まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

イタドリ

2010年04月30日 04時53分57秒 | Weblog
今週から収穫が始まり端境期後2回目の収穫日。
しかし、野菜が無い。畑から寄せ集めかき集め何とか13セット作り上げる。

朝一番に両親から電話が鳴る雨だから水族館に行かないか?という誘いだったのだが当然収穫が無くてもそんなヒマは無い。
という事で息子だけ迎いに来てもらって連れて行ってもらう。

そういえばもうゴールデンウィークである。そんなことすっかり忘れている。関係ない。。
農業を始めてどこかに出かけるなんて全く思わなくなった。「遊びに行く」という言葉自体不自然にも感じるようになった。

ここにいれば日々が楽しい。日々遊びとくらしが繋がっている。

出来るだけここから離れたくない。とも思う。


出荷作業が終わり嫁さんはイタドリを採りに行く。

実はこれルバーブに似た味をしている。しかしこれをジャムにするとルバーブよりもウマイ。どこかキュウイに似た味がする。

ルバーブと言うと都会の人は耳をヒクヒクさせるがイタドリと聞くとあまり関心が無いようだ。
畑のようちえんでもお母さん方はあまり反応が無かったと言っていた。

私なら声をあげて喜ぶのになぁ。


これは恐らくルバーブと同じタデ科かなと思う。
そこら辺に生えているギシギシもスイバもタデ科。姿はどれも良く似ているそして酸っぱい。スイバはスイ=すっぱい 葉っぱと言う意味。

蓚酸を含みどれも食べすぎは禁物。結石の原因になる。

田舎ってなんておもしろいところだろうと思う。
畑の畔にはノビルやツクシ、ヨモギ、カンゾウも採れる。
雑草と言ってしまえば雑草でしか無くなってしまうが山野草と名をつけてやれば立派な食べ物、薬草となる。

ハーブと言えば聞こえも良いがどれも外国の香る草だ。
日本の地味な山野草だって立派なハーブである。

快晴

2010年04月28日 21時28分41秒 | Weblog
今日は暖かい。いや暑い。

ようやく気温が上がった。
でもまだ霜が降りるんじゃないかと植付けは慎重になってしまう。のびのびになったインゲン、花芽を付けたズッキーニ・・・。早く植えたいのだけど。
先に植えたズッキーニは不織布を掛けていたものの霜にだいぶやられている。

朝は苗の水遣りから始まる。
そして畑のようちえんに参加されるお母さんお子さんを駅まで迎えに行き戻るとメンバーのお母さんから旦那さまの着ない服を頂く。

正月用にしよう。子供の服もほぼ全てお客さんや親戚からのもらい物。頂いて服が揃うなんてなんてありがたい。
私の人生、もらい物人生。

ようやくナス、ピーマン予定地に肥料を置く。今年は去年の温床の堆肥と市販の堆肥も入れる。
畝の作り方肥料の置き方から全て今年は新しい方法にする。
トラクターが来たのが大きな理由でその自分のある状況から栽培方法は変わるもの。

無いなら無いなりの工夫をする。あるならあるなりの方法をとる。
そうする中で失敗を繰り返しながら栽培方法は出来上がっていくものだと思う。しかしもうそろそろ安定しないと、お客さんが多いと「出来なかったら」というプレッシャーは少なからずある。。

今日の畑のようちえんは体験参加が一組加わる。
そして活動日が月1回から2回そして毎週になる。仕組み等の変更し今回は事前連絡に嫁さんが回したメール以下。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
あまりにもモノの溢れすぎた現代、活動中は、できるだけ『ない』ことを大切にしたい と思っています。鼻がたれても柔らかい草でふいたらよい。多少のすり傷はよもぎ揉んで当てて置いたらよい。もしおにぎりが足りなくてお腹がすいても、ない=ひもじい思いをすることも大切な事(活動中は) と思います。
ので持ち物はできるだけ簡素がいい と思っています。(あくまでも活動中は。解散後の帰り道の為におやつ等必要なものを持参していただくのは大丈夫です。)
又、子供の遊びに関してはできるだけ「ダメ」を言いたくない ので、親の都合でダメをいわなくていいように、着替えの用意や汚れては困る服ははじめから脱いでおく等の工夫をお願いします。(それでも全て汚してしまった時には我が家の服使ってください。譲っていただいたおさがりのものばかりですが・・・ご遠慮なく言ってください。)

