英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

夏も終わり

2011年09月23日 22時37分29秒 | 日記
色々とややこしかった2011年の夏も、そろそろ終わろうとしています。台風一過もあってか、夜はめっきり涼しくなりました。ちょっと肌寒いくらいのこれからの季節が私にとっては一番快適です。夜布団に入ると虫の大合唱も聞こえてきて、心が落ち着きます。

ややこしかったと言ったのは無論、電力関連です。身の回りでも会社の休みがシフトしたり、各所で節電節電と言われたり、色々ありました。自分自身は暑いのは大の苦手なので、申し訳ないけど個人レベルではあまり節電は考えませんでしたが。まあ大停電とか、懸念されていた大きなトラブルは無かったようで、なによりですが。

で、結局は”原発ってどうよ?”ということを嫌でも考えさせられる羽目になってしまったのですが、まさかまさか、今の時点で福一の原発問題がまだ解決していないなんて、地震と原発事故発生当初にはまったく想像もできませんでした。

論理的に突き詰めていったときに、原発が是なのか非になるのかについては、無知な私には分からないです。というか、総合的に判断できる情報を持ってるのはごく一部の人に限られているでしょう。原発を全部なくしたら発電能力は何%になるのか、色々言われてはいますが、本当に本当の所は一般人には多分わからない。コスト面についてもそうでしょう。さらに悲しいことに、そういう情報を握っている人達が本当に真剣に、科学的に議論をしようという風潮もない。

ただ1つ、我々一般庶民からみて確実に言えることは、少なくともこの日本という国は、いざという時に原発を完全に安全下に置くようにコントロールする技術や体制を持ってはいない、ということです。さらに言えば、その”いざ”が起こらないように人知の及ぶ範囲で万全の対策が施されているわけでもない、ということも露呈してしまいました。福一の事故を未だに収束できない事実が、何よりもそれを物語っています。

でもこれ、私は原発の専門家ではありませんが、理系人間的な感覚から言わせてもらうと、事前に100%万全の対策を施すことも、事故ったときに確実にコントロールするということも、本当はできるわけないのです。これは原発に限らず、人工的なシステム全てに言えることです。所詮は人が作ったものに、100%なんてないのです。物を作る理系人間だからこそ、人間が作る物の”危うさ”みたいな物は薄々わかっている。物を作って運用する限りにおいては、ほんの僅かな可能性かもしれないけど、不測の事態が生じることは予め織り込み済みにするしかないのです。100%絶対に落ちない飛行機なんて、できっこないでしょう?

こういう視点で考えると、原発というシステムについては、「撤退すべき」としか言いようが無いと個人的には思います。”いざ”という時の被害の大きさ、収束に持って行くための難しさが桁はずれで、地球レベル、人類レベルでの取り返しのつかない被害をおよぼす可能性もある以上、”不測の事態を織り込み済み”にするわけにはいかないシロモノだからです。地球レベルの破壊をもたらす可能性のあるシステム災害を100%予防するには、そのシステムを無くす以外に方法はないのですから。その100%を100%にするのか99%で諦めるのか、なんて議論はナンセンスでしょう。


歴男?!

2011年09月23日 00時02分00秒 | 日記
先月、第二次大戦付近の昭和史を勉強し直したという話をしましたが、それが契機となって、最近日本史の勉強にちょっとハマっています。改めて勉強してみると面白いです。高校の時も日本史は好きで試験はいつもトップでしたが(はい、自慢です)、そんな私でも大人になってからは理系の世界で生きてきたこともあり、今ではすっかり忘却の彼方。

ちゃんと原始から勉強を始めて、室町幕府成立の所まで来ました。まあ大学受験レベルというのがちょっと悲しくはありますが、それ以上上のレベルは理解できるわけがないので、受験生用の参考書をパラパラとめくって読んでいます。普段コンピュータばっかりいじってるので、こういうのは頭が休まるのです。

