おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

感謝を込めて

2021年03月19日 | お知らせ

紺綬褒章受章のご報告かたがた。

 

大変ご無沙汰しております。

私こと この度紺綬褒章を受章いたしました。

これも偏に皆様のおかげと感謝申し上げます。

 

最近はYOSHIKIや元SMAPの中居くん、香取くん等々芸能人の受章が話題になっているが、写真家では珍しいようだ。

“一流の人間になるべし” これは僕の極貧時代に面倒を見てくれた故今井俊満画伯の言葉だ。

パリで先生(今井画伯)の運転手をしていた頃、18歳の誕生日に高級な靴を頂いた。当時の僕にとっては甚だ分不相応なプレゼントであったが、このメッセージが一言添えられていたのだ。先生も1979年に同賞を受章されている。僕も少しは近づけただろか。今度、先生の墓前にお礼もかねて報告したいと思っている。

 

小学生で“おれは土門拳になる”と宣言してから写真家を目指して突っ走ってきた。あれから既に半世紀ほど過ぎようとしている。その間沢山の方々にお世話になり、また迷惑もかけて来た。改めて心からのお礼とお詫びを申し上げたい。

もちろん、道半ばである。やりたいこと撮りたいものも沢山ある。煩悩の塊とも言えるが人は欲望なくしては生きられないと思っている。苦しいこと悲しいことも多々あるだろうがそれを超えた先に喜びもある。目標が正しければ、それに向かって尽力すれば、自ずと道は開かれるだろう。僕の目標はまだまだ高い。

 

ところでこのブログも本当に久しぶりだ。なんと2019年の夏にパリの写真展を案内したのが最後である。パリでの写真展は本当に素晴らしかった。オープニングには当時の在フランス日本国大使の木寺氏と奥方、パリ日本文化会館館長ご夫妻、パリ7区長が出席され、それぞれからスピーチも頂いた。特に木寺氏は流暢なフランス語で作品の説明までしてくださった。また、写真展終了後はチェルヌスキ美術館に作品を寄贈した。パリではギメ美術館に次ぐ東洋美術の宝庫として有名だ。詳しくは下記を参照。

https://www.cernuschi.paris.fr/ja

ユネスコ本部への作品寄贈などもあり、パリと大阪を行ったり来たりしているうちに、コロナがやって来た。活動自粛要請により、予定されていた写真展は延期、海外へも行けない。

イライラが募る日々であったが、考えを変えて作品制作に専念することにした。そこで昨年5月にアナログ専用のラボを立ち上げた。20年ぶりにプラチナプリントも復活させる。新作の撮影にはこれも20年ぶりにフィルムを使った。お恥ずかしい話だが、いざ撮影しようとした時、一瞬フィルムの入れ方が解らなかった。焦ったが徐々に体が動きを思い出し、無事に撮影することができた。しかし、なんだかぎこちない。リハビリが必要だ。

ありがたいことに新作は完成前から沢山の注文を頂いている。作家冥利に尽きる。

この春からは新しいプロジェクトや延期していた写真展も動き出す。また忙しい日々の始まりだ。

コロナで世界は一変した。

目にも見えない小さなウイルスが人間社会を翻弄している。そんな中、ワクチン開発のため多国間が情報を共有する動きがある一方、我先に有力な情報を仕入れて莫大な利権を得ようとする者(あるいは国)がいる。良いも悪いも人間の本質が見えてくる。右往左往、戦々恐々としている私達のまわりで自然は変わらず美しい。川のせせらぎ、海の青、木々の緑、花の香り、ちらほらと桜の開花も始まった。自然を見習い、共に生きる人間もやはり美しくありたい。

 

東日本大震災から10年。2万人以上の命を奪った災害から、瓦礫の山から、立ち上がり、人は懸命に復興への道を歩んでいる。その姿は尊く美しい。どんなに辛く悲しいときでも、生きてさえいればいつかは笑える日が来るだろう。

生きてきて良かった。最後にそう思える人生にしよう。

僕たちはコロナウイルスの禍からもきっと立ち直ることができる。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。