英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

readingについて(その2)

2009年12月27日 03時07分25秒 | 英語
最近はコミュニケーション力重視とかで、試験でもリスニング力とか作文力が試される事が多いが、本当に英語が分かっているかどうかが一番鮮明になるのはreadingだし、試験を受けさせられる学生さんも、びっしりと書かれた英文を目にする事による心理的圧迫がやはり一番大きいと思う。”読む”ことがある程度ラクになれば、普段の学習でも英語をインプットできる量が増え、色々な恩恵を受け易くなる。

という事で、私自身は今でも”正確に”、”速く”読めるようになる事に一番こだわっていて、英語の勉強といえば語彙の増強と読む練習が大半である。なので、またまたreadingについて思う所を書いてみる。

英語を読む上で必要な能力を分類すると、大体以下のようになると思う。

(1)語彙力
(2)構文解析力
(3)想像力
(4)背景知識

(1)、(2)は言うまでもないだろう。しっかり勉強しよう、としか言い様がない。(4)については、私自身は半分諦めている(笑)。私がいまだにTIMEが読めない主な原因はこれだと思う(もちろん語彙も難しいが)。何しろ、政治経済の話にまったく興味がないし、TIMEのように婉曲的な、遠まわし的な物言いをされると、”あの事を言っているのだな”という類推が効かないのだ。背景知識がないということは、自分に縁のない分野の英文だから読む必要性はないだろう、と私は割り切っている。

私自身が最近問題だと思い出したのは、(3)である。語彙も分かる、構文も分かる、特別な背景知識が要求されているわけでもない、なのに意味が取れない、という箇所が、少なからずあるのだ。

こういう箇所は、さらに大体以下の2つに分類される。

(a)抽象度が高く、日本語訳を読んでも解釈が難しい場合
(b)抽象度は低いが、日本語の意味とのマッチングが自分ではできない場合

(a)は、英検1級の問題などの抽象度の高い英文を読んでいるとよくある。日本語訳を読んだ後でさえ、”一体なにを言っているんだ?”と、ちょっと考えさせられてしまうような箇所があるのだ。まあ、日本語でちょっと考えればいつまでも分からないという事はないのだが、英語だとかなり苦しい事になる。

(b)は、内容自体は抽象度が低い簡単なものなのだけれど、日本語の表現と結びつかなかったという場合だ。例えば、最近私が読んだ英文では、'Crossed by colors ...'、というのがあって、”colorがcrossってどういう事”と思ったのだが、実は”色が交錯する”という意味であった。海面に夕日とか、いろいろな色が交錯する、というような内容だったのですが。。。crossなんて超簡単な単語だけれど、”交錯”という日本語的意味がすんなり思い浮かぶかと言われると、なかなか難しい。言われてみれば簡単でしょ?でもねぇ、いきなり上の英文”だけ”を目にして、”色が交錯”なんてイメージ、なかなか出てきませんよー。頭を空っぽにして'Crossed by colors'を読んでみてください。瞬時に意味が取れますか?

試験英語に限って言えば(4)が要求されることはまず無く、(1)や(2)も最近はかなりいい本が出ていたり、塾や通信添削などでしっかり教えてもらえると思う。なので、要はしっかり勉強したかどうかが問われているだけなのだ。ただ、(3)は試験英語でも問題になるもので、かつ、特別な対策論もなく、ある程度力がある人が最終的に悩まされるものになるような気がする。

(3)のタイトルにつけたように、ちょっと大げさな言い方だが、”想像力”、”連想力”が試されているとしか言い様がない。こういうのは多分、”英語が読めていないのだろう”と思って英語の世界だけで考えていてもダメだと思う。英語を追うことから離れて、意味を想像するという頭の働かせ方が必要になる。だから、もはや英語力の問題ではない。言語センスの問題である。いや本当は、これも語彙力の問題、つまり、ネイティブから見ればごく当たり前の表現なのかもしれない。しかし、これを語彙力の範疇として人工的に鍛えていくのは不可能だろう。膨大な量の英語をこなさなければならない。なんとか想像力でカバーしたい所である。大学入試レベルでも、本当にできる奴と普通の人との差は、こういう所にあるような気がする。”理詰め”だけではカバーできない空洞、と言ってもいいだろう。

