まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

春がきた

2010年02月27日 06時41分14秒 | Weblog
何だかハウスの中のレタスの芽が出にくいなぁと思っていたら、最近気温が高かった。

去年も2月暖かい日が数日続いて3月は思ったより寒いなぁと思った記憶がある。
播種時期を毎年揃えるだけではどうも上手くいかない。


梅は満開でウグイスがホーホケキョと鳴く。
もう春が来た。と何だか焦って来るのだけど・・・春雨が降り一気に草たちの芽が息吹く、虫達がせっせこと活動を初め、鳥達が鳴き始める。やっぱり春は良いなぁ。


嫁さんが言うにはこの時期は排毒の時期。
食べ過ぎは良くない。

自然界は上手くなっていて、これからは野菜が無くなりその代わり排毒作用のある野草が出てくる。
一昨年、去年と野菜が無ければ畑に生えてあるノビルやヨモギ、スギナなどを食べたもの。
農業経営としては野菜が無いというのは現金収入が無いという事なので辛いのだけど人の在り方としては全とうな生き方かもしれない。


自然に即して生きるという生き方の提案をしていきたい。

そう言う訳で

2010年02月23日 05時33分37秒 | Weblog

今日は豆ごはん。

嫁さんの伯母さんからいつも頂く黒大豆がそうりゃ大きくて、そりゃ美味しくて。
それで我が家の豆はどうかなぁ?と。

いや、おいしい。自分で言うのもなんなんだけど。

なんで市販の豆と違うのかが不思議に思う。白大豆は鶴の子大豆だから特別美味しいという品種ではない。恐らく売られているものもこの品種が多いと思う。


農業のおもしろいところでもあるのだけど作物は気候、栽培方法で同じ品種でも味が変わる。
だから種袋に書いてある事なんて全く当てにならない。

全うな野菜って、全うな品種(豆科はF1種がない)、全うな肥料、全うな栽培でできる。でもこの栽培が難しい。ただ手を掛ければ良いという訳でもない、形を揃えるような栽培でもない。手を抜いても、形が悪くても全うに育てば美味しい野菜が出来る。

そして全うな農家は全うな商売をしている。

そうして野菜は初めて全うな食べ物になるのだと信じている。

大豆

2010年02月22日 05時43分15秒 | Weblog

干していた大豆をようやく叩く。
実家の納屋の中にあった大豆を叩く道具。まる吉と刻印がある。
「キチゾウさん」と呼んでいた私の曾祖父のものなのだろう。会った事はないけど。

これで豆を殻から出す。結構飛び散るのだけど一つ一つ手ではとてもじゃないけど出来ない。
この道具も大、中、小あってそれぞれ使い分けをするのだろう。柄となる部分の竹を折り曲げ先に木の棒を付けてある。その棒をグルっと回して叩くのだがこの柄と棒のバランスがきっとあるのだろうと思う。原理は簡単だけどきっと一から作ろうと思うと難しいだろう。

大豆は作るのが始めて、祖母の話を思い出しやってみる。
叩いて、大まかにゴミを取り除いて、篩いにかけて、残ったゴミと虫食いなどのクズ大豆を取り除く。そしてさらに選別。

豆はマメマメしくないと出来ない・・・。

そして出来たのが2キロ。自家用にしても少ない。
栽培は全くマエマメしく無かったからこんなものかぁ。

知識として有機栽培は手間と難しいと言うのがあって、あまり気を入れてなかった。まぁほっといても出来るならやる気が出てくるというもの。


正月に出てくる黒豆が大豆だと言う事を知らない人が意外に多い。確かに大きさは白大豆と比べるとまるっきり違う。そして形もまん丸。
そして枝豆は大豆の未熟なものと言うのも・・。

マメは見ているだけで何だか幸せになる。
野菜と違って営利的になり難いと言うのもあるのだけど、米と同じで普段の食に必ず必要なものだからか。
農家としてではなく自給生活をするなら米と大豆は必ず作る。

本当は農業の要となる作物なのにこれをすると経営は成り立たない。大規模農場として何ヘクタールも土地を持って平地で大型機械を持って始めて成り立つ作物。
大豆の有機栽培って全国的にもホント少ない。昔よりも減っているような気もする。

