英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

貴方に合った学習方法は貴方にしか分からない

2014年12月31日 12時40分26秒 | 英語
皆さんにとって今年はどのような年でしたでしょうか?今年最後の記事は少々辛口も交えて、ピシッと締めたいと思います。

曲りなりにも20年ほど英語の勉強をしてきて、実力のほどはまだまだにせよ、自分なりに創意工夫を凝らしてやってきたという自負はあります。英語学習において私が自慢できる点があるとすれば、具体的な勉強方法を探る上でほとんど誰の助けも借りていないという点です。人からあーしろ、こーしろ、と言われるのが嫌いというのもあるんですが。

昨今の、特に若い方々に対しては、ひょっとするとこれは受けが悪いかもしれません。受験対策や資格取得のための学習教材やシステムがこれほど充実している今の時代において”人に頼らないなんて効率悪すぎ”、と思われる方も多いと思います(まあ、人が書いた本を使っているという点では人に頼ってはいるのですが、それは置いといて)。

しかし、私は、多くの方々が抱くであろう上記のような考え方こそが、上達を妨げている最大の要因ではないかと思っています。これは本当に、今思いつきで書いているのではなくて、日頃から常々感じている事です。”教材は何を使いましたか?”、”いい英会話学校はないですか?”、”TOEICで点数を上げるにはどうすればいいですか?”、身の回りの人達の反応やネットの中の会話を見ても、そんなのばっかり。

英語の実力云々以前に、学ぶという事に対する主体性・攻撃性がこれほどまでに弱体化しているのかと驚かされるばかりです。別の言い方をすれば、人から与えられる事に慣れ過ぎている。もっと言わせてもらえれば、上達のための絶対確実な方法があってそれをやりさえすればいいのだという”ファンタジー”を信じ込んでいる。なーんにも考えてないんだなと思います。なーんにも考えていないという事は、結局は上達したいと真剣には悩んでいないという事ですし、逆に、真剣に悩んでいるにも関わらずそのような反応しかできないというのであれば、それはもう”圧倒的に知性が足りない”と言わざるを得ないですね。

まあ、大学受験みたいな、方法論が確立されている分野はいいんですよ。そういう分野では確かに、我流に走って回り道するより、お金払っていい塾なり通信添削なりをやった方が確実でしょう。お金で解決すればいい。でも、そういうのは大学受験レベルで終わりなんです。特に語学のような世界では、絶対確実な方法論なんて確立されてません(万人向けの、劇薬ではない方法論という意味です)。百歩譲ってTOEICのような”定型的な試験”の対策は確立されつつあるかも知れませんが、あの程度の試験のために高いお金を払って習い事するのも何だかなぁと私なんかは思います(お金が有り余っている方はご自由に)。

レベルが超低いうちはまだいいかもしれません。確かに、超レベルが低い人が最低限やらないと話にならない事というのは誰がどう考えても同じでしょうし、超レベルの低い人が我流でやってもとんでもない回り道をする確率が高いでしょうから、人から教わる方が早いかもしれません。しかし、TOEICなんかでも800点付近になってからさらに上を目指したいというような場合、貴方に足りない能力は何で、その能力を磨くための最良の方法は何なのか、それは人それぞれ違ってくるはずです。これまでの英語学習の中でどのような英語脳が形成されていて、どのような英語脳が足りないのか、それは本来自分自身にしか分からない事だし、そこまで懇切丁寧に見てくれるような”習い事の場”はなかなか無いと思います(あるにはあるかもしれませんが、かなりのお金が発生するでしょうね)。今の世の中、TOEIC 900点くらいまではサポートしてくれるシステムはあるかもしれません。しかし、そんな”人に頼ることばかり”考えている人は、いずれ頭打ち、the endです。最も効率の良いやり方は、いずれは自分自身で考えざるを得なくなるのです。

