まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

燻りがっこ

2009年10月31日 19時31分58秒 | Weblog

 お客さんから頂いた燻りがっこ。
 秋田がご実家で帰られた時お土産として、しかも保存料、化学調味料無添加のものを。ありがとうございます。

 昔、燻りがっこがあれば日本酒が進んだこと、進んだこと。大の大好物です。

 でもあの時の物とは確かに違う。
 今の市販の漬物、どっかの特産品の加工品って決まってて言うほど保存料、化学調味料が入っていてガッカリする事がよくある。こういう無添加のものを探す方が苦労する。伝統食でもアミノ酸を添加すると現代食に。

 スッと身体に馴染む感じ。昔なら気にせずに食べられていたものでもこの生活をしているとアミノ酸がやたらと舌につくようになる。

 砂糖もそうなのだけど食べ続けると段々舌が慣れてくる。もっと砂糖、もっとアミノ酸となる。
 普段の食事の基本にアミノ酸、砂糖の無い食事を続けていると世の中の食べ物ってこんなにもこの二つにごまかされえていることに気付く。
 我が家は甘みは味醂。良質な物を使うと何故砂糖が必要なのかと疑問に思う。でも砂糖の甘さとは違う。

 世の中の食べ物が安全な物とか伝統食とか本物の物であり続けるには、世の中の人が普段どういうもの食べているかで決まる。
 食の安全だって、環境問題だって、どんな問題だってみんなの普段の生活の問題なのだ。

 何よりも美味しい料理法はおいしい物を出来る限りシンプルに食すこと。里芋の素揚げ。

 

料理

2009年10月30日 04時52分04秒 | Weblog

 私たち夫婦実はアルバイトをしていたデパ地下の餃子店で知り合ったのです。だから餃子作りはお手の物。
 その頃は成型皮で餡も作ってあったので餃子を握り焼くだけでしたが。

 今回は皮から。豚肉は近くの養豚をしている肉屋さんのものを買いに行きます。(年に数えるぐらいですが・・)そして我が家に大量にあるニンジン葉を大量に入れて。

 皮を自家製にすると独特のモチッとした食感に。厚さも好みのものに。

 そして焼き餃子と水餃子に。茹でた残り湯に干しエビと残った皮、少し野菜を入れ味つけしてスープに。

タレは酢の中に醤油を少し垂らすぐらいがベスト。味の付いた餃子にさらに醤油で味をつけるのはおかしい。味付き焼肉にさらにタレを付けて食べるようなもの。殆ど酢でサッパリと食べるのが旨い。後に残りません。
 付き合っている時に細々とこだわりを語っていると良く嫌がられたもの。チキンラーメンの食べ方とか・・・・・。もうどうでも良い話。

 こうやってたまに料理を作るのだけど嫁さんの料理には当たり前だけど敵わない。


 嫁さんの作ったカリフラワーのポタージュ。

 


 

私たちは本気だ

2009年10月28日 22時49分11秒 | Weblog
 「俺は本気だ!」

 来年就農を控えた潮屋くんに何度も何度も語り掛ける。
 
 周りには本気で農業で食べていこうと思い、志がある人がいない。本気で環境問題を思う、考える人がいない。

 私たちと同じ意識で話が出来る人がいない。

 もっともっと時間とお金がある人は動いて欲しいと願う。
 10月25日山口県で上関原発反対のイベントがあった。DAYS JAPANの編集長広河隆一さんも来られるという事で行きたいと思った。しかし、実家の稲刈りでダメかと思ったら雨で中止、行ける?と調べると日帰りでは難しい次の日は出荷があるし、何よりお金が掛かりすぎる。ヘタをすると我が家の一ヶ月分・・・。