歴史学そのものも時代とともに進歩しているようで、我々が高校生だった頃とは年号や用語が変わっているものもあります。一例をあげると、

・蘇我入鹿が暗殺された645年のクーデターは、今では大化の改新ではなく乙己(いっし)の変という。今では、大化の改新という用語はその前後の一連の刷新政治を差す。

・日本最古の貨幣は「和同開珎」ではなく「富本銭」。

・鎌倉幕府の成立は、今では1192年ではなく、頼朝が守護/地頭を設置して実質的な統治機構を確立した1185年とする説が主流。

などなど。今の学生さんにとっては当たり前なんでしょうけど。ちなみに、さすがにまだ「謎の4世紀」は解明されていないようです。

まあ、原始とか古代・中世を勉強しても、勉強のための勉強にしかならないと言ってしまえばそれまでで、現代日本を理解するには速く近現代まで行きたいところ。

もう試験で追いまくられることもないし、当然必要もないのでいちいち用語や年号を覚えるなんてことはしません。”流れ”を理解するようにしています。しかしまあ、改めて高校生用の参考書をながめてみると、まさに”暗記地獄”ですね。オジサンになってしまった今の私の暗記力では全部覚えるなんて、到底無理。でも、受験生の時は共通一次(古っ)でしか必要ない科目なのに、全部覚えていましたね。大したもんだ。

でも、思い返してみればあの頃は、”理解を伴った”記憶はあまりできていなかったように思う。年号や用語をなんとなく暗記していただけ。まあ、上位大学は狙っていましたが理系志望だったので社会科にそこまで意欲はなかったんですけど。やっぱり上位の国立大学は、暗記だけでは対応できないような問題を課していますね。私立はまた、完全にベクトルが違うようですが。

まあ社会に限らずどの教科でも、上に行きたいと思えば”本当の理解”が求められるわけで。私は文系専門ではありませんが、受験の社会に関しては、年号や用語に線を引くよりはむしろ、それに付随する”解説部分”を意識して覚えるのがコツでしょうね。”守護/地頭”という言葉だけを覚えるんじゃなくて、”守護/地頭を置くことによって全国に対して目を光らせることができるようになった”、”でも京都の公家政権もちゃんと機能していたので、公武二元支配の世の中になっていった”、というようなことを理解しないといけない。歴史を勉強するということは、本当はそういう事です。そういう理解の仕方は精神年齢の高い大人の方が得意なはずで、上位大学もそういう人を求めている、ということです。てか、丸暗記はつまらないし。


タクシー

2011年09月18日 19時26分58秒 | 日記
最近忙しく、駅から自宅まで少々遠いことや節電モードで電車の本数が一時期減っていたこともあって、疲れている時はよくタクシーを使います(贅沢?)。

で、「xxxまでお願いします」と行き先を告げると、かなりの率で、「xxxの道を通りますか?それとも○○通りにしますか?」というような事を聞かれ、「左に折れるのはこの交差点でいいですか?」などと、非常に事細かくルートを確認されることもしばしば。聞くところによると、自分の思い通りのルートで行かなかった場合に怒り出す客が結構居るそうで、慎重に客の意向を確認しているのだとか。

日本人の質って、そこまで劣化してしまったのでしょうか?道が一本しかないような田舎じゃないんだから何通りものルートがあるのは当たり前で、希望のルートがあるのならあらかじめ伝えておくのは客側の責任。それをせずにブツブツ文句いってる奴等って、何なんだろう?大体、お前らが思っているルートが必ずしも最適とは限らないし、運転手だってどんな場合にでも上手いこと最短経路を選べるはずもないでしょう。海外の運ちゃんみたいにわざと極端に遠回りするようなことも、この国ではないだろうに。せいぜい数百円くらいの違いでゴチャゴチャ言うのなら、自分で道案内しろっての。

私は「まあ、いつもはxxxの道を使ってますけど、別にうるさいことは言いませんよ」と言います。そう言ってあげることで、室内の空気は一気になごみ、向こうも安心してくるので、会話が楽しく弾んだりするのです。タクシーの運転手さんは年配の方も多いので、色々なエピソードが聞けて、話が面白い。仲良くした方がずっと得なのです。

タクシーの中くらい、リラックスした楽しい空間にすればいいのに。


トップに立つ者

2011年09月15日 00時38分49秒 | 日記
大企業や組織、いわんや一国のトップに立つような人は、”サイボーグ”でなければならない。私はそう思います。

心労でダウンしたり病院に雲隠れしたり居なくなったりなんて、あり得ないでしょう。どんな辛い状況におかれても絶対に潰れない肉体的・精神的強さ、誰よりも優秀な能力、そして、必要な時には自分に対しても他人に対しても限りなく冷酷になれる非情さ・覚悟、そういう全てを兼ね備えたパーフェクトな人間だけが、大きな組織のトップに君臨する資格があるのです。

いや、むしろ”人間らしさ”みたいな要素は害になるとすら、私は思います。”心”のある人はいざという時、心を病んでしまう弱さもありますから。人の心すら持たないというタイプだからこそ、精神的に潰れることがないのです。そういう”サイボーグ”でないと、偉くなる資格なんてない。トップは絶対に潰れちゃいけないんですから。偉い人には、せめて在任期間中は人間忘れて頂きたい。あと、責任とるべき時はちゃんと責任をとるという、自分に対する厳しさもなきゃ困りますけど。

まあ、一歩間違えると独裁者ですけど、それくらい強い人じゃないとねぇ。


プレゼン技術って?

