英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

公式問題集リーディングセクション終わりました

2015年11月25日 23時21分41秒 | 英語
今日は夜も遅いのでまったりと。

公式問題集6冊、リーディングセクションを全てやり終えました。リスニングセクションはまだです。これからやります。

まあ、6冊全てを通して、TOEIC Test プラス・マガジンよりは簡単というか、素直な英文だったなという感想です。「やり始めました」と言ったのももうだいぶ前のことですよね。はい、決して、そんなにハイペースではやらないんですよ。

基本、休みの日は他にやることが沢山あるので、あまり英語はできません。もっぱら平日に、通勤電車の中でやっています。”意外にゆっくりだな”と思われると思います。もちろん、TOEIC以外の内容のものも含めて幾つかの本を同時並行で読んではいるのですが、私の教材消化ペースはそんなに早くはないです。

若い頃はもっと高速に大量の本をこなしていましたが、最近は、一文たりとも、一語たりともいい加減な読み方をしないという「完全理解、完全暗記主義」になってきているので、本をこなすペースはスローになってきています。でも、これ以上はあり得ないというくらい、厳しい、そして、綿密な読み方をしています。リーディングセクション、特にPart 7の部分を私がどのように勉強しているかについては、また時間があるときに詳しく紹介します。”ここまで気を配るのか”と思われると思います。昨今はやりの「コミュ力主義」とは全くもって真逆の、「超訳読主義」です。

今回の勉強でも英語は隅々まで綿密にチェックしましたが、日本語訳は気になる所しか読みません。なので、全部は見ていないのですが、Vol.3の中で一カ所だけ、日本語訳として気になる箇所があります。

This year's focus will be on cleaning systems, with laundry appliances representing over half of the exhibits.
「今年の注目は、展示品の半数以上を占める、洗濯機を含む清掃・洗浄機器です。」

(出典:TOEICテスト新公式問題集 Vol.3)

となっていますが、with以下が表す意味は付帯状況だと思うので、

「今年の注目は清掃・洗浄機器で、特に洗濯機が展示品の半数以上を占める予定です。」

くらいじゃないでしょうか。ちなみに、洗濯機は washing machineで、laundry appliancesと言った場合は乾燥機(等?)も含むようですが、適当な日本語も無いので洗濯機でいいと思います。そんな細かいことはどうでもいい。要は、with 以下が付帯状況だということが重要で、そうだとすると、洗濯機単独で展示品の半数以上を占めるという意味になるはずです。with を systems にかけて読んでしまったのかも知れませんね。このwithは付帯状況のwithだと思います。

まあ、別に揚げ足を取りたいわけじゃなくて、英文の構造をしっかり掴むということがいかに大切かということを言いたいだけです。なんとなく意味が取れたらおしまい、というような勉強だけは止めてください。絶対に力はつきませんから。

で、いきなり話が変わりますが、来年の5月の公開テストから、TOEICの出題形式が若干変わるようです。昨日たまたま知りました。公式HPにアナウンスされています。おそらくまた、若干難しくなるような気がします。時代に合ったコミュニケーション力を問えるように revise するという主旨のようですが、試験対策厨を牽制する意味もあるのかも知れませんね。また950が遠くなるかも。。



レベル特Aは950点

2015年11月23日 15時06分58秒 | 英語
皆さんもよくご存知のように、TOEICでは公式に、点数ごとに「レベル分け」がなされていますよね。改めておさらいしてみると、

レベルA 860点以上
レベルB 730点以上
レベルC 470点以上
レベルD 220点以上
レベルE 220未満

でした。まあ、下の方はともかく、上ですよ、上。実際にTOEICを受験したことがある人なら、”860点以上”を全て一括りにすることに相当な違和感を感じられると思います。もちろんTOEICはそれほど綿密に、というか高いレベルで英語力を測定している試験ではないので、上の方をあまり細かく区切っても実用性の観点からはそれほど意味がないのだと思います。しかし、純粋にスコアだけを考えた場合、860点ちょうどの人と990点満点の人が「同じランク」に属するというのは、やはりキモチワルイと言わざるを得ませんよね。だとすると、レベルA以上をさらに細かくランク分けする、例えば仮に「レベル特A」を新設するとしたら、その境界線は何点くらいになるのでしょうか?私の感覚からすると、”950点”あたりに設定するのが妥当だと思うのです。統計的な処理方法とかそんな事は一切考えずに、”明らかな実力差”が存在する壁のイメージ、です。