 
 「私たちは孤独なんだよ。仲間がいない・・」こんなことを潮屋くんに言っても仕方ないのだけど。



 私は思う。
 
 社会人ってサラリーマンをさす様だけど、私はこの世に生を受けた時から社会人だと。この社会、世の中を形成する一人だと。

 その一人が環境問題だって平和だって願わないと世の中は変わらない。

 だから子供は愛情たっぷりに育ってくれないと人に愛情を注げなくなってしまうし、平和を願えなくなってしまう。

 社会人だからこそ世の中を変えていく責任がある。

 サラリーマンなんて社会人じゃない。世の中を良くしようと思ってサラリーマンをしている人がどこにいる。みんな口を揃えて言う。
 「生活の為だと」

 昔とは違うバブルのような幻想の社会はもう無い。今の時代だからこそ真実を見据え本気で思う人が必要な時代ではないのか。そうできる環境にいる人はそうすべきだと強く、強く思う。

 私たちは両両親がお金があるから出来る。出来るのだ。

 社会人であるという事を自覚し、この生活は環境破壊の上で成り立っている、不幸にしている人の上で成り立っている。という事を自覚し。
 明日の未来の為に子供たちみんなが沢山の愛情を受けて育てる世の中を願っている。

 まず私達は農業で成り立たなければいけない。

 「私たちは本気だ。」
 



カリフラワー

2009年10月27日 06時05分34秒 | Weblog

 秋刀魚を焼く。
 昔、実家で何年かに一回ぐらいのペースでやっていた。家族8人全部を焼くのは結構大仕事。
 これコツが分かれば簡単なものなのだけど意外と炭で焼くのは難しい。でも違うんだよな。ガスとは。
 里芋も栗のよう。

 


 去年出来なかった野菜。カリフラワー。

 播いても播いても芽が出なくて。今年は出来ました。

 花の蕾の塊り。収穫期間がとても短い。傷みやすい。のカリフラワー。ブロッコリーもそうなのだけど遠くアメリカからの輸入ってどうなっているのだろう。
 
 もともとあまり執着の無かった野菜なのだけど研修の時食べてこんなに旨いものなのだと感動した覚えがある。それからと言うものこれを作りたくて、作りたくて。
 有機栽培だからなのだろうか?これこそ鮮度が物を言うのではと思う。
 カリフラワーはブロッコリーよりも耐寒性が無いため秋野菜一番手で最も暑い時の種蒔きに難儀する。害虫も多い。実に作りにくい。
 
 涙が出るほど嬉しい。嬉しい。。。

本来の姿

2009年10月25日 19時25分49秒 | Weblog
 実家の脱穀も終わり時間が出来てくるこの頃。畑へ行っても種蒔きや植え付けもなく、草刈もない。夏野菜の片づけをようやく取り掛かるのだけど「これから冬に入っていくなのだなぁ」という思いは何だか複雑。果して冬を越せるだろうか?播いた、植えた野菜が出来てくるのを順番に待つだけ。不安と期待が入り混じる。



よく自然農で「これが野菜本来の姿です」なんて言うけど「本来の姿」って何だろうなぁとふと思い、畑に腰を下ろして考える。

 果して不耕起無肥料栽培が本来の姿か?

 農耕の始まりは遠く縄文時代からあったとされる。もちろんこの頃は不耕起無肥料栽培。
 昔テレビで東南アジアだったか先住民族がそこら辺に芋を埋めて後はほって置くだけ。という栽培をしていたがその森の土は黒く柔らかそうで見るからに肥えた土に見えた。

 今の畑はどう見ても様子が違う。周りには木は無く土は黒くない。
 森は1cmの表土を形成するのに100年掛かると言われている。毎年、毎年落ち葉が重なり合い出来ていくが畑には生えてくる草しか無い。
 昔の人が山から落ち葉を拾い肥料として畑に入れたのは畑に木が無かったから。そして、人糞や鰯を肥料として使った。牛もいたが欧米のような多頭飼育ではなかったので牛糞と言っても僅かなもの。

 ただここで面白いことは落ち葉や稲藁は養分を吸うという事。江戸時代になって肥料と言うものはあったが無肥料(無養分)に近い栽培をしていたように思う。
 縄文時代と違うのは自給的生産ではなく生産者と消費者が分かれていて自分達が食べる以上の生産をしなければいけないという事。そのために農地は集約し落ち葉をわざわざ山から持ってこなければいけなかったのだろう。

