英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

思い出した

2021年09月20日 17時34分18秒 | 日記
「親ガチャ」などというあまりに無気力な言葉を知ってしまった反動からか、ある意味対極(?)にあると言ってもいいような、以下の言葉を思い出しました。

暗いと不平を言うよりも すすんで灯りをつけましょう

かなり昔にラジオで聞いた記憶がある言葉で、またまた何十年ぶりかに記憶に蘇ってきたものなのですが、何だったかなーと思って調べたところ、

太陽のほほえみ

というカトリック系のラジオ番組の冒頭に出てくる言葉でした。そうだった!

夜明け前の早朝にやってた5分くらいの番組でした。おそらくいすゞ歌うヘッドライトを聞き終わった後に、一連の流れで耳にしていたのでしょう。この言葉の後に

ピッポッポー ピロピロピロ ピッポッポー♪

という何とも軽快な音楽が流れていたのが記憶に鮮明に残っています。で、その後に短いお話が1つ語られる、という番組でした。

色々調べてみると、この番組は「心のともしび」という同様のカトリック系番組の姉妹番組だそうで、心のともしび自体は1957年に始まって、何と今でもやっているようです。こちらのテーマ曲はベートーベンの「田園」なので、私が聞いていたのとは違いますね。私が聞いていたのは「太陽のほほえみ」の方だと思います(ちなみに、心のともしびはテレビでもやっていたそうですが、そちらは見たことがないですね)。なお、「太陽のほほえみ」は河内桃子さんという女優の方が朗読を担当されていたようで、1996年までやっていたようです。

この太陽のほほえみで流れていた曲は「Merriment」という曲で(Merryの名詞形ですね)、音楽制作会社に作らせたオリジナル曲だそうです。この曲とも34年ぶりに再会できました。一度聞くと絶対に忘れられないメロディーです(こんな曲があったことは忘れていましたが)。作った人はある意味、ベートーベンに匹敵する才能の持ち主かもしれない。物凄く耳に残る、心地いい音です。

これをリアルタイムで聞いていた(listenではなくhearですが)頃は”宗教の番組か”くらいにしか思っていませんでしたが、Youtubeで関連動画を見てみると結構ためになるお話しをされています。この歳になるとこういうのが心に響いてきますね。まあ、私はキリスト教徒ではないですけど。

ところで聖書って、読んで理解できるものなんですかね?英語学習の観点からもちょっと興味が出てきましたが、どうなんでしょうか。

親ガチャ

2021年09月18日 18時36分37秒 | 日記
どこの誰が考えた言葉なのか知らないですが、上手いこと言うもんだなぁと思います。

こんな言葉を思いつくセンス・頭がある人はこの世の中の競争を勝ち抜いていけるだけの素質は十分にあると思うので、どうか自信をもってもらいたいですね。間違いなく頭いいです。

で、言っていることの是非ですけど、まあそりゃ、理屈としては当然そういう要素はあるとしか言い様がないです。自明です。親以外にも、自分の選択や能力とは無関係に最初から決められてしまっている要素は沢山あります。というか、世の中のほぼ全ての事が、どちらかというとそっち寄りではないでしょうか?

どういう人間と知り合いになるか、どういう学校や職場に行き着くか、どういう師に出会うか、どういう人間と恋愛に落ち結婚するか、そして、逆に自分が親になるとき、どういう類の子供に恵まれるか(親だってアンタの事を良く思ってるとは限らないよ!「お互い様」という言葉にもっと目を向けましょうね)、、、自分の選択や能力とは無関係に神様によって決められてしまう要素の方が、むしろ圧倒的に多いと思います。別に、ガチャは親だけじゃないんです。

