英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

常識

2010年06月21日 23時00分34秒 | 日記
これの無い人って、いるもんですね。

マナーとか態度とか、そういう事ではなくて、"common sense"。常識というよりは、普通のセンスとでも言った方が良いのでしょうか。

フツーに考えればそうだろ、っていう、ごくごく当たり前のモノの考え方というか認識の仕方というか、そういうものが、ズレている人。自分の思い込みだけで物事を判断して、あるいは、意図的に勝手な結論付けをしようとして、まともなモノの考え方をする人に違和感を与える人。

本当に知能が足りないケースと、どんな手段を使ってでも自分のやり方を(悪い意味で)貫き通そうとする悪人と、2つのケースがあると思いますが、いずれにせよ、千言万言を尽くしても分かり合えることはありません。そういう人は自我を通すことがまず大前提としてあるので、絶対に非は認めませんし、論理的に破綻していようが何だろうが、関係ないのですから。こちらがいくら理屈を通そうとしても、捻じ曲げようとしてくるのです。

近づかないのが最良ですね。

もし結婚して、自分の配偶者がこういう人だと後で分かったら、、、、人生終了ですね。ああ恐い。言葉で分かり合おうとしても分かり合えない人って、一番恐ろしいです。

欠点はあってもいいから、言えば分かってくれる人、少なくとも分かろうとしてくれる人でないと、一緒に生きていく事なんてできませんね。単なる同僚とか友人でも耐え難いのですから、配偶者ともなると、そりゃもう、地獄でしょう。

結婚するなら、絶対、まともな頭がある人。学歴とかじゃなくてね。あ、でも、こういう所って、実は結構学歴と比例してたりする。結局は”国語力”、”言語力”なのです。一緒に仕事をしていて、感じのいい人、頭いいなと思う人というのは、総じてメールの書き方のスタイルなんかも優れているものです。細かい所まで心配りができていて、それは人間性の反映でもあるのです。逆に変テコな人は、まともな文章が書けなかったりする人が多い。やっぱり、どこか弱いんです。

まあ、口だけの輩も多いんですけど。


天才って必要?

2010年06月20日 18時00分36秒 | 日記
私自身は、非常に優れた能力の持ち主を指す天才、秀才君の違いとして

天才=人為的に作れない存在
秀才=人為的に作れる存在

が本質的だと思います。もしこれが正しいとすると、ある分野の進展を天才
の出現に委ねる(期待する)のは間違いで、合理的な教育・育成システムを
構築することが遥かに重要なことだと思いますし、若き天才候補(まだ成果
は出していないが、それが期待できるほどの能力の持ち主)をあまりもては
やしてもいけないと思います。努力しているフツーの人達が元気をなくしてし
まいます。

何が言いたいかって?天才”的”人物をもてはやすような事より、もっと裾野
を広げるような教育体制・人材育成環境をしっかり作ることを、世の中的に
考えるべきではないか?という事です。天才なんて、出現してくれればラッキー、
くらいに考えておくべきではないでしょうか?そもそも本物の天才は作れない
んだし。

恵まれた環境に生まれ恵まれた教育を受けてきた早熟な天才候補(天才と
教育という言葉は矛盾していますが)は、放っておいてもある程度のことは
やるでしょう。そんな人たちをもてはやすのも結構ですが、多くのフツーの
人たちに、よりまともな教育、まともな人材育成環境を提供することを真剣
に考えた方が、全体の国力は上がります。天才の出現が偶然である以上、
政策として合理的に進められるのも、秀才を量産すること、の方なのでは
ないでしょうか?

個人レベルで言えば、昨今、教育レベルと親の財力レベルが比例しつつ
ある”教育格差問題”が取りざたされることが多いですが、これはある意味
自然な事です。そんな事は世界中どこでも、自然に起こっていることです。
こればかりは仕方ない。私なんかはそれよりも、”地域格差”を埋めるよう
な政策をどんどん進めてほしいですね。英才教育が受けれない田舎にも、
頭のいい奴は一杯います。

早熟の天才候補は見栄えは良いですし、大学の先生とか国のお偉いさん
がそういう人たちをもてはやしたがるのも分かります。楽しいですからね。
でも、もっと泥臭い、秀才量産政策もどんどんやってほしい。

なんか、ある種の選民思想に浸っているだけのような”天才発掘プロジェ
クト”の数々。あまり好きになれないなあ。あと、優れた能力の持ち主に
社会貢献というものを強く意識させるような教育もできればしてほしい。研
究者なんて往々にして、自分が好きなことばかりやりたがりますから。税金
を一円も使っていないのなら、それでも結構ですが。