 現代では単面積辺りの収量を確保する為に肥料を多用する。その肥料は全てが外国産。国産米糠だって外国産原料の化学肥料が使われている。
 
 そして今の種は化学肥料、農薬を使って、化学肥料、農薬を使うことを前提として作られている。そういう種を原始時代にもどって栽培することに違和感を感じてならなかった。
 時代と共に野菜は変化してきた。原点を「本来の姿」と言うならそれは山菜ではないかと思う。

 「本来の姿」とはその生い立ちを追うことで見えてくるけどそこを追い求める必要はない。その時代に何が必要であるかが問題なのだ。

 キャベツやブロッコリーなどの原種に近いカーボロ・ネロ。
 スープにするととっても良い出汁が出る。
 
 

身体

2009年10月21日 04時48分59秒 | Weblog
 夜中、足が「ボキボキ」・・・。「痛い」!。

 足を伸ばすとボキボキ言って膝に激痛が走る。寝ぼけながら「痛い」と叫んでいたら嫁さんが起きたみたいで・・そこで何か会話をしたみたいだけど覚えていない。 
 朝畑でも「痛い」。それが尋常じゃなくて・・・。そして昼も・・。

 去年の一年目、身体に掛ける負担が大きくて研修時代に痛めた腰痛が再発し寝込んだ。今年は膝かなぁ。少し不安要素。

 農業を始めて無理を出来るだけしない様にしている。もともとあまり無理をするタイプでもないのだけど。
 怪我も風邪も無理を繰り返す中で出てくる。1週間のうち一日が休みと決まっていない農業。土曜を終えれば休める訳ではない。
 風邪を引けば薬を飲めば良いとどこか思っていた前の生活。
 でもそんな都合の良い生活なんてどこにも無い。自分の自然治癒を信じてゆっくり寝るのが一番の治療法。薬は次にあるもので背景にあるものを思えば出来るだけ使わない方が良いし、本当に自分の体のことを思うなら出来るだけ飲まない方が良い。

 自分の身体を気にしながら仕事が出来るのも農業の良い所。

 嫁さんが太陽と畑に来た時にセロリが欲しいと言うので出来の悪い小さいセロリを採る。セットには来月か再来月かと言うところ。
 トマトのスープとセロリの葉と黄色ニンジン、シーチキンの炒め物に。やっぱり違うんだよなぁ。この野菜があると。冬野菜の王様。夏はトマト。
 里芋とチーズのオーブン焼きも旨い。

 今年掘り遅れたジャガイモ。ようやく皮がシワシワになってきて味が乗ってきたような。ジャガイモの本当に美味しい時期って芽がどんどん出てきて皮がシワシワになってきたころ。
 農家の人もこりゃダメだと捨てる人が多いけど、見た目、先入観だけで判断してしまうと本当の美味しさに気付かないことが多い。
 
 

今日のセット

2009年10月19日 18時10分43秒 | Weblog


野菜セット、野菜セットと良く書くけどなかなか写真が撮れない。作る時は発送に間に合わせよう、早く作業に移りたいとバタバタ、バタバタ。

そしてようやく。

今日のセットはこんな感じ。
玉ネギ 300g
ジャガイモ(シンシア、アンデスレッド)600g
里芋(大野芋)500gぐらい
黄色ニンジン 2本
ニンジン 2本
お多福生姜 100g
サツマイモ 大小4本ぐらい
ジャンボ生落花生 400g
黒豆枝豆 一握りちょっと
大浦太ゴボウ 1本
ピーマン 8個ぐらい
ルッコラ 200g
下仁田葱 中ぐらい2本
無農薬レモン 1個

そして出来るだけ野菜の情報を載せて。その時期の野菜の食べ方や特徴。簡単なレシピ。虫が入っていそうなものは注意書きなど。

小売計算せず1週間分が2000円が私たちの考え。有機野菜を食生活の基本にしていただきたい。
“商品”としての野菜ではなく“食べ物”として野菜を作り野菜セットを通じて生活を土と繋げたい。

例えば台風でボロボロになったルッコラ。これを洗うのに1時間という時間を費やす。
でもどうしても入れたかった。葉物が欲しいと思うから。
小売では売れないけどセットはそのままを伝えられる。土と繋ぐ事が出来るのです。