そして今回は、子供たちのペース、子供自身からの行動、関わりを 特に大切に見守りたい。
できなかったらできないでいい、したくなかったらしなくていい、したいのであればすればいい。
それぞればらばらでもいいですし、一緒でもいい。 
おかあさんは危険のみをしっかり見守りながら「口はチャック、手はうしろ」 でお願いします。
余分な声かけはできるだけしないよう・・・しんぼうです。
(時と場合によってはほめることも、促す事も、励ますことも・・・余分 である場合がある と思う。)
その子のそのままを受け入れたい。
そうすることで 子供の内面、力をしっかり見つめることができる。たとえ非日常的でも1ヶ月に数回でも、そうゆう時間(その子がその子そのままでいられる、そのままであることを認めてもらえる時間。)を意識的に作ること が、母子共にとって必要なこと(そのことで子供も心の土台を作っていける)だと思っています。

ただ、その価値観(=危険だと思うこと、余分だと思うこと)はおかあさんそれぞれ なのでその判断はおまかせします。
その時その時でまた思う事、迷う事などがあれば活動後にでも皆でお話しできたら と思います。


自分の子以外の子供たちとの関わり合いも、できるだけどの子も同じ と心がけたい。
(子供同士の喧嘩の時なども、子供たちは皆 自分の子で兄弟なのだと思うと判断しやすい です。)
ただ、あくまでも「できるだけ」です。なかなか同じ にはいきません。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



長いですが私たちの 畑のようちえん はサークル活動でもピクニックでもなく「保育」。

一見、母子たちが集まって遊んでいるようではあるけど意識する事でその場が作られる。
そして日々の育児の支えに、ヒントになればと思う。そしてそういう声が聞こえるのが何より嬉しい。

しかしすっかり外れてしまった私は仕事しながら楽しそうだなぁと横目で見ているのだけど母ってなんて良い仕事なのだろうとこういう時思う。
オヤジは母子食わすためにセコセコ?ボチボチ?
野良仕事。

古民家再生とセールスマン

2010年04月26日 21時09分46秒 | Weblog
昨日は古民家再生 第2弾 土間のコンクリート打ち。

家を作るのに設計は建築士、棟上は大工、基礎打ちの職人がいて左官屋がいて建具を作る職人がいて瓦屋と沢山の人が一つの家を建てるのに関わる。

今回指導してくださった知り合いの方は普段は基礎を作っている。
こういう家を触ると職人と言われる人の仕事を見られるのが楽しい。



今日家に帰って来ると嫁さんが「エコ急騰のセールスマンが来て・・・」と。

話を聞くと国の助成金が出て80万で買い換えられると。
夜中の安い電気を使って湯を沸かし保温しておくらしい。
15年ローンで元が取れると。
30年使えるから15年得しますよという話だったらしい。


話が少し変わるけどエコカー減税や補助金でハイブリット車が一気に普及したけどこれ本当に環境に良い?こんなの馬鹿げた環境対策だななんて思っていたけど今月号のDAYS JAPANでこのエコカー生産で需要が増えたリチウムを採取する為に起こるであろう環境破壊を指摘していた。
その資源を採取する現場には伝統的なくらしを営む人々がいる。

何時も裏を返して見えてくるものは環境だエコだなんていって一番環境に負荷を掛けずに暮らしている人々を追いやって先進国はエコといううたい文句に金儲けをする。
それが国ぐるみなのだから。。今の多くのエコの真実はお金だろうと思う。


さてさて
我が家に来た営業マンに嫁さんはちゃっかり情報収集をする。

光熱費が安くなりますよ。いう営業なのでお客側には損する話ではない。
そこで営業マンに聞く。「どれくらいの人が買い換えますか?」
営業に行って8割は買い換えるという事らしい。

この仕組み、なんでわざわざ使わない夜中に湯を沸かす必要があるのか。

電気って貯められない。そして原子炉は出力調整ができない。
非常に危険なことでチェルノブイリと同じことが起きる可能性が高くなるということ。過去一度日本は試験を行なったがそれ以降はされていない。
夜中も昼間も同じだけ電気を作っている。今はそれを無駄に水をモーターで汲み上げたりして捨てていてこの電気を使わせたいということを国が私達の税金を使って行なわれている。

ガス屋は厳しいだろうとセールスマンは言っていたようだけどガスが無くなるのは困る・・。
人間古代から火を使ってきて何故今電気にする必要がある?