関電からの電話から独り言

2010年02月15日 20時30分05秒 | Weblog
昼電話が鳴る。

「関西電力ですが…。」オール電化にすると割引があるらしい。風呂の給湯器はガスか?何だのしつこい。こう言う営業の電話って人のことを考えないで喋るからイヤになる。
「いや結構です」と言っても「はいそうですか」となる訳も無く・・。

「うちは電気は環境に良くないのであまり使わないようにしています」と言うと

「夜電球は点けているでしょ?」

「いや電気代がかかるのであまり点けない様にしています」

「テレビは見ているでしょ?」

「いやうちテレビありません」

「ラジオ聞くでしょ」

「いやあまり聞きません」

「あなたの家は情報が乏しいのですね」

「新聞読んでいますからそんな事はありません」

「オリンピックとか見れないのは寂しいですね」

(何故か電気とは違う話に・・)

「別に見たいと思いませんから」

「何だかあなた嫌味言いま「ありがとうございました。」ブチ。

恐らくテレビが無くてあまり電気を消費しない暮らしがウソをついていると思ったのだろう。
私はウソは一切言っていないのに・・・。何だか怒っていたような・・・。

関電の営業でもこんな対応あるんやなぁ。恐らく委託だとは思うけど。


電気って今あるエネルギーの中で一番環境に悪いエネルギー(原子力エネルギー)なのに何だか環境に良いように宣伝する企業。
原子力でもどんなエネルギーでも環境に良いのは使わないこと。
今の時代「あまり使わないでください。」と宣伝するのが真っ当な商売。「減った分は値上げします」とか「新規採用を減らす」とかしてみたらどうか?環境を良くしたいと思うならね。


今日の電話の人もそうだけど使うのが当たり前ということになっている世の中だと改めて思った今回の出来事。
このままだと将来は本当に未来が無いと思う人がどれだけいるだろう?

私にしてみればこの電話の人も良い大学を出ているのに関電に入社して偽善企業の一員として働く人は良いようには思えない。

「生活がある」という声が聞こえてきそうだけど未来の生活、自分の子供さらにその子供の生活を脅かす仕事をしていて自分の生活を守ると言うのは何とも無責任だと私には思えるのだ。

サラリーマンは悪くないとも思う。そういう時代の流れがあったのだから。
でも今の若い人たちこそと思うのだけど、本当に何も考えていない人が多い。
「やりたい事が見つからんねん」という声をどれだけ聞いてきたか。やりたいこととして始めても何だかあやふやにそこに熱く、どっぷり浸かると言う情熱を持てるひとがどれだけ少ないか。
世の中のしがらみから抜け出せずに「やりたい事が見つからない」のではなく「やりたい事ができない」のだろうと思う。

今の学校教育はサラリーマンが作った有無を言わせない為の教育。面接の時でも自分の思いを伝えるのではなく、いかにマニュアル通り自分の思いを伝えているかのように見せるかが問われる。面接のテクニックをひたすら勉強する学生。何だかおかしくないか?

満たされた時代。やりたい事が見つからない、何か物足りないと言うのは贅沢病か?

今という時代を見据え今の時代に沿った生き方をしたい。

牡蠣のオイル漬け。
妊娠中の嫁さん鉄分が不足気味で薬ではなく食事でという事で・・なんやかんや毎年言い訳を作って作っている。
辰巳芳子さんのレシピなのだが簡単で美味い。
私は農家でありながら大の貝好き。全部食ってしまいたいのだけど嫁さんに・・・。

体を冷やすコーヒーは必然的に冬は減る。体が自然とそうなるようになってきた。夏は忙しくても徹夜して豆を煎るのだけど。
そして冬はカフェオレが多い。

カフェオレ用のミルにしているセラミック刃のミルで極細挽きにする。エスプレッソをイメージして高温でジックリ淹れる。
細いので濾過紙の目が詰まりゆっくりゆっくり。雑味も関係無くジックリ淹れた方が美味い。濃く濃く淹れて本来よりもミルクを多めにが我が家流。