だから、この言葉に対する感想を端的に言わせていただくなら、

そんな事いちいち気にしてたらキリないよ

そして、
考えても仕方ないことを考えるのは無駄でしかないよ

ということになってしまいます。これしかないです。

残酷かもしれませんが、運命は受け入れるしかないと思います。自分の能力や選択・意思以外の部分で既に決まってしまった事については、

諦めるしかありません

ここまでキッパリ言ってもらえばむしろスッキリするでしょう。考えてもどうにもならん事にウジウジ悩んで、それで何か得られるものがあるのなら悩めばいいけど、何にも得られるものはないですよね。人生、諦めが肝心ということもあります。いつもの私らしくない物言いかもしれませんがこればっかりは事実だし、歳をとれば分かりますが、諦める能力を身につけた方が人生はラクです。”絶対に譲れないもの”だけこだわればいいんです。

あえて慰めっぽい事をいうなら、逆に、人生の全ての事が自分の能力・選択・意思・努力の量によって決まるのだとしたら、、、むしろそっちの方が遥かに恐ろしいし、生きていくのがキツクなると思いますけどね。人生の全てが

100%全部自分で撒いた種。自分の行いだけで全てが決まる

なんてのは、息が詰まってやってられません。時には努力しないで得られる”ラッキー”もあってほしいし、自分の行いだけでは決まらない要素が完全になくなってしまったら、面白い事なんて何一つなくなってしまいます。

「チッ、オレの親は外れだったなぁ」なんて愚痴が言えるほどに森羅万象がカオスだからこそ、生きていけるのですよ。


英検1級対策

2021年09月07日 19時50分19秒 | 英語
人の世話を焼いている暇などありません。英検1級、さっさと取ってしまいたいです。TOEIC 990は自然に達成できると思うのであまり深刻には考えてません。まずは英検1級(今試験やってるのかな!?リサーチ不足ですね)。こんな資格があった所で何の役に立つのか?という話もありますが、英語オタクを標榜する以上これくらい持っていないと恥です。

ま、エッセイと二次の即興スピーチ以外は自信があるので(みんな語彙問題が一番難しいって言うけど謎ですね。語彙問題なんてチョロイと思うのだが)、それに向けた勉強用に2冊ほど本を調達しました。

(1)英検1級 英作文問題(旺文社)
(2)英検1級 最短合格!英作文問題完全制覇(the japantimes出版)

(1)は古い形式用のものは持っていたのですが、2016年リニューアル後用の物は持っていなかったので購入。どちらも一次のエッセイ用のものですが、二次用の勉強にも使えると思います。

(1)は普通の模範解答集という感じなのですが、(2)は”コンテンツブロック”というのが載っていて、これが結構使えそうです。簡単に言うと、色々なトピックで使いまわせそうなパッセージ集。1つのパッセージが5行前後で、それが200個くらい載っています。

私的にはこの程度の日本語を英語に落とすのはそれほど苦労はないので、これらの英文を覚えるというよりは、

考え方・主張点の断片集

という風に捉えて目を通していこうかと思います。要するに”話題のネタ”を沢山持っておくということですね。もう少し言うと、どんなトピックにも肯定要素/否定要素があるわけで、それらをスラスラと引き出せるようにしておくための汎用的な思考部品集、という感じです。どんなトピックにでも応用できると思います。

試験を攻略するにはその試験で求められている”頭の働かせ方を身に着けろ”といつも偉そうに言っていますが、英検1級のエッセイとスピーチに関しては、トピックが与えられた時にこのような論点集をすばやく引き出せる頭を作っておくことが一番大事だと思います。前にも言いましたよね。当たり障りのない物言いを並べておけばいいんだから、それをすばやく思いつけるかどうかなんです。もちろん、それなりの英語力があることが前提ですが、それについては私はもうクリアしているので。

200個では少し心もとないので、自分でも色々作ってみて、まあ500個くらいストックしておけばいいかと思っています。英語を覚えるのではなく、”こういう事が言える”というネタ帳みたいな感じですね。お題になりそうなトピック例はネットに沢山転がっているので、それに対するprox/consの小ネタを考えて作っていけばいいんです。