原子炉ってCO2なんて比にならないぐらい危険で地球そのものが無くなってしまう放射性物質を毎日のように排出している。
今世界の環境問題は環境破壊、地球破壊へと向かっているという事をどれだけの人が分かっているのだろう。

国も企業も金儲け金儲け。

ネギ坊主。。

自分の感覚

2010年04月24日 23時25分47秒 | Weblog
しかし寒すぎないか?

気づけば明後日は端境期後はじめての出荷。
2週間前にはこれぐらいの大きさなら大丈夫だなぁなんて思っていた菜っ葉類はまだまだ小さい。
4月に入ってトンネルを外した大根は抜いてみると・・・小さい・・。

ハウスの中の苗も遅れている。
去年と同じ時期に種を播いたのに。植え痛みもあったし。。
今日は雨が降ったり晴れたりを繰り返すからハウスを開けたり閉めたりを繰り返す。
ハウスの中は30度を越えたと思ったら一気に15度に下がったり。

どういう気候がホント?何時を基準に種を落としたら?


先日毎度の種苗屋に行ったとき「サツマイモまだ早いで。植えるんならトンネルしいや。去年も寒かったけど今年はもっと寒いから温度で植える時期決めてや!」と何度も叫んでいた。

そう。
最終的には自分の感覚。

サツマイモなんて昔の梅雨時期に植えようとすると最近は雨が降らんし、暑いし、でまず焼けてなくなる。最近だったら4月下旬でも植えられた。
5月に入って雨が続く日がベストかなと思っている。温度もそこまで上がらないから晴れても焼けるという事が少なくて済む。
さすがに今年でも5月に入ったら大丈夫だと思うのだけど。

自分の感覚に頼ろう。

何より畑が乾かないから機械が入れられず夏野菜の場所が作れない。
どうなるのやら。

植替えと買い物

2010年04月22日 21時36分53秒 | Weblog
今日は一日雨。

朝少しゆっくりしてハウスでカボチャの植替えをする。
植替えにはちょうど良い天気。
日照りと高温は植え替えた苗には厳しい。温度があって曇り空が良い。

今はセル成型苗と言うのがあって小さいポットに種を播く。昔のように育苗箱か木箱に播いて鉢上げをすることを思えばだいぶと気は楽。
殆ど根を切らずに植替えできる。タイミングは根鉢が出来た時が良い時で根が巻き過ぎると活着が悪いし出来ていないと植え痛みが酷くなる。あと天候の問題でまだ早いけど良い天気だからしようかとか良い時だけど日照りが強いからもう少し待とうかとか。

しかし今年もキュウリの活着が甘かったようで植え痛みがでる。
3月の植替えはやり易いのだけど4月に入ってからは一気にハウスの温度が上がるから気が抜けない。


午後からは結婚して初めて何時もいく作業着屋さんでズボンを買いに行く。
穴のないていないズボンが一着になったので・・。嫁さんの繕いが間に合わない。

何時も行くと言っても長靴しか買った事が無いのだけど、ここの店主前話した内容を良く覚えている。こういうところはまた行こうと思う。

ホームセンターで長靴を買うと年に何回も買い換えないといけないからここで買うと2回ぐらいで済む。良い物を買ったほうがよっぽど安上がりだ。

しかし寒いような気がする。
まだタイツをはいている。オヤジ化か?寒いのか?

トマト今年も沢山苗作っています。

くらし

2010年04月20日 20時32分04秒 | Weblog
昨日は畑が忙しいのだが5時に切りあげて「森の勉強会」に出席しに1時間掛けて出かける。

田舎に移り住んで身近にある森だが知識が乏しい。畑のようちえんの活動場所の一つとしても森を活用したい事もあって今回出席することにした。戻ると10時前。

今日は昨日やり残した仕事を朝、雨前にと思ったのだが起きたらすでに降ってる。合羽を着て鍬を振り回し、苗を植える。
そのおかげで最近痛い腰痛もさらに悪化。昼になってフラフラになって家に戻ると雨が上がる・・。

