おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

フランク・ミュラー カップ

2013年10月23日 | メッセージ
伊勢神宮での遷宮の撮影も一段落し
久々に大阪で過している。

先日、フランク・ミュラー ウォッチランドからご招待頂き、乗馬の障害飛越競技を観に行った。
僕は、ライカカメラジャパンの他に、ワールド通商(フランク・ミュラー)からもご支援いただいている。
ありがたい限りだ。



特別ラウンジでは、朝からシャンパンが振る舞われ、
フォアグラなどの贅沢な料理が饗された。
なんとも華やかな空間である。
競技場では、生憎の雨の中、選手達が黙々とタイムを競っており、
その人馬一体となった姿に思わず感動してしまった。
(馬術競技を観るのは、今回が初めて)
やはり馬上の姿勢が美しい人は、タイムも早い。
ミス無く飛んだ選手には拍手が沸く。

和泉市にある杉谷馬事公苑で開催されたのだが、この杉谷乗馬クラブに所属する選手はロンドンオリンピックにも出場したとのこと。
もし、次回のオリンピックにも参加するのであれば、是非とも応援したい。

神宮では、精神を研ぎすませながらストイックに撮影していたが、
たまにはこういう場所もいいな。
緊張だけでなく緩和も大事だ(と、思う)。

スコープバーゼル2013

2013年07月12日 | メッセージ
世界最大級のアートフェア、アート・バーゼル(Art Basel)に先駆け2013年6月10日スコープバーゼル(SCOPE BASEL)フェアが開催された。

アート・バーゼルは世界各国からアート観光ツアーが組まれるほど、世界のトレンドとなるアートフェア。
ハリウッド女優や有名スポーツ選手などが、おしのびで現代アートを体感する姿も見受けられるらしい。









今回、スマートシップギャラリーを通して、『神の宮』を10点ほど初出品した。
日本の神事「遷宮」をテーマにしたこの作品は大変好評だったらしく、スコープのオフィシャルサイトでも取り上げられたようだ。
また、日本からのバーゼルツアーで来場された国内のギャラリスト・キュレーターの方々の反応もとても良かったと聞いている。

昨年、ドイツのアートフェアに出展した時も『神の宮』は好評だった。
奇抜で刺激的な現代アートが多いなか、一見静かな僕の作品が受け入れられるのが嬉しい。
眼には見えないパワーの存在を感じて貰えたらと思う。

海外での『神の宮』巡回展が楽しみだ。

因に国内は、10月3日~9日迄、さっぽろ東急百貨店からスタートする。
先ずは出雲大社編です。 機会があれば是非お越し下さい。

丁度10月2日と5日は神宮の遷御が行われるので、僕は撮影で伊勢だ。
写真展に顔を出せるのは後半かな。

悲しい贈り物

2012年01月10日 | メッセージ
明けましておめでとうございます。
今年は辰年、龍のごとくてっぺん目指して頑張りたいと思っている。

が、新年早々こんなタイトルでごめんなさい。
今年、僕にとって大切な歴史が一つ幕を降ろした。

以前にもブログで書いた事があるが、僕がまだカメラ小僧だったころ、初めてライカの本物を手に持たせてくださったのがライカ専門店として御堂筋にお店を構えていらした株式会社サンエスの社長夫人(現社長)だった。
僕のライカとの付き合いは、ここから始まったのだ。
今ではライカカメラジャパン株式会社から協賛をいただくまでになっている。
実際僕ほどライカを愛し、実務でも使っている写真家は数が少ないと思う。
そのサンエスさんが、今年の1月9日に直営店を閉めたのだ。
最終日に、お花を持ってご挨拶に伺った。
社長のご高齢と跡継ぎがいないということで、閉める事は聞いていたのだが、いざ社長の顔を見ると感慨深くて言葉に詰まってしまった。

社長から、どうしても僕にもらってほしいと渡されたものがある。何と新品に近いフォコマートICを使ってほしいというのだ。




新品同様のフォコマートIC

既に僕の暗室には、フォコマートのIC、IICが鎮座している。世界中を探し、苦労してやっと手に入れたものだ。その時の喜びは今でも忘れていない。
だが・・・今日事務所に持ち帰った新品同様のこのフォコマートは、社長の寂しそうな顔やサンエスさんとの思い出が詰まっているようで、正直、気が重かった。
何か僕にできる事は無かったのかと、悔やむばかりだ・・・
社長との出会いの場面が何度も脳裏に浮かぶ。

前社長がお亡くなりになってから女手一つで、会社を支えてきた社長。
聞けば、嫁いだ頃はカメラの知識なんて全くなかったという。そんな社長が一生懸命勉強して、名店であるサンエスさんを支えて来た。

僕は、このフォコマートをサンエスさんの記念碑として、次の世代に継承して行きたいと考えている。

“お母さん(社長のことを僕はこう読んでいる)、ありがとう!”