そもそも、英語にせよ何にせよ本当に楽しいのは、単に結果を出すことではなくて、そのための方法論をあーでもない、こーでもないと考えることではないでしょうか。それこそが学ぶということの最大の醍醐味だと、私は思います。自分自身でコーデイネートした勉強方法がたまにドンピシャとはまるから、やめられないのです。ここに喜びを見出そうとする人が非常に少ない。ちっともはまらないよ、という人もいるかもしれませんが、そんな事でくじけてしまうようでは、せいぜいその程度の情熱だということで、本当の英語好きとは言えません。単に結果を追い求めているだけの人です。本当に好きでやってない人ほど、変な効率主義の幻想に囚われやすくなる傾向はあると思います(レベルが上がるほど、そんなに効率のいい方法なんかないって。できる人はみんな、人知れず恐ろしい努力をしているんです)。

ただ、勘違いしてほしくないのですが、私は”既存のシステムを一切利用するな”なんて事は一言も言ってませんから。色んなものを利用するのはいいし当然必要だけど、何をどう組み合わせるかのコーディネートの最適化は自分じゃないとできないよ、という事です。

少々辛口で申し訳ないですが、本当に、何も考えていない人が多くて嫌になるんです。本気で悩んで本気で打開策を見出す姿勢を貫く限り、必ず可能性は開けます。ネイティブレベルは厳しいと思いますが、TOEIC 900とか950とか、その程度なら本気でやれば誰でも到達できるはずです。”本気”の意味はもう言わなくても分かりますね。

ま、”下手な考え休むに似たり”という言葉もありますけどね(笑)。だから私は20年もかかってるのかなー。最後に弱気になってるって!?冗談ですよ。最後までクソまじめトーンもしんどいでしょ。私のブログの内容を疑ってかかれるようになれば、貴方も見どころがあるということです。

よいお年を。

英文法は出来の悪い地図

2014年12月28日 22時31分49秒 | 英語
前回、英文法の全てを理解しようとしても無駄だしそもそも無理だ、と言いました。英文を作るときに首尾一貫して例外なく適用される”真に揺るぎない絶対的なルール”なんて実はそんなに多くははなくて、その他の多くのルールは”例外だらけ”ですよね。

少なからず”例外”があるものを”ルール”とか”法”などと呼んでいいのでしょうか?呼べないですよね。じゃあ、英文法が提供している”一見ルールのようなもの”は、一体何なのでしょうか?

表題では”地図”という品のいい言葉を使わせてもらいましたが、もう少し本質に迫った言い方をすると、私は英文法というのは”出会い系”のようなものだと捉えるのが一番適切ではないかと思っています(”出会い系”は使ったことないですよ)。

つまり、”あなた方がこれから出会うことになる英文のパターンは大体これくらいあるんですよ”ということを大雑把に提示してくれているもの。だから地図とか出会い系、なんです。

ネイティブスピーカーは実際の人生の中で一つ一つの表現に出会いながらそれらを身に付けていくわけですから、当然そのような地図は不要です。彼らには英語に対してそのような”帰納的な”アプローチが取れるだけの十分な時間と機会があります。しかし、我々ノンネイティブにはそんな時間も機会もありません。だとすると、英語に対しては”演繹的な”アプローチを取らざるを得ないわけで、英文法というものは、英語に対するアプローチをこのように帰納的なものから演繹的なものに無理矢理変えるためのもの、と捉えることもできます。

ここで重要なのが、地図であれ出会い系であれ演繹であれ、英文法はあくまでこれらの目的のために編み出された一種の”ファンタジー”であって、決して”英語そのもの”ではないということです。もう一度いいます。英文法は”英語”ではないんです!

そう考えると、英文法そのものを金科玉条のごとく扱ったり、全部完全に理解しようとしたり、あるいは、理解できないからと言って自分の頭が悪いなどと嘆いたりするのは非常に愚かだという事はすぐに納得頂けると思います。所詮は不完全なファンタジーでありデフォルメなんだから、例外や不備、よく分からない点があるのは当たり前なのです。英文法自体に”論理的整合性”などないのです。それを追求しようとする行為も所詮はファンタジーです(少なくとも素人レベルでは)。

