And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ユージン斧を取れ

2019-05-04 13:21:49 | 日記
テレビドラマでブルックナーがかかって、何番だったろうと思った。知ってるのは4,7,8,9しかないからそのうちのどれかなのだけれど探すのも面倒。これかなと8番聴いたら外した。ブルックナーなんてどうでもいいけれど一応探しておくか。全く興味ないのだけれど評論家はヴァントが好きのよう。人気曲をベルリンpoで振っているのはたぶんジャパンマネーで振らせたのではと思う。その分評論家に褒めてもらって売らないとならないという構図。名曲名盤の最新版というのがあって、買おうかとぺらぺらめくったら推薦盤がいまだフルトヴェングラーにワルター。何が最新版だ。当然買うのをやめた。クラシックもスターがいなくなったから往年のなんだかを売ろうとしているのだろうか。ピアノが好きでクラシック聴き出した頃アシュケナージ、ポリーニが若手で出てきた。両方コンサート行ったけれど、レコードの印象と逆でアシュケナージはばりばり弾きまくっていて、ポリーニは素人にもわかるミスタッチをしていた。あの頃は聴きたいと思う演奏家がたくさんいた。
大島渚の「日本の夜と霧」を観た。といっても途中でやめてしまった。さすがにあの時代の思想背景はわからない。60年代後半とも違った学生運動。昔から政治運動に興味はなく今の若者にやれとは言わないが、令和おめでとうとかいっている思想のない若者たちを見ると今は平和ぼけしていると思う。確かに安保時代の学生は戦争中に生まれている。アメリカン・ニューシネマはピッピー世代に作られている。「イージー・ライダー」でなぜ最後撃ち殺されなければならないのかと思った。今は騒音鳴らして走ってるやつみると、ハエやネズミと一緒なのだからひき殺してもいいだろうと思う。でもリベラルな考えは変わっていない。どこに行ってももういちご白書はない。
最近ジャズネタはない。相変わらず同じものを何度も聴くだけ。しかも休みで天気もいいのに家で何もしないでごろごろしながら聴くのは精神的にもいい感じはしない。それでというわけではないが夕方一人焼き鳥屋行って晩酌。あまりうまくないけど安いから仕方ないかと思いながら食べていたらBGMが耳に入ってきて、えっパーカーじゃないのと驚いた。それもダイヤルの音の悪いものだったので珍しいと思ったけれど、たまたま有線でその中の1曲だろうと思ったら次もダイヤルのパーカー。なかなかBGMにはしにくいと思うのだけどチェーン店だから店主の趣味でもあるまいし、もう少し聴いていればよかったが時間がなかったので出てしまった。焼き鳥屋でバードか。


アポリネールを思いながら

2019-04-27 07:19:37 | 日記
どうかなと観た「そして誰もいなくなった」原作版でほっとした。今時ハリウッドバージョン観せられたら馬鹿にするなと腹立ててたところ。残虐なインディアンに正義の怒りが爆発する西部劇も今となっては笑いもの。野蛮な黒人が出てくる「國民の創生」なんて今どう思う。そういえばテン・リトル・インディアンズも最初ニガーでインディアンになってそれもだめで兵士になった。今は差別にうるさいというより昔は差別が当たり前だったのか。聖書でも体の不自由なことを表す言葉が直されている。もう本棚にはとっくにない「そして誰もいなくなった」を買って読み直そうかと思った。と注文したもののやっと読み始めた「魅せられたる魂」がなかなか面白そうで中断するのももったいない。推理小説はすぐ片付けられるのだけどそれは昔の話で、今読むと中身を知ってるからなおさら遅くなりそう。
注文していたアイザック・スターンの箱物、協奏曲後半も届いた。スターンは協奏曲だけだけど、ハイフェッツ、オイストラフ、ミルシテインとそこそこ揃った。どれも素晴らしいのでそのときの気分で聴き分けることにしよう。ハイフェッツのコンプリートも15枚目くらいで止まっている。好きだし素晴らしいと思うのだが、やはりヴァイオリンはさほど好きではない。ジャズもギターはほぼ聴かないので弦楽器は得意でないということかと自分を分析する。ルービンシュタインのコンプリートは100枚以上あったけれど着実に全部聴いたし、グールドもそこまでの量なかったが聴き終えた。カラヤン、トスカニーニ、ブーレーズも箱買ったけれど、何枚か聴いてそのまま。昔はLP1枚買うのがやっとだったのに今では10年分をすぐ聴ける。いいけれど間違いなくありがたみは薄れている。
レーザーディスクの頃高かった黒澤明。DVDになって今ではただ邪魔くさいだけだけれど捨て値で処分するのもどうかと置いたまま。「七人の侍」はLDでは3枚組5面なのがブルーレイでは1枚で観られる。巻き戻さなくていいと便利に思ったLDも今では映像悪く、たまにノイズが入ったりとかで当然今では使い物にならない。たまにLDでしか手に入らないものもあるが、それもプレーヤーが壊れるまでの命。同じ大きさでもレコードならCDより音のいいものあるとかで使えるけど、せいぜい解説が大きくて読みやすい程度。逆にブルーレイもDVDなら2枚なのが1枚で観られるというのなら買うけど、同じ1枚なら当然安い方を買う。今や円盤も終わり、ハードディスクやメモリーカードで映画を観る時代。なんと時間の過ぎ去るのが早いことか。