院内美術館構想II in きぼうの杜クリニック

2011年01月19日 | メッセージ
年が明けたと思ったら、あっという間にもう20日(明日で)。
今年も超多忙な年になりそうだ。
卯年ということで、年男の僕。
株価が上がるとか景気が上がるとか言われ、結構おめでたいことが起きそうな年。干支にあやかって更なる飛躍の年にしたい。


さて、昨年の話だが、12月19日に仙台の「きぼうの杜クリニック」で院内美術館構想第2弾として、『GENESIS展』を開催した。






11月のブログにも書いたが、ここは、癌治療専門のクリニックで、免疫細胞「BAK療法」を実施しているところ。
この療法は、副作用が殆どないので身体への負担も少なく、しかも効果的とのこと。それなのに保険が使えないため、治療費は一般的な化学療法に比べて高くなる。
二人に一人が癌になると言われているこの時代、人体に優しく有効的な治療が安く受けられるようになれば、非常にありがたいことだ。それには、先ず、沢山の人に「BAK療法」を知って貰い、万が一癌になった場合、治療の選択肢に加えて貰うことだ。
僕の周りでも多くの人が癌と戦っている。
そんな人達の為にも「BAK療法」が国に認められ、保険で利用できるようになることを切に願う。

年始からちょっと重い話題だったけど、
癌など恐れるに足りず!と思える日がくれば理想だよね。

今年もよろしく。

医療とアートのコラボレーション「院内美術館構想」

2010年09月29日 | メッセージ
いきなり小難しいタイトルでごめんなさい。
2010年9月20日 福岡県筑後市和泉の下川歯科医院にて僕のミケランジェロ作品集『GENESIS』の展示が始まった。 これは、医療現場を心身ともに癒しの空間にする為にアートを役立てよう、という考えを形にした「院内美術館」の一つだ。オープニングの模様は新聞にも掲載されたので添付しておきます。





昨今は、院内感染の問題で、お見舞いの花や、観葉植物を規制する病院も増えている。絵画も絵の具の凹凸に菌が付着しやすいと言われ敬遠される所もある。 だからと言って、何も飾らないでは本当に殺風景になってしまう。そんな悩みの相談を受けたり、僕自身が体験したこともあって企画したのが「院内美術館構想」である。 花やグリーン、あるいは絵画や彫刻が飾れなくても、写真であれば問題がない。それは、表面がフラットなので細菌が付きにくいからだ。

下川歯科医院のように、ファインアートとしての僕の作品を展示するところもあれば、大阪厚生年金病院のように四季毎に自然の風景写真を展示しているところもある。この場合は、僕の作品ではなく、監修をしている。いずれも院内のイメージに沿ったものや患者様の喜ばれるものを提案し、レンタルでご利用いただいているのだ。 写真はアートでもあるが、同時に誰もが気軽に楽しめるものでもある。 僕は、写真を通じて感動とともに癒しも与えられるようになりたいと思っている。これも写真家の使命の一つではないだろうか。

来る10月9日(土)、10日(日)に、マイドームおおさかにて『GENESIS』展が開かれる。これは、大阪府保険医協同組合が毎年行っている“協同組合まつり”のスペシャル企画として招聘されたものだ。お客様は医療関係者とそのご家族やスタッフに限定されているが、コンサートやパフォーマンスもあって、なかなか盛況らしい。このブログをご拝読の医療関係の方がおられましたら、是非、写真展にもお立ち寄りください。僕も会場にいるので、良ければ一声かけてください。

一期一会・・・チャンスは一度

2009年09月03日 | メッセージ
先月も数名の方が面接に来られた。
ホームページで随時スタッフを募集しているので、毎月10名程応募がある。
大体20代~30代前半が多いのだが、何をしたいのか良く解っていないようだ。情熱が感じられない人が大半で、ちょっと悲しくなる。
時代が違うと言えばそれまでだし、自分と比べても仕方ないのだろうが・・。
僕は、少しでも早くプロの写真家になりたくて高校を中退した。高校に入る前に一度、大阪在住の有名な写真家のもとに、「雇って欲しい!」と無理矢理押し掛けたことがある。その方の写真集がとても好きで、どのページにどの写真が載っているか、それは何処で撮影したのかまで、全て空で言えた。それほど好きだったのだ。その時は、「せめて高校を出てからにしなさい」と断られたが、今でも当時の僕を覚えてくれているという。僕は憧れの写真家のもとで働きたいという一心で必死だった。
今の若い子達を見ていると、「これでなきゃ駄目だ!これ以外にやりたいことはない!」という良い意味の執着心が無いように思う。パソコンを再起動したり、ゲームをリセットするように、何事も安易にやり直しが効くと思っているのだろうか。
例えば、面接にしても作品を見せるにしても、「一期一会」の気持ちで臨んで欲しい。
自分が必死になれば、必ず道は開けるし、それを導いてくれる人が現れる。僕もいろんな人に助けられて生きている。人は、一人では生きては行けない。
やる気のある人は、いつでも歓迎だ。ただ、チャンスは一度、という緊張感を持っていて欲しい。扉は常に開けている。

公式ホームページができた!