嫁さんの買い物に付き合うと言う口実でサボる。

そして戻ってコーヒータイム。

就農当時は半日休んでセコセコ働くのではなくどこか生活にこういう時間も大切にしていたように思う。嫁さんもお菓子やキッシュやらを良く作っていたけど最近は忙しさで減ったように思う。
こういう日々の手づくりって大事だと思う。

たまに「休みはあるのですか?」なんて聞かれるけど「毎日仕事で毎日休み」なんて答えるのだけど日々の暮らしの中でこういう時間をつくるのも、忙しくするのも自分次第なのが農業。

就農当時の畑は5000㎡今は9000㎡になり小屋もハウスもあるから日々農作業に追われ、雨の日も働くようになった。
こういう中でどうやって日々のくらしを作っていくかを改めて考える。

農業で自立する事は最優先事項ではあるのだけどそれよりも大事なのは日々のくらし。


道具

2010年04月18日 21時27分11秒 | Weblog
何だか昨日は頭痛とめまいでノックダウン。
8時に寝て7時に起きる。原因は腰痛からだと思うが1年目はこんな事をよく繰り返していたなと思い出す。
農家のくせに体力も無いうえに腰痛もち。

今年も野菜の出来が良くない。毎度のことだけど・・。
また種を蒔いたけど芽が出ない・・。こんなことを繰り返し畑の真ん中で一人ハァーとため息をつく。腰痛は気からもきているのだろう。

こんな体力も気力もゼロでふてくされて寝たら何とか腰痛も気持ちも持ち直して畑に行く。

昨日、今日、明日の三日間は雨の間の晴れ間。雨上がり一日を除いて二日間で機械を入れて、肥料を入れて、畝立て、マルチ張りを一気に進めなければいけない。
育苗ハウスの中の苗は待ったなしで植付けを待っている。昨日の分も取り戻す。
気づいたら7時を回ってあたりは真っ暗。

帰り際何を思ったか軽トラに積んだ機械にロープを掛けずに発進して機械を落としてしまう。機械は無事で一安心したが鍬を2本折ってしまう。
いらない出費がかさむ。何より愛着があるもの。
ホームセンターで買った特別良いものではないのだけどこれがなければ種も播けないし草も削れない。就農以来付き添った自分の片腕のようなもの。
道具って新しく買い換えれば良いってものではないよなぁ。


頂いた竹の子。
網焼きにしたもの。オリーブオイルでソテーしたもの。さしみで。

この中で以外にオリーブオイルのソテーがうまいのなんの。
こういう季節のものを頂くのはありがたいなぁ。畑では出来ないので。

そういえば嫁さんがしきりに「毎月のお便りで「心地の良い春が続きますが・・・」と書いたけど発送したらまた寒くなってぜんぜんそんなことないやん」という事を書いてと言っておりました。。

畑のようちえん

2010年04月14日 20時31分43秒 | Weblog
今日は畑のようちえんの日。

皆が保育中私はハウスでトマトの植替えをする。いよいよ忙しくなってきて作業が常に停滞しているという時期に入ってきた。

午後からは母親ミーティングに参加する。
だんだん皆さんが打ち溶け合ってきているように思う。
そして皆さんが帰ってから二人で2次ミーティング。

見えてくるのは都会と田舎の生活の差。
あるお母さんが「子供から目が離せない」という。続いて「私も」という声が聞こえる。

私達の普段の育児は少々子供の姿が見えなくても何とも思わない。それは太陽が危険な場所などある程度把握して親子関係がそれなりの信頼関係があるから。そして田舎だから。
都会は車通りも多いし身の回りには知らない人が多い。危険が多い。当然、目が離せない場所で私たちはそういう都会での育児は出来ないとここへ来た。

そして太陽を子供として、宝物として付き合うのではなく、一人の人として付き合う。太陽は生まれて2年半であるというだけ。
すると子供って本当に我がままなんだなぁと思う。
良く嫁さんが「周りの子供を見ているととても聞き分けが良い様におもう」と言う。子供に「あれしたらダメ」「これしたらダメ」と言い続けると聞き分けが良い子に育つのだなぁと我が子と比べて思う。

ここでは出来るだけ子供たちは自由に遊ぶ。
保育園と違い皆と一緒に何かをしなければいけないということはない。一人先に行っても、遅くても良い。水溜りにも靴が濡れようと服が濡れようと構わない。
大人が遊びを仕切るのでなく子供が遊びを自ら作り出すことを大事とする。
遊びを細切れにしない。
子供の気持ちを尊重し、大人の都合でものを言わない。
大人は出来るだけ口は出さない。

