まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

空白の時間

2010年09月30日 18時21分44秒 | Weblog
夜中2時に目が覚める。

台所の方を見ると電気が。
嫁さんが起きている。どうやら母乳を飲ませて寝れなくなって仕事をしている様子。

私も起きて夫婦二人水入らず・・ではなくこういう時は少ないので仕事の話を進める。

空が産まれて夫婦でジックリ話し合う時間がめっきり無くなった。
これから進めていかなければいけない事が多いのでこういう時しかない。

こんな時何か甘いものか、塩辛いものをボリボリと食べたいもの。
と秘密倉庫から頂き物のスナック菓子を出してくる。
田舎に住んで頂き物が多くなった。
物々交換に近いものがあるのだけど、旬のもの、お菓子、おもちゃ、時には長靴!などと様々。。

そんな我が家は普段は作ったお菓子を食べている。頂き物のお菓子は秘密の倉庫へと隠し、時々私の畑のお供として籠に入っていることがある。

そんなお菓子も息子が寝ている夜な夜な夫婦でボリボリと食べながら会議をする。


30分ぐらい経ったときだろうか。。
物音が!「太陽だ!」
と必死でお菓子を隠すオヤジ・・。

夜中の2時半に・・しかも元気・・・

しかし情けないというか見っとも無いというか。。
結局息子に「これなに?」と足元に一つポテチが落ちていて見つかる。


こうして息子太陽に空白の時間から現実の時間へと引き戻して頂き、一枚息子が食べ寝床へ。。

ちゃんと空に毛布を被せ、蚊帳のチャックを閉めて出てきた様子。
3歳になって成長したなぁとなんだか笑える。
子供がいるってありがたいなぁ。。

雨の多い最近は、朝少し仕事をして自宅に戻って濃い目のカフェオレとマフィンの朝食が至福のとき。
息子もよくカフェオレ飲むのだけど、昔子供はコーヒーを飲んだらいけないとか言っていたような。。

空と4人暮らしを始めて

2010年09月25日 05時27分47秒 | Weblog
朝は寒い。。
トレーナーを着てネルシャツを着て。

植え切れない苗を一時仮植えする。
今年は苗を作りすぎたのか場所を作るのが遅かったのか結構残っている。

この時期いつも場所が無くなる。
夏野菜を片付ければ良いのだけどなかなか一人では手が回らない。
夏野菜の作り方を工夫すれば片付ける事もできるか。草だらけにしてしまうと片付けに手間が掛かって冬まで置いておくことになる。

まぁ冬の間は3分の1ぐらいは何もしないで置いてあるほうが土壌にとって良いだろうか。緑肥の輪作も面白そう。



空が我が家にやってきて4人暮らし。
太陽の時と違い良く寝るし、だいぶ様子が違う。

ここで農業をしているのは太陽のおかげだという事を改めて思う。
育児中嫁さんは育児書との違いに悩んだ。
よく泣く。苦しそうに。
夜も昼も1歳半頃まで3時間以上は寝なかった。
目を合わさない。
反り返る。
笑わない。
何かあるのかなぁと嫁さんが行き着いたのは舌癒着症というもの。

関西で一つその手術をする病院へ行ったがイマイチその気になれない医者さんだった。

それなら自分達で と、彼にはこの暮らしではいけない
農業を始める決心の一つである。


もしあの生活を続けていたら太陽はどんな子に育っていたのだろうか。
子供の夜泣きがすごいとか、この子は大変だとかは恐らく世の中よくあることだと思う。
それが子供からの何らかのメッセージであると思う。
ただ育児書などにそういう場合のことが書いておらずお母さんの感覚だけに任される。

この小さい時期に何らかの行動を起こすことで障害をもつ可能性がある子でも乗り越えられるのではないか、もしくは軽減する事ができるのではないかと思う。

世の中のお母さんがもっと子供に敏感に反応し、時には苦しみ、悩み、そして行動が出来れば子供の在り方ももう少し違うかもしれない。

もし例えば太陽がとても重い障害を持って産まれて来ていたら、太陽からその必要性を感じるのであれば、私たちは迷わずもっと田舎での暮らしを選んでいただろう。

そしてこれから先も、である。


太陽がこの場所を選んでくれ
そして都会から近くお客さんとの関係など今の状況はこの畑から始まっている。



サツマイモも菜っ葉も採れ出す。

少量多品目栽培

2010年09月23日 21時20分56秒 | Weblog
菜っ葉が採れ出す。
ようやく端境期脱出か??