ダイエットの事ばかり考えているバカではないので(笑)

2010年06月13日 11時59分52秒 | 日記
ひさびさにノンビリできる週末なので、もう1つ書いちゃいます。

このブログではダイエットの話ばかりしていますが、そんな事ばかり考えている”軽薄な男”だと思わないで下さいね(笑)。そんな風にイメージされると嫌なので。

私の人生の中心は何と言っても”仕事”です。大きな目標もあり、理想も(あきれるほど)高く、当然、それに伴う実力はなかなか付かないので、日々、もがき苦しんでいる、そんな感じです。理想なんか捨ててしまえば楽になると思いますが、それをやっちゃうと、何もなくなってしまうというか、惰性の人生になってしまいそうなので。まあ、理想に向かって苦しめるだけ幸せだと思っています。

そんな人なので、以前は太っている外見とか、身なりの事なんかについては全くの無頓着で、汚い格好をしていても、格好悪くても全く平気な人でした。というか、一生懸命身なりを構う人を軽蔑さえしていました。なので、髪はボサボサ、ひげは伸び放題、ジーンズや靴は常に破れている、そして、デブ。そんな人でした。

が、ちょっとした事で”デブの醜さ”に気づかされ、いざ痩せてみるとこれがたまらなく嬉しくて、そうなると、当然お洒落もしたくなる。なんと言うか、自分が今まで知らなかった楽しみに目覚めてしまった、そんな感じなんですね。なので、今は、太っている人を見ると、”もったいないな”なんて、大きなお世話とも言える感情を抱いてしまいます。

悪い事ではないと思うんです。汚いよりは綺麗な方がいいに決まってますから。以前、「お洒落は自己満足」なんて事も書きましたが、綺麗な格好をして日常生活を気持ちよく送れれば、仕事でもなんでも、自信をもってやれるという事も分かりました。もちろん、汚い格好でも実力があれば”自信”は持てますが、なんと言うか、”もっと自信が持てる”ようになるとでもいいましょうか。

”こんなの自分には関係ない”、”俺には無縁の世界だ”と思っているような事は誰にでもあると思います。勉強一筋のガリ勉君はスポーツとか女の子とか、関係ないでしょうし、遊び中心の人は学業なんて異次元の話、なんて思っているでしょう。

でも、何が自分にとって重要か、あるいは、自分という人間はどういう人間なのか、なんてのは、ある意味勝手な思い込みというか、そんな価値観は大きく変わりえる、今回のダイエットを通じてそんな事が分かったような気がするのです。まさか、自分が身なりの事にこれほどにまで神経を使う人間になるとは夢にも思いませんでしたが、これが結構楽しいんですね。無論、やり過ぎはいけませんが。

実力さえあればいい?いやいや、実力があって美しい人は、なお良いではないか!という単純な事に気づきました。あ、もちろん、自分は”美しい人”までは行きませんけど。

偏った思い込みの価値観で自分という人間に型をはめてしまうこと、決め付けてしまう事は、もったいない事だと思うようになりました。無論、”性に合わない”事を無理してやる必要はありませんが、いま一歩、考え方を柔軟にして自分の世界を広げてみると、今まで知らなかった違うモノが得られて楽しくなる、という事もあるんじゃないかと。

自分の事ばかり話すのは恐縮ですが、私の場合、根っからの”協調性なし”人間なので(正確に言うと、”人を選ぶ”。気に入った人とは本当にうまくやれますが、嫌いな人とは口もきけない)、次は、チームプレーの楽しさでも追及してみますかね。そうすれば仕事の可能性も広がる事は、自分でも分かってるんです。でも、、、こればっかりは無理かなぁ。基本的には人間嫌いだから(これも決め付け?)。家庭を持つという事については前向きになりましたけどねぇ。

”自分探し”とはよく言われますが、”違う自分探し”をしてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。




リバウンドしないために

2010年06月13日 09時43分23秒 | ダイエット
ここで話したとおり、せっかく30kg(ピーク時からは34kg)もの減量を成功させたにも関わらず、半年ほどで17kgも戻してしまいました。

「急なダイエットなんかするからだ」。はい、言われてみればその通りです。返す言葉もございません。ただ、人には「今やらないとできない」というタイミングというか、気合が乗った時というか、そういう時期というものがあるわけで、乗った時に一気にやってしまわないとできないこともあると思うのです。私の場合、生来のグータラ性格もあり、1年、2年という長い期間自分を節制し続けるなんてことは無理なので、このような一気呵成的なやり方しかなかったと思います。「痩せて」なんて言われて、調子に乗ったというのが真相です(笑)。

