まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

無知

2013年09月03日 11時41分33秒 | Weblog


私たち、若い世代の好奇心について宮崎駿監督の言葉が心に残る。

テレビ、インターネット、多くの情報を早く手に入れられる時代において、私たちが欲求してきた事柄が現実になっているこの時代に宮崎駿は若い世代の世界が狭まっているという。
情報は世界を飛び回り、検索すればすぐに海外の情報も知ることが出来るのにである。


農業の世界も6次産業化の時代に入りつつある。これからの農業における競争舞台の一つとなるだろう。
人の需要(欲望)に合わせた農業形態に腑に落ちない部分がありつつも農業における多面的要素を発揮して経営に生かすという必要性も理解出る。

ただその結果、その多くが人を堕落させる要因になりかねないと懸念している。

宮崎駿は若い世代の好奇心が狭まっていると言う。
観光農園へと足を運ぶ人の好奇心とは何か?農家の加工品を買い求める好奇心とは何か?
その中身はそれほど意味を持たない、ちっぽけなものではないだろうか?
今だからこそ、幾らかな意味があるかもしれないが、それが身の回りに溢れればテーマパークとなんら変わりのないものになる可能性だってある、商品として経済の中、競争の中に存在すれば、そこにどれだけの意味がるのか?薄っぺらい思想のもと、薄っぺらい好奇心の集まりでは社会的な存在意義ってどれほどのものがあるのだろうか?
税金さえしっかり払えばこの社会に存在する意義があるような思想では人はどこまででも堕落し続けるだろう。



私たちは無知で何も知らないということすら分かりずらい社会になってきたようにと思う。

私たちは何故生きているのか?死ねば終わりなんて思っているのではないだろうか?
空想の世界は知っていても現実、身の回りの事は何も知らない。
この食べ物がどうやって作られて、どういう人が作っているのか?
この家をどういう人が作って、どういう風に建てられているのか?
靴だって、服だって、車だって、今向かい合っているパソコンも、
物に溢れて、情報に溢れて暮らしているのに私たちは何も知らない。

どうして生きているのか?って事が何も知らない。

外には蛇がいて、蛙がいて、バッタがいて、
どこにそれがいて、どの蛇が毒を持っていて、どこが危険なのか?蛇が蛙を飲み込む瞬間を見たことがあるだろうか?だんだん忘れ去られていく。
必要なくなったかのように蛇が消え、蛙が消え、バッタが消え。

人が生きられない世界であっても生きていけるかのような空想の世界。


情報が溢れるに従い、人々は好奇心をそがれ、想像力をそがれ、すぐ手に入る、手っ取り早い情報に翻弄される。
原発も選挙も。
そして、良いように利用されたことに激怒する。

それは無知であることの現れなのだが。
私たちが日々どのようにして生きているのか?ということをどれだけ知らないのかの現れ。


ゴミを出す時、皆は何を思うだろう?
分別する事が環境に良いとでも思っているのだろうか?
集約して燃やす事がどういうことか分かっているだろうか?
ビニールを自分の庭先で燃やすことと、ゴミに出すこと、どちらが罪深いか?知っているだろうか?

無知である事はどれだけ恐ろしいことか。
それは勉学ではなく、身近にあるものにもっと好奇心と想像力をもって接すること、それが自分の世界を広げる一つの方法になるのではないだろうか?


宮崎駿が何故子供たちに向けてアニメを描くのか?
私はそこに賛同し、農業に向かい合いたい。
そして無知の私は知るきっかけを農業にみる。










最新の画像もっと見る