普段のこのブログの物言いから鑑みて薄々お気づきの方もいらっしゃると思いますが、今回の話のミソは、特Aラインを”900点”ではなく950点にしたところです。またいつもの話かと思われるかもしれませんが、意外なほど世の中一般で言われていないことなので、やはり改めて強調しておきたいのです。

なぜそんなことを強調したがるのかって?このブログを読んで頂いている同志の方々にも、”900点で終わってほしくない”からです。やたらめったらに厳しいことを言いたいのではありません。900点ちょうど位で終わってしまうのはとても勿体ない事だということを、是非知ってほしいのです。

なぜ勿体ないのか?それは、900点くらいになってきてようやく、”英語が軽くなり始める、英語を正確に見る目が芽生え始める”からです。900点を超えるようになった辺りからボチボチ体現され始めるこれらの能力をいよいよフル活用して一気に英語力に磨きをかけようかという時に、勉強を止めてしまうことになるんです。900点で満足して勉強を止めてしまうというのは、そういう事です。

あくまでTOEICレベルの(簡単な)英語を対象にした場合の話ですけど、900を超える辺りになってくると、単語の理解度、文法の理解度がかなり深くなってきているので、その結果、英語を追うスピードも速くなるし、リスニングアレルギーもかなり解消されてきます。800点や860点ではまだまだ”英語を追うのが辛い”のですが、900点くらいになってくると、TOEICくらいの英語なら、日本語と同じとまでは言わないにせよ、かなり負担なく処理できるようになってくるのが実感できます。嫌らしい物言いかもしれませんが、これは実際に900を超えたことがある人じゃないと分からない感覚だと思います。

しかし、ここで多くの人が安心して、英語の勉強からフェードアウトしてしまうんですね。もちろん、学生さんなんかはとりあえず900とっとけば履歴書の花にはなるでしょうし、それ以外にやることは山ほどあるでしょうから、優先度という意味で”英語はもういいや”となってしまうのはわかります。ビジネスマンとてそうでしょう。英語より本業が大事なのは当たり前で、とりあえず900くらいで一区切りつけるという判断は、人生をトータルで考える上では決して間違いではないと思います。そして、今の私が味わっている苦しみ、つまり、900から950に載せる苦労が想像以上に大きい事を考えると、取りあえずの区切りを900辺りに持ってくるというのは、懸命な判断なのかも知れません。

でも、上記のように具体的な根拠をもって現実的な判断により区切りを迎えるような場合を除いて、一般的に英語学習の文脈の中で900点が一つの区切りとして扱われる理由は、単に、”9割を超えた”というだけの理由ではないでしょうか?簡単に言うと、100点満点のテストで90点取れればもう十分という、その程度の物言いに過ぎないんですね。”9割超え”自体に実際のところどれだけの意味があるのかについては、ほとんど真面目に考慮されていません。

で、私なんかは、”中途半端な区切り方だなー”と思うわけなんです。さっき上で書きました。900を超えれば英語が軽くなる、と。だったらそれでもう十分じゃん、と仰るかもしれません。しかし、あくまで軽くなったというだけで、”英語経験が豊かになった”、”ネイティブがある程度信頼を置いてくれるほどに確実性が増した”、わけではないのです。ただし、一気にそういう世界に向かっていけるだけの素地は手に入っているのです。だったら、もうちょっとやらなきゃ勿体ないんじゃないでしょうか。

もちろん、英語学習は無限です。おそらく一生かかってもネイティブレベルに到達することはないでしょう。どこかで区切りをつけることになるのだと思います。無限地獄にハマってしまっては人生おしまいですからね。一生かけてどこまで英語と付き合うのか。それを真剣に考えるのは、個人的には950辺りに到達した時点でいいんじゃないかなと思います。900はようやく”ノリノリ”状態になってきたところなんですから、そこで止めてしまうのはちょっと、、、と私なんかは思いますね。