就農3年目、この時期にこの野菜が採れて・・・という予測が毎年外れる。
これだけ気候が違うのだから。。

そして去年のこの時期、ダイコンサルハムシという害虫に悩まされた。農薬にはめっぽう弱い害虫だが有機栽培で実に厄介で去年は9月播きの菜っ葉が全滅。9月植えの白菜も被害が大きかった。
防虫の為の被覆資材も効果は無く裾が1ミリでも開いていると入ってくる。有機栽培では難防除害虫だろうと思う。
でも今年は今のところ被害はない。

無農薬栽培は工夫次第だという事が分かる。
どうにもならない事もあるけど慣行栽培でもそういう時はあるから有機栽培が特別ずば抜けてリスクのある栽培だとは思わない。
あとはどれくらい手を掛けて、どれぐらいの品質で栽培するか。どういう売り方をするかでその栽培方法が決まる。

有機無農薬多品目栽培の楽しさってこの自由度にあると思う。
好きな野菜を作り、好きな売り方をし、好きな(その土地にあった)栽培方法をする。


そしてある有機食品を多く取り扱っているスーパーに入って目を丸くした。
我が農園で作っている宿儺かぼちゃ4分の1カットで400円。。
日本かぼちゃ1000円。。。
今年作ったグレープトマト十数個入って400円。。。。
こんなに高いのかぁと思う。
しかも有機ではなく。

でも確かに収量が少ないとか、日持ちしないとか、種の入手が困難であったりと何か一癖ある。そうなると市場から出てくる値段ってこうなるのだろうなぁと思う。

セット販売って小売価格は関係ないから作り安い野菜を作ったほうが経営的には安定しやすいが自由度が高いがために・・・でももちろん経営面考えていかないといけないので。。

今後小売販売用としても視野に入れた栽培、販売が必要かも。

うちのような変わり野菜が多いセットは恐らく希だと思う。
お客さんも戸惑う事が多かったり。

ゴボウのポタージュ。

日暮れ

2010年09月23日 04時37分02秒 | Weblog
明日は雨。。

雨が降る前にやりたい仕事は多い。

今日の作業のメインは大根。最後の種蒔きをする。
そして肥料を播いて菜っ葉の種蒔き。

今日はまた暑い。
大根は播種機を使わず手で播く。

最後に大根と大根の間が20cm~25cm。その間に3,4粒播く。
間引きと言う作業でまだ小さい時期に良い大根を残して1,2本を取る。
間引いた大根を大根葉として食べる。


気づくと辺りはだんだん暗くなってくる。焦って種を落としていく。
汗で種が手にくっ付く。
種が見えなく手の感覚で。
虫が集って来る。

そうしてようやく終った頃は辺りは真っ暗。
でも時間を見るとまだ7時前。
ホント日が短くなった今日この頃。。

大根は少々雑でも芽が出るけどちゃんと播けたかなぁ。


去年もそう言えばこの時期、日が暮れても仕事をしていた。
もう最後の追い込み時期なのだけど「日が暮れればさっさと帰りたいな」
と思ったもの。
今年もそう進歩なし。

と言っても近頃は大体6時半ぐらいには自宅に帰る。
畑作業はまだまだ忙しいのだが日がある時間が短くなると必然的に自宅に居る時間が長くなる。
少しホッとしてくる時期。
暗くなればイヤでも帰らないといけない。
それが農業の良い所かなぁ。

空を遊んであげる太陽。
いや、空で遊んでいる太陽。。


黒いちじくと白いちじく。
ようやく採れ出した黒いちじく。

もういやになるわ

2010年09月22日 04時36分39秒 | Weblog
朝一で水遣りを済ませ太陽を乗せて大阪へ。

種苗屋で注文していた種ニンニク、ラッキョを取りに行って、肥料屋、機械屋へ。。


機械の修理を済ませ事務所に支払いをしに入る。
今日は珍しく社長一人。

接客中で何だか調子が悪そうで・・・
自分の番になって「風邪引きましたん?」
「いやいや大きい病気しましてん。」と言う。

そう言われればその体がそういうふうに見えてくる。
癌かなぁと想像したが違う病気。
生死をさ迷ったお話を聞く。


65歳、そりゃ丈夫そうな体で腕も太い。
まさかと思うがそうなのだ。

そんな話の中で「病は気からと言うけど病をすると気も・・・」
と気力も無い様子。

そして「もういやになるわ」ボソっと。

この言葉、前にも聞いた事がある。


その人は私が実家で試験栽培をしていた時、よく喋りに来てくれた農家のおっちゃん。
若い人が鍬を振るっていることだけで嬉しかったのだろうと思う。
農業をすることに誰もが反対する中おっちゃんだけは優しく見守ってくれた。