第一回 まつなが畑ようちえん 母親ミーティング

2010年02月10日 16時40分32秒 | Weblog
畑のようちえんがいよいよスタート。
2組の応募があり、うちを含めて2歳児の女の子1名、男の子2名、母親3名、父親1名(私、裏方です)で母親ミーティングをする。

2方とも普段野菜セットを取って頂いているお客さん。
配達で毎週お会いしている方々、お子様方。

生産者と消費者という関係から保育仲間という関係に。

育児は基本母親がする。
父親の育児参加は必要だと農業を始めてつくづく思うが決して中心にはならない。男は嫁と子に飯を食わせるために仕事をする。=お金 だとは思わないので私は農業という仕事を選んだのだけど。
という事で私は裏方で母親をサポートする方に回る。

普段の育児に悩みを持たない人は恐らくいないだろう。
保育園はどうしよう?幼稚園はどうしよう?子供にとっていい環境は?

親は未熟者だと私は思っているのだけどでも選ぶのは親。

だからこそその時々で真剣に考えるという事をしたいと思う。
ここがそういう場所になってほしい。



今という時代は昔とは違う。
自分達が育ったように育てれば良いはずが無く、その時々で考える必要がある。時代の移り変わりが激しいというのは言い伝えや伝統が薄れ自分達を悩ませる。
自分達の親の世代は周りに子供が溢れ、親同士の繋がりも強く、考え、語り合うという機会が多かったのではと思う。それがどういう環境だったのか分るはずも無いが子供を2,3人と産みたいと思える環境は少なからず今よりも良かったのでは。

今は近所付き合いも減り、世の中に対しての関心も薄れた。それは保育、育児にも影響があるように思う。
あまりにも情報に溢れ、物に溢れた時代、何が正しいのか正しくないのかの判断を混乱させ、考えるのではなく情報を選ぶ時代。お金を稼いで物を買う時代。仕事をして食べ物を作る訳でもなければ、生活をする物を作る訳でもない。
だから生活そして子育てに考えるという時間が減ったのではと思う。
祖父母の時代は多くは農民だった。

普段の生活の場とは違うこの田舎で何を見出せるか?
昔から営まれる農業や手仕事から何を学ぶか?感じるか?

子育て保育を通して生活を学ぶ。

決して保育は保育士がするような仕事ではなく、生活の一部であり生活をする事が保育であると思うからこそ畑が幼稚園になると思える。

まつなが畑ようちえんは最終的に終わってみて「大変だったけどここに来て良かったな」と思える場所になったら良いなと思う。

子供が幼稚園や小学生に上がる前の時間、私たち親も過ごし方を少し考えると面白い時間になるのでは。

農閑期の畑仕事

2010年02月07日 20時14分40秒 | Weblog
人参の種播きをする。
どれぐらいに出来るかは良く分からない。

出来るだけ早く出来て欲しいので小さい品種を2種類。トンネル栽培。
今年は少なく丁寧に。その成果が出ているのか先月播いた大根は今のところビニールは飛ばされていない。ちょうど芽も出てきた。

農閑期と言っても畑仕事が無い訳ではない。
2月になるとぼちぼちと種播きが始まる。レタスやキャベツ。下旬までには落ち葉と糠で温床を作り夏野菜の種蒔きが始まる。霜の心配が無くなる5月植え付けに向けて苗を作る。
就農した一昨年は半分が購入苗、去年は3分の1。今年は全て育苗しようと思う。

3月までには支柱用の鉄パイプを切ったり曲げたり、堆肥を作ったり、肥料を発酵させたりとやる事はありがたいことに尽きることはない。

今年の種が届く。
トマト、からし菜、カブ、葱・・・。種代だけで年間20万ぐらい掛かる。バカにならない。それなのに毎回余らしたり、播けなくって未開封のものもある。訳の分からないものを作って失敗したり売れなかったり。
もう少し切り詰めたい所だけどここはなかなか譲れない。

農業でこのときほどワクワクする時はない。
種袋にはキレイな野菜が載っていて説明どうりに作ってもそれと同じものになることは殆ど無いが想像を膨らませる時ほど楽しいことはない。