英文法との付き合い方については、英文法に出てくる項目どうしの”横のつながり”の論理的整合性を見出すことにあまりパワーを裂くべきではありません。1つ1つの項目は断片的に捉えてしまってもさして問題はないと思います。そんな事よりも、同じ構文でも、英文法のファンタジーの世界の中で使われるクソみたいに簡単な(品がなくてすいません)英文と、実用レベルのある程度込み入った英文とのギャップを埋めることにパワーを裂くべきです。過去の記事にちょっと書いていますが、英文法の授業で出てくるような" She is as old as I."みたいな超簡単な英文を覚えたからと言って、実用レベルの英文に出てくる同じas as 構文の英文を縦横無尽に追えるわけではないのです。英文法が教えてくれるのは、”大体こんな形をした、as as構文というのがあるよ。簡単な例だけ示しておくよ”というindex情報だけです。

地図をみるだけでは現場の空気は分かりません。現場の事は現場に行かないと分からないのです。地図に詳しくなろうとしたり、地図を暗記しようとしても、そんな事には大した意味はないでしょう。地図は、道を下調べするときか、道に迷った時に参考になればいい、その程度のものです。本当に格闘しなければいけないのは地図ではなくて現場の道、つまり英語そのものです。

やはりここでも、”英語そのものを見ろ”という、いつもの主張に落ち着くわけです。


英文法は分からなくて当然

2014年12月27日 21時28分28秒 | 英語
今日は、最近の記事でまだ書いていない”英文法”の話をしたいと思います。ちょっと刺激的な(!?)タイトルですが。

日本で普通に教育を受けてきた人は、少なくとも一度は英文法というものをやらされた経験があるはずです。最近では小学校でもやっているのかどうか知りませんが、一方ではコミュニケーション中心主義の裏返しとして古典的な文法学習に対する風当たりが強くなり、昔のような本格的な文法の授業はあまりなされていないとも聞きます。私は教育関係者ではありませんし子供もいないので正確には知りませんが。

で、学生時代に英語嫌いになる人について、ほとんどのケースでこの”文法”に対する嫌悪感が原因になっていると聞きます。私自身、回りの同級生を見ていても確かにそんな感じでした。彼らはとにかく”分からない”と言っていました。

中学・高校当時、いわゆる優等生として過ごしていた私には、彼らの言葉が理解できませんでした。私自身、英文法の授業で教わる内容を分からないと思った事は一度もありませんでしたから。”お前らの勉強が足りねーんだよ”と思っていました。しかし、今の私ならこう思います。”英文法が分からないとはっきり言える人はそこそこまともな頭の持ち主である”と。

私が今のように実用英語の勉強をするようになったのが20台半ばの頃ですが、当時改めて英文法を勉強し直そうとした時、初めて”分からない”と感じました。思い出すのが大変だったのではなく、理解できなかったのです。理系の院卒ですから、大学時代もずっと勉強していたので頭が錆びついていたわけではなかった筈ですし(文系でも勉強する人はするでしょうけど)、それなりに英語にも触れていました(文献読むから)。高校を卒業してから社会人になるまでの間もずっと頭を使っていたにも関わらず、もう一度英文法をしっかり復習しようと思った時、初めて”分からない”という感覚に襲われたのです。

この理由は今なら分かります。大学時代にとことん理系的思考力を鍛えられ、さらに、成人してオツムも幾ばくか大人になっていた私は、高校時代の私よりも論理的思考力では遥かに上を行くようになっていて、だからこそ、説明が必ずしも理路整然としていない”英文法”の世界が受け入れられなかったのです。高校時代の私は先生に教わるがままに、説明を受けた所だけそのまま暗記して、テストに出るところだけ正解して、それで分かったような気になっていた、”ウブな少年”(笑)だったのです。

そう思うと、高校時代に”英文法が分からない”と言っていた友人たちの頭って、結構まともだったんじゃないかと考えさせられてしまうのです。はっきりいって、高校時代の英文法のあの授業で本当に理解できるはずがないし(ちょっと失礼かもしれませんが)、もっと言うなら、英文法そのものが本当に論理的に完結した体系にはなっていない、それ自体が”総合理解不能な物”のように思えてなりません。そもそも言葉を完全に説明できる理論を構築するなんて不可能でしょうし、だからこそ”文法学者”がその改良を職業としてご飯を食べていけるのです。