と言うのが私たちが思う保育なのだが今回嫁さんは皆との意識が違うように感じたようで少し悩む(でも母親ミーティングでは迷いもあり上手く伝えられなかった)次回の議題にしようと思う。

しかしそこで我が子を見て、こういう子に育つと都会くらしは大変だなぁ・・・と。服はすぐ汚れるし、時間は関係なく(子供は当然なのだが)遊ぶ、行こうと言っても聞かない。
くらしの延長線上での保育なのに田舎くらしと都会くらしの子供たちが果して同じ保育で良いのだろうか?と悩む。

私達の育児は出来るだけ太陽の自由にさせる。命に関わらないなら声に出さない。転ぼうが落っこちようが濡れようが死なないなら怪我をしても構わない。
彼は身体でここでの生き方を学ぶ。だから彼を信用できるようになる。

彼の自由を奪う権利は私たちにはない。
私達の手を離れれば彼は一人で生きなければいけない。その時に世の中の多くのしがらみにとらわれることなく自らの足で歩める人、自由を訴える力を持てる強い人になってもらいたい。という願いをこめて、
私たちは彼を世の中に送り出すという使命に責任を持って育児をしているつもりである。

決して世の中の風潮に流され、自らの意思と反してサラリーマンになることはして欲しくないのだ。なりたいなら構わないけど。

そして人が集まってくると周りの目が気なってくる。迷惑に思っている人はいないだろうか?都会から来て人を集めると言うのはどうなのだろう?
対策は練らないといけないものの、例えば村から手が上がり農業が出来なくなったとしてもそれは仕方ないと私は腹を括っている。決して農業の片手間ではない。
集まってくれる子供たちには責任をもって私たちは関わっていく。場を作っていく。

森のようちえん

2010年04月09日 06時21分18秒 | Weblog
葛城の森のようちえんに参加する。

今回は まつなが畑ようちえん の母親と子供たちも一緒に参加する。一人のお母さんの提案によって決まった事、こうして形が作られて行くのだろう。

何時も参加して思うことは目的が保育であるということ。当然のことだけど・・。

保育を考え始めて半年。まだまだ答えは先なのだが保育は特別な場所ではなく(保育園でも森でも)育児と直結してなければいけない。それはくらしの中に育児がありその延長線上での保育であるべきではないか?ということ。
まつなが畑ようちえんの目的は保育ではなくもっと広い意味を持っている。

今密かに思っている事がある。
それは将来 妊婦の家 を作りたいという思い。妊娠という時を見つめるととてもおもしろく幸せな時間である。(旦那にとっても)人が誕生すると言う原点は多くの事を気づき学ぶ。ここから育児は始まる。
妊娠、育児、学びが畑という場所にあるなんて何て素晴らしいことかと思うのだ。

あるお母さんが「牛乳は控えています」と言う。あるお母さんは「牛乳は体に悪いのですか」と質問する。
日本には牧場も殆どなく狭い牛舎で外国産の飼料で育った牛の牛乳を沢山飲むことは不自然ではないだろうか?と言うのが私の意見。我が家では全うな牛乳を少し飲む。

ここから食とは何かと考える。
答えは簡単で私は農家だから野菜中心の食事である。漁業をしていれば当然魚中心。乳牛を飼っていれば牛乳を沢山飲むだろうしそれを加工した食べ物を沢山食べるというのが本来の姿ではないだろうか。
これはくらし、育児にも当てはまる。

お国様の総司令で北から南まで同じ食べ物、育児、保育と言うのはどういう事だろうか?

その風土のくらしから食べ物があり、育児があり、そこに繋がる保育を模索していきたい。

今の野菜の販売形態である野菜セット。
これは土と繋がるくらしの提案で 畑のようちえん の母子はこのセットを食生活の中心としていただいている方々。
その上で まつなが畑ようちえん は成り立っている。


2010年04月08日 20時21分39秒 | Weblog
昨日は 畑のようちえん の作業日。
活動日が月2日そして2日が自由参加で農作業や何か作業をする。
母親達の話し合いによって形が出来ている。私達が決めた枠組みにはまった形ではなく出来るだけ自由に物事は決めて行きたい。もちろん制限はあるのだけど自主保育と言う形なので出来るだけ自由な幅は持たせたい。

その後実家へ行き藁をもらってくる。

行き来でこの稲藁の使い方を考える。
以前から疑問に思っていた事があった。それが以前参加した木嶋利男先生の講習会で何となく解決した。
土作りって何だろう?果して牛糞を大量に入れるのが土作りなのか?