ちなみに、TOEIC 900点は30人に1人、950点は300人に1人、だそうです。全然違いますよね。900なんてみみっちいこと言わないで特Aを目標にしましょう。私!?もちろん目標は990です。これを覆すつもりはありませんし、そう遠くない将来に達成できると思っています。











速読練習は有害である

2015年11月21日 23時13分54秒 | 英語
前回、読むスピードがだいぶ速くなったと書きました。まあ、今回のリーディングセクションの問題が易しかったのかもしれませんが、日頃の学習の中でも実感していることなので、間違いはないと思います。まあ、そりゃそうです。毎日毎日往復の通勤電車の中で、トータルで最低でも2時間は英語を読んでいるわけですから、力が付かない方がオカシイ。過去の英語学習では、英検1級レベルの難しい単語を覚えたり、文法を細かく勉強したり、そういうことを沢山やってましたが、そっち方面の勉強もほどんど必要なくなってしまったので、この1年はひたすら”読む”ことだけをやってきたわけです。で、この1年やってきたことと、まがりなりにも現行のTOEICで8分余らせることができる力を付けることができたことを改めて鑑みるに、表題のようなことを思う訳です。

だって私自身、”速く読む”練習なんて1ミリもやってませんから。それでも読むスピードは確実に速くなっているのですから、速読練習は必要ないということは少なくとも言えるわけです。で、私がもっと強調したいのは、単に”必要ない”というだけではなく、”有害である”、ということです。はっきり言いましょう。速読練習なんかやっちゃダメです。そもそも速読なんてものは、超多忙なビジネスパーソンが、大量の情報ソースの中から必要な情報だけをいかに短時間で入手するか、それを追求するための術であったはずです。言語能力を磨くための術ではありません。ある言語をまともに習得していればある程度速く読めるのは当たり前なのですから、言語学習の文脈の中で”速読”なんて話が出てくること自体がオカシイのです。こんな目的外使用のいかがわしい物言いに騙されてはいけません。速読なんて、英語学習においては百害あって一理無し、と言って差し支えないと思います。

何故か?理由は以下です。

1. 速読練習によって磨かれる能力などない(言語学習という文脈の中では)
2. 本当にやらなければいけない事をやらなくなる

英語をまともに読む力が無い人は、どうして英語が読めないのでしょうか?答えは至極単純で、「英語を知らないから」です。単語や熟語などの個別表現を知らなければ、構文も知らない、文法力もない、そして、英語を読むときの頭の働かせ方も知らない。だから読めないのです。もちろん、知ってても読めるとは限りませんし、その点も非常に重要ではあるのですが、多くの人はそれ以前の問題として、とにかく英語を知らな過ぎるのです。TOEICで言えば、900点くらいの人でもまだまだ全然ダメだと言えます。

知らないことが沢山、ありすぎるくらいあるのに、それを放ったらかして速読 !? バカ言ってんじゃねぇよ、です。私に言わせれば、速読練習に走る人というのは、「面倒な事から逃げている人」です。目の前の英語をじっくり料理して、隅々まで完全に理解する。結局、そういう地道な作業がメンドウなんですね。だから、サーっと読んで終わりにしたい。サーッと読むだけで何かが変わることを期待している。そうあってほしい。大体、そんなことを考えてるんじゃないでしょうか。頭を使ってしっかりと理解することを放棄している。不埒としか言いようがありません。せっかく出会った目の前の英語が泣いています。「もっと私のこと、よく見て」と。

もちろん、英語を読む作業は”技術”ですから、頭を使わなくてもスイスイと処理できるようになることが最終的な目標ではありますし、そうならなければいけません。しかし、目標と、それに到達するための方法、をごっちゃにしてはいけません。速読教の人達は、この点も分かっていないのです。

まずは頭で正しくしっかりと理解する。このプロセスをすっ飛ばしてしまっては、何をやっても無駄です。スポーツだって同じですよね。正しい理屈、正しいフォームをまずは頭でしっかりと理解・イメージして、その上で、今度は体が自動的にその通りに動くようになるように練習する。それが正しい流れでしょう。英語も全く同じです。

