英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

主体性

2011年07月26日 22時46分33秒 | 英語
動画サイトをうろうろしてますと、「勉強の仕方」とか、塾の講義、みたいなモノが沢山あがっています。私なんかは数学とか物理は高校レベルの内容も大体覚えていますが(数学は仕事でも少し必要)、嫌いだった化学とか、好きだけど忘れてしまった歴史なんかは、「あー、そういえばそうだったなー」なんて、懐かしさに浸りながら見てしまいます。

で、英語も当然見てみるんですけど、、、なんと言いますかね、そこまで懇切丁寧に言い聞かせなきゃならんのか?って思いますね。「単語の覚え方」なんてのはもう極めつけで、笑っちゃいます。そんな事も自己解決できんのか?そんな奴が大学なんか目指すな!ってのは言いすぎですかね。

私は子供の頃は都会暮らしでゴリゴリの受験戦士でしたが、中学高校は田舎だったので塾にも行ったことないですし、通信添削もやったことないです(それでも、名のある国立大学に現役合格ですよ。はい、自慢です。ま、T大じゃないけど)。なので、高校生向けの塾とか予備校たるものが実際にはどんな所なのか皆目検討もつかないのですが、まあ動画サイトとかを見る限りは、「こんな教育受けてたら、どうしようもない受け身人間ばかりが育つだろうな」という感想を抱いてしまいます。まあ、授業受ける生徒も「受験が終わるまでの辛抱だ」と割り切っているのかもしれませんが、それはそれで寒気がします。

目標が大学受験だけならそれが一番効率がいいのかもしれませんが、でも何か気持ち悪い。私なんか、仕事(技術職)も人からちゃんと教わった記憶なんてほとんどないんですけど。全部独学。逆にもうちょっと上から手を差し伸べて引っ張り上げてほしかったです(笑)。(不遜な言い方ですが)ほっといても出来る奴、なんて思われてるのだろうか?すごく損な気分。



目標が低すぎる!

2011年07月20日 22時46分50秒 | インポート
他人の仕事ぶりとか勉強ぶりにとやかく言うのは野暮ですけどね。

でも、非常に不遜な物言いですけど、皆んな目標というか志が低いなー、って思ってしまいます。ハイ、こんな事いうと人格疑われるのは分かってます。

人から評価された仕事はそれで完璧なんですか?もちろん評価されたこと自体は悪い事じゃないし、少しは喜べばいいんですけど、まだまだ足りないモノだらけなのに、ヘラヘラ喜ぶだけで、残された問題点を全く論じようともしないメンタリティーが、理解できないというか、逆にもう、なんだかうらやましいです。

私は人からどんなに評価されても褒められても、自分自身が「こんな仕事は何の価値もない。」と本音の所でそう思ってしまう場合には、落ち込むばかりです。そうあるべき、ではなくて、私自身の性格が自然にそうさせるのです。100点満点でないとまったくもって喜ぶ気にはなれません。誰に褒められようがそんなの関係ない、最も厳しい、自分自身の偽らざる目を100%完全に満足できて初めてハッピー、普通そうじゃないのかなぁ。

まあ皆んなバカじゃないから、本当の所は心の底で薄々「まだまだこの程度ではダメ」と気づいているはずだと思いますが、私なんかはそういう状態の時に(おそらく何も分かっていない人に)評価されたりすると、逆に落ち込みますけどね。お前ら俺の仕事の何処を見てるんだ?お前らが求めてるモノはこの程度のモノなのか?、てな感じで。オカシイですか?


テレビよさらば

2011年07月14日 21時22分05秒 | 日記
テレビの地デジへの完全移行まであと10日です。50年以上続いてきたアナログ放送が終わる日が、刻一刻と近づいています。

が、感慨も何も、ぜーんぜんありません。前に住んでいた所ではCATVに入っていたので地デジで見れたのですが、昨年引っ越してきた今のアパートは、CATVは来てるけどチューナーは付けていません。で、テレビはアナログのブラウン管テレビ。つまり、このままでは24日以降私はテレビが見られなくなる、ということです。

はい、全く構いません。テレビなんて一切見ませんから。デジタルテレビなんて購入するつもりはありません。使わないモノに無駄な金を使いたくないです。NHKも解約できるし、テレビ捨てれば部屋も広くなるし、いいことだらけです。いわゆる”断捨離”ってやつです。3Dテレビ?アホかと。あんなものが売れると思っている奴らの頭の中が全く理解できない。ごく一部の新しモノ好きのブルジョアのおもちゃでしょう。それでも目が疲れるから、彼らもすぐに飽きると思います。ごくごくフツーの頭があれば、あんなモノが売れるはずかないなんてことは、最初から分かるはずなんだが。。余談でした。