効率化を進めて行くと畑の草って減ってくる。これはその土で有機物(炭素)生産が減るという事になる。また様々な草などの植物に寄生する菌が単純化するという事もいえる。
そこで土作りが必要になってくるのだが今の土作りって体外が「牛糞(堆肥)を入れなさい」と普及所は指導する。また家畜のワクチンや粗悪飼料の糞はどうなのか?有機農家としてそこら辺を容認するのは何だかおかしい。自然放牧なされている牛糞なら喜んで使うのだが・・学生の時地域の資源を活用する事、家畜糞の環境汚染などを指摘していたが飼料100%外国産であればそれは地域資源でもなんでもなくその飼い方に問題がある。

そして昔の土作りとは今とは少し違う。
山に入って落ち葉を拾ったり、稲藁を人糞とで堆肥化したが今みたいに囲いをしてどれくらい温度を保ってこれだけ切り返しをしてということはしていない。野積みで今みたいに炭素率を低く調節しない。

稲藁を雨ざらしすれば窒素分がなくても分解される。それは何もしなくても一定の水分があれば自然界は自然と炭素率を下げる作用がある。それは無肥料栽培の原理でもある窒素固定菌が無肥料状態で働くからだろうか。落ち葉でも時間が経てば分解、土化して山の表土となる。

そこで堆肥化するときに炭素率を低く調節すると分解は早いが働く菌は炭素率が高い時と違う。
これは土壌環境にも影響を及ぼすということ。

完熟堆肥は灰だと木嶋先生は言っていたが分解されてしまうと微生物の働く余地は確かに無いのかなと思う。

そこで中熟堆肥もしくは未熟堆肥(分解前の有機物も含めて)の施用技術と言うものがある。でもこれ昔と同じ方法。

スイカ農家が栽培後藁を埋めて分解させる。少し知識がある人は窒素飢餓の原因にと思うのだが、スイカを作った後は土が肥えているから蜜柑を植えると良いと言う。これは稲藁を生で鋤き込むのとは少し話が違う。

面倒な堆肥作り、昔の人は今みたいな面倒なことはしない。それは農作業という中で限られた労働の中で必要なことだけをしてきた。今みたいに機械が無いのだから本当に必要な部分だけを行なう省力栽培になる。


今の日本人の悪い癖は物事を総合的に見ないで短編的に見るということ。土を研究する人、堆肥を研究する人。こういう人は堆肥がどういう役目かと言うよりもどれだけ早く大量に分解をさせるかを研究するから本当に大切な事を知ろうともせずに研究に没頭する。

持続可能な農業とは外国産の飼料で育った牛の糞を使って大きな機械で作る堆肥を使う農業を言わない。

なんて運転しながらこんなことを考る。

誰がこのブログ読むのだろう??

Sくんのこと・・。

2010年04月05日 20時25分30秒 | Weblog
去年手伝ってくれていた友人のSくん。今は私のすぐ近くで「ぼちぼち農園」として就農した。→http://gits.blog28.fc2.com/

先日遠目から見かける。
手伝いに来ていた時は一度も畑に姿を現さなかった奥さんも一緒にえっちらほっちらとスコップで畝を上げている。

何だか少し羨ましく思う。
私たちは太陽が生まれて半年後に畑を始めたから嫁さんと一緒に作業と言うのは少なかった。
今では栽培は私一人である。嫁さんにはその他の事務仕事などをやってもらっている。実はこちらの方が農家にとって重要な部分でお客さんとの橋渡し役的な部分を担ってくれている。

Sくん夫婦を見て無謀であってもやれる若さみたいなものを感じる。年上なのだが・・。
私たちは農業と言うものをある程度知っていたから息子が産まれなければ農業はやらなかった。技術、資金など将来性から自分達には出来ないと思っていた。思っている。

