上総湊駅の先から、舞子浜方面へのびている県道256に入り、次の佐貫町駅を目指しました。
14時過ぎても、ずっと、富士山が東京湾(浦賀水道)越しに見えます。
富津市笹毛付近で、どしっとした、りっぱな家が目に留まりました。近づいてみたら、門柱のところに国登録有形文化財の表示が見えました。
個人のお宅のようなので、外から見学し、帰宅後調べたら、明治後期の建築で、上総地方の武家住宅風の構えを持つ近代和風建築『加藤家住宅主屋』だとわかりました。もともとは久留里城下の医師の家であったものを、こちらの網元さんが、明治後期に購入、移築したもののようです。明治時代、この周辺は漁業で賑わっていたのでしょう。すごい威勢ですね。
鶴峯八幡神社という、大きな神社がありました。養老年間(717年~724年)に創建され、中世には上総武田氏、里見氏の尊崇を受けたと説明書きがありました。
奉納もドカンと碇です。すごい!
海の安全と商売繁盛を願う、海の男たちの威勢ですね。
佐貫町駅へ16時ごろ到着。
この時期、日が沈みだすと、あっという間です。
前回のように、ナイターウォークは、危険だし、そこまで頑張って歩かなくてもいい。
佐貫駅から大貫駅までは、鉄道と国道465号が並行しています。
あと1時間で今回の目安地、大貫駅までひたすら歩くことにして、出発。
東京湾観音の下を、南無観世音菩薩と念じながら通らせてもらい、前へ前へ。暗くなる前に、帰路につきたい一心で、このころになると、釈迦も観音菩薩もありません。
『観音裏参道』という、バス停がありました。
地獄の沙汰も金次第とか、裏口入学とか、縁故採用とか、少し生きてきて、世の中は正規、正面突破の他にも、必ず抜け道があるということがようやく解ってきましたが、南無観世音菩薩とお参りするにも、裏があるのか、と笑ってしまいました。
生きるのが上手じゃない人は、正規、正面突破ばかりでいくから、だめなんですよね(笑&気づくの遅すぎ!)
陽がどんどん暮れてきました。
大貫漁港で小休止して夕日をみたら、富士山が赤く染まっていました。
こりゃ、きれいだわ!
浜辺では、若いお母さんが、子供たちが遊ぶ姿を遠くから見守っていました。
あったかい画でした。
まだ、少し明るさが残るうちに、大貫駅に届きました。
無事到着してみれば、やっぱり、観音さんのご利益かとも。
ここは、駅前に商店街があり、タクシーも止まっているような、街の駅でした。
君津商業の子供たちでしょうか、高校生がたくさんいて、元気のいいいこと。若いって、いいもんだなぁと、この歳になって感じます。
若いうちに気付いていれば、きっと人生も変わっていたでしょうね(笑)
今回のウォークは、天候に恵まれ、蘇我駅から歩き始めた駅間ウォークで、最高の一日になりました。
館山からここ大貫あたりまでは、どこな懐かしい文化も自然もたくさん残っていて、そこに暮らす人もゆったりているようでした。癒れる時間がたくさんありました。
次の青堀駅からのベイエリアは、京葉工業地帯が広がっていきます。
JR内房線 浜金谷駅~大貫駅 営業キロ17.4Km) 2015年11月04日
実際に歩いた歩数 32,038歩(22.7Km)
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