英語の検定試験のエッセイとかスピーチなんてのは英語力だけの試験ではないので(英語力だけをモロに問う試験の方が遥かに厳しいものになると思うので、そういうのを避けてくれているのでしょう)、こういう準備は不可欠だと思います。邪道とかそういう事ではなく。仮にネイティブ並みの英語力があっても、何を話していいのか分からないという人は落ちると思うんです。そういう試験です。

英検1級も見えてきたかな。これと数学検定1級を合わせて、2、3年のうちに取りたいです。どちらも、できる奴は小学生でも持ってますけどねorz

思い出の英語本(高校時代編)

2021年09月04日 22時17分42秒 | 英語
抽象的な話が続いているので、もう少し具体的な話ができないかということで、私が今までの英語学習の中で使ってきて特に影響を受けた本、思い出に残っている本を紹介していこうと思います。高校時代編、TOEIC初心者時代編、TOEIC上級者時代編、の3回くらいの時期に分けて紹介します。何かの参考になれば。

もちろん今回紹介する物以外にも膨大な数の本をこなしていますし、今回書かなかった物の中にも印象に残っているものはあるのですが、全部は書ききれないので一部厳選です。なお、単語帳や文法書については昔の記事にも少し書きましたが、今回はそこに書かなかった物を載せていきます。いい年したオッサンが使っていた物なので絶版になっている本もあります。ご容赦下さい(なお、紹介する本は、絶版本でも中古品を手に入れるなどして全て現在所有しているものです)。

では、今回は、古くて参考にならないかも知れませんが、高校生の頃に使っていた物を紹介します。

(1)「英語構文80の演習」高梨健吉、美誠社

美誠社です。学校で副読本としてよく使われますよね。私も学校で配られたものを使っていました。当時の教師が月一くらいでテストを課してきたので使っていました。最近ネットを見ていてこの本の存在を思い出し、懐かしさのあまり購入してしまいました。もう絶版でしょうね。学校の先生が好きそうなお堅いノリの本ですが、いい本だと思います。いわゆる”構文”の教科書的な説明がさらっと書いてあって、練習用の英文が数題あるという構成。基礎中の基礎を整理するにはこういうシンプルな奴を確実に潰してしまうのが第一歩でしょう。似たような本は今でも沢山あると思います。

(2)「試験にでる英単語」「試験にでる英文法」森一郎、青春出版社

はい、知る人ぞ知る「でる単」です。私はシケ単と読んでいましたが、どうも西日本ではシケ単と呼ばれていたようですね。我々世代の受験生時代の定番単語帳といえばこれです。出る単の方は近年CD付きの物が再版されたようですが、もうそれも絶版なのでしょうか。英文法の方は、いわゆる知識問題の”盲点”みたいなものを列挙したもので、細かい練習問題も大量にあり、レベルも高く結構使えるものでした。当時、文法の方は全部潰すことはできませんでしたが、シケ単の方は完全に覚えきりましたね。

(3)「英文法頻出問題演習」伊藤和夫、駿台受験叢書

今でも分冊になって存在するようなのでご存知の方も多いでしょう。我々は「英頻」と呼んでいましたが、桐原書店の「英語頻出問題総演習」も”英頻”と言われるそうで、ややこしいですね。受験生当時、通読はしたと思いますが、完全に覚え切るまで使い倒すことはできなかったと思います。今となっては優れた文法問題集が沢山ありますが、私の受験生当時は数少ない実践的なハイレベル文法問題集という位置づけで、意欲的な奴らはみんなやってましたね。なんと、当時”歌うヘッドライト”を聞きながら受験勉強していた頃に使っていた実物そのままが手元にあります(1987年増補改訂版)。なので、駿台受験”叢書”と書きました。今は”駿台文庫”でしょ。”叢書”の方は表紙に四角、丸、三角の線が書かれたデザインの奴です。中高年の方は分かるでしょう。参考書のデザインはこういう硬派なのが好きです。

