おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

これはキュビズムの作品ではありません。

2013年03月25日 | 日記--感じたことなど


上の写真は何だか分かりますか?
どこかのキュビズムの彫刻作品のようでしょう?

実はこれ「長谷の大仏」で親しまれている鎌倉の大仏さまの中の写真。鎌倉の大仏は奈良の大仏と違い、中に入れるようになっている。

「胎内拝観」と呼ばれて、拝観料を払って、中を見る事が出来るのだ。
中は薄暗く、それほど広くもなく、特別なものは何も無い・・・。

鋳造するときの木枠の跡が残っているのが見る事ができる。
興味のある人には、面白いと思う。

この大仏、銅造阿弥陀如来坐像として、国宝にも指定されている。
鎌倉時代を代表する仏教彫刻として、貴重なものだと認められているからなのだが、
雨ざらしのままで腐食がすすんでいるのが気にかかるが・・・。


古寺巡礼だより ~東大寺二月堂 お水取り~

2013年03月18日 | 日記--感じたことなど
今年のお水取りは、例年の冷え込みがなく待っている間も寒さに震えるという事はなかった。
今年は、籠松明と3月12日の深夜(正確には13日の午前1時半頃)に行われる「お水取り」を撮影させていただいた。
お松明は、本来、二月堂に上堂する練行衆の道明かりとして灯される。一回り大きな12日の籠松明が有名だが、修二会期間中の3月1日から3月14日に毎日あげられている。
籠松明以外は、使われる日の早朝に松明を担ぐ童子自身が食堂(じきどう)脇で作るそうだ。



そして「お水取り」。
12日、後夜の咒師作法の中で(13日午前1時)、咒師は蓮松明という松明に照らされながら5人の練行衆とともに南側の石段を下りて閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)へと向かう。
大勢の参拝者の見守る中、雅楽も奏され、おごそかに行列が進む様はなんとも神秘的であった。

蛇足だが、3月2日には若狭小浜市の若狭神宮寺では今もこの井戸に水を送る「お水送り」(3月2日)の神事が行われている。こちらも、大勢の松明を持った人々が鵜の瀬へ向かう松明行列が独特の雰囲気を盛り上げるそうだ。
機会があれば、この神事もぜひ見てみたいと思っている。

“日本の翼”JALにて講演

2013年03月04日 | 日記--感じたことなど
丁度一週間前、日本航空さんで講演させて頂いた。
不思議なことに、僕の生き様が、経営者や役員方にウケるのだ。
小学生の頃から“土門拳になる!”と、一流の写真家を目指して来た僕の半生は、ひたすら我武者羅で無謀とも言えるものだった。
挫折を何度も繰り返しながら、でも諦めずにやって来たから今がある。と、そんな体験談を、JALの社員さんの前でお話して来た。





ご存知のように、2年と8ヶ月前にJALは経営破綻した。そこで稲盛和夫氏が経営を引き受けられ、驚異的な早さで再上場となったのだ。だから、同じ轍を踏まぬようにと、定期的にリーダー教育をされているらしい。

なんといっても、現名誉会長の稲盛氏は盛和塾長でもあるし、JALの再建は日本を元気にし、世界経済の発展にも繋がると、盛和塾生と共に尽力した矢崎勝彦氏(盛和塾前理事)は、人生の父でもあるので、塾生のはしくれである僕の拙い話が、少しでもお役に立てれば嬉しい。

そういえば、いつから人は、“根性”や“忍耐”を古くさいものと捉えるようになったのか? かつては日本人の美徳とされたものなのに・・・“星飛雄馬”や“おしん”は、過去の遺物となってしまった。
楽して生きたい、とは誰もが思うことで、もちろん僕も例外ではない。
でも、楽をして、本当の喜びや生きる意義を見出せないし、自分がなりたいものにはなれないのだ。
適当に生きて、死んで行く人生なんて何が面白い?

昭和が見直されている今、根性と忍耐で思いっきり泥臭く生きるのは“新しい”かも知れない。

JALさんも翼に“鶴丸”が戻って来たことだし、
日の丸日本を背負って、誇り高く世界に羽ばたいて頂きたい。