英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

TOEIC問題集の品質

2016年06月26日 05時44分11秒 | 英語
新出題形式に対応した「TOEIC模試」みたいなモノを幾つか買って解いていますが、中には品質に疑問を感じてしまうものもあります。

1つは、問題文や設問箇所の日本語訳に対する疑問、もう1つは、新出題形式で問われるようになった「文挿入問題」や従来からある「文章が書かれた目的を選択する問題」なんかに、正解を選ぶ判断根拠が物凄く微妙で困ってしまう、あるいは、最後までイマイチ納得できないような選択肢が入っていたりすることです。

後者で時々困ってしまうのは私の実力不足もあるかもしれませんが、日本語訳が雑な本は少なからずあり、本で勉強するときは気をつけた方がいい、というか、本に書いてある日本語訳は妄信しない方がいいかもしれません。こういうのは丁寧にやってもらわないと、力が無い人に辛い思いをさせたり、彼らをミスリーディングすることになります。逆に、自分自身に関して言うなら、そういう市販の本の誤訳・悪訳が分かるようになったということで、力が付いたなあと実感する次第です。

このような”品質”ということを考えると、”公式問題集”は安心して使えるものの1つでしょう。確かにあまりひねりが無いので面白くないと言えば面白くないのですが、上のような文挿入や内容選択問題については設問が非常にクリア(どう考えても正解はこれしかない、とスパっと選べる)だし、日本語訳にも疑問を感じる所はほとんど無いです。まあ、問題文や設問が素直すぎると言ってしまえばそれまでなのですが、初級~中級の人にとっては安心して使えるものだと思います。

本家本元のTOEICの問題作成においては、例えば”複数通りに意味が解釈できる”ような曖昧な表現を極力排除するといった細かい配慮がなされていると聞きます。世の中の「なんちゃってTOEIC模試」みたいな本の品質は必ずしもそこまで保証されているわけではないようなので、気をつけないといけません。というか、買う前に気をつける術など無いので(レビューをしっかり見るくらいか)、変な本に当たっちゃったと思ったら、ある程度割り切ることも必要です。考えても仕方ない(ラチが開かない)箇所って、残念ながらあります。

そうではなくて、私なんかが疑問に感じる所について、全てクリアに解決してくれるような説明が実は存在するのだとしたら(単に私の実力が無いだけなのだとしたら)、そういう踏み込んだ説明をちゃんと書いてくれないと困ります。TOEICの問題集で勉強していても、こういう良く分からない所が原因で消化不良になってる人って、結構多いと思うなぁ。

前置詞とか

2016年06月19日 23時28分10秒 | 英語
今日は大した話ではありません。軽く。

日々英語をやってて、本当に、学校英文法では説明しきれない箇所に出くわすことが多々あります。まあ私くらいの力があれば意味は取れるし、構造も推測できるので、「こういうケースもあるんだな」という理解、そして、頭の中のデータベースに記憶しておいて、どんどん先に進んでいくことはできるのですが、それでも高校の時に習った英文法の範疇で説明することはできないです。具体的な例は改めて取り上げたいと思いますが、そういうケースは少なくないです。

こういう事例にきちんと体型だてた説明をどうしても求めたいのなら、学術的な専門誌や論文にあたってみるしかないと思います。それでも解決しないケースもあるでしょうけどね。ま、私が言いたいことは、学校の英文法なんてのは、

学生向けに説明できる範囲のものを、説明できる形にデフォルメして説明したに過ぎないもの

だという事です。それでもまだ、論理的に釈然としない所はたくさんありますしね。だから、特に文法問題を解く上で必須の内容はきちんと理解する必要がありますが、それ以外の所に「論理的なほころび」を感じても、それを気にしすぎる必要はないということです。文法問題で問われる知識は完璧に、そして、読解のタメになる知識や例文は軽くなじんでおいて、後は実際の英文に数多く当たるというのが、正しいやり方だと思います。言葉の勉強なんてものは突き詰めていうと、「普通はこういう風に言う。こういう風には言わない」という経験をどれだけ持っているか、それだけです。その全てを説明可能な公式・規則なんて存在しません。

学校英文法でよく分からない、あるいは、これじゃ説明が不十分だろって所は多々あるのですが、1つ例を挙げると「前置詞」の項目なんかがそうですね。これなんかはもう、その項目の存在自体が良く分からない。