一生産者が一セットを作る。品質、安定した種類、一定量を常に保つことは難しいけどこれを作る意味は大きい。
生活を豊かにするのは有機野菜であっても無機質なものではなく有機質な野菜である。土臭い、人間臭い野菜であると信じています。




京都

2009年10月18日 05時38分38秒 | Weblog
 京都に行く。前日月一回のお便り作成の為嫁は一睡もせず私も寝不足・・・。

 目的は今借りている作業小屋の改装の参考のために森田久美さんのイベントに。奥さんが料理家、旦那さんが建築家で昔、西陣織の工場だった場所を改装しイベントや料理教室をされている。→http://mo-circulate.jugem.jp/

 私達の話を聞いてくださった久美さん、嫁の質問攻めにも親切に教えていただきました。そして自宅まで見せていただきありがとうございました。
 とてもとても力強い方で話を聞いていて楽しい。それは家もご自身もあまり飾らずそのままを大切にされているように感じました。とてもシンプルでゼロ地点をちゃんと見据えられているような。


 せっかくの京都、色々と回らないとと味噌松風司(これ旨いです)を買ってコーヒーを5杯、パンを買って帰りました。
 コーヒーは美味しいと思える所が結局なくって目的の豆を買って帰りました。スペシャリティーコーヒーの店に居るときお客さんが「美味しい、美味しい」と飲んでいるのに「どこが?」と思う。私の味覚おかしい?

 スペシャリティーの定義って曖昧なところがあるのだけどコーヒー豆って実は日本の米と似ている所があって評価基準が食味だけで評価されていない。

 一等米って虫食いが無いとか割れていないかとか外見で評価され、炊いた時この米の味はどうかなんて全く無視される。例えば私の実家の米は農薬、化学肥料を使っているが天日干で米を作る。当然機械乾燥米よりも旨いのだけど評価基準には盛り込まれない。研修の時の有機天日干米なんてそりゃ旨かった。でも無農薬なので虫食いもある。こういう米は3等米だろう。ホンモノってこういうものなのだけどなと思った記憶がある。

 結局食べて見ないと、飲んでみないと分からないところがあると思う。一等米だからスペシャリティーだから旨いというのは大きな間違い。炊き方淹れ方の差も大きいけど。


 このパン旨い!持って帰って思う。
 焼いて2日目。だいたいの天然酵母パンって味が落ちるのだけどこのパンの寿命が長いようで・・。切ろうと刃をパンに当てた瞬間「このパン違う」と思う。
 3日前のライ麦パンが安売りされていて持って帰った時は4日目。味が落ちているどころか熟成されているような・・・。しかも売られているときビニールに入っていないそのままで3日間?いやぁすごい・・・
http://hachihachi.org/ 
 

 

 

本気

2009年10月17日 03時59分11秒 | Weblog
新規就農を控え今手伝ってくれている潮屋くんに「半農半Xでも良いかなと思う」と言われ・・・。

私は有機的な人間でありたいと思う。人間臭い人間でありたいと思う。だから思いは包み隠さず。求めることもする。
今の時代しつこいかもしれない。

彼とは同じ意識、価値観の共有をしたかった。

農家として自立してほしい。
それは私の意識そのままを彼と。

「色々な形があって良い」と言う。私もそう思う。
でもなぜ挑戦すること、頑張ることをする前にその結論になってしまうのか?その先に未来があるのか・・・

新規就農が多いこの時代。その中身は逃げ道を作り楽しいふりをする人が実に多い。
本当の楽しさって一生懸命生きることにあると思う。
なぜ泥臭い、人間臭い生き方を恥とする?

日本の未来はこれで大丈夫かぁ?


