私事で何ですが、昨年「不惑の歳」に突入し、今年、いや、まもなく「バカボンのパパ」と同じ年齢になろうとしております。(アニメーション「元祖天才バカボン」のエンディング曲で年齢を開示していた)
「天才バカボン」と言えば、初代のテレビ版のオープニング曲の歌詞「西から昇ったお日様が、東へ沈む・・・」というフレーズが有名でありますが、それを真に受けて学校のテストなどに引用し思いっきり間違った同級生がいた事を思い出してしまいます、彼は今、何をしているのでしょうか?今でも西から日が昇ると思い込んでいると本物ですな。
「天才バカボン」のオープニング曲は更に続くと「これでいいのだ」を連発しますが、最後に「天才一家だ、バ~カ、ボンボン!」で〆られます。
子供の頃は聞こえたものを、歌詞が間違ってるにも拘らず、聞こえたとおりに歌う、又は思い込む、という恐れを知らない時代でありますから今、思い出すと笑えたりするものです。
「巨人の星」のオープニングに出てくるグランド均し(ならし)の「ローラー」を「重いコンダラ」だと思った人は相当数いらっしゃると思いますが、「ルパン三世」のCM前の一言も「ルパン・ザ・サード」だと聞き取れなかった方も多いと漏れ聞きます。
「天才バカボン」のオープニング曲の「日の出が西、日の入りが東」というのを真に受けた私の同級生は最後の「天才一家だ、バ~カ、ボンボン!」のフレーズを「天才以下だ、バ~カ、ボンボン!」だと思っていたそうです。
「天才以下」を全て「バカ」とカテゴライズしてしまう、というかなり危険な思想がそこには見え隠れしますが、それを聞いた時、失礼ながら腹を抱えて笑い転げてしまいました、俺もまだ未熟だぜ。
しかし、改めて「バカ」を考えてみると意外に深い、と言いますか、大げさに言うとそこに真理があるようにも感じます。
「バカ」を辞書で調べると
「馬鹿 莫迦 おろかな・こと(人)、つまらないこと、役に立たないこと」(デイリーコンサイス国語辞典より引用)
と載っていますが、散々な言われようですな、「バカ」は。
事の大小はあるでしょうが「おろかなこと(人)」は確かに「バカ」かもしれませんが、大きすぎるとただの「犯罪(者)」になってしまい「バカ」の範疇ではなくなると考えられます。
「つまらないこと」が「バカ」かどうかは疑問でありますが、そういう人だっているわけですから大きな目で見てあげる事が必要でしょう。
「役に立たないこと」は・・・確かに「バカ」かもしれませんね。しかし、最初から「役に立つ」人がいるのか?その辺の疑問はクリアしておりません。
そう考えると、「バカ」が悪いものにも思えなくなりますが、得をする人間にも勿論、思えません。
その定義で行くならば、料理の世界に入った当初、私は「バカ」にカテゴライズされる人間だったように思うのです。
仕事に真意が判らず適当にこなしていただけの「おろかもの」で、中学を出たばかりで知識がないのはご愛嬌ですが時間を有効に使えなかった「つまらないヤツ」、鍋洗いしか与えられない事を理由に仕事全体の流れを見ようとしなかった「役に立たないヤツ」、確かにそんなものでした。
しかし、それは誰でもそうであって、最初から「バカ」ではない「天才的」なヤツなどいないのが一般的です。
幸い、私の場合、理解のある先輩方がいらっしゃいましたから鉄拳制裁で矯正して頂きましたが、今も若干、残ってはいるんでしょうね、私の中に「バカ」が。
「お前はバカなんだからもっと勉強しなさい。」「お前はバカなんだからもっと本を読みなさい。」「お前はバカなんだから人より努力しなさい。」というお言葉はよく頂いたセリフでありますが、今もその言葉は守っているつもりです。
なぜ、そんなセンチメンタルな事を書いたかと言いますと、実は、先日、修行時代の仲間の方がご来店くださいましてそんな話になったのです。
不惑の歳に突入し、誰も「お前はバカなんだから・・・・・しなさい。」と言ってくれる人がいなくなった現在。昔、言われた言葉を思い出して更に勉強しなければならないな、と気持ちが引き締まる思いでありました。
「バカ」は意外に良いのかもしれません。
上に目指す事ができますからね。
それより、悪魔の原子記号の集合体を操る事ができず、事故当初の「言った」「言わない」の押し問答を繰り返している人間の方が勉強のできる辞書的な「馬鹿」なのかもしれませんな。
「天才バカボン」と言えば、初代のテレビ版のオープニング曲の歌詞「西から昇ったお日様が、東へ沈む・・・」というフレーズが有名でありますが、それを真に受けて学校のテストなどに引用し思いっきり間違った同級生がいた事を思い出してしまいます、彼は今、何をしているのでしょうか?今でも西から日が昇ると思い込んでいると本物ですな。