夜は8時か9時に寝て朝早く起きて畑仕事をしてから仕事に出勤という生活。
農業が好きだったのだろうか?
ある時鍬の使い方を私の兄に教えている時、へたばっている兄に「男らしい仕事だろう」と言う。
そこに農民としての誇りを感じた。

今の時代、決して農業では生計が成り立たないのを知っていても昔からのその営みを絶やさない。
その姿は昔の農民そのものだった。
姿勢から心、手、顔全てが・・。

そんなおっちゃんも癌になり最後に顔を合わせた時はその大きな体も痩せて小さく見えた。
何をしてもしんどいと言う。
あの時の優しさは無くどこか苛立ちを感じる。

私が聞いた最後の言葉は
目を下にして

「もういやになるわ」


森のこども会

2010年09月18日 05時20分36秒 | Weblog
我が家に嬉しいメールが届く。
畑のようちえんに参加してくださっているお母さんミヤイさん。
38_WORKS.として道明寺手づくりの市を主催、自ら服も作られていて自宅でアトリエ兼ショップもされている多才な方。。

メールの内容は「森のこども会」。
いつも遊びに行く古墳(藤井寺はとても古墳が多い場所)で誰かいたら良いなぁと言う思いから始められるということ。
詳細→http://miyai-works.blog.eonet.jp/tedukurinoichi/2010/09/post-beb1.html

ミヤイさんは「自主保育というたいしたものではなくて」と話されていますが行く先そういう形になれば良いなぁなんてどこか思われているようです。
以前、森のようちえんフォーラムに参加した時「森のようちえん(自然体験型の自主保育)はどこでも出来るよ」ということ。
都会でも少し自然が多い公園とかで始める事ができる。実際、大阪の長居公園でもさせている。
保育と言うのは本来生活の現場に近い場所であるのが良い。

ミヤイさんならきっと素敵な場になるだろうなぁ。。


そんなミヤイさん。出会ったのは道明寺手づくりの市に出展したのがきっかけ。 (今回は産後間もないで申し込みしていません。。) 私たちの就農と同じ年にこの市が始まったような、そして同じ歳の息子さんと。。2年前ぐらいかなぁ。
「一緒に遊べるようになったら良いねぇ」と話していたのを懐かしく思う。

毎週配達で顔を合わし息子さん はる君も我が子と同じペースで成長する。そうすると“お客さまは神様”(もともとそうは思っていないけど)ではなくて、大切な大切なお客さまだからこそ近い関係でいられる。はる君だってやっぱり会う度に可愛く思えてくる。


畑のようちえんは皆そういう方々、こども達が集まって下さっている。


自主保育の場、環境は確かに大事だけど、、それよりもそこに深い愛情が満ち溢れているということが何よりも大事。。
そういう場所が沢山出来ていけば良いなぁと思う。

「森のこども会」今後の進展が楽しみです。。

牛蒡

2010年09月17日 04時20分51秒 | Weblog
まだ例年よりも気温は高いのだろうか?
と言っても朝は寒いぐらいでトレーナーを着ている。
すっかり秋になった。

昼間は日が照れば汗がまだまだ出て来るが、うだる暑さはなく過ごしやすい。でもこういう気候はほんの僅か。。特に今年は短いだろうなぁ。


そんな中相変わらず野菜が無い。
保存している玉ネギ、ジャガイモを何時もよりも多めに入れ、値段を下げ、この場をしのいでいるが在庫もどんどん無くなっていく。
一応収穫した時にはどれぐらい入れていくか、12月までは確実に入れられるようざっと予定を組むが野菜が無ければそんなことも関係がない。

早く野菜が出来てきて欲しい。

そうして端境期に毎年収穫期が早まっているのがゴボウ。。
春に播いて小さいものなら7月に掘れる。ただもったいないのでと置いておく。しかしこの時期、野菜が無くなって堪りかねて掘る。