(4)「全解 英語構文」山口俊治、語学春秋社

山口俊治と言えば、同じ語学春秋社の実況中継シリーズの文法書が有名ですが、この本は知らない人が多いかもしれません。もう絶版だと思います。同じ著者の本に「英語構文全解説」というのがあって、それは今でも本屋に並んでいますが、どうもこの本とは別物のようですね(今までずっと同じものだと思っていた)。私が持っているのはハードカバーで黄緑色のカバーに”ESS”という文字が大きく書かれているものです。なんと、こちらも歌うヘッドライトを聞きながら(もういいってww)当時使用していた実物を今でも所有しています(昭和61年初版)。他の教科の本は全部捨ててしまったのですが、英語の本は何故か当時使っていたものがそのまま何冊か残っています。とても分厚い本なので隅々まで精読するようなことはできませんでした。辞書のように使っていたと思います。とても詳しい本で役に立っていたと思います。

(5)「段階式英作文のトレーニング」増進会指導部

高校生当時Z会はやってませんでしたが、増進会出版の本で欲しい物を何冊か郵送で購入したことがあり、そのうちの1つです。Z会の英作文のトレーニングは今でも分冊になって存在していますが、それの元祖本だと思います。黄色い表紙の本。最初に269個の暗記用例文が並んでおり、これらを覚えるくらいはやったと思いますが、その後の英作文の問題は当時の私にはあまりに難しいシロモノでまったく手が出なかったと思います。東大に行くためにはこれをスラスラこなせるくらいとダメなのかなー、なんて当時の私はこの本の前で溜息をついていたと思いますが、実際は全然そんな事はないはずです。ただし、これくらいの難易度の物をしっかりと練習して知識を吸収してしまえるくらいの時間的余裕を持って勉強しないとダメだとは思います。ま、今は自由英作文の時代ですけどね。当時のウブな私を精神的に叩きのめしてくれた本ですね。これも、当時使っていた実物をまだ持っています(昭和61年改訂新版)。

(6)「英単語の合格水準」梶木隆一、山口俊治、語学春秋社

若い人でこれを知っている人は皆無でしょうね。手のひらサイズのコンパクトな単語帳で、難易度別にA、B、Cコースの3分冊になっています(他にも発音とか会話表現とかあります。これらは中古品を購入)。当時から単語を覚えるのが好きだったのでシケ単だけでは飽き足らずに買ったのだと思います。単語と、日本語訳が1つ2つ対になって記載されているだけという誠にシンプルな構成で、正直こんな本で単語を勉強しても本当の力にはならないと思いますが、当時はそんなに良い本はなかったんです。AとBは全部覚えたと思いますが、最高難度のCコースには手がまわらなかったです。これも当時使っていたものをそのまま所有していますが、Cコースだけキレイなままなので、そのように推察されます。

(7)「基礎英文問題精講」中原道喜、旺文社

超有名ロングセラーで今でも健在な標準問題精講シリーズです。ただ、私が使っていたのは”基礎”の方です。これは本当に役に立ちました。隅から隅まで全部潰したんじゃないでしょうか。ただ、それが高3の時だったので、せめてもう1年早ければね。。この本がスラスラこなせて”簡単だ”と心底思えるようになれば、英語の基礎はもう出来ていると言えるでしょう。易しすぎず難しすぎず、そして、量も多すぎず少なすぎず、英文読解にじっくり取り組むのに本当に適した本だと思います。今になって思えば、難関大を目指すのなら、高1のうちにこの本が”簡単だ”と思えるようなレベルまで持っていって、残り2年でひたすら腕を上げていく(”標準”の方も潰す)、くらいのペースでやるのが理想だと思いますね。今でも同タイトルで売られている本ですが、当時私が使っていた物とは若干中味が違うというような情報もあり、新しいのは持っていないので今の物がどうなのかはよく分かりません。少なくとも当時の物は、私にとっては一番役に立った英語本だと思います。当時使っていた実物は捨ててしまったのですが、ブックオフで当時使っていたのと同じデザインの物(1985年重版)を見つけたので、涙がでるほどの懐かしさに襲われ買ってしまいました。青緑色の下地の上に、何色かの色のカラーバーみたいな横縞のあるものです。