後ろを振り替えっても仕方がないですし、外見的にはリバウンドした今でもまだまだ、太っていた頃に比べると全然細いので、今の状態になれた事には非常に満足はしています。そういう意味で、成果は失ってはいません。リバウンドした今でも、以前の私とは全く違うことには変わりありません。なので、別に失望感もありません。数字的にちょっとヤバイな、というだけです。

ただ、やはり、せっかく61kgまで行けたのに75kgまで戻ってしまったのは問題で、「再調整」する必要はあると思います。あまり自分を追い詰めても辛いので、ひとまず60kg台に戻すことを目標にしたいと思います。これなら、少々緩めにやっても来月前半中くらいには達成できるでしょう。すぐです。その先のことは、それから考えます。

今回のリバウンドについて、最大の反省点は、「ダイエットを終えた後、まったく体重を計測しなかった」点です。これでは、自分の変化に気づくわけがありません。外見的に大幅に戻ってきた、という事が起これば気づくでしょうが、今回のリバウンドの経験やダイエット時の経験から言うと、”外見が本当に変わる”のは20kg以上のオーダーでの話だと思います。10kgや15kg程度の増減では、外見的には大した変化は起きないんですね(無論、元々の体重にもよりますが)。だから、デブがその程度のダイエットをしたくらいでは外見的には大きな成果は得られませんし、逆に、それくらいのリバウンドでは気づかないんですね。
(去年のダイエット時においても、”細くなった”と実感し出したのはやはり20kg減らせた頃からでした。その頃に嬉しくてブランド物の高価なスーツを購入して自分へのご褒美(頭悪そうですが)にしたのを覚えています。)

過酷なダイエットを終えたんですから、食事も戻すべきですし、食べたいモノを食べていいと思うんです。ただ、そのように元の生活に戻したとしても、自分の状態は常にモニターしておく必要があったと思います。それをやっていれば、2kg、3kgくらい増えた時点ですばやく気づき、”ちょっとした微調整”だけで、最高の状態をキープできると思います。5kgくらい戻すまで放っておいたとしても、5kg程度の調整ならなんてことはないはずです。また17kgも減らさないといけない、なんて事態にまで悪化することはなかったはずです。

半年も体重を測らないなんてことをするからそうなってしまうわけで。ただ、ダイエット中は体重とかカロリー計算とか、とにかく数字に追われまくっていたので、ダイエットを終えたときには、”もう数字とにらめっこするのは嫌だ”という気持ちが強かった、それで体重計と縁遠くなった、というのはあります。でも、1日1回の体重計測くらいはしておくべきでしたね。

”ダイエット心構え編”の中ではリバウンド対策を明確に示すことができませんでしたが、今回、多少分かった気がします。「ダイエットを終えた後も、体重をモニターし続けろ」それが私なりの回答です。リバウンドを完全に防げれば理想ですが、それ以前にまず、”リバウンドに素早く気づけば傷は浅くて済む”という事です。

え?それって、”ダイエット(節制)を永遠に続けろって事じゃないの?”と言われそうですね。はい、実はそれこそがスリムな体型を保つための一番本質的な要件なのだと思います。スリムな体型を維持するのに、”もう何もしなくていい”という”終わりの状態”など、あるはずがありません。これだけ美味しい(=カロリーの高い)食べ物やラクな生活を実現してくれる高性能家電があふれ返っている時代なのですから、やりたいようにやっていれば太るのは当たり前です。よほど体を酷使する職業にでも就いていない限り。

スリムな人はみんな、それなりの節制を継続しているのです。宴会の時とか、細い人を見ていると、途中で食べるのを止めたり、高カロリーな食材を弾き飛ばしたりしています。「ああ、スリムな人はこういう事を常にやってるんだ」と感心させられた事があります。いい事なのかどうかは別として。私自身も去年、カロリーを猛烈に意識する食生活をしてみて、今の世の中の洋食中心の食事メニューがいかに高カロリーか、朝・昼・晩と三回も食べる食習慣って本当に正しいのか?と考えさせられたものです。「今風の食事を普通に摂っていれば太らない方がおかしい」と言っても過言ではないかもしれません。

そういうのが嫌なら、思いっきり筋肉でもつけて、”猛烈に太りにくい体”を作るしかないんじゃないでしょうか。”体重を減らす”営みは長期間継続はできませんし、そんな事ばかりしていたらいつか体も破綻すると思いますが、”理想体重を維持する”努力に終わりはないのでしょう。