何時もなら嫁さんに「ゴボウが食べた~い」とせがられ、まだまだと思っても野菜が無くなり仕方なく掘り出すのだが、今年は野菜が早くから無くなったものだから、そんな嫁さんの声を聞く前にせっせこと掘る。
まだ早いのになぁと思っても早くにゴボウにありつけるのはありがたいもの。。

今年は比較的調子が良い。
白絹病という病気でゴソッゴソッと歯抜け状態なのだがわりと真っ直ぐに入っている。
このゴボウは柔らかさが特徴で寒さに遭うと香りがいっそう引き立ってくるように思う。

早くて7月、寒さに強く収穫期が長い。その為多く作って少しづつ出して行きたい野菜なのだが今年はペースが速い。白絹病でも結構やられているからどうだろう。

栽培も手間がそう掛からない。
発芽率が良いから一点播きで間引きいらず。マルチを使って除草も殆ど必要ない。
肥料もそう多くない。
春に種を播いて後は7月から3月まで採れるというなんとも都合の良い野菜なのだ。。

この野菜欠点は一度作った場所では5年ほどゴボウは作れないということ。

ナス科みたいにキク科の野菜はそう多く無いが水はけが良い限られた場所ではそう多く作るのはどうだろう?と毎年作付けを考える時に悩む。

来年は白絹病の対策を考えもう少し生産量を上げていこうと思う。


2010年09月15日 20時01分43秒 | Weblog
朝から植え付けの準備。

そして溜まっていた苗をどんどん植える予定が昼過ぎから雨。。
半分も植えれず、あえなく退散。

土砂降りの中軽トラのに載せた苗を再び育苗ハウスへ・・・


と言ってもありがたい雨。
以前、纏まって降ったのは何時だろう。
一ヶ月以上は確実に経っている。

植えつけてこの雨だったら最高だったのだけど、まぁ降ってくれただけで良しとしよう。


今日は大きい空。





長月

2010年09月15日 04時18分40秒 | Weblog
一年で一番忙しい9月。

以前“毎月のお便り”でお知らせしたように私の一年で一番忙しい月は年に3回ほどある・・・

あと半月もすれば露地では種が播けなくなり9月下旬から10月上旬のニンニクの植え付け、そして最後の菜っ葉の種を播いたら、はれて農繁期脱出。

そしてこの時期忙しさと共に出てくる害虫。
警戒すべくはヨトウムシとダイコンサルハムシ、ネキリムシ。
この害虫を攻略できればこの地での栽培はかなり前進する。


苗が段々ひねてきて作業が押してくる。
太陽熱消毒した土地も足らない感じ。

30度を越える日が20日以上を基準にビニールを張って太陽熱消毒をする。今年は暑い日が多かったから遅くまでビニールを張る事が出来た。
ゴミが多く出る栽培なんとも有機農業的ではない。
しかしこれをしなければ除草の手間があり、何よりもネキリムシに株ごとバタバタ根際を食害し倒されていく。
他の害虫、ヨトウ、ダイコンサルハムシにも大きな効果がある。

ミミズも居なくなるからかモグラも少なくなる。
良いのか悪いのか分からないがこの方法は薬剤の土壌消毒とは違い土壌を無菌状態(実際は無菌ではないのだろうが)にするのではなく表層部だけの消毒である事、表層部でも耐熱菌は生きている。


秋冬野菜、今で800株ぐらい植えただろうか、まだ半分以上ある。
植えた株も暑さのためか活着が悪く遅れている。
苗も根が細い。
植えながら捨てる苗も多い。

また来年の宿題ができた。

どこまで大きくなるオクラ。。

心の冬支度

2010年09月12日 04時49分04秒 | Weblog
日が明けるのも、暮れるのも早くなる。でもまだまだ暑い・・・。

あと少しのようだけど恐らく一気に気温が下がるのだろう。
トラクターのライトを始めて照らしながら耕す。

夕方の涼しい時間、もう少し欲しい。


長かった夏だけど後数日と思うと何故か寂しさが残る。
ホッとする気持ちももちろんあるのだけど、これからはどんどん日が短くなり気温が下がりあらゆる生き物が活動のスピードを緩める、もしくは冬眠に入り静かな冬に向かっていく。

秋は虫も人間も冬支度で大忙しだが気づけばもうトンネル無しでは種が播けないんだなぁと毎年冬の始まりに思う。



秋の寂しさ、憂鬱さがなんとも好きな私。
もうすぐ気温が下がり予測から実感に変わり心の中の何かがドッと押し寄せてくる。
秋のメランコリー。。
それはきっと心の冬支度なのだろう。