高校生編は以上です。あまりに古い本ばかりなので若い人には全く参考にならないと思います。まあ、今回は私の自己満足ということで。高校時代はこれ以外に英語の参考書を潰した記憶があまりないので、当時使っていたものは大体網羅してるんじゃないですかね。少ないでしょ。もっともっと、沢山やらないとダメですよね。






50過ぎのオッサンがなぜ勉強するのか

2021年09月03日 22時56分10秒 | 日記
英語に関しては趣味なので基本的に面白いからやっているだけなんですけど、それ以外にも本職のコンピュータの事とか、数学とか、その他諸々、知識を仕入れる事に対する欲望は衰えるどころか、歳とともに強くなる一方です。

なぜか?50過ぎともなると人生の終焉というものが頭の片隅にチラつき出すわけですけど(別にどこも悪くはないですよ)、いよいよ死が目の前に迫った年齢になる頃に

まだ死にたくなーい

という感情にはなりたくない、というのがあり。

何を言っているのか分からないと思うので順序だてて説明すると、まず、人生が楽しくて楽しくて仕方がないというのは若い頃は大変結構な事ですけど、70とか80とか90とかになってもそうだとしたら、それって本当に良い事なのだろうか?と思うわけです。よく考えて下さい。どう頑張ったってそれくらいの年齢になれば死がいよいよ身近になってきます。そのような歳になる頃にまだ、楽しくて楽しくて仕方が無い人生なのだとしたら、、、

まだ死にたくないという恐怖が肥大していくだけ

ですよね。歳を重ねれば重ねるほど、まだこの楽しみを奪ってほしくないという死への恐怖が大きくなってくる。でも、死は年々確実に近づいている。。。とても怖い状況ではないですか?

私は、そのような年齢になった時に、そういう状態にはなりたくないんです。かといって、何の抵抗もなく死を受け入れられるわけがありません。そのような感情になるのは、逆に人生が辛すぎて仕方ない、死んだほうがましだ、というような状態におかれた場合くらいのもんでしょう。もちろん、それも嫌です。

私の理想は、それくらいの年齢になった頃に、

人生、もう飽きた

と言えるようにすることです。死んだほうがマシというような辛い状況を回避しつつ、死をある程度受け入れられる心境になるためには、そうなるしか無いと思うのです。

じゃあ、そのような年齢になる前にどんな人生を送ればそういう境地に到達できるのか?簡単に言えば、どのような”飽き方”が考えられるか?

これは人それぞれだと思います。やりたいことを全部やりきって、”もう十分楽しんだ、思い残すことはない”という心境になることを目指すのも一手かも知れません。しかし、私の場合はそういう方向ではなくて、

世の中の仕組みを大体知って、大体見切った

だから”もう飽きた”、そういう飽き方だと思うのです。経験して味わうというより、まあ頭で大体分かった、見切った、と思える感覚。どちらかというと行動より理屈先行の人間なので。

なので、世の中見切った、と思えるようになるために、知らないことをできるだけ減らしていきたいのです。そのために知識を貪欲に吸収したいと思って、勉強しています。ま、簡単にいうと、

物を知らないまま死にたくない

ということです。

もう1つ、歳をとっても勉強しないといけない理由があります。これは、私だけではなく、おそらくこれからの日本で生きていかねばならない全ての人に当てはまることです。それについてはまたの機会に話しますが、要するに、

老後も働かないと食って行けない世の中が来るだろう

ということです。本当の意味での”実力”がないとオマンマが食えない、そういう世の中が来ると思います。私くらいの年代(現在51歳)でも、そういう準備をしておかないとヤバイと思うのです。

ま、幸い年金で暮らしていけたとしても、個人的には体が元気なうちは働きたいですけどね。そうするにも”実力”が必要です。オレよりできる人間なんてそうそういないぞ!と言える爺ちゃんになりたい。