どうすればいいんでしょうね?一つには、こういう箇所があるのだという事を意識して、ひっかかった時に意識的に解釈の幅を広げる癖をつけることかな。ありったけの抽象思考能力、表現力を駆使して考えてみる。こうなるともう、国語力の問題ですね。

※常体と敬体が混在してます。あしからず。


創造性

2009年12月26日 12時26分27秒 | 日記
今日も少々疲れているし、時間もないので、英語とダイエットの込み入った話はぜずに、日記調に書きなぐるだけにします。

私は仕事柄、”創造性”という事をよく意識します。自分が今やっている仕事、今作っているモノにどれだけ創造性があるのか。もちろん、創造性なんてモノはそれ自体を目的として追い求めるような物ではありません。いいモノ、本当に新しいモノを作るために必要な、単なる”原動力”でしょう。でも、物が飽和している今の世の中において、他者に差をつけられる、インパクトのあるモノを出していくためには、どうしても必要なモノだと思います。モノづくりや研究だけはありません。モノを”売る”仕事にしたって、どうやったら売れるのかを考える創造性が必要です。できる奴ほど、そういう事を一生懸命考えているでしょう。

しかし、創造性”だけ”が要求される、という場面もあまりないと思うのです。大抵の営みにおいて、創造性以前にベースとなるのはやはり”論理的思考”です。私が生業としているテクノロジーの分野でも、まずは、「既存のシステムが達成していない機能は何なのか」「潜在的なニーズは何か」というような事を、まずは論理的につきつめていって、その後で”何を”、”どういう方法で”作るかを創造的に考えるというステップになります。他の分野でも大体同じでしょう。

英語にしたってダイエットにしたって、”どうやったら成功するのか”をある程度創造的に考えるという態度が必要だと思います(独りよがりも危険ですけどね)。方法論が100%確率されているわけではありませんから。後者については、痩せる理屈はある程度解明されているとは思いますが、かなり苦しい作業ですので、どうやったら怠け者の自分でも続けられるか?ということを考える際に創造性が必要だと思います。誰でもラクに続けられる万能な方法は、今のところは残念ながらありませんから。

そういう意味で、サイエンスはテクノロジーよりも多少創造性が多く要求されるという事は言えると思います。テクノロジーは前述の論理的思考のステップで方向性が見えてきた後は、やらなきゃいけない事はかなり決まってきます。いくら粋がった所で、現時点で使える技術というのは限られていますから、ニーズと制約を考慮すると、そんなにトンガッタことはなかなかできません。誰が考えても大体同じという部分が多く、要は”誰が最初にニーズに気づくか”が勝負なのです。

しかし、サイエンスは何しろ自然が相手なので、しらみ潰し戦法が効きませんし(実際は地道なしらみ潰しなのかもしれませんが)、探求する対象そのものにも制約はありません。成功する道をピンポイントで探り当てるには、創造性と直感が重要になってくると思います。

まあでも、テクノロジーもサイエンスも営業も、いくらかの論理的思考がベースにあるのは同じでしょう。全くのゼロからの創造の営みでは決してないと思います。

しかし、私にとって、”全くのゼロからの創造の営み”としか思えない作業(職業)が一つだけ存在します。それは、”作曲”です。

私は通勤中もヘッドホンステレオ(一応商標を外した書き方をします(笑))を手放せない人ですし、家でくつろいでいる時もしょっちゅう音楽を聴いていますが、お気に入りの曲を聴いているときなど、「こんなメロディーを作る奴の頭の中は一体どうなってるんだ?」と思っちゃいます。メロディーを思いつく、という営みの中での頭の働き方というものが、私には全く”想像”できません。すごいの一言です。

