12月21日 NHK海外ネットワーク
10年前の年の瀬
インド洋の沿岸地域一体が巨大な津波に襲われた。
インド洋大津波は東南アジアだけでなくアフリカの東部にまで到達。
死者・行方不明者 合わせて22万人超の未曽有の被害をもたらした。
このときインドネシアのバンダ・アチェでは津波で6万人以上が犠牲になった。
あれから10年。
建物の再建など町の復興は進んだものの
災害に強い町をどう築いていくのかという課題は残ったままである。
そのバンダ・アチェで
東日本大震災で自らが学んだ経験を生かそうとしているインドネシア人の男性がいる。
今年10月 バンダ・アチェ市で行われた津波を想定した避難訓練。
10年前に大津波の経験を忘れないようにと毎年行われている訓練。
しかし参加者の中には当時のことを思い出し泣き出してしまう人もいた。
この訓練を企画したのはバンダ・アチェ市の職員 ハフリザさんである。
自らも大津波で被災したハフリザさんは
訓練に住民の1%程度しか参加せず落胆した。
大津波から10年
他の地域から移り住んできた住民も多く
津波に対する危機感が薄いとハフリザさんは感じている。
「ここに最近住み始めたのでよくわからない。」
「災害に備える必要はない。」
さらに再建された町の作りも防災を意識したものではないとハフリザさんは指摘する。
(ハフリザさん)
「海のそばに住宅が無秩序に建てられている。
いざというときに避難しにくくなっている。」
大津波のあと町の復興を急ごうと急ピッチで住宅が再建された。
そのため道幅は狭く曲がりくねったまま。
避難路の確保など災害への備えが後回しになってしまったとハフリザさんは考えている。
(ハフリザさん)
「災害を意識した町の復興計画を立てなくてはいけない。
住民と共に考える必要がある。」
実はハフリザさんは今年3月までの1年間
日本で防災対策を学んでいた。
JICA国際協力機構の支援で
震災の被災地 宮城県東松山市で研修を受けていた。
被災者から直接話を聞いたハフリザさん。
日本では学校が避難所に指定されていること。
そして避難ルートの決定に住民の意見を取り入れていることを初めて知った。
日本人ひとりひとりの防災意識の高さをハフリザさんは感じた。
(ハフリザさん)
「興味深かったのは住民自ら災害に備えて必要なものをそろえていたこと。
住民が意識することがとても大切。」
日本で自分が学んだことを生かしたい。
帰国したハフリザさんは災害に備えることの大切さを住民に知ってもらおうと動き出した。
目をつけたのは大津波のあと市内に建てられた津波からの避難場所となるビル。
屋上に救助用のヘリポートを備えた4階建てのこのビルは普段はコミュニティーセンターとして使われている。
6年前に日本のODA財布開発援助で建てられた。
しかしここが避難場所となることは住民の間に十分には浸透していない。
こうしたビルを住民が気軽に足を運べるっ場所にしようと
ハフリザさんはインターネットの環境を整備。
さらに津波の写真展を開くなどして住民に防災の大切さを呼びかけていく計画を立てた。も
帰国後も週に一度は東松山市を連絡を取り合っているハフリザさん。
大津波から20年になるバンダ・アチェの防災対策を万全なものにしていきたいと決意をあらたにしている。