今どきの英文法の参考書では、昔のものと違って、前置詞の章には必ずと言っていいほど、1つ1つの前置詞の”意味のイメージ”が載っています。しかしこういうのも、一切知らないよりは知っておいた方が少しはマシかもしれない程度のものだと思います。だって、そのイメージ通りにならない、あるいは、イメージからは導き出せない用例なんて沢山あるじゃないですか。結局は前置詞も、「普通はこの前置詞を使う、普通はこの前置詞は使わない」という事を知っているか知らないか、それだけです。で、それを全部マスターしろと言っても無茶なので、試験で問われる所は大体決まってくるわけです。だから、それを覚えておけばいいんですけど、決してそれは前置詞の意味のイメージを覚えることによって解決できる話ではありませんよね。覚えるしかないんです。

こういうのは特に実用英語の世界では全然神経質になる必要はないんですけど、そうは言ってもできるだけ正しい前置詞を使えるようになるに越したことはありません。そのために私はどうしているかというと、英文を読んでいて前置詞に出会った時に、「自分がその英文をアウトプットするときも100%この前置詞を使うだろうな。これ以外の前置詞はあり得ない」と思うものはスルーしますが、それ以外のものについては全て、印をつけるようにしています。4色ボールペンの緑色(文法関連)でその前置詞を四角で囲みます。

こういう経験を積んでいくと、その前置詞を使うときの本当の意味での感覚みたいなものが少しずつ磨かれてきます。でも、感覚だけでは100%の決定はできません。突き詰めれば”知ってるか、知らないか”だけなのですから、あやふやなものには全部印を付けて注意喚起するようにしています。

前置詞に限らず、実際の英文の中で出会ったことがある言い回しは真、見たことのない言い回しについては、偽と証明するのは難しいけれど、少なくとも疑ってかかれ。特に上級者がさらに実用英語の力を磨いていくにはこの精神が必要です。つまり、演繹法で横着することに別れを告げ、帰納法で英語力を付けていく覚悟をするということです。

中高生にこれを要求するのは酷なので、少々荒い英文法で”演繹的に”英語を教えている、学校文法の営みとは、そういう事です。だから、実例に合わない、実例の全てを説明できないなんて騒ぎ立てても意味はないんですね。そんな事は最初から折込済みなんですから。中高生にプロがやるような英語訓練をやらせるわけにいかないでしょう。今の学校の英語の授業というのはあくまで、一般教養としての英語を教えているんです。

何を捨てるか

2016年06月18日 14時54分11秒 | 日記
久々に家でのんびりしているので1つ。

二本足打法と書きましたが、言いたかったことは、幸せを実現するステージを一箇所に限定するような生き方はキツイし危ういよ、ということです。できるだけリスク分散しとけと。若い頃に”理想”だと思っていたことが歳をとるにつれて”クダラナイ”と、気が変わることもありますしね。そうなった時に生き方を変えられないというのは、かなりヤバイのです。リスク分散なんかすると本当に極めたいことに打ち込める時間が減る、なんて心配をする方もいると思いますが、そういうケチな考え方はしない方がいいと思います。

で、こんなことを言うと、”あれもこれも”やらないといけないのかと思われるかもしれませんが、それはむしろ全く逆で、

何をやらないか(捨てるか)を決める

ことこそ、人生をうまくやる最大のコツかと思います。人生、一兎(本職)は本気で、二兎目は趣味程度にこなす。その二つをやろうとした時に負担になる残りの事については、何をサボるかを決めてしっかりサボる、そんな感じですかね。

まあ、家庭を持っている人は、仕事と家庭の両立だけで大変でしょうけどね。だったら、それ以外の無駄な”お付き合い”的なものはできるだけサボるとか。何をやって何をサボるかは個人の自由ですけど、”何もかもキチンと”というのはしんどいですよ。というか、絶対にガタが来ます。

例えば、いくらグローバル化の時代、会社でTOEICをやらされる時代とはいえ、”英語なんか大嫌い”という人は、英語なんかバッサリ捨ててしまえばいいんです。何もかもそつなくこなすというのはとても疲れますし、結局は目だって秀でたものが無い人になってしまうのがオチです。自分にとって捨てても構わないと思えるものはバッサリ捨ててしまうことによって、大きな余裕が生まれてくると思います。

