まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

本来の姿

2009年10月25日 19時25分49秒 | Weblog
 実家の脱穀も終わり時間が出来てくるこの頃。畑へ行っても種蒔きや植え付けもなく、草刈もない。夏野菜の片づけをようやく取り掛かるのだけど「これから冬に入っていくなのだなぁ」という思いは何だか複雑。果して冬を越せるだろうか?播いた、植えた野菜が出来てくるのを順番に待つだけ。不安と期待が入り混じる。



よく自然農で「これが野菜本来の姿です」なんて言うけど「本来の姿」って何だろうなぁとふと思い、畑に腰を下ろして考える。

 果して不耕起無肥料栽培が本来の姿か?

 農耕の始まりは遠く縄文時代からあったとされる。もちろんこの頃は不耕起無肥料栽培。
 昔テレビで東南アジアだったか先住民族がそこら辺に芋を埋めて後はほって置くだけ。という栽培をしていたがその森の土は黒く柔らかそうで見るからに肥えた土に見えた。

 今の畑はどう見ても様子が違う。周りには木は無く土は黒くない。
 森は1cmの表土を形成するのに100年掛かると言われている。毎年、毎年落ち葉が重なり合い出来ていくが畑には生えてくる草しか無い。
 昔の人が山から落ち葉を拾い肥料として畑に入れたのは畑に木が無かったから。そして、人糞や鰯を肥料として使った。牛もいたが欧米のような多頭飼育ではなかったので牛糞と言っても僅かなもの。

 ただここで面白いことは落ち葉や稲藁は養分を吸うという事。江戸時代になって肥料と言うものはあったが無肥料(無養分)に近い栽培をしていたように思う。
 縄文時代と違うのは自給的生産ではなく生産者と消費者が分かれていて自分達が食べる以上の生産をしなければいけないという事。そのために農地は集約し落ち葉をわざわざ山から持ってこなければいけなかったのだろう。

 現代では単面積辺りの収量を確保する為に肥料を多用する。その肥料は全てが外国産。国産米糠だって外国産原料の化学肥料が使われている。
 
 そして今の種は化学肥料、農薬を使って、化学肥料、農薬を使うことを前提として作られている。そういう種を原始時代にもどって栽培することに違和感を感じてならなかった。
 時代と共に野菜は変化してきた。原点を「本来の姿」と言うならそれは山菜ではないかと思う。

 「本来の姿」とはその生い立ちを追うことで見えてくるけどそこを追い求める必要はない。その時代に何が必要であるかが問題なのだ。

 キャベツやブロッコリーなどの原種に近いカーボロ・ネロ。
 スープにするととっても良い出汁が出る。
 
 

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