もう少し細かく言うと、高校レベルではきちんと説明されていない・説明できないけれども大学以上の学問レベルではきちんと説明できる部分と(数学とか物理ではこういう部分があるのは皆さん御存じでしょうけど、実は英文法もそうなのです)、学問レベルであったとしてもトータルな説明ができる理論が確立されていない部分とがあるのですが(私も専門家じゃありませんが)、いずれにせよ、高校生や大衆向けレベルの英文法講義に対して、完全理解を目指して真向から立ち向かっても無駄なような気がします。

かといって、私は英文法不要論者ではありません。高校レベルでも大衆向けレベルでも、英文法は必要なものだという立場です。論理的思考能力が強すぎて”分からない”と言える人は格好いいですが、全く勉強せずに”分からない”と言う人は単なる怠け者だと思います。

理解困難な代物なのに必要だとか、こんな事言われてもよく分からないと思います。結局、実用英語をやる立場としては、英文法という代物をどのように考え、どのようにアプローチしていけば良いのか。長くなるので、次回の記事でこの辺の私見を述べたいと思います。













教材を絞って英語体力の強化を

2014年12月24日 22時30分02秒 | 英語
おそらくwifiの速度制限を食らったのでしょう。100Kbpsという素晴らしいネット環境で記事を書いています。まあテキストファイルの編集くらいなら問題ありませんが、動画が全然みれません。光回線も持ってますけど、そっちにつないでるPCは古くて。

で、本題。前回に引き続き”焦るな”という話です。早く力をつけたいと焦る人にありがちなのが、あれもこれもと沢山の教材に手を広げることです。もちろん語学は”量が勝負”ではあるのですが、特に初心者のうちは”教材の量”ではなく、まずは各教材の習熟度を高めるための練習量を増やす方に主眼を置いた方がいいと思います。焦るあまりに手を広げすぎると却って遠回りになります。

こういう言い方をすると”少ない教材を繰り返せ”というありがちな話だと思われるでしょうが、ただ漫然と繰り返すのではなく、表題に書いたような”体力強化”を意識してやってほしいのです。

初心者が中級者や上級者に比べて一番劣っている点は、英文を追いかける際の正しい頭の働かせ方が身に付いていないことです。ここをキチンと作り上げることを”体力強化”と表現しています。

正しい頭の働かせ方って何?と思うでしょうから、もう少し具体的に説明しましょう。TOEICのリーティングのような、ある程度まとまった量の英文を読むところを想像して下さい。初心者の場合、結構時間がかかるのではないですか?いや、それ以前に、英語の塊を目の前にして”これを読むのか、面倒だなー”とまずは英語を読むための決心が必要でしょう。で、恐る恐る読み始めて、知らない単語が出て来たら”えーっと、これなんて意味だったっけ?”などとつぶやきながら、そうこうするうちに文の構造も追いきれなくなって、何が主語でどれが述語動詞で、どの語がどの語を修飾しているのか、もう全然分からなくなってきて、、で、もう一回読みなおす。

こういうたどたどしい読み方で何とか読みきって、問題を解いて、次の教材に行く。。。こういう事を繰り返しても、無駄とは言いませんがなかなか力はつきません。なぜか?正しい頭の働かせ方を経験していないからです。初心者だから、最初に英文を見たときはたどたどしい読み方になるのは仕方ないです。しかし、何とか読み切ったら、今度はその英文を、最後には日本語と同じくらいの速度で、一切返り読みをせずに読んで、すんなりと意味をつかみ取る、それができるようになるまで訓練するのです。そのためには、その英文に出て来た語彙はもちろん、全ての文法事項や構文を調べ、理解し、そして、それらを正しい速度で処理できるように追いかける練習をする必要があります。そして、そうやってそれなりの速度で頭から正しく順番にその英文を追っているときに、自分の頭がどのように回転してそれぞれの文法事項や構文を処理しているか、そこをしっかりと意識してその感覚を体得していく、これが正しい頭の働かせ方を経験するということであり、英語体力を磨くということなのです。