プロフィールにも書きましたが、”流行歌”と呼ばれるジャンルの中で私が一番好きな曲は、太田裕美さんの「しあわせ未満」です。1977年1月発売の曲なので、若い人は知らないと思いますが、いやー、いい曲です。筒美京平、天才としか言い様がありません。ちなみに当時私は小1でしたが、始めて同級生の女子と”いい感じ”になった時(どんだけませてんだ!)にはやっていた曲なので、この初恋の思い出ともリンクして、一番の曲になっています。

まあこの方も、洋楽のレコードが今ほど簡単に手に入らない時代に、海外に頻繁にリサーチに行かれたりされていた、という話をどこかで聞いたことがありますので、やはりベースには膨大な音楽データと経験があるのでしょう。いい音楽を沢山聴く、という経験なくして養われる能力ではないのは当然でしょう。

私が分からないのは、作曲という作業をする前段階で必要となる作業はどう考えても、先に書いた”論理的思考”ではないはずで、それが”何なのか”、ということなのです。繰り返しますが、頭の中で何が起こっているのか想像がつきません。なので、音楽に疎い私にとって、作曲という作業は、あらゆる営みの中でずば抜けて創造性が要求されるモノのように思えます。まあ芸術ってそういうモノだとは思いますが、作曲は特にそういう面が際立っている気がします。メロディーにインパクトがあるか無いかも、誰が聞いても一目瞭然(一聴瞭然!?)なので、評価もシビアになりますしね。すごい世界だと思います。


クリスマスイブですか、そうですか

2009年12月24日 22時42分08秒 | 日記
クリスマスイブだというのに、仕事仕事仕事仕事仕事!
(まあこの時間に帰宅してブログの更新できるだけマシなんですが)

40歳独身男がこんなことでいいのかなぁ。。。
まあ恋愛市場において私は完全な負け組みなわけですが、仕事がある分だけ勝ち組だと思おう。。。そうでも思わんとやっとられん!

まだまだ年末モードなんてどこ吹く風だし、年明けてもずーっとバタバタしてそう。冬の寒さが身に染みる今日この頃です。

若い頃はあらゆるモノを排除して突っ走る”強さ”があったのに、40ともなると、精神的にも焼きが回っちゃうんですかね。

まだまだ当面は英語が恋人かな。最近、そういう人生が怖くなってきました(笑)。何よりも孤独を、独りで頑張れることを無上の悦びにしてきたハズなのに、何でこうなっちゃったのか。。。40という数字が想像以上に、無意識の部分で私を追い詰めつつあるようで。身の回りでも50過ぎても独身の方とか、チラホラいらっしゃいますが、何でそんなに強いの!私より孤独を愛する人達がいらっしゃるとは思いませんでした。甘ちゃんでした。私はもう、自由はいいです。皆こうやって、人生の墓場(!?)に足を突っ込んで行くのか?

ということで、来年の第一目標は”婚活”にしようと思います。せっかく痩せたんだし、何とか成果を生かしたいです。


笑顔

2009年12月23日 20時25分37秒 | 日記
大事だと思います。常に笑顔でいること。もちろん悩みや苦しみの無い人などいないと思いますが、普段はできる限り笑顔で、不要に不機嫌な態度を取らないように心がけたいモノです。

何故か?人間って単純なもので、笑顔で返されるとやっぱりこちらも笑顔で返したくなるもんです。逆に、ぶっきらぼうな反応をされると、たとえ言われた事が正しくても、反感を抱いてしまいますよね。

うーん、どう考えても、やっぱり女性の方が多いよなー、常に笑顔な人。こちらが色々と話をした時でも、笑顔でリアクションしてくれるのは女性が多いし、男性はなんか、心ここにあらず的な、掴みどころのない人が多い気がします。ちょっと男性陣には申し訳ない言い方ですが、もっと笑ってくれよって、よく思います(同性に嫌われてる!?)。

