My Laid-back Aussie Life

オーストラリア、アデレード発のオージーライフ、家族、看護などについて~

戦争の傷跡のひとつ~PTSD

2008-02-25 21:55:56 | 看護に関するあれこれ
今勤めている病院は、退役軍人病院だから一般人を含めても当然退役軍人の患者が多い。
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昨日、受け持った患者さん(84才)はPTSD(心的外傷後ストレス障害)をもつ、整形の患者さん。PTSDは第二次世界大戦からのものらしい。詳しいことは申し送りからは分らなかったけど、日本がらみの可能性も多い。とても柔和な、回復をしようと一生懸命にリハビリをする自立心にあふれる人。シャワーの介助をしながら彼自身についての話を聞くと、とてもよい幸せな家庭を築いているようだ。

先週、精神科病棟にかなーり久しぶりに送られた。もちろんナースとして働きに。バイタルをとりにいった患者さんのなかに、退役軍人でPTSDを持つ人がいた。いまだにフラッシュバックがあるらしい。一見、元気なよく話しフレンドリーに見える。その病棟にはオーストラリア軍の歴史を写真入りで展示している。その写真のひとつに、日本軍に捕らえられたオーストラリア軍人の捕虜が文字通りに骨と皮だけになった姿で、解放されたところを映したものがあった。

オーストラリアにはアンザック・デイという戦争記念日がある。その日には、退役軍人は勲章や軍服を身に付け、集会をする。病棟でも特別に集まりがある。そんな日に、「…そんでよー、ジャップの野郎達がそのとき来やがってさ…。」とか言う会話が病室から聞こえてくる。

数年前、大学で勉強しているときに、よく遅くまで勉強していて、大学のセキュリティーに家まで送っていた。その途中で世間話をしたときに、「オーストラリアにとっては日本が唯一侵略をしてきた国。だからその恐怖心がまだ強く残っている年配の人は結構多い。」と初めて聞かされた。

義理の姉は、韓国生まれのアメリカ育ち。彼女の大叔父さんは第二次世界大戦時、とても有名な詩人だったそうだ。大戦中。日本軍に捕らえられ、「日本国を称える詩を書け。」と強いられ、断固として拒否した。でも、獄中で亡くなったそうだ。彼女とあって、会話らしい会話の第一発目が、「ねえ、日本人って国粋主義者だと思わない?」だった。まあ、これはオーストラリアとは関係ないけど、これも戦争が残す傷跡…。

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一般にオーストラリア人は日本を観光地として、言葉・習慣・芸術もろもろ含めてかなり特有の文化を持つ国として、経済大国として、最先端の技術を生み出す国として、かなり興味を持っている。公立・私立の小学校や高校などでの第二ヶ国語科目として日本語を履修させるところも多い。個人的に日本語を習う人も多い。だから片言の日本語が話せる人も多いし、日本に交換留学や旅行に行ったことのある人はかなり多い。そしてとても親日家。日本人にとってもオーストラリアはとても近い存在。こういった関係はつらい過去の上に成り立っている。

その今でも、在豪日本人として、オーストラリアにとって日本はとてもつらい経験をさせられた国であると言うことをもっとちゃんと知っておきたい。