種苗屋

2009年10月16日 10時19分55秒 | Weblog
 配達中なんとなく常に考えていることが「来年の作付けどうしようか?」「ダイコンサルハムシ(今年多発している害虫)をどう防除しようか?」。

 もうこの時期までくれば来年のことが気になりだす。この冬の過ごし方の方が大事なのだけど・・・頭の中は・・。


 帰りいつも行く大阪の種苗屋に寄る。
 学生時代からお世話になっていてここのおばちゃんは「若い子を応援するから」と昔から言っていた。
 
 奈良に就農したとき種苗屋も肥料屋も奈良で探そう、地元で探そうと思った。地産地消は食べ物に限ったことではなく地域の産業も地域の消費が良いに決まっているから。
 しかし何故か私が吸い寄せられるところは大阪の種苗屋、肥料屋。理由は共通している。
 話が通る。学べる。そして人。

 私が大阪出身だからだろうか全ては人であるような気もする。

 地産地消は長い目で心に秘めておこう。しかし地元の店ももう少し努力をしてほしいと思う。

 種苗屋を出てすぐ携帯が鳴る。「松永君戻れる?」「なんじゃい」と思って戻ると高いと渋って少しだけ買ったそら豆の種。去年の古い種を「少し芽が出にくいかもしれへんけどやるわ!」と。
 だからやめれんのやわ。ここ。

秋のセット

2009年10月16日 04時27分43秒 | Weblog
 朝はすっかり寒くなってフリースにスキーウエアを着ている。朝露で手がかじかむ。そんな季節になってきた。
農業をしているとだんだん近づく冬は忙しい夏をようやく終えたという安堵感、これからは野菜が増えないという不安感が入り混じった感じ。

 去年のセットの内容を見てみる。するとこの時期まだ夏野菜が入っていたりする。嫁さんにもうピーマンは要らないと言われ出来るけど潰した覚えがある。確かに寒くなっても夏野菜はうんざりするだろうけど。
 今年は殆どが根菜に。9月には秋らしいセットになった。予定より早く秋が来たから野菜の減りが早い。冬野菜に上手く繋がるだろうか?冬を乗り越えられるだろうか?

 とりあえずは忙しい時期は乗り越えたからこれから来年に向けてジックリ作戦を練る。

 嫁さんにパラパラチャーハンのコツを何回も言っていると「しつこい!」と怒られたので・・・。
 
 パラパラって沢山の油、卵だったら簡単に出来るのだけどなかなか普段の食事にはといつも思っていた。
 そんでごはん一杯につき卵一個。油は鍋に焦げ付かない程度の適量でパラパラに出来るように。量は3人前までかな?鍋の許容量が限界なので。
 よく冷飯とか言うけど関係ない。むしろ温かいほうが良いかも。

 まずは卵かけご飯を作って。鍋と油は煙が出るまで熱する。ここからがポイント。鍋に入れてからはあまりかき混ぜないこと。少々焦げても良いので。かき混ぜる時は底からガサッとか鍋を振って。時間を掛けてしっかり焼くとパラパラに。
 そうすると水気の物を入れても大丈夫。水分が入っても時間を掛けて飛ばせば再びパラパラになります。

 まだまだ書いたのですが“しつこい”のでこれぐらいで・・・・。

シェフ見学に

2009年10月15日 04時45分07秒 | Weblog
 大阪のフランス料理のシェフご夫婦とお弟子さんが見学に来て下さる。

 野菜が余る時に朝、アポなしで行きその場で取引させていただいている。
 出来るだけ地元のもの、近い場所の良い物と食材に対する意欲がすごい。どっかのフランス料理はこの食材しか使わないとか「うちはイタリア料理だからね」とかで日本の野菜を使いたがらない店は結構多いのだけどシェフはどんな食材でもフランス料理にしてしまう。シェフに会うたびに料理が好きだという事がヒシヒシと伝わっている。そんなシェフだからこそなのだろうと思う。

 
 ようやく菜っ葉を播きおえる。遅れに遅れた菜っ葉だが大きくなってくれるだろうか。
 台風の影響で前に播いた菜っ葉は調子が悪い。持ち直して欲しいのだけど。水に浸かったからなぁ。

 少し丁寧に作ると出来るのに大量生産となると野菜作りってとても難しい。大量に作っても100%丁寧に仕事が出来れば良いのだけど、やはり7、80%ぐらいでとどまってしまう。他の作物や作業があるから気持ちも一つの作物に100%と言う訳にもいかない。すると作物はいじけるのだ。

料理

2009年10月14日 04時33分30秒 | Weblog
 ようやくニンニクを植え終わる。
 午後はなんだか身体がだるく腰も痛い。風邪を引くのではという感じ布団に入って横になる。起きたら17時。何か出来る時間ではないが畑へ。
 周りを見渡し来年の作戦を練る。


