かれています。



 ここでも、「軍産複合体」とはアメリカの「資本」をも含んでいるのですから、

   冷戦を終わらせたい資本家と、
   冷戦を終わらせたくない資本家が戦った

という話になります。どちらも「アメリカの資本家」です。アメリカの資本家同士が互いに戦った、というのが著者の言っていることです。したがって、やはり「資本」と「帝国」の暗闘といった(著者の)図式は、やや不適切ではないかと思われます。



 著者の主張によれば、ついに米国に覇権を奪われた英国は、米政界に影響力を行使することで「間接的に」国益を守り、覇権を維持しようとした、ということになります。

 本当に英国が米国を(英国の)思い通りに動かし、米国を「利用して」「間接的に」覇権を握ろうとしたのであれば、なぜ英国は、イスラエルに「米国を牛耳るノウハウを教えた」のでしょうか? これについて、著者は
 英国は1950~60年代に財政破綻して国力が低下した。70年代のニクソン政権における多極化攻勢に対しては、英国に代わってイスラエル(在米シオニスト右派勢力)が、米国を牛耳るノウハウを英国から継承し、ホロコーストをめぐる誇張戦略なども使い、米政界での影響力を拡大した。
と述べるのみで、説明らしい説明をしていません。

 したがって著者のいう米国の「隠れ多極主義」も、いささか信憑性に欠けるのですが、これについてはさらに読み進めつつ、検討したいと思います。

菅内閣不信任案否決

2011-06-02 | 日記
47NEWS」の「菅内閣不信任案を否決 首相の退陣表明で」( 2011/06/02 15:23 )

 衆院は2日午後の本会議で、自民、公明、たちあがれ日本の3党が提出した内閣不信任決議案を反対多数で否決した。菅直人首相はこれに先立った民主党代議士会で東日本大震災復興、福島第1原発事故対応に一定のめどがついた段階で退陣する意向を表明。これを受け、不信任案賛成の意向だった鳩山由紀夫前首相らが反対に転じた。

 震災復興や原発事故の収束が喫緊の課題の中で、不信任案が可決されれば、憲法の規定に基づき首相は10日以内に衆院解散・総選挙か、内閣総辞職を決断する必要があった。首相の退陣表明を踏まえ、民主党内で不信任案可決による震災対応への影響を懸念する声が強まり、大量造反は回避された。




 「一定のめど」とは「何か」が問題になりますが、次に引用する報道によれば、「第2次補正予算案にめどがついた段階」を指しているようです。



 なにかと批判されることの多い内閣ですが、震災対応については、現内閣は「一生懸命対処している」と思います。

 批判するのは簡単ですが、実際に行うのは難しいはずです。おそらく、(今回の震災対応は)誰が対処しても大差なかったでしょう。私はそれなりに現内閣を評価しています。



産経ニュース」の「不信任案は反対多数で否決 菅首相の退陣表明受け造反少なく」( 2011.6.2 15:26 )

 菅内閣に対する不信任決議案は2日午後、衆院本会議で採決され、賛成152、反対293(投票総数445、過半数223)で否決された。菅直人首相が民主党代議士会で自発的な退陣を表明したことを受けて、小沢一郎元代表が「首相から今までなかった発言を引き出したのだから自主的判断でいい」と支持派議員に不信任案に賛成しないよう呼びかけたため、民主党内からの大量造反はなかった。ただ松木謙公元農水政務官が賛成票を投じ、小沢氏は本会議を欠席した。

 不信任案は自民、公明、たちあがれ日本の野党3党が共同提出した。菅首相の政権運営や党運営に批判的な小沢氏支持議員らが、野党に同調して賛成する動きをみせた。5月31日夜に会談した鳩山由紀夫前首相が首相に退陣を要求。小沢氏は1日夜、記者団に「国民が支持してくれた民主党に戻さなくてはいけない」と不信任案に賛成する意向を表明するなど造反の動きが広がり、不信任案可決の公算が大きくなっていた。

 首相や岡田克也幹事長らは当初、不信任案可決なら衆院の解散総選挙を断行するとして、造反組を牽制(けんせい)したが、造反の動きが予想以上に広がったため、党分裂の危機を回避しようと、首相の自発的辞任の表明に踏み切った。

 首相は2日昼、党代議士会で「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に責任を果たさせてもらいたい。一定のめどがついた段階で若い世代の皆さんに責任の引き継ぎを果たす」と述べて自発的辞任を表明した。具体的な辞任の時期は明言しなかったが、鳩山氏は代議士会に先立つ首相との会談で、平成23年度第2次補正予算案にめどがついた段階で辞任することで合意したと明かした。政府の復興構想会議が復興計画を示す6月末以降の可能性が高い。