to不定詞や動名詞を追うときの感覚、that節を追うときの感覚、関係代名詞、分詞構文、so-that構文、仮定法、現在完了形、倒置、比較、主語と述語動詞が極端に離れている文、などなど、、、これらを処理するときのあるべき頭の動きを意識しながら、納得して体に叩き込んでいくのです。文法書を読んで知識を仕入れるだけではなくて、ちょっと入り組んだ文章の中でもこれらの項目をスラスラーっと処理できる頭を、少ない英文でいいからそれらを土台に作りあげていくのです。

こういう事をやらずに漫然と沢山の英文を”乱読”したところで、英語脳はなかなか育たないでしょう。TOEICのReading Sectionを題材にするなら、公式問題集とか模試とか、そういう奴を数冊でいいんです。数冊やったら、上に書いたような、しょっちゅう出てくる代表的な文法事項とか構文なんてほとんど全部出てきます。その数冊を使ってそれらを正しく速く処理するための頭の回し方を覚えてしまえばいいんです。

出会った英文のバラエティをひたすら増やしていく営みはその後でいいんです。だから、最初からそういう焦り方をする必要はないということです(単文集を使った語彙の増強は同時にやることをおすすめしますが)。沢山問題解いたって、力はつきませんよ。






焦りは禁物

2014年12月23日 22時13分25秒 | 英語
990点向けて頑張りますとか(これは本気です)、満点じゃないと意味ないとか過激な物言いをしてますけど、これはあくまで自分自身への叱咤激励であって、初級・中級の方のやる気を削ぐようなつもりは毛頭ありませんので。萎えないで下さいね。まあただ、この程度の物言いを目にしたくらいでやる気を失ってしまう程度のメンタリティではダメだとは思いますけどね。「俺もやるぞ!」と思える人の方がやっぱり強い。

で、今回の趣旨ですが、前回は決意表明もあって少々ヒートアップしたトーンになったのですが、冷静さを失ってもよろしくないので、表題のような事を話したいと思います。

簡単に達成できるような事は別として、外国語学習のような、どうやったってある程度の長い時間と多くの練習量が必要になるものの場合、順調な進歩を妨げる最大の要因は

焦り

だと思います。私も非常に気が短い人間なので、一刻も早く結果を出したいという気持ちはよーく分かります。でも、この焦りこそが、”やっぱり俺には無理だ”という、本来は不要な超近視眼的な諦め感を誘発してしまい、その結果、”すぐに投げ出してしまう”ことになるのです。焦りさえなければ、少々の間は目に見える結果が出なくても、やるべきことをきちんと続けていけるし、そうしていれば結果は出始めるのです。

では、どうして焦るのか?気が長い/短いという性格の問題もありますが、もう一つの要因として、

結果だけがほしいのか、本当に好きでやっているのか

という違いがあると思います。英語を単に入試や昇進のための道具、ええ格好するためのステータスシンボルのようにとらえ、とにかく”結果だけにしか興味がない”人。そりゃ焦るでしょう。彼らにとって英語そのものはどうでもよくて、結果だけが問題なんですから。こういう人間、たくさんいますよ。

こういう人はそれはそれで結構ですが、私が個人的に応援したいタイプの人ではありませんので、ご自由にって感じです。私が個人的に応援したいのは、英語そのものを面白いと思ってやる人です(”同志”と呼びたい)。で、そういう人には、その”面白い”という感覚だけを大事にして続けてほしいです。それができれば、無用な焦りに振り回されることなく、結果が少々出なくてもやっていける。というか「お前はバカだからもう止めろ」と言われてもやり続けるでしょう。本当に面白い事を止められるはずがありませんから。そして、そうこうしているうちに結果が出てくるのです。

英語が”面白い”と思えているうちは大丈夫。どうか、他人と自分を比較してその一番大事な感覚を失うことだけは無いようにして下さい。

焦るなということに関して、もう一つお話ししたいことがあるのですが、長くなるので次回にします。