そして、TOEIC くらいの簡単な英語なら、最初の”頭で正しく理解する”ことができた時点で、実は大部分がオシマイなのです。理解できたら、あとは数回ほど、スラスラと読めるかどうかを試し運転する。あと、数日置いた後にも復習してみる。その程度で十分、というか、その程度でスラスラと処理できるようになってしまうはずです。ホントに易しい英語ですから。ただし、最初の”頭でしっかり理解する”プロセスをすっ飛ばして、いい加減な読み方しかしていない場合は、いくら易しい英語とはいえ、いつまで経っても完全に消化することはできません。分からない所は分からないまま、読めない所は読めないまま、です。

もっと物事を普通に考えましょう。慣れない言い回しがいっぱいある文章を、大急ぎで上っ面だけなめて、一体何が身に付くというのでしょうか?

TOEIC受けました

2015年11月18日 21時09分22秒 | 英語
本日、TOEIC を受けました。

昨年はリスニング満点を記録しましたが、今回の感触は以下のような感じです。

(リスニング)
パート2と4で少し崩れました。2年連続満点は絶対に無理でしょうwww 言い訳するつもりじゃありませんが、集中力が続かず途中でふと関係ない事を考えてしまったのと、昨年やった”設問の先読み”をあえてやらずに挑んだところ、やっぱりダメだったということです。まだまだ、全部聞いて覚えて、それから設問を見て答える、というやり方で満点が取れるほどの実力は無いということです。ピンポイントで聞かないとダメ、その程度のリスニング力ってことです。

(リーディング)
去年は時間が足らずに最後の4、5問をマークできませんでしたが、今回は8分余りました。来る日も来る日も電車の中でひたすら英語を読んでおり、読むスピードが速くなってきているのは実感しているので、実戦の場でも結果に表れたということだと思います。文法問題も、本人的には不安な問題はなし。「R満点だったらいいな」と思いますが、そんなに甘いもんじゃないでしょうね。

とまあこんな感じで、去年は L495、R425の T920 だったわけですが、今回はRは昨年ほど酷くはないと思いますが L で少し失敗したので、トータルで去年とトントンか、少しくらい上がっていればなーという感じです(下がってたりして。。。)

まあ、去年も今年も、普段の行いがそのまま出るって感じですね。去年はリスニングをかなり集中的にやっていたし、一方、今年はリスニング練習からはしばらく離れていて(元々嫌いなので)、ひたすら読み込みばかりやっていたので、やっぱりRで手応えがあったということです。まあ、問題の難易度自体にもばらつきがあるかもしれませんが。ちなみに、RのPart 7について、私は全文頭からすべて読んで、その後設問を見て回答します。設問を先にみて関係ありそうな所だけを拾い読みしたり、スキミングしたり、というようなことは一切しません。その超正攻法で8分余らせることができたので、かなりの進歩だと思っています。でも、世の中には30分以上余る人もいるんですよねー。考えられません。

で、990点を狙うと宣言してはいるものの、990どころか950の壁もまだ厳しいようですね。LもRも、やっぱり普段から両方やっておかないとダメです。気合い入れ直します。やっぱりまだまだ、Lが根本的に弱いことを痛感しました。去年は大マグレだったということです。先読みすればよかったかな。

ところで、公開テストの方は15年くらい受験していないのですが、リニューアルされた今のTOEICで、IPと公開テストの違いってあるんですかね。15年くらい前に公開テストを受けまくっていた頃は、IPよりもRのボリュームが明らかに多くて驚いたものですが、今でも違いがあるんでしょうか(もちろん公式には、今も昔も両者の比較など一切なされていませんが)。こういうリサーチをしなきゃならんという意味でも、そして、受験頻度を上げて一刻も早く950、ひいては990を達成するという意味でも、公開テストも受験しないといけないなと思っています。ただ、公開テストは20代の若い人ばかりなので、オッサンが行くと恥ずかしいんですよね。15年前でも恥ずかしかったのに。。

世の中には950オーバーの人なんて掃いて捨てるほどいると思いますが、才能というか、パワーのある人というか、凄い人達はいっぱいいるんですね。でも、毎日読んでれば読むスピードはかなり上がるということは分かったので、読むのも聞くのも毎日やろうと思います。TOEICは技術である、技術は練習によって身につけるものである。普段ここで言っていることを私も忠実に実行したいと思います。ともに頑張りましょう。

ダサい教材は使うな!

