植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

プランド・ハップンスタンス・・・ 知らんかったなぁ

2023年08月04日 | 雑感
ワタシにも、若いころからの友人は何人かおります。一番古いのが小中学校の同級生、次が高校時代の仲間で、帰省すれば一緒にお酒を飲む、とか、関東在住で長い高校生の同級生とゴルフなどのグループで、60歳になったころから徐々に交流が深まったように思えます。一つには里心が蘇る、一つには自分の時間や経済的な余裕が生まれる、そして仲間が一人また一人と物故していく、というある種の危機感が影響しているのかもしれません。

今はLINEなどネット上で様々な情報のやり取りが出来るようになり、SNSの貢献は計り知れないものだろうと思います。また携帯電話・スマホを使えばどんなに離れていても瞬時につながり、お互いの顔さえ見合わせることもできます。古い言い方になりますが「文明の利器」は有難いものであります。

昔からの友人・知己の中でもとりわけ縁が深くなるのは、男女の関係で、男同士や女同士よりもはるかに複雑で微妙な距離感があります。中には結婚という結果となって以後数十年の付き合いになる(ワタシの家内(笑))のもあれば、若くして亡くなったり、結婚しても離婚に至ったりと様々であります。ワタシにとっては、小中高で男女関係・恋愛関係になった女性はいないので、まぁお付き合いは大学に入ってから以降、ということになりますね。その当時何人かの親しくなった方々のほとんどは、とっくにお互いに消息知れずになってますが、多分それなりに幸せな家庭を築いて暮らしているのだろうと思います。

それでも、ずうーっと前にお知り合いになって、お互い別の人と結婚し、その中の数人は、長い長いブランクがあっても、いまだに連絡が取れ、どこかで心が通じている人もいらっしゃるのです。勿論過去にお付き合いがあったとしても、そんなことは遠い記憶の中で薄れてしまい、全く感情的な痕跡は残っておりません。しかし古希を迎えるような年齢になると、懐かしさやらお互いの共通した接点が恋しくなったりしますね。

で、そんな関係の一人で、滅多に個人的なやり取りをしない人から、先日頂いたLINEで面白い(価値がある)言葉を教えて貰いました。

【Planned Happenstance】プランド・ハップンスタンス という言葉で、「計画された偶発性(理論)」と翻訳されています、 ある偉い学者さんたちが唱えている理論だそうです。
ネットで調べてみると、その意味・基本的な理論は、人がキャリアを作っていく要素は「80%の予測しない偶然」によって決まり、それをうまく活用できるかにかかっているというような意味なのだそうです。活用してキャリアアップになるのに必要な特性が5つあるとされていました。

因みにキャリアとは、その人の仕事が現状と将来がどうなるかという「仕事の生き方」のようなことを漠然とさすようです。これまでの職歴や経験をベースに、次はこうなるだろう(こうありたい)といったものでしょうか。具体的に言えば仕事の内容・出世・評価・待遇などを混然としたものかもしれません。

そのキャリアに影響する80%の偶然が起きるのは、実は単なる偶然ではなく、そうした偶然を呼び込む計画的準備や心構え・行動が大事なのだというのです。つまり、ある種の備えや誘因となる内なる特性があると、予期せず計画してないのに「偶発的な出来事が生まれる」ということと「その偶然を自分なりに察知して、行動に移すことによってキャリアに生かすことができる」能力を発揮できるという事のようです。

その5種類の特性は以下のとおりであります
・好奇心ー新たなもの知らないものに興味を持ち、自分もやってみよう見てみようと思う気持ち
・持続性ーいったんやりだしたら、それなりの結果を出そうと努め簡単に投げ出さない。失敗したら、解決策を思案してしつこく続ける。
・柔軟性ー固定観念や現状維持に拘らず、新たな視点や立ち位置を常に変化させることをいとわない。
・楽観性ーやっていてうまくいかなくてもくよくよしない。落ち込んでお金などの心配をすることなくポジティブに考える
・冒険心 ー新たなことにチャレンジしようという意気込みと、リスクを怖がらない。やる前から失敗することを思い浮かべれば足が前に出なくなる
 
で、なんとその5項目ともみんな自分に当てはまるのです(あくまで自己分析なので実際はあてにはなりません笑)
ワタシは60歳を超えてから、もう怖いものなしなんでもやりたかったことに挑んできました。書道篆刻。ガーデニングにメダカの養殖、そば打ちからブログまで、現役時代にはできなかったけれど、自分でもやれそうなことに手を染め、いずれもちゃんと人並みにこなせております。手の痛みで休眠しているそば打ちを除けばすべてここ7年間並行して継続・持続しております。
体力や時間的にも経済的にもいくらか余裕があったので、植物を枯らそうがメダカが大量死しようが、めげずにあきらめずに、しかも喜んで楽しく世話をしております。
篆刻にせよ書道にせよ、お金にする必要がありませんから、段位や公募展入賞などの目的や目標なども何もありません。お気楽で好きなようにやってこれるのであります。失敗してもダメージになるようなことはありません。自分のお小遣いの範囲内で投資しているのです。

振り返ると、あまり計画的に行動してきたとも言えません。むしろ、何かを始めるのは、突発的でやり始めてから学んだり必要なものを揃えるといったことがほとんどであります。なんどかここのブログで書いているようにN展に出品しよう、などはその最たるものであります。半年前に偶然何の気なしにありあわせの切手と封筒で申込書の取り寄せをしたにすぎません。その用紙が届いて、ひと月で心境から篆刻印の制作・作業まで一変しました。また、ある篆刻家さんからは「アシスト」のお申し出まで頂戴しております。

しかし無意識に計画的に、何か新たなステージへ進みたいと思っていたのでしょう。

まかぬ種は生えぬ これが、その理論の日本版であり、真理でもあります。ワタシ達は、知らないうちに自分であちこち種蒔きをしているのかもしれません。
Planned Happenstanceを知らせてくれたのが何故・どんな意図なのかは聞いておりません。雑談めいたLINEにちょっと日展の事に触れたせいかもしれません。LINEのやり取りが無かったら、その英語を死ぬまで目にすることもなかったでしょう・
篆刻家さんや書道家さんなどだけでも5,6名の方と知り合いになれたのも、書道を習い始めチャットに加わったのがきっかけであります。どれも偶然に見えてみんな繋がっているとさえ思えるのです。

大変残念ながら、客観的に見れば、様々、潜在的な計画的チャレンジをしてはいても、さらに5つの特性が曲りなりに備わっているとしても、現段階ではなんら明確な「キャリア」も誇れるような実績もない、のであります。

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