春の生き物が一斉に動き出し浮き立つ感じがする夏支度と対をなし、
冬の暗闇に向かっていくための。。

日本は四季があって良かったと思う。
こうして人間の心は豊かになっていくのだろうと何の根拠もなく思う。



運動不足

2010年09月10日 19時47分32秒 | Weblog
ようやく、ようやく少し涼しくなってきた。
そりゃ9月だから・・・。

と思うと焦ってくる種蒔きに植え付けにと作業は盛りだくさん。
おまけに夏野菜の跡地は草に覆われジャングル化している。



今日カイロプラティックに行って来る。
4回目。。
順調に骨は真っ直ぐに戻り今日で終了。
首の骨、頚椎も曲がっていてここを治せる人は少ないらしい。
肩こりからくる頭痛がこれで治るという。確かに肩こりがあっても首は凝らなくなった。


身体についての話を聞くとフムフムと思う事がある。
人間やはり身体を動かす事はとても重要で心と身体は繋がったものだからその身体操作を日々訓練することはとても大事なこと。

柔軟な身体作りは歪みにくい身体を作る。
それは心と繋がるから日々の生活の一部にそういうものがあれば良いなと思う。

農業って意外と歩かないし無酸素運動が多いからか体中が凝ってくる。
一日外の仕事をして「運動不足です」なんていうと笑われるかもしれないが「運動不足なんです・・。」


今畑のようちえんは我が家は出産後間もない為少しお休みを頂いているがメンバーのお母さん方が引き続き活動してくれている。
そして我が子も預かってもらったりと。
こういう形になれたこととても嬉しく、今のメンバーに感謝。

金剛山の登り口での活動。
ここにキレイな水があって良かったと思う。








導き

2010年09月08日 19時39分55秒 | Weblog
台風の季節
そう言えば去年は大雨の中、畑中トンネルの被覆資材を剥がしたり、ハウスのビニールを取ったりした。

作物も結構痛めつけられた。

今年はどうだろう。。
畑が広がるにつれ不安に思う台風。

特にこの時期防虫の為の被覆資材があちらこちらと張りめぐらされ、ハウスの苗はどうなるのだろう。
被覆資材を取った後もすぐ被せないと害虫にやられるし・・・。
死活問題だが毎年大きいのが来たらゾッとする。

大きいのがこない事を祈る。。


空が産まれまたことでまた物事が少しずつ動き出そうとしている。
子どもが産まれるという事は全てのことにおいて変化する時でそれを導かれると言う。

その時必要だと思うことに出来るだけ身を任すようにする。
サラリーマンの時は気づくことがあってもその流れに逆らわなければいけない人生があった。いつか報われるという希望も無く。

今はスッと力を抜いて生きている。
人生選ぶのではなく流れに身を任す。

その行く先、大きな変化がある時はそれなりのエネルギーを要するがその時のために日々の暮らしの積み重ねがあるようにも思える。


キワーノメロン・・・。
メロンと言うがそう言い難い。。
知っている人は少ないだろうがゴーヤを黄色く熟し種の周りの赤いゼリーを食べた時と何となく似ている。まぁ大人は・・・・であるが太陽は好みらしい。
子供の味覚は真っ当かもしれない。
ホトケノザの花の蜜を吸って甘いと思える感覚もう一度欲しいと思う。


我が家はB品のかぼちゃに追われる。
毎日食卓に上がる。今日はかぼちゃのクリームパスタ。
そしてかぼちゃのケーキ。
ケーキ一台に400gかぼちゃが入る。
コレだけかぼちゃの味がするかぼちゃのケーキは始めて。

ネギとオクラ

2010年09月06日 19時52分23秒 | Weblog
夜は秋虫の合唱が気持ち良い。

朝は肌寒いぐらいだが日中は相変わらず35度はありそう。

村の人が昔は暑くても32度とかだったと言っていたけど9月に入ってこの気温はどれだけ異常かが分かる。

セロリ、今年は白いマルチに寒冷紗と暑さ対策をするも植えつけた次の日には葉が焼けている。
それでは無くなってしまう・・・と寒冷紗を二重にする。

セロリは30度を越すと黄化する。どうあがいても5度は下がらぬ。。


この異常気象を機に人間は何か変わるだろうか?