もっと申し訳ない事を言うと、なんか年配の男性に、常に不機嫌な人、多くないですか?(もちろんそうじゃない方もいますよ。)この前もファーストフード店で私が間違えて前の人を飛ばして列に入り込んだ時に、年配の男性に怒鳴られてしまいました。確かに間違ったのは私ですが、「そんな言い方しなくていいじゃん」と思います。笑顔で「すみません、並んでるんですけど」と言ってくれれば、こちらも笑顔で「あ、すみません」と気持ちよく返せるのに。なんで、そんな簡単な事ができないのか。別にお前を困らそうと思ってやったわけじゃねぇんだよ。なんか、熟年離婚が多い昨今の事情も分かるような気がするなー(大きなお世話ですが)。

(余談ですが、最近「ファストフード」なる表記を目にする事が多くなりました。あるいはファストファッション、とか。アメリカ英語の母音の発音の仕方に忠実にする、'first'との区別を明確にする、等の意図があるようですが、なんかワザとらしいというかね。前から普及している言い方をわざわざ変えなくても。ちなみに、'fast' には”断食”という意味もあります。'breakfast' は前の晩からの断食をbreakするから”朝ごはん”なのです。これ、豆知識ね)

私自身、常に笑顔でいられてるかというと、少々怪しいですね。ダイエット後も頬のたるみが気になって仕方ないのですが、これは表情筋が衰えているからで、裏を返せば、笑顔の少ない無表情な事が多いという証なのかもしれません。もっと笑顔でいられるようになりたいですね。そのためには”心の余裕”を持つことが重要でしょうね。真面目一本槍も悪くないと思いますが、それだけじゃ魅力ないですから。


お洒落の本質

2009年12月23日 02時34分36秒 | 日記
めでたくデブ人生に別れを告げられた事もあって、最近、少々着る物にも凝るようになりました。

というか、本当は元々こだわりたかった人なのですが、デブがお洒落しても滑稽だし(デブの人、ゴメンなさい)、気に入った服があってもサイズが合わなくて結局買えない、という屈辱的な経験ばかりしていたので、デブの頃はいつの間にかそういう事に無頓着になっていました。かなりモッサイ格好を平気でしていました。

しかし今は、サイズを気にせずに気に入った服が自由に選べるようになり、服を買いに行くのが楽しくて仕方ありません。ズボンも以前は大きい人向けの専門店でないと買えなかったのですが、ダイエット中のある時期からついに普通の人向けのコーナーで買えるようになった時には、涙が出るほど嬉しかったです。

で、最近は休みの度に洋服屋に行って、気に入ったモノを値札も見ずに買い漁っています。本当にいいなと思うモノはどうしてもブランド品になってしまうので、かなり金、使ってます。ダイエットとブランド品漁りにあけくれる”スイーツ女”さながらですね(笑)。失礼な言い方なのは重々承知ですが、彼女たちの気持ち、今の私には非常に良く分かります。たって、楽しいもん。

で、そんな事をしているうちに思ったのですが、いわゆる”お洒落をする”事の本質って、自分が気に入ったモノを着ていい気持ちになる、という事が第一であって、他人からみてイケてるか、似合っているかどうかなんて、二の次、三の次だと。

ずばり、お洒落の本質は”自己満足”と言っていいと思います。自分が気に入ったモノを身に付けて、それで一日気分良くいられて、仕事とか色々な事に楽しく前向きに取り組めるようになる事が重要なんだと思います。それで目的は十分達成されているのです。自分が気持ちよくなるためにやるものなんです。

なのに、TVとかで、街行く人のファッションを採点したりするようなコーナー、ありますよね。上に言ったような私の考え方からすると、ナンセンス極まりない行為だと思います。そりゃ、他人から見てもイケてる格好をしているに越したことはないですし、あまりに突飛な格好をするのも考え物ですが、本人が気に入って気持ちよく身に付けている物に対して、どうしていちいちイチャモンをつけるような事をする必要があるのか?そういう行為こそ”イケてない”と思いますね。