今のテレビが非常につまらないと思っているのは私だけではないと思いますが、じゃあ、昔夢中になってみていた番組が本当にクオリティーが高いかというと、意外とそうでもないんですよね。DVDとかネットで改めて見直しても、よくもまあ、こんなバカバカしい、あるいはダサダサのモノに夢中になっていたなぁ、くらいの感想しか湧いてきません(散々楽しませてもらっておきながらこういう事を言うのも何ですが)。ただ、昔のバカバカしい番組は、バカバカしいなりに一生懸命作りこんでいます。芸人を並べて駄弁らせるだけ、ような事はしていません。そこが大きな違いですね。今はとにかく、モノを作っていないですね。まあ、どうでもいいですけど。

子供の頃、ごくたまーに、”テレビなんてクダラナイものは家に置かない”というような家がありました。あんなものは親も見ないし子供にも見せない、ということです。当時は教育ママゴンくらいにしか思いませんでしたが、今にして思えば、非常に聡明な親御さんだと思います。少なくとも今の私なら、仮に子を持つような事があったとして、今のテレビは絶対に見せたくはないです。



少し成果が

2011年07月06日 23時19分17秒 | 英語
リスニングの練習をまじめにやり始めて3ヶ月目に突入。途中、若干サボったときもありましたが、再び真面目に、1日3時間ペースで聞いています。往復の通勤電車で2時間と寝る前に1時間。本当は会社の昼休みにもやりたいんですが、まあ昼飯くらいは同僚とゆっくり食べた方がいいので、そこはやめています。これくらいのペースなら無理なく続けられそうです。

今日、5月の初めに少し手をつけて「難しい」と感じた問題集を再度やってみたんですが、かなりラクに聞こえました。決してスクリプトを覚えてしまっているからではありません(覚えてません)。その頃に誤答した問題が、アホみたいに簡単に解けた、そういう問題も幾つかありました。もちろん相変わらず聴き取れずに間違える問題もありますが。

簡単にいうと、以前のように思いっきり集中して聞かなくても処理できるようになってくるんです。まさに”ラクに”聞ける。で、余裕をもってゆったりと英語の音を迎え入れることができるので、前に述べたように少々乱れた変な音が聞こえてきた時にも”想像力”を働かせることができるのです。少しずつですけど、自分の中にそういう感覚が生まれてきています。もちろん、想像力を働かせるのは一瞬なんですけど、その一瞬の余裕の有無が、処理力の差を生むのでしょう。確かに考えてみれば、ガチガチに耳を澄ましてやっとこさ処理しているような状態で、変則的な音の変化に対応できる筈がありません。

リスニングに関しては、独自のトレーニングメニューや段階的な練習メニューを色々と設定している本をやるより、実際の英文に体当たりで取り組む方が早いと思いますね。よくありますよね、音の変化のパターンを何通りか取り上げてそこだけ聞かせたり、わざと速度を速めたり、TOEICならTOEICの問題傾向を妙に細かく分析してみせたり、米・英・加・豪の発音の違いを解説したり、そういう本。私の実感では、あんまり役には立たたないです。もちろん、ある程度やってみた上で言っています。

リスニングにおいては、リーディングの時以上に、いわゆる”断片的な知識”は役に立たない傾向が強いと思います(語彙の知識は別)。頼りになるのは体で覚えた英音処理能力だけですが、その能力は、実際に英語を聞きながら養うのが圧倒的に効率が良いような気がします。「英語の音はこんな風に変化しますよ」なんて言われても、長い英文を必死で追いかけている時に、そんな人工的な知識が助けになってくれるようなことはありません。実際に必死に英語を聴きながら体得するしかないんです。そんなの。

私自身も分析好きで、物事に取り組む時には色々と方法論を”考える”ことが多いのですが、こと英語のリスニングに関しては残念ながら、実戦以外の所で小賢しい知識を仕込んでも無駄になるような気がします。”知っている、知らない”ではなく、”できる、できない”の要素が、リーディングや文法問題を解くとき以上に強いですから、実戦を通して鍛えた能力でしか、戦えないのです。知識ではなく能力を磨かないといけない、そういう比率が高いとでもいいましょうか。そんな気がします。

もちろん、練習する上で、”頭を使うな、ただひたすら聞け”、と言っているわけじゃありません。それは今までの記事に書いた通りです。自分の能力や欠点、改善方法を客観的に分析する頭は何をするにしても必要です。”間接的な知識や訓練”はあまり役に立たない、ということです。

まだそんなにできるようになった訳でもないのに偉そうなことを書いていますが、実際の英文をガンガン聞くという練習が一番やり易くて、逆に、部分的なノウハウを取り上げて練習させるような本はリスニングに関してはやりにくいし効果も甚だ怪しい気がしている、今日このごろです。