まつなが畑、唯一草一つ無い畑が草の陰も嫌うというネギの畑。
我が農園では土寄せをして白い部分を伸ばす白ネギ。
関西では葉葱が一般的だが何故か私は白ネギを作る。葉葱が決して嫌いな訳ではない。

品種は仙台の曲がりネギで有名な品種。
関西では作り難く出来上がりの見た目が悪いがその柔らかさは下仁田ネギに引けを取らない。
そしてリーキやポワローと言われる西洋ネギも作っている。
日本のネギはどれだけ柔らかく、粘りがあるかがおいしい基準だがコレは全く正反対。
硬く粘りは無い。
その代わり煮込むことで味が引き出され何とも言えない甘味が出てくる。
フランスでは貧乏人の白アスパラと言われるらしい。

あと2種類作っている。
冬の凍えるような寒い日、このネギ達が体を温めてくれる。
それを遠く思いながら3月の種蒔きから除草、土寄せと夏中せっせこと面倒をみる。
あと3ヶ月冬は近い。

自家採取するオクラ。
その形も何とも美しい・・・。

アフリカの北東部が原産。
暑さにはめっぽう強いが少しの霜で枯れてしまう耐寒性はめっぽう弱い。
今年はオクラにとって良い気候なのだろうまだ調子良く採れてくれる。野菜が少ないこの時期にはありがたい。

しかし問題は私の背が足りないこと・・・というのも2m以上も伸びたオクラは背伸びしても採れないものも出てくる。そういう木は手で曲げて採るが何とも効率が悪い。

と言っても肥料は少なくて育つし病気にも強いオクラは孝行者である。



子供の育つ環境

2010年09月03日 20時32分57秒 | Weblog
どんどん苗を植えていく。

この暑さ溝を切って水を流し込み藁を敷き植えて水をやる。
丁寧に進めていく。

藁を敷く手間は苗の値が付くまでの水遣りの手間を考えれば良い方法。
籾殻の方が楽だろうか?
石油原料の資材とは違いゴミにならないし取り除く事も必要ない。
有機物の補給にもなるし。。

効率から見ると市販の資材を使った方が良いがコストと手間を照らし合わせて良い方法を選んでいく。



息子が帰ってきて環境の変化で子供の在り方が見えてくる。

実家にいる時はこことは違い物の多い現代生活。
ここに帰ってきて段々顔つきが変わり落ち着いてくるのが分かる。

そして遊び方も違うように思う。

電車のおもちゃが実家にはあったがここには無い。ということでここではケーキの型が電車になる。
おもちゃと言うのはそのものである必要がないことがわかる。

そのケーキの型がお風呂になって人形を入れたり、おもちゃ箱になったりと変化する。


少ないもので子供はどんどん想像力を働かせ、変化させていく。それが電車の形をしているとそれ以上変化しない。


先日子供の料理についてのワークショップに参加してきた。
そこで何故子供に料理をさせる必要があるのだろう?という疑問。嫁さんは生活の仕事に子供も入ってくる事が成長に必要だと。

そのワークショップで子供の為に、子供の為にとあらゆる事に気を使ってその方法、工夫についてお話しされていたが何か生活と繋げることに違和感がある。

本来子供は見てとか触れるとか自己の内面から発せられる行動から覚えたり感じたりしていくと考える。
それを興味があるから小さい包丁を買ってとか子供の為に台を付けてとかって・・・。

料理が出来上がるまでには・・・

畑仕事をして野菜を育てる。
畑から収穫してくる。
庭先や土間で土を洗い皮を剥く。
釜戸の火を熾す。
素材を切る。
煮る、炒める。
味つけをする。
盛り付ける。
運び並べる。

という長い過程が本来はあった。
その中に子供が育つ環境はあって、ある年齢には役割、仕事が与えられた。

育児というのは暮らしの一部であるからわざわざ子供の為にと言うのはお金と時間に余裕がある人の方法に思える。


下処理されていない野菜セットというのは手間が掛かる。
その手間が過程となり生活の一部となりその中に子どもが見たり触ったり手伝ったりをすることで感じ取るという事で十分ではないだろうか。
そこに引き込む工夫ではなく生活の手間、過程を増やす。例えば掃除機ではなくほうきを使う、洗濯機ではなく手洗いと、その暮らしの中に子供たちがいるということ。


物を減らし、生活を丁寧にする事でくらしの質を高める。
そこにこどもの育つ環境がただあるということ。

豆腐のマフィン。
おいしい。。