「天才バカボン」のオープニング曲は更に続くと「これでいいのだ」を連発しますが、最後に「天才一家だ、バ~カ、ボンボン!」で〆られます。
子供の頃は聞こえたものを、歌詞が間違ってるにも拘らず、聞こえたとおりに歌う、又は思い込む、という恐れを知らない時代でありますから今、思い出すと笑えたりするものです。
「巨人の星」のオープニングに出てくるグランド均し(ならし)の「ローラー」を「重いコンダラ」だと思った人は相当数いらっしゃると思いますが、「ルパン三世」のCM前の一言も「ルパン・ザ・サード」だと聞き取れなかった方も多いと漏れ聞きます。
「天才バカボン」のオープニング曲の「日の出が西、日の入りが東」というのを真に受けた私の同級生は最後の「天才一家だ、バ~カ、ボンボン!」のフレーズを「天才以下だ、バ~カ、ボンボン!」だと思っていたそうです。
「天才以下」を全て「バカ」とカテゴライズしてしまう、というかなり危険な思想がそこには見え隠れしますが、それを聞いた時、失礼ながら腹を抱えて笑い転げてしまいました、俺もまだ未熟だぜ。
しかし、改めて「バカ」を考えてみると意外に深い、と言いますか、大げさに言うとそこに真理があるようにも感じます。
「バカ」を辞書で調べると
「馬鹿 莫迦 おろかな・こと(人)、つまらないこと、役に立たないこと」(デイリーコンサイス国語辞典より引用)
と載っていますが、散々な言われようですな、「バカ」は。
事の大小はあるでしょうが「おろかなこと(人)」は確かに「バカ」かもしれませんが、大きすぎるとただの「犯罪(者)」になってしまい「バカ」の範疇ではなくなると考えられます。
「つまらないこと」が「バカ」かどうかは疑問でありますが、そういう人だっているわけですから大きな目で見てあげる事が必要でしょう。
「役に立たないこと」は・・・確かに「バカ」かもしれませんね。しかし、最初から「役に立つ」人がいるのか?その辺の疑問はクリアしておりません。
そう考えると、「バカ」が悪いものにも思えなくなりますが、得をする人間にも勿論、思えません。
その定義で行くならば、料理の世界に入った当初、私は「バカ」にカテゴライズされる人間だったように思うのです。
仕事に真意が判らず適当にこなしていただけの「おろかもの」で、中学を出たばかりで知識がないのはご愛嬌ですが時間を有効に使えなかった「つまらないヤツ」、鍋洗いしか与えられない事を理由に仕事全体の流れを見ようとしなかった「役に立たないヤツ」、確かにそんなものでした。
しかし、それは誰でもそうであって、最初から「バカ」ではない「天才的」なヤツなどいないのが一般的です。
幸い、私の場合、理解のある先輩方がいらっしゃいましたから鉄拳制裁で矯正して頂きましたが、今も若干、残ってはいるんでしょうね、私の中に「バカ」が。
「お前はバカなんだからもっと勉強しなさい。」「お前はバカなんだからもっと本を読みなさい。」「お前はバカなんだから人より努力しなさい。」というお言葉はよく頂いたセリフでありますが、今もその言葉は守っているつもりです。
なぜ、そんなセンチメンタルな事を書いたかと言いますと、実は、先日、修行時代の仲間の方がご来店くださいましてそんな話になったのです。
不惑の歳に突入し、誰も「お前はバカなんだから・・・・・しなさい。」と言ってくれる人がいなくなった現在。昔、言われた言葉を思い出して更に勉強しなければならないな、と気持ちが引き締まる思いでありました。
「バカ」は意外に良いのかもしれません。
上に目指す事ができますからね。
それより、悪魔の原子記号の集合体を操る事ができず、事故当初の「言った」「言わない」の押し問答を繰り返している人間の方が勉強のできる辞書的な「馬鹿」なのかもしれませんな。
「Lupin the Sir.」=「ルパンは英国の貴族」
って、子どもの頃は思っていました。(今は大丈夫!)
でも馬鹿なところが少しある方が、人生は楽しいのだと思います。全て馬鹿なのは周りが困ると思いますが…。
「ルパン・ザ・サード」を一発で聞き取れる人はそういないと思います。
かつて、「ルパン・ザ・サード」を何と聞こえていたか、という話になった時、「ルパン、ルパ~ン!」と聞こえていた人が多かったのには驚きました、私もでしたから。
その中で一人、「ルパンです~!」だと思っていたヤツは「お前、それはネタだろう。」と突っ込まれていましたが。
そんな事で盛り上がれるのも良き「バカ」の証拠ですな。