私自身は、仕事や勉強面では、コンピュータと数学と英語は一生懸命やりますが、それ以外は一切やりません。政治・経済関係は完全放棄です。縦書きの本も私にとっては時間の無駄なので読みません。社会人にあるまじき態度ですけど、そうしないと大事なことに向ける時間がとれませんから。なので、新聞も一切読まないです。正確にはNHK World TVと、あとはネットでちらっと眺めるだけ。そもそも、一般誌をじっくり時間を掛けて読むことの意味が私には分かりません。自分の仕事には直接関係ない内容がほとんどじゃないですか?自分の職種の専門誌をじっくり読むのなら分かりますけど。

人間関係は、私もまだ結婚を完全に諦めたわけではないので(笑)、女性との接点は大事にしますが、野郎はハッキリいってどうでもいいですwww ヒドイとお思いでしょうが、人間関係を割り切ると、実は色々なことが物凄くラクになるのです。別にリア充なんか目指さなくっていいんです。休みの日に必要ないのに遊びに出かけるよりは、家でノンビリ体を休めた方が平日元気に仕事できますし。本当に遊びたい時に、本当に遊びたい人と遊べばいいんです。

健康は大事ですが、運動はめっきりしなくなりましたね。この歳になると無理に体を動かすより、じっくり体を休めるメリットの方が大きいような気がするので。暴飲暴食をしなければそんなに太ることはないし、ちょっとくらい太っても食事制限すればすぐに痩せます。何も生活習慣病だけが病気じゃないんですから、結局は体に変な負担を掛けない方が病気になる総合的な確率は減ると信じています。それがtrueかfalseかなんて、気にしても仕方ない。

もうちょっと細かいレベルで、いつも話題にしている英語の勉強でも、全てを求めているわけではないです。あくまで現時点での話ですが、洋画やドラマを見ること、英語の小説を読むこと、は現時点では放棄しています。直近の最大目標がTOEIC 990点である以上、無駄なので。ニュース関係は目を通しますけどね。あとは英英辞典も捨てています。あれが役に立つという物言いが理解できません。まあ、たまに役に立つこともありますが、役に立たないことの方が多いです。あとは、句動詞や熟語の勉強もほとんどやっていません。TOEICでは大学受験レベル以上のものはほとんど必要ないと感じることと、逆に、真剣にやり出すとキリが無い分野だからです。まあもちろん、過去の蓄積があるので普通の人よりは沢山知っていると思いますけどね。

まあ、何でもそうですが、自分が直感的に”あまりやりたくない”と感じることは、バッサリ捨てちゃっていいと思います。気が進まないことはかなりの確率で、自分には必要ないことです。端からみて何かのことに凄まじいエネルギーを注ぎこめている人というのは、どこか他の部分で思いっきり手を抜いているはずです。

二本足打法のススメ

2016年06月17日 23時58分58秒 | 日記
学生さんの就職活動は今の時期が全盛なのでしょうか。自分の希望通りの大学を卒業見込みで専攻分野の勉強もしっかりやって自信満々で”こだわりの職種”だけを追い求める人、あるいは逆に、どこでもいいからとにかく拾ってくれ、食い扶持が見つかりさえすればいいという人。一口に就活と言っても、学生さん自身の希望や考え方は様々でしょう。

私が人生の先輩として一つだけ言えることは、「企業に就職する道を選ぶ限り、好きな事を長い期間、思う存分やる事はほぼ不可能である」という事です。これだけは分かっておかないといけません。

当たり前ですよね。企業というのは組織です。しかも、営利を最大限に追求することを目的にした組織、赤字を出せば潰れる組織。そういう組織の一員になるということは、その組織に一円でも多く利益をもたらすための駒になるという事です。会社は決して自己実現の場ではありません。