2008年12月03日 | メッセージ
ホームページがやっと出来上がった。
ホームページでも書いたのだが、オフィスマスウラは21周年を迎える。
いままで僕を支えてくれた多くの人への感謝と新たに気持ちを引き締めるために思いをまとめてみた。

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21周年に向けて

10代で日本を飛び出し、フランスで8年間写真を学んだ。
渡航費はアシスタントをしながら自分で貯めた。
フランス語は全く解らなかった。
たった一人の親からは勘当だと言われた。
でも僕は、海を渡りパリに行った。
そこに最も尊敬する写真家ギィ・ブルダンがいたからだ。

帰国後、大阪の小さなマンションの一室でオフィスマスウラを立ち上げた。
当初は、お金もなく、仕事もなく、希望すら失いかけていた。
でもそこに、信頼できるアシスタントがやって来た。信頼できるマネージャーもやって来た。そして新しい希望が生まれた。

あれから20年、現在オフィスマスウラは、大阪・東京・ローマ・ニューヨークにネットワークを持ち活動している。

人は、気持ち次第でどんなどん底からも這い上がれる。どんな希望もかなえられる。その思いが一途で、正しく、公共性を持ったものであるならば。
この真実を次の世代に継承して行きたいと心から僕は願う。
それが今迄僕を支えてくれた多くの人々への恩返しだと思っている。
そしてますます、我武者羅に生きて行きたい。信頼できるスタッフと共に。

はじめに

2008年11月17日 | メッセージ
まず、何故このブログを始めようと思ったのか。
僕がまだアシスタントをしていた頃、写真(コマーシャルフォトグラファー)の世界にもスーパースターがいた。
豪華な外車でスタジオに乗り付け、アシスタントを何人も使い、海外ロケに行き、常に第一線の仕事をこなす。写真家を目指す若者達にとって憧れの存在だった。いつかはあんな風になってやる!と思ったもんだ。
その為、安月給でこき使われるアシスタントの仕事にも耐えた。皆、良い意味でどん欲だった。夢を叶える為に必死で頑張った。

ところが20年前にバブルがはじけ、コマーシャル業界は元気がなくなり、スーパースターも居なくなった。若者達は目標とする存在を亡くし、確固たる夢を持てなくなってしまった。だから、努力というのは単にしんどいこととなり、
楽な方楽な方へと逃げるようになったのではないかと思う。

僕はこのブログを通して、若者達にもっと夢を持って貰いたいと思う。夢をもち、その実現の為に必死になるのは、どんなに素晴らしいことかということを解って貰いたいと思う。辛いことや悲しいこともいっぱいある。挫折しそうになることもあるだろう。でも、必ずその先には最高の感動がある。失敗したって構わない、それが次のステップになる。

“感動は自らが創るもの”ということを解って欲しい・・・これが、僕がブログを始めた理由だ。また、写真家を目指す人達の道標になればとも思う。

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写真家になろう!と思ったのは、僕が12歳の時。当時、コダックのポケットカメラが流行っていたのだが、僕が手にしたのはミノルタの一眼レフだった。
夢中になった。それまでの僕は、ただのやんちゃな“悪ガキ”だったが、カメラを手にしてからの僕は、至極まじめなカメラ小僧となった。
学校をサボっては京都や奈良まで撮影に行った。中学に入ってからは、トイレを暗室代わりにし、夜な夜な自分で現像した。
(おかげで授業中は爆睡だ)
 
デジタルカメラなんかは陰も形も無い時代だ。
フィルムをカメラに入れ、シャッターを押すと写真が撮れる。その撮影したフィルムを現像し、プリントする。
初めはそのシステム自体が不思議で面白く、魔法のように僕を魅了した。
専門的な作業を教えてくれる人など周りに居なかったので知識はすべて本からだった。
しかし写真の本は高い。お金も無かったので、いつも本屋で立ち読みだった。
(1時間も2時間も、延々と立ち読みしていたので、よく叱られ、店から追い出された。)
 
そんな中、出会ったのが土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」だった。
凄い!なんだこの写真は!
ザラ紙に印刷されたそれは決してキレイに加工されたプリントではなかったし、技術的に優れているとかそんなもんじゃなかった。
なのに、僕はただただ圧倒された。
 
そう、写真は技術では無いのだ・・・・。
(後にパリでギィ・ブルダンに弟子入りした時も同様の衝撃を受けた)
 
ギイ・ブルダン
アリソン・M. ジンジャラス
ファイドン

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そんなこんなで、写真家になろう!が進化して“おれは土門拳になる”になったのだ。(詳しくは、アートン新社から出版されている「おれは土門拳」を読んで貰いたい。)

おれは土門拳になる―“奇跡の光”にたどり着いた写真家・増浦行仁の生き方
村尾 国士
アートン

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悪ガキだった少年時代のことも踏まえつつ、写真家としての現在の僕と将来の目標などなどを語りたいと思う。
 
強く願えば夢は叶う。 夢は夢でなくなり現実となる。なりたい!と思うひとになれる。

僕の家は、母子家庭で決して裕福ではなかった。
悪戯しては、しょっちゅう廊下に立たされていた。
学歴は、中卒(高校中退)だ。
そんな僕でも、こうして願い通り写真家になれたんだから、人生捨てたもんじゃない。
 
それでは、今後ともよろしく。