おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

古寺巡礼便り ~室生寺編~

2011年12月27日 | 日記--感じたことなど
土門拳が初めて室生寺を訪れたのは、昭和14年12月のことだった。今から72年前だ。彼は、彌勒堂の釈迦如来坐像に出会い、その凛とした美しさに“これこそが探し求めていた被写体だ”と、「古寺巡礼」を決心した。日本中のあらゆる古刹を巡り、仏像を撮影すれば日本の心=真髄が解るかもしれない、と思ったらしい。




僕が「平成の古寺巡礼」を始めたのも、根底は同じ理由だ。日本本来の美しさは、森羅万象を初め、神仏を敬い畏れる精神にあるのではないかと思う。
その本質を捉え、作品として表現出来れば、現代人の僕たちが見失ってしまったものも見えるかも知れない。
そんな思いを胸に、僕は現代(平成)の古寺を巡っている。

信心を持つというのは、非常に良いことだ。
人の心は弱い。悪いと解っていても楽な方に流れて行くのが人間だ。僕もその一人。誘惑も多いし、人生を良心に従って生きるのはなかなか難しい。
そんな時、神仏を尊ぶ心があれば、自ずと道も見えてくるだろう。

そんな風習は、日々の暮らしの中で、親から子へと伝えられて来たはずだが、核家族化が進み、個人主義が蔓延するにつれ、どんどん希薄になっている。家族という安定した土台が揺らぎ始め、人々の心も不安定に揺らぎ出したのだ。
3月11日の大震災で、大切な家族や故郷を失った被災者の方々が一番に選んだ今年の漢字は“絆”だった。
僕たちは、失って漸く一番大切なものに気付かされる。家族が居て、家が在って、町がある。そんな日常というものがどんなにありがたいかが改めて解ったのだ。
古来、神事や祭事は、地域毎で祝い、家族はもちろん近所の人々との親睦を深めて来た。
神仏は、人と人を繋ぐ縁でもあるのだ。


さて、僕も先週、何度目かの室生寺を訪れた。今回は、初めて内陣撮影の許可をいただき、まずは薬師如来の眷属として十二の方角を守っている十二神像にレンズを向けた。(内、二体はお留守だったけど)
僕も土門拳のように何十回も訪れることになるだろう。彼は最後に雪の室生寺を撮影し、凡そ40年に渡る巡礼の旅を終えたのだ。

今年もあと僅か、皆様良いお年を。
僕の巡礼は、来年で未だたった4年目だ・・・