昨日は、三男坊の結婚披露宴でありました。
昨年11月に入籍したものの、コロナによって延び延びになっておりました。次男が春先に挙式したのを待って、ようやく挙式できるようになりました。
子供を授かって育てる、その一つの目標・ゴールが結婚であろうと思います。名実ともに子供が独り立ちし、新たな家庭を築くことになる結婚が、鳥ならば巣立ちで、親の手を離れることを意味します。本人たちは新たなスタートですが、自分にとっては、これで一安心、ようやく責任を果たすことが出来たという安堵感を実感しているのです。
それにしても、結婚式にはずいぶん親が果たす役割は大きく、①挙式全般の費用負担 ②出席者選び ③当日のスピーチなどは当たり前です。当人たちが会場を選ぶと、それが妥当かどうかこちらが足を運び、様子を聞き、振舞われる料理を試食いたします。決まれば貸衣装を選んで試着となります。
ここまでは普通ですが、ワタシの場合倅から依頼を受けて、当日会場に飾る結婚祝いの書の額装・書作品の掛け軸・出席者全員への篆刻印作成にかかったのです。
人様に自慢できるほどの力量ではありません。本格的に書道・篆刻に打ち込んだのはわずか6年であります。しかしながら、そんな父親の手になるものでも式に添えて欲しいというからには、一生懸命に取り組むよりありません。
こんなものを用意したのです。「祝」を象る印が40個ほどで、当日皆さんに配るのです。
数日前には遠方で暮らす長男から、「子供が高熱を出した」と悲痛な連絡がありました。孫娘・孫と続けて発熱、しかも男の孫はコロナで学級閉鎖した、というので、これは、コロナで発症・濃厚接触になって長男家族5名は欠席、と覚悟を決めたのです。二日に渡るPCR検査はなんと陰性、孫の熱が下がったので、こちらに向かうと電話があり、危機が回避されました。ここ数日初冬並みに冷え込んで風邪を引いたのだろうということでした。
そして昨日、鎌倉は名にし負う鶴岡八幡宮、あの藤原紀香さんなどが挙式したという全国有数の観光スポットで、行楽シーズンの3連休の真ん中であります。何千人という観光客参拝客が押し寄せ通行する中、一番目立つ中央の「舞殿」で神前式を上げるのですから、晴れがましいやらこっぱずかしいやら(笑)。笙・篳篥(しちりき)の雅楽に先導されて向かうと、両側に多くの観光客が足を止め拍手や歓声・おめでとうの声がかかりました。どうやら倅はこれを承知で企画したようであります。
滞りなく式は終了し、出席者全員が、そのままの恰好で徒歩で沿道を歩いて披露宴会場に向かいます。外国人は動画を撮るし、知らない人が入って来て一緒に記念撮影とかわけがわかりませんでした。
幸いなことに、心配した天気も夕方まで降らずにもちました。コロナを考慮して友人や会社関係を一切呼ばない身内婚でありました。賑やかに晴れやかに披露宴が進み、最後はワタシの挨拶、これで3度目の新郎の父親の謝辞でありました。涙もろくなっているため毎回グダグダになってしまいますが、家族はまたか、と心得たものでしょう。
泣いたり笑ったりの「いい結婚式であった」と出席した誰もが納得できる一日であったのです。これがワタシにとって(多分)最後の父親としての最後の晴れ舞台であったかもしれません。失敗と反省ばかりの自分のこれまでの人生、それでも満更間違ってもいなかったか、と密かに満足しているのであります。
おめでとうございます。
父親として一大事な三男様の結婚の儀がご無事に執り行われた事にお祝いもうしあげます。
これからはご自身の健康にご留意頂きお孫さんの誕生を首を長くして人生お楽しみくださいね。
どなたもそうでしょうが、自分の子供が結婚するのは何よりの喜びですね。
鎌倉はかなり人出が戻っていましたが、やはり外国人旅行者はまだ少ないように見えました。