そういう意味で私達の方がよっぽど臆病だと思う。

一度は彼らの就農に反対したのだが、
夫婦二人なら生活費もそこそこでいけるし時間もある。
ぼちぼち出来る環境なのだからそれでも良いのかなと思う。


ようやく埋もれていた人参の草ひきも終わり、菜っ葉の種蒔きをする。
3月は晴れ間が少なく去年だったら今頃は菜っ葉があと2週間ぐらいかな?というぐらいの大きさに育っていたのだが今年は芽すら殆ど出ていない。
毎年同じ時期に種を落とせば良いという訳でもない。
でもこういう時期があると、こういう状況の対処法と言うものが身に付く。ありがたいこである。
私の祖母は農業は天気次第と良く言っていたが今は対処できる方法が少なからずある。それを手間と利益のバランスを考えながら良い方法を取る。時には諦めることも大切。
その方法もこういう時が無いと身に付かないもの。新規就農者は。

しかし今年は端境期が長くなりそう。
こういう状況になるとゴミを出してもビニール資材を使いトンネル栽培を増やそうかと思う。収入が無いのは辛い・・。

土手に寝転がって嫁さんが作ったお菓子を頬張る太陽。子は親を見て育つ・・・。オヤジそっくり。。
こういう良い気候もあっという間に過ぎるのだろうな。

カボチャ

2010年04月03日 05時19分31秒 | Weblog
朝、カボチャの種を播く。
ついでにルバーブ、アーティチョークも。去年も播いたのだがモグラとネズミで全滅だった。まぁこれは趣味みたいなものなので・・・。

カボチャの種を播くタイミングをどうしようか?悩んでいた。
寒さに弱いカボチャは早いと晩霜にやられてしまう。しかし遅いと開花期が真夏に入ってしまい受粉が上手くいかず収量が落ちる。
という事でここでギリギリのタイミングか?農業を始めて3回目の種蒔きは1年目と同じ日に。

カボチャというのは手が掛からない。殆ど放任で栽培できるのだが畝が2,3mに株間1mととにかく場所をとる。
トンネルを被せようとすればそれだけ手間が掛かるということ。それを播くタイミングで手間を軽減できるかを図る。
ちょっとでも収量が多く、ちょっとでも良い品質のものをと言うよりは出来るだけ怠けてそれなりのもの、量を採る。私の頭はそればかり。
1年目、2年目失敗して結局皆と同じ事をやっているということも結構あるのだけど・・・でも「これで良いやん」なんてことも結構ある。


昼に戻るとき先輩農家のSさんとすれ違う。
以前ハウスのパイプをもらう約束をしてなかなか取りに行けずにいた。「もうそろそろ取ってくれるか?」という事なので昼から取りに行く。
早速軽トラが役に立つ。
直菅は積みやすいのだけど曲がったパイプは積みにくい。当然前と後ろに大きくはみ出る。

これはハウスを建てることは恐らく無いのだが曲がっているのは伸ばして切って支柱にしたり曲げてトンネル支柱にしたりと何かとパイプは使い道がある。

何往復かして戻って来ると5時半。畑をグルっと回って片づけをして帰る予定だったのだが人参のトンネルの中を見ると草のシャングル・・。草抜きをする・・・。
草の中から人参を見つけ出すのは至難の業で恐らく1パーセントが人参で99%は草だろう。冗談ではなくて・・ホントに・・・。
抜いていて見つかる人参は草に押されてヒョロっと徒長している。なんとも情けない姿。おまけに草で結構消えたのもあるのだろう。まばらでまた時間が掛かる。

1年目2年目同じ失敗をしている。種を播いてトンネルを被せて芽が出たなぁなんて思っていると草が出てくる。まだ人参が小さいからもう少し除草は後かなと思っているとみるみる草は伸びて人参と同じ背丈に。そして次に気づけば。。と言うたぐいで。

私達の思う良い器の条件って何よりも実用性。
持ちやすさであったり、飲み口の質感であったり。
デザインも大切だけど実用性が兼ね備えているから美しい。

毎年頂いているのだが嫁さんの実家からアサリをどっさり頂く。
これが市販のものと違いホント旨い。そして大好物。
早速、器山盛りに酒蒸で頂く。またこれも貰いモノの純吟の酒と一緒に頂く。。

太陽も貝が好きで二人で「美味しいな」「美味しいな」と何度もつぶやきながら食べる。
ありがとうございます。