 「おめでとうごはん」というらしい。紅白なので。
 べチャッとしたケチャップライスにお客さんに教えてもらったジャガイモのホワイトソース風をかける。人参葉のふりかけも少しかけて。
 こういうレトロごはんは結構油やバターが多くてくどかったりする。現代風にアレンジして普段の食事に。でもバターを少し風味付けに使っても良いかなという感じ。これは好みの問題。

 我が家で作っていない食材は実家の米と油、塩、牛乳、胡椒ぐらいかな。これがケチャップを使って、ホワイトソースも缶詰を買うと一気に顔の見えない食材が増える。外国産が増える。
 今は忙しい家庭の家庭料理は出来たものケチャップやマヨネーズなどを使うのが当たり前でカレーもルーを使うのが当たり前になっているけど本来の姿ってそうではないのではと思う。家庭料理ってその家庭の特徴があるもの。
 そしてその土地の食材をその土地にあった料理法で作る。それが食文化を作るのだと思うけど私達にもその知恵は無い。

 出来るだけ一からシンプルにあるものを使った料理でありたいと思う。

2009年10月12日 20時26分33秒 | Weblog
 昨日、実家の稲刈りにそして戻って自宅の村の祭りに参加する。
 
 実家が米を作っているからとりあえずはここで作らずに済む。野菜栽培と米栽培いつかはと思うけど何時になるか。

 実家は化学肥料も農薬も使う。これを使わず栽培するのに除草が一番のネックになってくる。これさえクリアーできればなんとかなりそうな気がするのだけど。実家もここも水もちが悪いから高水も難しい。ここでは作っていないけど頭の中には米栽培をどうしよか良く考える。
 実家はまだ?はざかけと言って天日に米を干す。当然天日干は旨いが時間も労力も掛かる。コンバインで乾燥機に入れると半日で終わる一反半を2日掛かって稲刈り、はざかけをして2週間干す。そして脱穀、籾摺りという工程を経てようやく玄米となる。この栽培の絶対条件は家族全員参加。

 

台風

2009年10月09日 03時46分32秒 | Weblog
 朝起きると枝や葉が散乱。畑へ行く途中も木が倒れていたり・・・。

 え・・と。畑の状況ですが大きな被害が出ています。この時期作付けが多い葉物は強い雨風によりなぎ倒され折れたり、強い雨風のせいか葉はズタボロです。
 軟弱野菜の小松菜やルッコラ、ホウレンソウといった葉物はほぼ全滅状態になるのではと思います。時間の経過と共に復活するものもあれば良いのですが。

 大量の雨で畝の上まで水に浸かってしまった所もありました。朝一でそういう場所は水抜きをしたのですが根の痛みが気になります。今後病気や生育に影響が出なければ良いのですが。

 しばらく復旧に時間が掛かりそうです。


 こういうことは農業に付き物。
 改めてバクチに近いものがあると思う。病気や害虫で被害が出ることも、こういう天災も農業には付き物でこのリスクを生産者は全て負わなければいけない。
 しかし決して農業だけのことではなく工場だって風で屋根が飛んだり、浸水したり地震で崩壊することだってある。ただ自然と直接的に関わりを持っているので影響を受けやすいという事ではないか。
 
 台風上陸前、ラジオで農家が温室みかんのビニールを破っていると流れていた。うちのハウスみたいに小さかったら外すことも出来るが大きければ時間がなく破らないといけなくなる。このビニール代数万円では恐らく収まらないのではと思う。ただ全壊することを思えば破るという事になる。
 外のビニールや資材は避難できても中の作物は避難できるわけではないのでそこに被害がでる。最善の処置であり万全の処置ではない。

 私みたいに成り立っていない農家は寿命が縮まる思いであるが2年目でこういう経験が出来たことは良いことだとプラス思考に考える。そして心の中は辛いだけではなく自然との関わりを持てている事にある意味楽しむという感覚を持つ。「しゃぁない」の一言だ。

 時間の経過と共に状況は刻々と変わるので今は目の前にある状況を整えることに最善を尽くす。それのみである。