2015年11月15日 22時19分37秒 | 英語
またまたいきます。

ここの所、ちょっと真面目過ぎるというか、重い展開になってしまったので、軽めのお話しをしたいと思います。でも、とても大事なことです。表題に書いた通りです。

ここで言うダサい(英語)教材とは以下のようなものです。

(1)お勉強チックで英語の格好よさが犠牲になっているもの
(2)デザイン/装飾がダサいもの
(3)詰め込み式/根性ありきの古くさいもの

私自身、英語の何に惹かれるのかというと、ズバリ「格好よさ」です。何が格好いいかというと、発音、リズム、スピード、です。格好いい発音で、三拍子のリズムに乗って超高速にまくしたてるあのリズム、あれを味わわずして何が英語でしょうか。だから、日本人向けにゆるーいスピードになっているものは、つまらないです。お勉強チックになってしまうんですね。”今日の一言”とか言われてもねー。1日1表現コツコツと覚える、そんなかったるいこと、私も嫌いです。きっとこういう”明日の見えない、宛てのないお勉強モード”が英語嫌いを生むのだと思います。ノリのいい音楽でも聞くように、超高速の英語に浸ってこそキモチイイんじゃないですか。洋楽だって、歌詞が分かれば最高にキモチいいですよ。TOEICの英語はイケテル方です。速いし英語のリズムがしっかり保たれてるから。

ヒアリングだけじゃなくて、読むときも、長文を超高速で速く読めるようになるからキモチイイのです(私が速読練習を推奨していないのは、過去の記事を読んで頂ければ分かると思うので誤解なきよう。しっかり暗記した後、最終的に速く読めるようになったのを確認しろという意味です)。だから、細切れの短い単文の穴埋めばっかりやらされる大学受験用の文法書とか、基本的には嫌いです。英語のリズムに浸る楽しさがありませんから。私は知識拡充のために今でも必要悪としてやりはしますが、正直なところあまり好きではありません。あんなものをやらされている学生が英語嫌いになるのは当たり前だと思っています。まあ学生さんは我慢してやるしかない。

あとは、折角英語の音声教材なのに邪魔な日本語が入ってる奴。ダメダメです。ご丁寧に本のタイトルとか、章番号とかいちいち日本語で読み上げているような奴とか、雰囲気からしてダサダサですよね。まったくイケテナイ。もっと酷いのは、英語のあとにすぐ日本語訳を入れてくるような奴、これはもう最悪。ちっとも英語に浸れやしない。格好いい・悪い以前に、頭を英語モードに切り替えることができないじゃないですか。音を介した英語教材としては完全に欠陥品ですよ。腹立たしさすら覚えます。じゃまな音楽とかも一切なしで、いきなりズバーンと英語だけの世界に入ってしまうようなものが最高(なかなかないけど)。

(2)と(3)は同じような事ですが、本の装飾やレイアウトのイケテル・イケテナイは極めて重要です。ひょっとすると中身以上に重要かもしれません。誰が、ダサーいデザインの本を手に取って勉強しようなんて気になりますか。もう何十年もデザインを変更していないような古くさーい奴とか、小さい字でビッシリ詰め込んであって見ただけで嫌気が差すようなものとか、だっさいデザインの物とか、嫌がらせとしか思えないような覚えにくい内容の羅列とか。。。全部捨てちゃえって感じです。格好いいクールな、そして、学習者に妙な心理的圧迫感を与えないような配慮がなされている(それでいてしっかり中身のある)本だからこそ、手に取って勉強しようという気になるんです。単語帳なんて、デザインが勉強意欲を左右する最たるものです。是非是非、格好いいイケテルデザインの、手に取って勉強しようという気になるものを選んで下さい。

本も見た目が重要です。見た目や雰囲気がダサダサなものを使って勉強する気にならないのは当たり前です。