山口県にトンネルを沖縄県にアメリカ基地を

2019-04-12 14:32:08 | 日記
この間テレビ版「MASH」のDVDをアマゾンで手に入れた。吹き替え版が出ないので仕方なく安い輸入盤買ってみたけれど、英語の字幕もついていたのでなんとなく内容もわかった。レーダーが空を見上げてヘリコプターが降りてくるオープニングシーン、音楽とともに心揺り動かされる。ネットで調べるとシーズン4からはレギュラーメンバーが抜けていきだんだんとアラン・アルダが中心になっていって話もシリアスになったようだ。その頃は知らないのでたぶん日本で放映されたのは長くても3までだったのではないだろうか。「特攻ギャリソンゴリラ」とかも同じでDVDはおろかビデオにもなっていないのはなぜだろう。今はこういう心にしみるドラマは少ない。映画もアメリカンニューシネマのように反抗する若者たちというのは皆無でただドタバタ、へたすると体制寄りのにおいのするようなものまである。怒れる若者たちなど縄文時代の土器みたいなもの。それは年取ったから思うのではなく、飢えた子供たちに文学は有効かと友人たちと話していた若い頃から変わらない。今は皆が平和ぼけしていて、政府が右に傾いても平和はこれからも続くだろうと反対もしない。もはや戦後ではなく戦前だというのに気づかない。でもこの人のいない時代に若者を軍隊にとるとどうなるかというのも興味ある。あの人たちは間違っても山口県や福岡県にアメリカ基地を作らないだろう。沖縄だからいいのだ。
CSで「そして誰もいなくなった」のドラマが2週にわたり放映された。まだ最後を観ていないけれど、もうハッピーエンドバージョンは観たくない。映画版はみなハッピーエンドバージョンで今回もアメリカ人得意のマッチ売りの少女やありとキリギリスもハッピーエンドにしてしまうやり方か。戯曲版でクリスティはそう書いてるといっても当然そういう要請があって書き直したのだろうから。先の童話もハッピーエンドにすると話が成り立たないなど関係ない。戦中日本映画のお子さんお国のために死ねてよかったと祝杯挙げるのもハッピーエンド?
予想していたとおりブラームスも一通り買うとベルグルンドだけでよかったと思う。だが聴いてみないとわからない。ブラームスは好きなので買ってもいいかと思う。それでたまったCDみてどこに置こうと思う。アイザック・スターンのボックスも安く中古で出たので買ってみた。ハイフェッツやオイストラフに比べるとと思っていたが、なかなかいい。けれど評論家には飽きがきたのだろう、名盤の順位には挙がらない。評論家はいう、左手に衰えが。お前衰えわかるくらいヴァイオリン弾けるのか。吉川訳の「見いだされた時」ももう読み終わる。今年その後半出たら、4つめの「失われた時を求めて」制覇。高遠訳はまだ半分くらいだけど、その間にロマン・ロランの「魅せられたる魂」いこうと思うのだが本が古く活字が小さいので読破できるかどうか。


