放送大学で、今学期に履修する予定の科目です。
試験までまだだいぶありますけど、もう勉強を始めました。
いつも試験前にバタバタして、付け焼き刃で試験に臨む僕にしては、珍しいことです。
放送大学では、年配の方を意識した科目が多いように感じますけど、
この「認知症と生きる」という科目も、高齢化の問題などと関係がある、と言えます。
認知症にはいくつかの型がありますが、それによっては僕くらいの年齢でも、始まる場合があります。
僕も、中国語のレッスンなどをやっていて、ずいぶん自分の学習能力が落ちたなあと感じることがあります。
生きているかぎり、老いるということは避けることができません。
いま若い方も、認知症の問題を「自分事」ととらえることが、必要ではないかと思います。
認知症ーーーーーーーーーーーーーーーー
んーーーーーーーーーー
高齢化日本では、大問題ーーーーーーーー
自分ごとーーーーーーー
ギャー ----------
やだーーーーーーーーーーーーー
(笑)
あ、そーいえば、過去に、
認知症とガン、どっちがいやですか?ってアンケート調査
で、認知症と答えた人が多かったそうですーーーー
トロさん、試験に向けて、頑張って下さいーーー
はっぴーさーずでーーーー
ふぉーーゆーーーーー
私も仕事で認知症の進んだ方と触れ合う機会が増え認知症を学ぶ様になりました。
その認知症の方は記憶や理性を失い不安や焦燥が強いので付き合い方は難しいのですが、
記憶が保てずその瞬間を感性だけを頼りに懸命に生きる方と捉える様になって
尊厳と親しみを込め 嫌なことは最小に繰り返し柔らかく穏やかに接するように心がけてからは、
少し穏やかな表情や行動が見られる様になってきました。
昨日出来たことが今日は出来なくなる病ですが、その人らしく穏やかに生きれるよう周りがサポート出来たらが理想かなと。でも、やっぱり難しいですね。
10キロ近く離れたところで見つかった人がいます。
体のほうは元気だったりすると厄介ですよね。
ガンは治せるようになってきたけど、
認知症って治す方法無いですからね。
試験まで根気が続くよう頑張ります(笑)
はっぴーさーずでー!
僕も祖母の介護の経験がありますが、
認知症の方とは直接触れ合ったことはありません。
決してきれい事ばかりで済むことではない、というのは、わかっているつもりです。
今回、この科目を申請したのは、僕自身も認知症になる可能性がある、と思ったからです。
認知症というと、徘徊するとか、なんでも食べてしまうとか、
外面的なことばかりが言われる傾向にありますけど、
くるんさんが言われるように、認知症の方の内面にもっと踏み込んだアプローチが必要であるような気がします。
そうすることで、本当の意味で認知症の問題を、自分事として考えられるようになるのではないでしょうか。
私も認知症の人と接したことがありません。
祖母たちも忘れっぽくなった、という程度だったので。
でも、介護される方は大変だと聞きます。
認知症にならないようにしたいけど、なりたくてなる人はいないだろうし難しいです。
まだ「介護」という言葉も無かったころから、認知症という病気は存在していて、
たいへんな問題ではあったけれど、恥ずかしいこととして秘匿され、
表面化することがなかった、ということらしいです。
最近になって公に言われるようになったわけですが、
なりたくて認知症になる人はもちろんいない、
でも誰もがかかる可能性がある、ということで、
難しい問題ですよね。
僕もこの科目を通して、じっくり考えてみたいと思います。