おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

母と僕の記憶

2012年03月03日 | 日記--感じたことなど
「俺は土門拳になる」の中でも少し触れられているけれど、写真家として今の僕があるのは、やはり母という存在を抜きには考えられない。断片的ではあるけれど、日々のなかで蘇る母の言葉や記憶のかけらを書いていこうと思う。

あれは、中学1年生の時だった。僕は、毎日のように4×5のカメラをかついで、京都に行っていた。京都の大原三千院を撮影するためだった。
平日に大原まで行くのだから、学校は休む事になる。当時の僕が学校の先生に言った休む理由は「僕の家は片親なので、生活のために働かなくてはいけないから。」というものだった。しかし、そんな事がいつまでも隠しおおせる訳が無く、学期末の懇談会でついにバレてしまう。学校と母からはこっぴどくしかられた。母の言った言葉は今でも忘れない。「本当に情けない。言うに事欠いて片親だから働かないといけないなんて。生活に困っているような者が持てるカメラではないでしょ!」と。
確かに、4×5のカメラは、中学1年生が持てるような品物じゃなかった。僕がアルバイトでためたお金では到底たりず、母が買ってくれたのだから、本当に何も言い返せない。
いま寺社仏閣を撮影している僕と、中学の時に大原三千院を撮影していた僕は、使っている機材は変わったが、やっている事はなんら変わっていない。あの頃の思いは今も変わらず僕の中に息づいている。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。