ターフェルムジーク

2019-03-11 11:11:04 | 日記
レコード芸術に乗せられて、ブラームス特集見て何枚もブラームス買ってしまった。元々好きだからいいのだけれど、自分のなかのブーム終われば、そのほとんど聴かなくなるのではと思う。熱に浮かされたように何枚も買ったところで結局聴くのは1種類。そうそうその日の気分で演奏家を変えるなどということはせず、演奏家ではなく曲を聴く。するとなんでこんなにも何種類もの演奏を買わなければならないのか。春の祭典は昔レコードで何枚も集めたけれど、今ではボックスに30種類の春の祭典。運命30種類ならうんざりだが、この曲なら聴けてしまう。しかもレコード1枚1枚買った頃と違って安く手に入る。でもそれにしたところでそうそう聴くことはない。嫌いでほとんど聴くことのないブルックナー、マーラーが何種類も全集あるのは自分でも笑ってしまう。なんでこんな無駄遣いしたのだろうと思ってもプラモデル完成したら興味なくなるのと同じで、買うまでが聴くまでが楽しみというところがあるのか。文学全集と同じで揃ったら満足するようなものだ。別にドストエフスキー全集ほしかったわけではないけれど、あればドストエフスキー全制覇もできたわけだ。フォークナーは作品によって差があるので全集いらなかったけど、今きれいなのを揃えるのは大変。どちらも金に余裕があったら買っていたかもしれない。逆にプルースト全集とヴァレリー全集カイエ篇は無理してでも1冊づつ買っておいてよかったと思う。
CDショップで何気なく見たらシュトックハウゼンの研究書があった。難しい音楽理論なら興味ないが、最初からの作品解説だったので買ってきた。シュトックハウゼンも聴きもしないのにずいぶんとCD買った。ほぼ全集としてCDが出ていて高かったけれど手に入れやすかったというのもある。昔から出ていたのはコンタルスキーのピアノ作品集。それだけでなくグラムフォンから何枚もレコード出ていたので、現代音楽でこれだけ出ていたのは珍しいと思う。それで聴きやすいかと言えばそんなわけない。同時代のブーレーズ、リゲティ、ペンデレツキなどのほうがシュトックハウゼンに比べると楽だった気がする。ということで30枚くらいはあるのではないかと思うシュトックハウゼン、本を読みながら聴いてみようとまず最初のCDから。習作程度の作品で無調だけれどなんか音楽になっているような感じなのだけれど、それでもCD1枚聴き終えるのがつらい。これは先が長いが解説を読みながらだと断片を聴きながら進んでいける。ブラームスの次がシュトックハウゼンか。

ぼくグロスターのマキシマスより君たちへ

2019-02-26 22:01:03 | 日記
刺激を受けて何枚もジャズを買ってみたけれど、勢いに乗って買っただけでどれもぱっとしなかった。モザイクのレスター・ヤングは前回のコロンビア録音がすっぽり抜けていて、中途半端なのをつかんだという気分。元々スイングするようなジャズは聴かないからブルーノート系を買ったところで一度聴いておしまいになる。あとジャズのことを書こうと思っても何も思いつかないのは自分でも意外。クラシックなら割と書けるのに。テレビドラマも「パーソン・オブ・インタレスト」以降夢中にさせるものはない。昔鍵谷幸信という大学の先生がジャズや現代音楽の文章を書いてたことがあった。ジャズでいえばオスカー・ピーターソンをけなしてセシル・テイラーを褒めたたえるような極端な好き嫌いで書いてたものだから当然ファンもアンチもいた。音楽で食べてる訳でないので評論家のようにこびへつらった文章書かなくていいというのはあっただろう。抵抗を覚えながらもずいぶんと読んだのはやはり文章がうまいからだった。その中で自分の専門の西脇順三郎やアメリカ現代詩を引用するものだから、詩などに全く興味なくても気になってつい本を探してしまった。そういう読者たくさんいただろうからその先生の意図としては成功。西脇、エリオット、パウンド、スティーブンス、ウィリアムズ、レヴァトフ、ダンカン、オルソン、アッシュベリなど、この人の文章読まなかったら一生巡り会うことなかった。現代音楽もケージはもちろんまだ若い頃のライヒ、ライリー、グラス、小杉武久などもこの人の文章から知った。そのおかげでC・コリアがジャケットに引用したカミングスだとかライヒが曲に使ったウィリアムズの砂漠の音楽とかたぶん普通の音楽ファンにはわからないことを知った。K・ジャレットもロバート・ブライを引用していた。西脇順三郎は全集を3度出したがその3セット持っている。1セットだって読まないのにほぼ同じものをもう2セット持っているというのは完全インテリアだ。ウィリアムズの「パターソン」が全訳され驚いていたのにC・オルソンの「マキシマス・ポエムズ」全訳されたのには驚いた。申し訳ないけど誰が買って読むの。研究者と一部の自分のようなファン。前も書いたように電話帳のような本なので日本語でもなかなか最初からじっくり読もうと思わないけれど、逆に原書だけならこれもインテリアにしかならなかっただろう。詩なので全部読み切る必要もないが、1冊として原書を読み切ったことなく、死んだあとは二束三文で売られていくのだろうがあとのことはどうでもいい。いずれ旅に出る。ひとりとして戻ったためしのない旅に。