運がよければ、自分が出した配属希望が通って、望みどおりの部署で望みどおりの仕事ができるかもしれません。(逆に言えば、運悪く配属希望が通らなければその時点で”やりたい事”はおそらく一生できないということになります)。でも、それも長くは続かないのが普通です。そう、企業には”人事異動”というものがあって、普通は色々な所を回されます。日本の企業はジェネラリスト指向が強いので、そうやって色々な部署を見た人が出世していく傾向にあるので、ある程度給料を上げたいと思えばその流れに乗るしかありません。残念ながら、”専門性を極める”というノリじゃないんです。日本の会社は、”何かの専門性に長けた人”ではなく、”その会社に詳しい人”を育て、そういう人を上役に登用する、そういう傾向があるようです。

どうしてなのか私には分かりませんが、おそらく、日本の企業の”新卒主義”と”雇用の流動性の欠如”が大きな理由ではないかと思います。海外では、必要な時に、”この人は何ができるのか”という視点で必要な人間を集めてきて仕事をこなすというスタイルですが、日本の企業はそうではありません。大学卒業時点から基本的にずっと同じ会社に勤めるわけですから、その会社に長くいて社内事情に詳しくなった人が偉くなって仕事をひっぱる、という形になるわけです。

だから、日本では大企業の正社員ほど”専門性”は持てないし、そもそもいらないのです。専門的な知識が必要なモノづくりや、専門的な知識が必要なサーベイの類というのは、関連会社や外部への委託発注で片付けてしまうことが多いですから。でも、今の不景気の世の中、安定して高収入(ではないけど、比較の問題として)を得ようと思えば大企業の正社員の方が圧倒的に有利ですから、みんなそれになりたがるわけでしょう。実際に手を動かすような職人気質の仕事をしている会社というのは往々にして小規模なので、”不安定だ”となるわけです。”専門性”というものは、時代の要請があるときは重宝されますが、時代に合わなくなるととたんに必要なくなるものなので、そういうものはできるだけ”企業本体”からは切り離しておいた方が、生き残り策としては利口なんです。コンピュータのプログラムを書くときに、込み入った計算をする部分をサブルーチン化してメイン関数から切り離しておくのと全く同じ考え方です。

ウダウダと書きましたが、要するに何が言いたいかというと、日本という国で会社員として生きていく以上、”(ある程度)安定した収入”を得ることと、”何かの専門性を極める”こととは基本的に相反する、ということです。まず潰れることはないであろう大企業にもぐりこんで、そこで自分の専門に合った好きなことをバリバリやって知識や技術を磨いて、かつ、偉くなって高い収入も得たい、一流大学で真面目に勉強した人、特に理系の人ほどそういう”野心”を抱いていると思いますが、そんな事は基本的にあり得ないこと、なのですよ。はっきり言って夢物語です。これは日本企業そのものというよりは日本社会が招いている特質でしょう。新卒主義と雇用の流動性の欠如がある以上、企業が取る生き残り策は”ジェネラリスト登用主義”にならざるを得ないじゃないですか。こういう風に考えると、日本の大企業からイノベーションが生まれないのは至極当然だとも思えますし、そのジェネラリスト登用主義もいよいよ揺らいで来ていると言えるかも知れませんが。

まあそれはともかく、個人として考えないといけないのは、結局自分はどういう生き方を目指すのか、何に幸せを求めるのか、ということです。上に書いたことは要するに、たとえ一流大学を出ていようが一流企業に入ろうが希望どおりの部署に配属されようが、”一箇所で全てを満足させることは不可能だ”ということですね。サラリーマンという生き方を選ぶ限り、特定の専門分野にこだわる一本足打法で100%の幸せを実現することは不可能なんです。それは分かっておいた方がいいです。ある分野の能力がどんなに高くても関係ありません。会社が育てたいのはあくまでジェネラリストなのですから。

取るべき道は2つ。1つは、(大企業の)サラリーマンの安定性を捨てたくないのなら、サラリーマンとしての職務を全うしつつ、それ以外の好きな事を”もう1つ”持ち続けること、です。学生時代に、例えばスポーツとか、何でもいいですけど、ある程度真剣にやった経験があって、普通の人とは明らかに違う能力を何かお持ちの方は、たとえ現時点での職業には関係なくても、一生涯続けることをおススメします。それがあるだけでも大変なストレス解消ツールになりますし、いつ何時、自分の身を助けてくれないとも限りません。たとえその道のプロにはなれなくても、いざという時に関連した仕事に付ける可能性は残ります。若い頃に真剣に打ち込んだものを完全に捨ててしまうのは非常にもったいないことです。