農業とは期待し裏切られ、また来年も同じように期待し裏切られまたその次の年もその次の年も・・そういうもの。





20代

2010年02月05日 06時19分00秒 | Weblog
昨日嫁さんに「明日誕生日だね」と言われ。

そんなことすっかり忘れている。

26歳、あと4年だなと。
大学を辞め農業を志したのが20歳。この頃はまだ世の中が農業に対しての関心は稀薄でもちろん親には「何考えているだ」と対立。でも実は関東方面では相当農業の熱気は上がっていた。今みたいに関西にその波が押し寄せてくることは無かったからまぁ誰にも理解されることは無かったと思う。

あれから6年。
農業はつくづく難しいなぁと思う。これだけ時間を掛けても一人前に稼げていないのだから自分でも「何やってんだ?」と思う。世の中でいうボンクラ。


あと4年と言うのは、20代は挑戦と経験の年齢とどこかで思っているから。
私は農業に掛けたのだが、失敗しても立ち直れる、若いから許されるという特権階級のような時期。
自分の身の周りの状況って色々だけどもちろんその状況に合わせて出来ることをすれば良い。しなければいけない。
サラリーマンだけでこの時期を過ごすなんてもったいない。

周りに全くいなくなった友人。住所変更も、以前持っていた携帯を辞めたことも何も伝えていないのだからいなくて当然なのだけど。
皆行列を作って愚痴をもらしながら行進していて、大学を辞める時や辞めてからも「親の金で行かせてもらっているのに非常識」なんて言われた時もあった。
行列からはみ出るとどこか避難を受けたり、白い目で見られる。愚痴を漏らすなら抜け出れば良いのにと思うけど。

そんな友人にはキッパリ縁を切ったのは私の方かな。
でも行列の中の友人でも理解してくれる友人は微かに繋がりがある。こういう友人ってホント少ない。

世の中のしがらみを抜け出す力があってその中に居るのは良いけど愚痴を漏らしながら、でもどこかそこにいることに安心を求めている人が今の若い人にどれだけ多いか。
こんな世の中はみ出し者の私が見ても面白くない。

20代と言う年齢。ホントに楽しい時間。
30代の時間は30になってから考えれば良いやないか。

以前頂き物の商品券で買った銅の卵焼き器。
ちょうど誕生日の日に着く。本物は美しい。


吉村医院

2010年02月04日 23時08分36秒 | Weblog
カレンダーを見ると今月も何だか結構予定が詰っている。

農閑期なのに時間が無い・・・。理由は何時も家族で行動しているから。この講習会に出かけよう。実家に帰ろう。見学に行こう。イベントに参加しよう。全て一緒に動いている。そりゃ時間が無いわ。。

周りを見渡すと結構嫁さんが実家に帰る時旦那がついて行くという事はあまり見かけない。
今回嫁さんの名古屋の実家へ2泊させて頂いたのだけどその間に嫁さんの前の職場に一緒に挨拶に。すると恩師二人が不在。
そして吉村医院へ。実はこの前にここで出産した嫁さんの友達に会う予定がインフルエンザでキャンセル。そして吉村医院では院長の話が聞けるはずが風邪を引かれたようで中止。。。見学だけさせて頂きました。
今回はこんな感じで・・・。

この吉村医院 産婦人科病院なのだが外見は病院、でも中は助産所を大きくした感じ。裏には例の古家があってまた同じ敷地内にお産の家という日本家屋がある。
そりゃ良い場所でした。

ここに来る前に吉村医院の医院長が書かれた 「幸せなお産」が日本を変える という本を読んだのだけど、この本これから子供を産む人、産まない人かかわらず読んで欲しいと思う。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2724928

私たちは生きる基本の部分を担わせて頂いていると思っているが助産婦や産科医は生命の誕生と言うところ。ここから見えてくるものは間違いなく原点と言える部分。
出産と言うのは自分達を見つめ直すとても良い機会でこれから始まる子育てにとってとても重要な行為。
ここを一番大切に考えここから生活、子育てを考えてかなければいけない。

大変でも、手間でも心がリラックスする事が出産に大事なら普段の生活もそういうこと。

久しぶりに農協に通帳を作りに行ったのだがベテランになるほどキリッとした顔つき。ここにいるだけで胃が痛くなりそう。

何だこれ。


答えはロマネスコ。カリフラワー?ブロッコリー?と言う感じ。