植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

六分の狂気四分の熱で印を刻む

2021年02月23日 | 篆刻
「友を選ばゞ書を読みて 六分の侠気四分の熱 」これは与謝野鉄幹さんの有名な「人を恋する歌」の一説ですね。友人を持つなら、知識欲が高く弱きを助けるような男気があって、情熱的な人間がいいといった意味でしょうか。

 今のワタシはさしずめ「石を彫りて六分の狂気四分の熱 」という状況であります。昨年末から「篆刻印」作りに傾倒し、書道と園芸主体の生活で、かなり篆刻の時間を割くようになりました。

 思えば、書道や篆刻を今になって夢中になった原点は、かなり遡りますが小学校六年の秋でした。その時の担任「安部先生」がワタシのノートをクラスのみんなに見せるように持ち「汚い字で何が書いてるかわからない」とのたまわった一件にあります。少年のワタシは、自分さえ読めればいい、思いつくこと先生の言葉などを乱雑に筆記していたんでしょう。そういえば、それまで通知表に幾度か「字が粗雑」という特記事項の記載があったのです。

 人間、屈辱感はそう簡単に忘れ去ることは出来ません。また、悔しさ・屈辱をばねにして成長や飛躍の糧とするということもありますね。
 それがあってか中学に入って、急にレタリングを始めました。美術部にも在籍しました。図書館で古いレタリングの本2冊を見つけ、ずっと3年間借り放しで暇さえあれば模写・練習しましたなぁ。

 以降は60歳になるまで、まったくなんの努力も字を学ぶことも無しに過ごしましたが。

 そして、ずいぶん遠回りをして篆刻にたどり着きました。あの時レタリングを独習したのが今になって蘇り、「狂気」のように取り組んでいます。定年後、書を学ぶようになってからも、篆刻は、手が痛い目がかすむなどと言って敬遠してきましたが、一つ目の前の坂を上ったとたん、急に景色が開け面白くて、止まらなくなりました。レタリングと篆刻は共通点が多く、印の文字を考えるのに役立ってるのではなかろうかと思います。昔取った杵柄ということでしょう。

 こちらの古い人は気が違うことを「きだす」と呼んだりします。そんな感じで石を「刻む(きざむ)」ようになりました。「萌す(きざす)」という言葉があります。まさに「萌えー」でありますな。夢中で彫りはじめてまだふた月ですが、すでに20本以上作りました。以前姓名印作成依頼した篆刻家さんは、祖父の代からの篆刻業をやっていて数十年学んだそうです。それに比べたら、まだ篆刻をやっているうちには入りません。

 それでも篆刻を彫ってお金にしようと思ってるわけではないのでなんの心配も不満もありません。ヤフオクでさまざまな先達・故人の篆刻印を集め、ネットで印影を研究して勉強しております。いくつも彫っていれば、そのうち腕前も上がり出来栄えもよくなります。狂気と情熱を持てば、自分だけでなく人様にも喜ばれるような印を作ることが出来るのです。蕎麦打ちと同じく、誰にも師事せず独学でひたすら楽しく刻もうと思います。

 字もいつの間にか「上手」とか「線質がいい」とか褒められることも増えました。してみると、あの安倍先生、いたいけな少年(ワタシ)に浴びせた心無い一言でしたが、案外卓越した教師だったのかもしれません。

これは、茶園を営む九州の旧友に贈りました

倅の関係の方に頼まれて彫った小品


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