もう1つは、日本のサラリーマンにはならないこと、です。前回言ったような、日本とは事情が違う海外に飛び出してみるとか、個人事業主になるとか、大学に残るとか(今はポストがありませんが)、そういう道。かなり厳しい道ですが、一度きりの人生、どうしても一本足打法で100%の満足を得たい、興味の無いことは絶対にやりたくない、というのであれば、そうするしかありません。要するに”ハイリスク・ハイリターン”を狙う道ですね。資格職はリスクは少ないからいいと思うかも知れませんが、例えば医者なんか、相当なグロ耐性が無いと勤まりませんよ。”適正”が要求されるからこその資格職なのです。私も弁護士になろうかと思った時期もありましたが、「他人の揉め事に首を突っ込んでも楽しいわけがない」と思ってやめました。

まあ、後者はかなりの覚悟がいるので、現実的にはサラリーマンをやりながら本職以外の何かを追求する”二本足打法”がいいのかなと思います。私自身は、今のサラリーマン人生が終わる時にプロとしてやれるだけの力をつけて置こうと思って、英語をやっています。もちろん、そうするとは決めてません。単なる保険としての準備ですが、人生の保険になるような専門技術が現在の職業とは別にあるとなれば、精神的にも物凄くラクだと思うんです。資産運用と同じで、自分の能力もある程度”分散投資”しておいた方が安全です。

”その道一筋”も美しいことではありますが、どんなに極めた所で、あなたの代わりなど他にいくらでも居るのですよ。

若者よ!海外に出ろ

2016年06月16日 00時21分45秒 | 日記
40過ぎの年齢になった今の私が、若いときに「これをやっておけばよかった」と一番後悔していることは、海外に出なかったということです。ま、今から日本を捨ててもいいんですけどね。

別に英語云々ではありません。私が特に理系だから思うのかも知れませんが、何かの真のプロフェッショナルになりたいのなら、ずっと日本に居たのではだめだということが、この歳になってようやく実感として分かったのです。

まあ、今の日本を見ていると本当に腐りきっているとしか言い様がないわけですが、日本の世の中の仕組みがいかにダメダメかなんてことは、社会に出たことがない学生さんには分からないので、若い人が海外志向にならないのは当然だと思います。わざわざ好き好んで住み慣れた国を離れたいなんて、普通は思わないでしょう。ま、学生さんが日本の世の中のクソっぷりを最初に味わうのが”就活”でしょうけど。”こんな事やってて日本の会社大丈夫か?”って思うでしょう?


本当にダメなんですよ、この国は。政治家・公務員の体たらくはメディアが報じている通りだし、大学のレベルは低いし、大企業はイノベーションの欠片も生み出せない。街を歩いていても本当にバカだらけ。日本人の民度ってここまで低かったっけ?と驚かされるような出来事が、特に今週は沢山ありました。若者だけではなく、増殖中の高齢者のマナーもなっていません。

日本がモノづくり大国というのも真っ赤な嘘で、ちまちましたハードをバカ丁寧に作る能力がちょっとばかし優れていたから高品質とかいってもてはやされていただけ。ソフトやシステム系は全然だめですからね。今の時代はまだ過去の貯金があるでしょうが、あっと言う間に貯金も尽きてしまうことでしょう。後進国や超格差社会のアメリカにくらべれば公共福祉的なものはまともですが、それもいつまで持つか分かったものではありません。特に若い人にとってはこれからは受難の時代でしょう。

で、トドメじゃありませんが、英語がダメと来る。もう何も誇れるもの無いですよ、この国。少なくとも今後いい方向に向かうことは絶対にないと思います。

いい大学を出てドメスティックなエリートになっても、国自体が沈んでしまったんじゃ、どうしようもないし、今後は好むと好まざるとに関わらず、海外の優秀な人達と競争していかなければいけないんです。日本に留学に来ている海外のエリートは、英語、日本語、母国語、の三カ国語を喋るのが普通ですよね。日本という国に閉じこもって、しょーもない事ばっかりやってて、彼らとの競争に勝っていける自信がありますか?

若者よ!特に理系の諸君!何かの道を極めたいなら一度は海外(欧米)に出て勉強した方が絶対にいいですよ。学費は高いですが、短期留学なら何とかなるでしょう。