2011年09月12日 23時30分46秒 | 日記
皆さんはプレゼンは得意ですか?私は、特に苦手というわけではありませんが、あまり得意でもありません。

別に人前で緊張してアガル訳じゃないし、文章かくのは得意な方だと思うし、言語能力は総合的に、ある方だと自負しています。でも、あらゆる言語活動の中で、プレゼンだけはなかなか思うようにはいかないですね。流暢に喋れず、言葉に詰まってしまうことが多いんです。

何故なのでしょう?ちょっと象徴的な言い方をすれば「真面目すぎる」からだと思います。内容を論理的に、細かい所まで全部正確に説明しようとすればするほど、言葉を選ぶ際の難易度は当然あがります。要するに、細かい所まで全部きちんと説明して、かつ、話の流れもなめらかに耳障りのよい喋りをする、なんてことは、よほど上手い人じゃない限り無理なんです。簡単な話ならともかく、私のような技術屋は話しの内容そのものが複雑なことが多いので、細部に渡る緻密な説明と、よどみない喋りを両立するなんてのは、非常に高度な要求になってしまうのです。

取るべき道は3つ。1つは、パワポなりの資料を、話すまんまに作ってしまう。喋るときには読みさえすれば良いように資料を作ってしまうという方法。でもこれをやると、資料の分量や1ページあたりの文字数が増えてしまいます。

2つめ。細部の細かい所までイチイチ完璧に説明しようとしないこと。これをやると迷い道に入ってしまうし、時間オーバーもし易くなる。大雑把に話して、細かい所は後で聞いてくれ、くらいの割り切った喋り方をする。

3つめ。細かい内容まで正確に伝えることを優先したいのなら、よどみなく喋ることは潔く諦める。これも1つの手でしょう。中身オンリーで勝負するのです。本当にすばらしい内容があるのなら、これでもいいと思います。

私の場合は、真面目すぎる性格が災いして2ができないんです。プレゼンが(一見)上手な人の喋りをよーく聞いていると、中身の説明を結構はしょっています。もっと言えば、論理的によくよく突き詰めて考えると実は何を言っているのか良くわからない、ということすら多いです。でも、よどみなくスラスラと喋っているので、プレゼン自体は非常に上手に聞こえる。まあ、本当にこれでいいのかどうかは別として、偉い人のプレゼンほど、こういう形のものが多いような気がします。昔いましたね、「言語明瞭・意味不明」って言われた人。意味不明まで行っちゃいけませんが、全部きちんと説明する必要もないのです。そこを割り切っているからこそ、うまく喋れる(喋っているように聞こえる)んでしょう。

1のタイプは資料を見るだけで後で復習できるので非常にありがたいと思うのですが、外資系企業などの対外的な資料(たとえば技術セミナーなんかでくれるような資料)は、1とは間逆で、字がほとんど無いですよね。喋りでほぼ全てを補っている。プレゼンとしては上手いなぁと思うけれど、あとで復習できないんです、あれ。欧米は目と目を合わせて「会話する」文化で、1枚1枚の資料の情報量も減らす代わりにリアルタイムに会話的に理解させるやり方をとるからそうなるのでしょうけど、後で忘れちゃうともう取り返しがつかないんです。

私自身、プレゼンというのは本当は3であるべきだと思うのです。複雑な話を突っ込んで議論したいときは、やっぱり緻密な資料を作って、口下手でもいいから思いのたけを話してほしい。当然時間もたっぷり取ってほしい。こっちも一生懸命聞くから。時間短縮のために、分かったような分からないような中途半端にデフォルメされたプレゼンをみせられても、肝心要の所が結局よく分からず、不完全燃焼な気分になってしまうことが多いです。

まあでも、プレゼン技術はあるに越したことないけど、やっぱり中身ですよ。猛烈に心引きつけられるような中身のある発表、あんまり見かけませんねぇ。似たような話が非常に多くて。